ヴァルター・ベンヤミン「複製技術時代の芸術作品」

いつか読もうと思っていてようやく読めた。
平易な文章で書かれていて読みやすい、と思う。
写真論、映画論として読むことが出来る。
よく、アウラの消滅を論じた論文として紹介されることが多いけれど、それはどちらかというと冒頭のさわりであって、中心はもう少し別のところにあるような気がした。
もちろんアウラの消滅を論じているのだけれど、それは社会的な変化や知覚の変化を伴っていることを論じている。
大衆への注目、あるいは無意識への注目*1からそれがわかる。
新しい知覚をもたらすという点では、とても評価しているように思う。
それから、非常にWEB2.0礼賛論ともよく似ている。
新聞や映画の発達は、今まで読み手、受け手だったものを書き手、送り手へと変えていく、といったくだりがあって、これを肯定的に捉えている。
この論の中の「映画」や「写真」を、youtubeやblogに変えても、何となく意味が通ると思う。
ただ、映画を高く評価する一方で、ファシズムによってプロパガンダ的に使われることに対しては、強い危惧を示して終わる。


ところで、最後に未来派マリネッティの宣言文が引用されるのだが、これがもうどう考えても『ヘルシング』の少佐でちょっと面白かった。
こんな感じ。
「戦争は美しい。なぜなら、花の咲きみだれる野を、火をふく機関砲の焔の蘭でかざることができる。戦争は美しい。なぜなら、銃火と砲声、死の静寂、芳香と腐臭をひとつの交響楽に統一することができる。戦争は美しい。なぜなら、大型戦車や編隊飛行機のえがく幾何学的な図形、炎上する村落から立ち上る煙のらせん模様など、新しい構成の美が創造されるからだ」


複製技術時代の芸術 (晶文社クラシックス)

複製技術時代の芸術 (晶文社クラシックス)

*1:この点に関しては、東浩紀の「精神分析の世紀、情報機械の世紀」『郵便的不安たち#』が詳しい