『パプリカ』

精神分析、夢、映画、サンプリング、自己言及
そういう作品。
「夢の論理」の授業を取っている人は、見るべき。
この授業では、フロイト夢分析シュールレアリスム絵画の関係についてやっていて、どのようにして夢というイメージが作られているかを学んでいるのだが、見事なまでにその適用例をこの作品で見ることができる。

作品の3つのレイヤー

この作品を3つのレイヤーに分けて見ていくことにする。
ところで、この3層構造は『イノセンス』に似ているので、どのように分けるか『イノセンス』で例示してみる*1

ハダリータイプのガイノイドが暴走し事件を起こす。公安9課が事件解決のために動く。
表面上のストーリーの層。『イノセンス』という作品にとって、物語を走らせるために必要な部分だが、それほど深い内容はない。この事件とその解決はわりと陳腐で、この部分だけ見ていてもそれほど面白くない。

    • 第2レイヤー。

バトーと少佐の愛。ただし、この二人の愛は、ここでは恋愛の愛でも友愛の愛でもない。平行的な関係から垂直的な関係へと移行したことが、『イノセンス』では描かれる。この作品の中心部分といってもよい層。ただし、クライマックスを除いて明示されることがない。

    • 第3レイヤー。

圧倒的なCGと、衒学的な引用によって作られた、作品の雰囲気。一般の観客を明らかに困惑させた、やけに情報量(ビット数)が多い割に情報量の少ない層。押井の人形・人間観が語られている部分なので、重要といえば重要だが、作品の中心ではない。

  • 『パプリカ』
    • 第1レイヤー。

DCミニを盗み、人の夢に侵入し人格破壊行為を繰り返す犯人を、パプリカ=千葉敦子が探し出す。
やはりこれも、物語を走らせるための部分。『イノセンス』でこの第1レイヤーが非常にどうでもよかったのに対し、『パプリカ』ではそれなりに重要ではあるのだが、この部分の話自体はそれほど面白くない(犯人や犯人の思想が非常にありがち)。

    • 第2レイヤー。

粉川刑事の治療。
第1レイヤーにおいては、第三者的に介入するだけの粉川だが、むしろ本編の主人公と言ってしまっても構わない。この物語は、文字通り最初から最後まで彼の治療の記録である。冒頭シーンは、パプリカと粉川の最初のセッションであり、ラストシーンは、粉川の治癒を示して終わる。

    • 第3レイヤー。

様々な夢のイメージ。今敏は、フロイト夢分析について詳しいのだろう、と思わせる部分。この層に一貫したストーリーはないが、ここを読み解いていくのは面白い作業となるだろう。


どの層が最も重要というわけではなく、この3層が絡み合って成立している。
おそらく、どの映画でもこのような多層構造はあるのだと思う。第1レイヤーの自己主張の強い作品は、よりエンターテイメント性が強くなり、逆に第1レイヤーがほとんど読み取れない作品は、難解とかアート的などと呼ばれるのではないか、と思う。その点、『パプリカ』はエンターテイメントといえる程度には第1レイヤーがしっかりしている一方で、第2,第3のレイヤーがその奧に隠れることなく見えてくるので、面白い。

第2レイヤー(注意。ネタバレあり)

そもそもフロイトは、精神病を治療する方法として夢分析を編み出した。治療者は患者に見た夢について語ってもらう。その夢を再翻訳して、無意識へと迫り、抑圧された欲望を発見することによって、治療は完遂する。
作中に登場するDCミニという機械は、夢を他人と共有することができる。これを精神医療に使うべく研究を続けているのが、主人公の千葉敦子、時田、島所長である。研究途中のためまだ非公開とされているが、島は自分の友人であり、不安神経症に悩まされている粉川刑事にこの治療法を紹介する。この治療において、患者の夢の中に入り神経症の原因を発見する治療者こそが、敦子の別人格*2であるパプリカだ。
パプリカが粉川と共に見た粉川の夢。それは、粉川が様々な映画(サーカス、ターザン、列車の中の殺人事件など)の主人公となりながら、犯人を追いかけるというもの。犯人を捕まえられそうで捕まえられずに終わる。
『パプリカ』の第一の物語が、DCミニを盗んだ犯人を見つけ出すサスペンスだとしたら、第二の物語は、この粉川の夢の謎を解くミステリである。
何故様々な映画のシーンが出てくるのか、殺された被害者は誰なのか、そして犯人は誰なのか。
これらの謎を解くことによって、粉川が抑圧していた過去が明らかになる。
ところで、治療される対象は粉川に限らない。
治療者であるはずの敦子も、また実は患者であったことが最後に明かされる。パプリカは、敦子を治療するために生み出された別人格と考えることもできる(もしくは、敦子が抑圧した対象がパプリカといえるかもしれない)。
粉川の夢も敦子の夢も、彼らの現実世界の記憶が元になっている。夢は新しいイメージを創造することはない。起きている時に見たものを材料にして夢は創られる。そんなフロイト理論のテーゼは、しっかりと守られている。
さて、作中治療が成功する(=快方に向かう)のは粉川と敦子の2人だが、その2人以外の他の者たちも、抑圧されていた欲望が明らかになる。例えば、乾、小山内、氷室である。ただし、彼らの欲望が満たされることはない。
しかし、そこから逃れている人物が3人いる。
そのうちの2人は、今敏筒井康隆を模したキャラ*3だ。彼らは、粉川と敦子の治療それぞれに対して決定的な役割を果たしている。ある意味で、作品のメタレベルにたった存在ともいえるので、例外とされているのも致し方ない。
だがもう1人、島所長だけは夢を見ない。彼自身の抑圧されていたものや欲望は明らかにされないのだ。彼以外の全員が夢の中にいるときに、彼だけは睡眠することすら許されない。そういう意味で、島所長の正体は最後まで明かされずじまいといえる。彼もまた、今、筒井と共に、狂言回し的な役割が与えられていたのだろうが、彼らと違って決してメタ的な立場にたっているわけでもない。ちょっと気になる存在である。
ところで、既に見た人は、時田もまた抑圧が解放されたところは描かれていない、というかもしれない。ただし、時田に関しては作中何度となく「子ども(のまま大人になった)」と称されている。子どもは、抑圧というものがほとんどなく、欲望が何の変換もなく夢として表現される存在とされている。時田の欲望は夢分析を試みるまでもなく、はっきりと示されてきた。。
時田は、ぶくぶくとよく太ったオタクにして天才発明家である。今敏作品に登場するオタクというと、『PERFECTBLUE』で描かれた、非常に醜く凶暴で事件の犯人だった男が思い起こされる。そこに見られたオタクへの批判的な眼差しは、『パプリカ』においてはずいぶんと和らいだと言える。敦子が時田に対して叱責するシーンを、オタク批判と読み取った意見*4を読んだことがあるが、それに対して時田がリアクションを起こしていることや実は敦子がツンデレだったということを考えると、むしろオタクを肯定的に描いているといえる。

