『現代哲学の岐路』生松敬三・木田元

ここ最近、読みにくい本を連続で読んでいたので、ちょっとした休憩。
対談形式の現代哲学史入門。


サブタイトルに「理性の運命」とあるのだが、現代哲学、現代思想というのは近代という理性の時代を批判していくものであった。
この本は基本的に、「近代合理主義、科学主義、実証主義*1を批判する思想の歴史を紹介していく、という形となる。
ただし、再三注意が促されているが、合理主義を批判する思想は非合理主義というわけではない。合理と非合理の二者選択を迫るようなものではない。むしろここでは、合理主義だけではなく、「非合理主義、神秘主義」に傾いてしまうことも批判している。
「非合理主義、神秘主義」に陥ることなく「合理主義、科学主義、実証主義」を批判するような思想の流れ*2を見ていくことになる。
そこで求められているのは、近代的理性ではなく、広義の理性である。


この本は、1976年に単行本として出版されているのだが、冒頭にこのようなことがいわれている。

学生が面白いことを言っていました。つまり、現代は情報過剰で、とてもその情報を自分で整理して物ごとを判断することなどできない。情報の処理からその判断まで、すべてテレビなり新聞なりがコンピューターを使ってやってくれる。

30年前の話だけれど、こういう大雑把な形での社会の把握の仕方は大して変化していないのだと思わせる。これは例えば、およそ1世紀前に書かれたベンヤミンの「複製技術時代の芸術作品」を読んでも感じるところである*3
一方で、やっぱり30年前だと感じるのは、サルトルの話題で対談が始まっていること。76年ってサルトルフーコーもまだ生きてるし、ハイデガーが死んだ年でもある。この対談をしている生松・木田の両氏は共に1928年生まれで、どちらもサルトルから哲学の勉強を始めたそうだ。多分40年代後半生まれくらいの人までは、サルトルの影響を受けているはずで、サルトルというのはすごい人なんだというのは知っているけれど、実感は湧かない。

近代哲学

さて、まずはニーチェ
ニーチェの元になったのはショーペンハウアーなのだが、ショーペンハウアーの思想はカント思想の再解釈でもある。『意志と表象としてのの世界』とあるが、意志=物自体、表象=現象なのである。これは実は、モナドジーにおける、「意欲」と「表象」にも相当する。ここに、ライプニッツ→カント→ショーペンハウアーニーチェという、いわば主意主義的な系譜が存在している。
続いて、遡ってデカルト、カントの話となる。
近世近代哲学がやろうとしていたことはつまり、世界を人間が正しく認識しうるか、ということで、世界とは理性的なものであり、人間の認識能力も理性的である、故に人間は世界を正しく認識できるということになっている。これの間をつなぐものとして「神」がある。神が世界を作り、また人間も作った。だから、神の理性が、世界と人間それぞれに分有されているのである。
この図式から「神」を取り除こうとしたのがカントである。不可知論だ。
だが、カントで注目すべきは、彼が「物自体」ということにこだわったことである。
彼は、人間の理性では決して認識できないものがある、ということにこだわる。また、彼はそれがある、ということまではいうが、それ以上のことも決して言わない。
これを乗り越えてしまうのがドイツ観念論
フィヒテは、「物自体」も何かも全て、自我の観念の中に取り込んでしまう。
それに対してシェリングは、精神(自我)と自然(世界)とを対等のものと考える。その上で、この二つは同一であると考えるのだけれど、その同一であることを知るためには論理ではなく直観に拠らなければいけない。
一方、これを直観ではなく論理で到達しようとしたのが、ヘーゲルである。
さてここで出てきた「自然」という概念は、デカルトによるそれとはあきらかに異なるものである。
精神と自然という二項は、デカルトであれば思惟と延長としてしまうだろうが、ロマン派、ロマン主義では異なる。ここでは自然は、自ら生成する有機的なものとして考えられる。この有機的なものという考え方の中で歴史という考え方が生まれる。
デカルトの理性は、数学の普遍的妥当性を中心に据える。これはいつでもどこでも当てはまる、つまり歴史を持たないものだ。そうしたデカルト的理性に対する批判は、既にヴィーコが行っている。
さて、ヘーゲルである。
彼は、近代啓蒙主義デカルトからカントに到る論理を重視する流れ)とドイツ観念論ロマン主義を統合した。だから彼は、近代理性の批判者たるロマン主義の流れにもあるのだけれど、しかしやはり近代的理性を貫徹させた者である。対談では、ゲーテと等値される。ゲーテはビルドゥングス・ロマンを書いたけれど、ヘーゲルの哲学はビルドゥングス・フィロソフィーであるというのだ。理性を完成させるというビルドゥクングスだ。
「理性的なものは現実的であり、現実的なものは理性的である」
ヘーゲルによって、理性と現実は一致する。精神と世界が一致する。だが、ヘーゲルの死後、ただちにこれは分離し、ヘーゲルは批判されていく。
理性的なものを現実的なものにしなければならない、と現状改革を訴える左派ヘーゲル派と
現実的なものは理性的である、という現状肯定の右派ヘーゲル派の分裂である。
さらに、理性では捉えられないものについての主張も現れる。シェリングは、「現実」や「実存」を挙げる。
フォイエルバッハは、「理性」「絶対精神」を「人間」「自然」へと置き換える。ここでいわれる「自然」も、決して対象としての「自然」ではなく、理性では捉えきれない「根源的な自然」である。このフォイエルバッハのモチーフは、マルクスにも受け継がれているという。マルクス唯物論(マテリアリズム)というときの、マテリアとは単なる質料ではなく、根源的自然になるべき材料なのではないか。
そして再び話題はニーチェとなる。

