『墨攻』

比較的マイナーな思想家である墨子が僕はわりと好きで、それが映画化されると聞いたらば、見に行くしかない、というわけで行ってきました。
彼、そして彼の率いる墨家集団は、思想家集団であると同時に戦闘集団でもあり、戦国の世を渡り歩いた後、突如として歴史から姿を消している。
そんな彼らに魅力を感じない訳がない。

墨家とは

一応、予備知識として。
諸子百家のうちの一つ。
「兼愛」「非攻」を説く。
戦国の世にあって強く平和を望み、そのためには相互不可侵が重要であると考えた。
また、全ての人間を平等に愛する「兼愛」を説き、家族など身近な人間との愛を重視する儒家とは対立した。また、極度の節制を求める墨家は、儒家の重視する祭礼を批判するなど、様々な点で対立していた。
しかし、何よりも特筆すべきは、彼らが類い希なる戦術家集団であることだ。
彼らは自分たちの思想である「非攻」を実践するにあたり、城を守る術を編み出していた。
墨子の思想をまとめた『墨子』は、守城術に多くが割かれているらしい。
強国に攻められている弱小国に赴いては、城を守っていた。
映画では、1人で行っているが、これは墨家集団のトップと意見があわなかったため。100人単位とかで動いているらしい。
墨者の猛勝は、弟子およそ180人と共に戦いに赴き死んでいる(集団自決らしい)。
戦国時代末期に歴史から姿を消す。その理由は不明。
秦に吸収された、という説もある。

映画の感想

墨子に興味を持っているから見に行ったわけだが、映画自体は単なるスペクタクルものだろう、と高をくくっていた。
事実、単なるスペクタクルものではなるのだが、そう思って見ていると最後に驚かされる。ネタバレになるので、この記事の後半の方で詳しく述べることにする。


シーンの切り替えが全体的にあまりうまくなかったように思う。唐突に時間や場所がとぶし、新情報の出方も唐突。新情報のための伏線もあまり用意されていない。
さらに映画の前半は、やや情報量が多いわりに展開が早く、話の流れが見えにくい。
映画を見る前に、原作になったマンガを立ち読みしたのだけど、前半部はマンガを読んでいないと、何で出てきたのか分かりにくい部分がいくつかあったと思う*1
あと、もう少し欠点をあげるなら、CG。
最初に趙の大軍が出てきたところは、多分CGで作っていて、ちょっと残念だった。
でもそれを除けば、そんなにひどいCGの使われ方はない。


で、やはりなんといってもこの作品は合戦シーンが見所で、客も合戦シーンを見に行っていると思う。
ロードオブザリングの合戦シーンが好きな人は、この作品の合戦シーンも好きなのではないだろうか。
あともう1回くらい欲しかったけど。
火薬を爆発させて一気に敵兵を散らすシーンが、最初の見せ場になるのだけど、これが見事。正直ここまでは、先述したとおり情報量が多くて話が散漫していて見づらいのだけど、この爆破シーンで一気に緊張感が出てくる。
それから小道具がよい。
敵味方で鎧と馬の色が違い、そのコントラストがきれい。
それと、基本的に横山光輝の『三国志』と『項羽と劉邦』で中国史を学んだ身としては、鎧や武具のデザインに興奮する。
戟や弓のディティールがよい。
頭に付けている帽子っぽいもののデザインとかも。
ロードオブザリングを見たときも思ったけど、動くときに鎧がカチャカチャする音がとても好き。
最後の方で、巧城兵器として気球が出てくる。当時、さすがにあんなものはなかったわけだが、だからこそ逆に見ててびっくりするのでよかった。
音楽が川井憲次
いわれてみると確かに川井憲次テイストだった。というわけで、音楽もよかった。
ちなみに合作映画で、香港、中国、日本、韓国、台湾が参加している。
あと、クレジットの話。
スタッフロールが、中国語、英語表記だったのだけど、役職名がやはり日本語とは違って面白かった。監督→導演、製作→監製、エグゼクティプ・プロデューサー→出品人。
エグゼクティプ・プロデューサーって何やっている人がいまいち分からないのだけど、出品人っていわれると何か分かったような気になる。
それから、オープニングのタイトルの出し方がわりとシンプルだった*2。エンディングも、字幕で後日談が出て終わるのけど、シンプルだった気がする。
全然関係ないが、中国語のリズムというのは聞いていてなかなか面白かった。

ストーリーに関して(ネタバレを含む)

