『ニーチェ』ジャン・グラニエ

ほかの解説書も読みなさいと、永井均が言ったから読んでみたw
しかし、読みにくかった、というのが大きな感想。


既存のニーチェ解釈に否を唱えようとしているのが、このグラニエという人なのかな、と思った。
特に前半部、ニーチェの生涯や著作について語る筆致には熱を感じさせるものがある。
妹による捏造に対して怒ったり、ナチによる利用に怒ったり、あるいは彼が病気であることによってその著作は貶められるものではないと表明したりしている。


著者ならびに訳者によると、この本は、分裂しがちなニーチェに一貫性を持たせた解釈を与える試みらしいのだけど、その一貫性をうまく読み取ることができなかったので、気づいたことを羅列。


ニヒリズム批判とは、大衆社会批判でもある。
ニーチェは、イデアリズムを批判するという点で反ヘーゲルではあるのだけど、弁証法的なところもあって実はヘーゲリアン的なところもある。僕が、『これはニーチェだ』を読んだときは脱構築的だといったけど、それは弁証法的とも言い表せてしまう可能性があるのかもしれないのか、などと思う。
同一性というものを否定するけれど、その代わりに称揚されるのは「生成」。ここらへんはドゥルーズにつながっていくのか(ただし訳者によると、この著者はドゥルーズニーチェ解釈には反対の立場っぽい)。
無神論者の説く道徳は、死んだ神の代わりに過ぎない。
この本では、パースペクティブ主義をかなり高く評価している。「真理とは有益な誤謬に過ぎない!」真理と誤謬、というか幻想間で行き来すること(遊戯)を、ニーチェの特質と考えていると思われる。そしてその遊戯こそが芸術に他ならない。芸術とは生産、形の構築。
力への意志に関しては、「身体」と「無意識」がかなり強調されている。「無意識(ニーチェはそうは言わなかったけれど)」を重視した点で、ニーチェフロイトとよく似ているとしている。
『これはニーチェだ』を読むと、超人って動物的だなあと思うのだが、この本を読むと、「生成する」とか「訓育する」とか「永劫回帰というハンマーによって超人の像を彫る」とかあって、超人ってマッチョだなあと思う。
ニーチェは科学的思考にも興味を持ったっぽいけど、結構テキトーだったように感じた。ダーウィン進化論への批判の仕方がちょっとひどい気がする。
「大いなる政治」というある種のユートピア。支配階級は清貧であれ、ってことなのか?


ニーチェ (文庫クセジュ)

ニーチェ (文庫クセジュ)