古代ギリシアから始まる、もう一つの自然観

ニーチェ自身はヘーゲル批判はしていないが、ショーペンハウアーヘーゲルを批判している。
ニーチェギリシア古典文献学を専攻しており、哲学は専門ではない。それ故彼の合理主義批判は、ヘーゲル哲学ではなく、むしろプラトンへと向かうのである。そして、プラトン以前の古代ギリシアが発見される。いわゆるディオニソス的なものである。これがすなわち「意志」なのであるが、ショーペンハウアーニーチェの異なる点は、前者の意志が盲目的なのに対して、後者はそうではないことである。
ここで、古代ギリシアの自然観というものが注目される。その自然は、理性と対置されるロマン的な対象としての自然ではない。ロゴス(理性)を内包している自然なのである。もとよりプラトン以前の古代ギリシアにおいては、自然と理性を分離して考えないのである。
丸山真男によれば、創世神話というのは大きく3つに分けられるという、すなわち「なる」「うむ」「つくる」である。古代ギリシアと日本では「なる」である。自然とは「おのずからなる」ものなのである。
それに対してプラトンイデア論キリスト教がは「つくる」なのは明らかだ。これが、ニーチェの批判する「ヨーロッパのニヒリズム」「近代合理主義」を形成していく。
一方で、新プラトン主義はこれとは異なり、「流出」というキーワードで「根源的な自然」を強調する、もう一つのヨーロッパ思想の流れとなる。これは「うむ」「うまれる」という関係で宇宙を捉え、ピコデラミランドラ、パラケルスス、ブルーノーといったルネサンスの思想家、スピノザの汎神論へと流れていく。
さらにここにライプニッツが連なることとなるが、彼は非常に特殊な思想家で、近代の機械的自然観と中世の目的論的自然観を繋ぎ合わせようとした人物で、近代の幕開けにいながらにして近代批判を同時にしていたのではないか。