大国趙が小国梁に攻め込んでくる。墨者の革離は、単独梁に乗り込み支援する、という話。
梁には、自己保身しか考えず、コロコロと意見を変える梁王が治めている。この息子、梁適はやや自信家すぎる面はあるものの、基本的に優秀で、次第に革離を慕うようになる。一弓兵にすぎなかった子団は、革離に見出されて隊長に抜擢される。
そして、近衛騎馬隊を率いるのが逸悦という、前隊長の娘である。彼女と革離がお互いに惹かれあっていく、というラブストーリーとしてもこの映画は見ていくことができる。
さて、このスペクタクルものにおけるラブストーリーというのは、えてして製作サイドの商売のためにつけられているように思われることが多いが、この作品はこのパートが非常に重要。
墨者である革離は「兼愛」の思想を掲げている。これは、万人を平等に愛するというものだ。しかし、革離は、逸悦という女性に対して特別な愛情を持つことになる。革離は、「兼愛」との間で非常に悩むのである。
革離は悩む主人公だ。
彼自身がたてた作戦によって、梁は勝利するが、そのたびに革離は寂しげな表情をする。敵兵の死に、彼は哀しみ、憤る。
敵兵が死んでいくときの呻き声なんかがしっかりと聞こえてくる。
話がそれるが、この作品は「表情」がいい。
革離の表情だけでなく、敗退する時の趙兵の表情とか、農民の表情とかがよい。特に、敗退する時の趙兵たちが疲れながらも「今度はお前らをぶっ倒してやるからな」と思っている感じがした。
さて、この作品、驚くような形で人が死ぬ。
まず、逸悦の保護者的なおじいちゃん騎馬兵が、わりと前半で戦死する。このおじいちゃん、活躍らしきものはひとつもせずに死んでいってしまう。


以下ネタバレ


そして、逸悦も死ぬのである。
兼愛ではなく逸悦の愛をようやく選らんだ革離が、捕まえられている逸悦を助けに行く。地下牢に水が流れ込み、逸悦は今にも死んでしまう。
ここがとにかく引っ張る。
これだけ引っ張っているのだし、話の展開としても、逸悦は助かるのだろうなと何となく思わせる。あと、スペクタクルものだし、とかいう偏見もある。
だが、革離がようやく見つけて、水に沈んだ逸悦を救い出すと彼女はもう死んでいるのである。
これはなかなか意外であった。
意外といえば、もう一つ。
勝利した梁は、革離を城外に追いやってしまう。すると、趙の巷将軍の伏兵に攻め込まれてしまう。革離は再び梁へ戻り、巷将軍と一対一の勝負を申し出る。
革離は、戦術だけでなく、実際に武芸もたしなんでいるので、てっきりこれは最後の勝負で殺陣でもやってくれるものだと思ったら、なんと2人は話しはじめる。
論争ともちょっと違う。お互いに自分の思うところを吐露しあう、という感じであった。


そして、ラスト。
巷将軍は死に、趙軍は撤退するのだが、梁の牛将軍は戦死、子団は梁を去ってしまう。
自己保身だけでコロコロと態度を変える、一番悪役っぽい梁王が、最後は一番得をして終わるのである。
革離は、梁の子供たちを連れて去っていく。
このラストシーンが、実は一番最初のシーンであったことが分かるのだけど、この演出は微妙に理由がよく分からなかった。


『墨攻』公式サイト

*1:大きくわけて二つある。一つは、主人公の革離と敵の巷将軍が、盤上で対戦するところ。これはいわゆるシミュレーションで、かつて墨子が楚の将軍と同様のことをして、戦わずして楚の侵攻を食い止めた故事によるものだが、そういう話が全く出てこない。またマンガでは、革離が勝ち、巷に攻めるのを止めるよう頼むが、戦わずして退くわけにはいかない、と拒否されるのに対し、映画では、やはり革離が勝つが、それを巷が褒め、革離がたかが遊戯です、と謙遜している。もう一つは、城壁を増やすシーン。マンガでは、革離と味方の牛将軍が城壁の補修工事を競い合う。革離は見事一晩で補修してみせて、人々を驚かせる。何故一晩でできたのか。それは宮城の石材を流用したから。つまり、革離がすごいことをしてみせて、その後種明かし、という順番なのだが、映画では、城壁を作る前に宮城の石材を流用させるように城主に頼んでいる

*2:始皇帝暗殺』は結構凝っていたと記憶している