仲俣が『ポスト・ムラカミの日本文学』でポップ文学と呼んでいた人たちを読もうキャンペーン第2弾!*1
『孤独のグルメ』とは、全く関係ないし、全然別ものなのだけど、何故か読んでいて『孤独のグルメ』を想起してしまったのは何故。
中年にさしかかったあたりの独身男性が、日々の日常を淡々と綴っていく形式。
しかし、これが思いの外すいすいと読めて、何となく面白い。
この何が面白いのかよく分からないのだけど、面白いような気がしてしまうのが、『孤独のグルメ』と似ていたのだろうか。いやもう、『孤独のグルメ』のことは忘れよう。
非常に長い1文を書く。
「〜しつつ」とか「〜ので」みたいな接続や、長い形容をかけていって、長い1文を作るのだが、これが不思議と冗長ではなく、むしろリズミカルなのである。
この長い文のリズムが、作品全体の雰囲気を決定している。
主人公は、何かを見たときや気付いたとき、そのことについて長々と思いを巡らせていく。
この長い文とあいまって、読む体感速度がゆっくりになる。ゆっくりとした時間が作品に流れている。
しかし不思議なところは、そうだというのにすらすらとあっという間に読めていくことだろうか。ゆっくりと、だが立ち止まらず、文章は進んでいく。
様々な日常の中での気付きが描かれる。
例えば、競馬馬の話を延々としてみたり、あるいは今自分が読んでいる小説について思いを巡らせたり*2。
それはわりととりとめもなく、その日起きた出来事によっているのだが、一方でそれは他の出来事ともゆるやかに繋がっている。
このゆるやなか繋がりは、まさに日常の中の気付き、だと思う。
何だったか思い出せないことが、全く関係ない瞬間にふと思い出せた時のような。
主人公は、非常勤講師と翻訳を仕事としているのだが、それ以外の登場人物のほとんどが職人である。舞台が東京の下町であるためなのだろう。
つい最近、ジャスコ的郊外に関する本を読んで、自分の住んでいるところはまさにジャスコ郊外だなあなどと思っていた自分としては、ここで描かれる町には異国情緒的なものを感じずにはいられなかった。
物語としては、伏線めいたものを何一つ回収せずに終わっていく。
だから本当に、ある日常生活を、ある期間切り取っただけのものなのだけど、一応正吉さんの不在というものが、途中まで物語を引っ張っていく。それと、真ん中あたりにでてくる「待つこと」についての考察。
小説的に話を貫いているのは、やはり馬だろう。
競馬馬の話は、何度も何度も繰り返し出てくるし、主人公が家庭教師をしている咲ちゃんが200メートル走の選手であることや、主人公が途中で自転車を手に入れて走り回るところなど、「走る」ことで馬と繋がっている、というのは無理な見方かもしれないけど、いえないこともない。
堀江敏幸の他の作品もちょっと読んでみたいかもしれない。
ところで、1964年生まれで教授という経歴にちょっと驚いた。年齢的には、まだ助教授だと思うのだけどすごいなあ。
- 作者: 堀江敏幸
- 出版社/メーカー: 新潮社
- 発売日: 2006/08/29
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*1:第1弾は、赤坂真理『ヴァイブレータ』でした。