『トゥモロー・ワールド』

邦題がよくないなあ。
かといって、原題のChildren of men が優れたタイトルかというとそれも微妙だけど。
非常によく構築された作品だった。
見て損はしない。
この作品を言い表す言葉は二つ、「ファンタジー」と「静謐な緊張感」だと見ていて思った。

ファンタジー

子供が生まれなくなってしまった未来社会。次の世代が生まれない、ということで人類社会は荒廃し、テロと貧困が横行するようになっている。
こうした設定と緻密に作られた映像のリアリティには、何らかの社会批判めいたテーマを読み込みたくなるものである。不法入国者たちによるテロ組織の姿は、見るものにイスラム系のテロ組織を想起させるし、格差社会や戦争の悲惨さが描かれている、と見ることもできる。
しかし、この作品はそうした「現実社会」とは切り離されて作られた、一種の「ファンタジー
として見るべきだろう。
ここでいう「ファンタジー」とはある構造をもった物語を指す。すなわち「行きて帰りし物語」だ。
主人公のセオは、別れた妻の「依頼」によって、人類にとって「宝」ともいうべき妊娠した少女を「送り届ける」こととなるのである。
これは「ファンタジー」の基本パターンともいうべきものであるし、主人公が自分の意志ではなく「依頼」によって動く(「委任と代行」)というのは確か蓮實重彦村上春樹らの作品にたいして指摘した特徴であり、さらにいえばRPGの特徴でもある。
そう言う意味で、物語の展開がかなり正統で分かりやすい。
わかりやすさ故につまらなくなる、というパターンがあるが、それは後述する演出によって補われている。
ファンタジーっぽさを増すのは後半だろう。
ジャスパーが死に、セオとキーが船との合流地点に着くために移動していく。ジャスパーは死ぬ前に、セオに対して廃校で警官を待つように告げる。廃校でその警官と落ち合った後、ゲットーへ入る際、警官は中で犬を抱いた女性のところへ行くように告げる。その女性に小舟を用意してくれるように頼み、ゲットーの有力者から小舟を準備してもらう。
この一連の流れはなんとなくRPGっぽくないだろうか。
大きな目的のために、小さなミッションが課せられ、それをクリアするとまた次のミッションが課せられる、という感じで。
また、「幻想的」という意味で「ファンタジー」という言葉を使うなら、そういうファンタジーっぽさも後半にはある。
ゲットーで出会った女性は不法入国者であり英語を話すことができない。
会話が通じないことや犬を偏愛していることなどが、彼女に対して何となく不気味さを感じさせる。だが、その彼女こそはゲットー内では信頼できる味方であった。
全編を通じて、この女性の存在が個人的には非常によかったと思っている。
また、赤ん坊を見せると戦闘がやみ皆が道を譲る、というシーンもよかった。
かなりリアリスティックな戦闘描写をつづけた後なので、いわば「非現実的」なあのシーンが効果的に浮かび上がるかたちとなっていた。
そしてラスト。
セオが死に、待っていた船、トゥモロー号が現れて終幕となる、というのもよい。
この作品は登場人物たちに容赦なく死が訪れるわけだが、それも物語の中での役割を終えたゆえに必然的な死としなっている。セオの妻は、セオに「依頼」したことによって役割を終えたから死んだのであり、ジェスパーもセオに次のミッションを課したことによって死んだのであり、セオもまた「依頼」を遂行したことによって役割を終えたから死んだのだ。

静謐な緊張感

TVCFなどで受けた印象と全く異なる、と感じたのは、非常に静かである、ということだ。
この静けさが、見るものに緊張感をもたらす。
緊張感をもたらす仕掛けとしては、カメラワークが重要だ。
ほとんどのショットが、手持ちで撮影されている。そのため、画面が手ブレで揺れている。カメラが移動する際も、レールなどを使って揺れなく動かすのではなく、カメラマンが歩く揺れをそのまま残している。
移動撮影、あるいはそれに伴い長回しの多い映画であった。
長回し、つまりカットを割らない撮影方法というのもやはり、客の緊張感を増す手法だ。