科学の危機

19世紀後半から、科学主義、実証主義への反動が科学の世界でも現れ始める*4 *5
ユークリッド幾何学の発見、フレーゲホワイトヘッドラッセルらによる記号論理学の誕生、アインシュタインの相対論、プランク量子論、ポワンカレ、デュエムなどによる科学史の成立。
歴史学を自然科学的な方法から切り離すこと。
ゲシュタルト心理学*6の誕生。このゲシュタルトというのは、ゲーテに遡るらしい。ゲーテニュートンは色に関して論争を行っている。ニュートンは、色を波長へと還元しようとしたが、ゲーテはそれはもはや色ではないと考える。いわばゲシュタルト的な把握を考えていた。
心理学の近接領域である精神医学*7ではフロイトが、生物学ではユクスキュルが出てくる。彼らの特徴は、「事実」を集めるだけではなく、そこにある「意味」について考えなければいけない、というものである。またもう一つの特徴としては、アカデミズムの中では認められない、在野の研究者であったことか。
社会科学では、コント、デュルケムの社会を「もの」として扱うことを伝統するフランス社会学の流れがある一方で、ウェーバージンメルらの社会を「もの」ではなくむしろ「関係」として扱うドイツ社会学の流れがうまれる。
言語学ではソシュール、人類学ではレヴィ=ストロースによる構造主義も、実証主義への批判として現れたものとしてここでは捉えられている。
このように、科学主義、実証主義への批判が、各個別科学で噴出する中、しかしこれらの意義を正確に理解していた者はいなかった。ただ一人、フッサールを除いては、ということになる。
フッサール現象学は、ゲシュタルト心理学にも影響を与えている。

第一次大戦

敗戦後のドイツ。それは廃墟でもあると同時に、新しいものがうまれてくる場でもあった。古い権威が一掃されたからだ。
1910年代から20年代にかけてのドイツで、最も活動的だったのがシェーラーで、彼はあちこちで講演を行う。その中で、ユクスキュルを紹介している。ユクスキュルを最も早く評価したのは、生物学者ではなくシェーラーであった。
またこの時期のドイツで、シュペングラーの『西洋の没落』がベストセラーとなる。フロムが勉強したベルリンの精神分析研究所、バウハウス運動、フランクフルトの社会研究所も生まれる。
さて、ユクスキュルはさらにハイデッガーカッシーラーにも影響を及ぼす。
大戦を挟んで哲学の流れが大きく変わるのは、ハイデッガーカッシーラーは人間学、哲学的人類学を構想していたということである。つまり、戦前までの哲学はいわば認識論であったのに対し、戦争をはさむことによって、そもそもの人間とは一体どういう生き物であるのか、ということが考えられるようになったのである。ハイデッガーの「現存在」しかり、カッシーラーの「シンボルを操る動物」しかりである。
フッサールハイデッガーの違いもここに由来する。フッサールは認識論、ハイデッガー存在論
また、フッサール実証主義は批判するがあくまでも合理主義の立場を保持するのに対し、ハイデッガーは合理主義を批判する*8
またその後、30年代ころには、ユクスキュルの考えが生物学にも影響を及ぼすようになり、生物学者の側でもそのような考え方が生まれてくる。
ちなみに木田は、20年代の代表的な哲学的業績としてカッシーラー『シンボル形式の哲学』ハイデッガー存在と時間ルカーチ『歴史と階級意識ウィトゲンシュタイン論理哲学論考』を挙げている。
30年代に入り、ドイツの知識人の多くが亡命を始めるのでドイツの知的状況は沈静化してしまう。舞台はフランスへと移る。
戦勝国フランスは、近代の秩序を微温的に残し続けてきた。またフランスは、そもそもドイツ哲学などは田舎と馬鹿にして決して取り入れてこなかった。しかしそのような状況に限界が来ていたのも確かだった。こうして若き日のサルトルメルロ=ポンティが猛烈にドイツ哲学を吸収し始める。また、コジェーヴが亡命してきてヘーゲルの講義を始める。
ウィーン学団に関しては、(論理実証主義を標榜しているし、事実としてそうだが)生松と木田は実証主義の貫徹ということで終わらせてしまうが、ウィトゲンシュタインに関しては注目している。
ここで特に指摘されているのは、フッサールウィトゲンシュタインとの類似である。この類似は偶然に過ぎないが、同じような問題に当たっていたのだから必然ともいえる。
二人ともユダヤ系の家系で、数学基礎論から哲学の道へと進み、フレーゲの影響を受けて論理学から全てを基礎付ける試みを行い、しかし結果としてはその試みの限界を知り、立場を転換する。
ウィーン学団のほとんどはアメリカへと亡命している。アメリカといえばプラグマティズムである。
ジェームズのそれは「生の哲学」として捉えられ、ベルクソンと共にヨーロッパでは人気があるらしい。
一方で、パース→モリスという記号論的な流れもアメリカにはある。これは、渡米したカッシーラーのシンボルの哲学と出会う。
ゲシュタルト心理学者たちも渡米し、これは新行動主義心理学を形成する。
また、亡命したシュッツ(とその弟子たち)は、現象学的社会学を作り上げようとしている

