ベルクソンと現象学は、環世界とサーチライト仮説か

このブログでは既に何度か書いているけれど、今ドゥルーズの『シネマ』を読む、という授業を
とっている*1


で、ここ最近は、ベルクソン現象学の比較が続いていて、個人的には非常に盛り上がっている。
20世紀初頭、意識(やイメージ)と物質(や運動)の関係をどのように考えるか、ということが問題になった、らしい。
現象学は、物質に関しては括弧にくくってしまう。つまり、超越論的還元という奴をする。カントの不可知論にも近いかもしれない。まずは、知覚できるものから考えていこう、とする。
それに対してベルクソンは、イメージ一元論ともいえる戦略をとる。彼は、意識も物質も全てイメージだと言ってしまう。


さて、今日の授業では「光」というものをキーワードに、この二つが比較された。
現象学的な考え方は、いわば「物に光を照射している」ようなものである。ここで言われる光は「志向性」と言い換えてもよい。
世界や物質というのは、いわば真っ暗で、そこに志向的な知覚という光をあててやることで、イメージが現れるのである。
それに対してベルクソンは、「物そのものが光である」と考える。
ベルクソンにとっては、物=イメージである。イメージとは、普通何者かが物を認識することによって現れる*2と考えられるわけだが、物=イメージとするならば、何者かによる認識などはイメージの現れにとって必要ない。
物=イメージが自ら光を発している、これが世界の全体である。
そして私たちは、スクリーンのようなものである。その光を遮るスクリーンが私たちなのである。
世界とは全て光である。これは、世界とは映画である、とも言い換えられる。映画は映写機の光だからだ。そして、その光を遮るスクリーンに映し出される。
そして、さらにベルクソンが言うには、意識とは光=イメージ=物にあるのである。
私たちはスクリーンに過ぎない。
スクリーンには意識がない。意識はあくまでも光の方に、世界の方に属しているのである。
これは、環世界論やアフォーダンスのようにも思えた。
環世界論やアフォーダンスは、「意味」が主体ではなく世界の方に属していると考える。主体がその「意味」を世界から拾ってくることによって、「意味」が現れる。
一方で、現象学の志向性は、脳科学のサーチライト仮説のようにも思えてくる。


ところで、ベルクソンはイメージ一元論的に思考を展開しているので、物質も意識も世界も私も何もかもがイメージである、と述べている。
しかし、だとすると光を遮るスクリーンとは一体何なのだろうか。
それは物質やイメージであるわけがない。
ということを、先生に質問してみたが、物質ではない何かを想定しておいてください、というような感じの回答だった。
ベルクソンの思想って好きなのだけれど、時々どうしても納得できないところがある。それは議論のずるさにあるような気がする。
例えば持続であれば、神秘的な何かとして暗黙に仮定されているように思えてならない。
この場合、スクリーンというものが、定義できない第3の何ものかとして仮定されていて、それでいてそれに対する説明がない。


ドゥルーズは、現象学は、哲学の古典的なアイデアの焼き直しにすぎず、ベルクソンは革新的な思想だ、と主張したいようである。
まあその通りなんだろうけど、しかし革新的であるから正しい、ということにはならないわけで。ベルクソンの持っている、何やら神秘主義的な部分はどうにかならないものか。


追記(060225)
今、この授業のレポートを書き上げた。
レポートとは直接関係ないが、書きながらふと思いあたった。
このCinemaの議論は、まず世界が物質・運動と意識・イメージからできているということを前提とした上で、ベルクソンは物質とイメージを同じものとしてしまった、と展開する。
イメージというのは、知覚によって表象されるもの、というように理解していたのだが。
現代の人間の考え方だと、世界は、物質、エネルギー、情報からできていると考えると思う。物質とエネルギーはアインシュタインによって統合されている。エネルギーは運動と言い換えることができるだろう。ということは、情報はイメージと言い換えることができるのだろうか。
だとするとベルクソンは、情報一元論者ということができる。
そして、「イメージ=物質・運動の総体」=「世界」=「光」という等式は、「情報=物質・エネルギーの総体」=「世界」=「光」となる。つまり、「エネルギーと情報を担うもの」=「光」?
やっぱりすごい、ベルクソン!?

Cinema 1: Movement-Image

Cinema 1: Movement-Image

*1:http://d.hatena.ne.jp/sakstyle/20060603/1149361027http://d.hatena.ne.jp/sakstyle/20060610/1149959280http://d.hatena.ne.jp/sakstyle/20060924/1159108045

*2:表象される、とでも言い換えようか。representとは、文字通り「再び-現れる」ことだ