いくつかのシークエンスを紹介する。
まずは冒頭だ。
タイトルクレジットのあと、ニュースが流される。そのニュースは街頭のカフェに設置されたテレビで流されていたものだ。それらを食い入るようにみる群衆。その群衆の中の一人セオがコーヒーを買って店を出る。コーヒーを片手に歩道を歩くセオ。カメラが彼を追い越すように移動し、先ほどのカフェが画面に入る。爆発。
セオが店を出てから爆発までが、カットを割らずに長回しで撮られている。できうる限り静かに、緊張感を増していき、カフェ爆破シーンで一気にマックスへと持って行く。
冒頭のシークエンスとしてはありがちなものではあるが、よくできている。
次に、セオがセオの元妻ジュリアン、キー、キーの付き添いミリアム、運転手と共に車に乗っているシーン。
セオを信頼していないキーに対して、ジュリアンはセオの昔話をしたり昔のようにじゃれあってみせる。
直後、車が襲撃される。
和やかな車内のシーンから一転して緊迫した襲撃シーンへと転ずる。ジュリアンは狙撃されあっけなく死亡する。
冒頭のシーンもそうだが、穏やかな情景を一発の銃弾や爆発で緊迫したものへと一瞬で変化させてしまう、というのが多い。その変化のさせ方がよくできている。
前半ではこの二つのシークエンスが、見せ所だろう。
後半では、まずはキーの出産シーンだろう。
この映画は戦闘描写をリアリスティックにしようと務めているので、ちょっとグロ系の映像も映るのだが、それも最近の戦争映画だとよくある話。出産を直接的に映した、というのはなかなか珍しいのではないか、と思う。胎児がまさに出てくる瞬間を撮った(無論本物ではないが)というのはなかなかすごいと思った。
そして、この映画最大の見せ場が、戦闘における長回し
キーを見失ったセオが、キーを探して戦場を歩き回るシークエンスが、延々と映し出される。
このシークエンスを説明するとただそれだけでしかないのだが、とにかく執拗に描かれる。面白いのは、血飛沫を浴びてカメラのレンズに血がつくことである。
手ブレや長回しもそうだが、このことによって観客に対して、カメラの存在をはっきりと主張する。
物語の構造は「ファンタジー」でありながら、その演出において「ドキュメンタリー」という組み合わせが、この作品を支えている。

細かいところ

2027年という近未来が舞台になっている。
というわけで、細々としたところが未来。
荒廃しているという設定があるので、街の外観そのものは今と同じかあるいはそれよりも老朽化しているのだが、インフラやインターフェイスなどがさりげなく未来的になっている。
車のデザインなんかもそう。ロンドン市内にいる軍の銃がXMかF2000みたいな感じだった。銃に関していえば、ロンドン郊外にいる軍はもっと普通の銃だったし、テロリストはやっぱりAKシリーズを持っていたけれど。
あるいは、2003年の曲を、懐メロとして紹介しているラジオとか。
音楽って言うと「禅ミュージック」っていうネーミングが面白かった。若干ノイズの入ったハードコアテクノ(?)みたいな感じだった。近未来でそのネーミングでノイズってどうよって感じもするけど、まあいいんじゃないかな。
一番金や手のかかっている場所は戦闘描写、あとエキストラもかなりいるけど、次にそういう細々したガジェット揃えてるのがよかった。
それから時々、きちっと構図をしめる。
キーがセオに妊娠しているところを明かすシーン。
牛に囲まれて裸になっている構図。
それから、廃校。学校の中にセオとミリアムがいて、外でキーがブランコに乗っている。セオとミリアムがキーに声をかけるとき、窓ガラスの割れ目にちょうどキーがおさまっている構図。
あと、動物が沢山出てくる。一緒に見た他の友達が指摘してたけれど、あまり気になっていなかったので(廃校に出てくるラマみたいなのは、弐瓶勉っぽくて気になったけど)書かなかったのだが、今他の人の感想を読んでいたら、空中にぶらさがっていたブタがどうもピンクフロイドのブタだったらしいので記しておく。