第二次大戦後

大きく思想的な地勢が変化するのは60年代である。
40、50年代は、フランスでサルトルメルロ=ポンティが戦前、戦中に勉強してきたことを発揮していた時期であった。またその時代、「実存主義マルクス主義か」などと言われ、サルトルマルクス主義を批判していた。ただし、この時期のフランスの知識人の多くはマルクスハイデガーも同時期に受容しているので、マルクス主義に反対する者は少なく、メルロ=ポンティなどは非常に左寄りだった。
実存とは何か。
これはそもそもシェリングにまで遡る。「本質存在」(である)(形相)と「事実存在」(がある)(質料)という区別がヨーロッパには根強くある。また特にその中でも、前者ばかりが取り上げられてきた。シェリングは「事実存在」をこそ主題化しようとした。
これをキルケゴールが少し変える。全ての「本質存在」を知っているのは神である。人間にも「本質存在」があるが、しかし人間は能力的にそれを知ることが出来ず、人間にとっては「本質存在」はないも同然である。つまり人間とは「事実存在」である、と。この用法がハイデッガーヤスパースへと連なっていく。
50年代頃からマルクス主義が、ロシア・マルクス主義人間主義的な西欧・マルクス主義へと分裂。サルトルは、西欧・マルクス主義へとコミットしていく一方で、メルロ=ポンティはむしろ右旋回を始める。こうして、実存主義陣営も分裂するようになる。
さらにハイデッガーが、サルトルを批判するかのように、アンチヒューマニズムを標榜する。これにさらに、フーコーデリダが追随していく。「実存(人間)主義か構造主義か」という対立図式が生まれてくる。


現代哲学の岐路―理性の運命 (講談社学術文庫)

現代哲学の岐路―理性の運命 (講談社学術文庫)

*1:この本ではこの3つの語がほぼ同義に扱われている

*2:この本では、「近代思想史の裏街道」と呼ばれる

*3:最近『EDEN』の16巻が発売されたのだが、このマンガの舞台はおよそ1世紀後だ。だがそこで描かれる未来の社会や人類の有様は、現代とほとんど変わるところがない。未来ものなんだからもっと変わったところを描いてよ、とも思うのだが、たがだが1世紀程度では人類はほとんど何も変わらないのかもしれない

*4:この本では、デカルトニュートン的な近代合理的、物理学的な考え方を実証主義という呼び続けるが、むしろ還元主義と言った方が正しいのではないか、と思う。というのもこの後で紹介される各個別科学を、実証主義とのアンチで考えるのはやや乱暴だと思われるからだ

*5:ところで、19世紀末ほど科学が称揚されていた時代も他にないだろう。一部のインテリ層はともかく、全体としては科学を非常に肯定的に受け入れていったのではないかと思う。人類の歴史においても、19世紀末から一次大戦までの時代ほど技術が発展した時期は他にないだろう

*6:ちなみに、心理学はずっと哲学の1ジャンルとして扱われ続けてきたらしい。今でも(今=1970年代?)、大学によっては哲学科の中にあるとか。哲学科の中にないまでも文学部の中にあることは珍しくないだろう。

*7:といってもまだこの時代は心理学と呼ばれていたのだと思うけど

*8:これが後にヒューマニズム批判にも繋がる