第3レイヤー

夢は、新しいイメージを創造しない。夢のイメージは、記憶の中にあるイメージを加工することで創られる。
粉川の夢は粉川の記憶を、敦子の夢は敦子の記憶を元にしていることは既に述べた。
この作品は、さらなる引用を繰り返す。
パプリカは夢の中で様々に姿を変える。ざっと孫悟空ティンカーベル、人魚姫、ピノキオといったところだ。このように、この作品は既存の物語などからイメージを次々と借用してみせるのだ。粉川は映画の夢を見るが、その中で出てくる映画は実在の作品だ(登場する全ての作品やシーンが実在するかどうかは、知らない作品が多すぎて正直分からないが)。
また、三枝やタモリといった司会者を模したと思われる人物が次々と画面に映り込んでくるシーンもあった。
あるいは、同じイメージの繰り返しが行われている。
粉川の夢は、作中で何度となく繰り返される。
敦子が見た、研究員氷室の夢に出てきた遊園地は、彼が実際に行ったことのある遊園地であり、敦子と時田も犯人の手がかりを探しに訪れる。敦子は、現実でも夢で見たのと全く同じ経路を辿る。
後半にさしかかってくれると、セリフの繰り返しが見られるようになる。前半で出てきたセリフを、パプリカが口にするシーンがいくつかある。
この引用と繰り返しが、ラストシーンで見事な自己言及となる。『PERFECTBLUE』『千年女優』『東京ゴッドファーザーズ』の看板が映るのだ。
この作品は、自己言及的な要素も多数含んでいる。
粉川の夢に何度も映画が出てくるように、この作品は映画についての映画でもある。人の見ている夢が、映画館のスクリーンに投影されるシーンもある。粉川による、映画の技法についての解説もある。
映画と夢というのは、そもそも親和性が高い、あるいは近親的なメディアと言えるだろう。だとすれば、夢についての映画が映画についての映画である、というのも当然の話だ。
さらに、粉川の夢に出てくる犯人は、ミステリ的な意味での双子*5でもある。それはもう1人の自分だ。粉川は、夢の中で双子=自分を殺す/生かす。粉川の中でも自己言及的なループがある。
そもそも、敦子とパプリカという組み合わせもまた双子だ。敦子とパプリカは、同一人物であるから当然だが、同時には登場しない。特に敦子はパプリカのことを語りたがらない。しかし、後半敦子とパプリカは同時に登場する(後半でパプリカが繰り返すセリフは、前半で敦子が言っていたセリフである)。自分との出会いである。先述したが、これが敦子の治療を先へと進める。
となってくれば、鏡にも触れたいところだが、残念なことに鏡はそれほどキーとなる使われ方をされていない。とはいえ、OP曲が流れる際には、効果的に鏡が使われるシーンがある。


このOP曲の間に流れる一連のシーンは、観客を一気に作品の中へと引き込んでいく。パプリカの魅力溢れるこの部分は、非常に見ていて心地が良い。
そして、もちろんのことだが、音楽がよい。
平沢進の音楽は、『パプリカ』の世界をより広げてくれる。そもそも、絵よりも音楽の方が先に完成していたらしいが、とにかくイメージ喚起力豊かな音楽なのである。音色の幅の広さやジャンルを同定できないサウンドがクセになる。
テーマ曲が、平沢進サイトのここで聞くことができる。


その他、小さいことをいくつか。
DCミニを使って人と夢を共有するときには、患者と共に治療者も寝なければならない。パプリカが粉川の治療を行う時には、何故かホテルの一室で2人ともガウンを着て寝ている。また、乾と小山内が夢の中へはいるときも、同じベッドを使って寝ている。実験室のシーンを見る限り、必ずしも同じベッドで寝る必要性はない。精神分析における治療者と患者の関係が、性的関係と類比的なことを、示唆しているのかもしれない。
犯人が送り込む誇大妄想狂的な夢に取り憑かれた者は、不可解な七五調のセリフを話し出す。全くナンセンスに繰り出されるこれらの言葉は、あたかもシュールレアリスム詩の手法の一つである自動記述で紡がれたかのようである。全く無関係の単語を繋ぎ合わせていくというのも、シュールレアリスム的だ。
粉川は、間違いなく主人公である。だが、それは彼の治療というアスペクトからこの作品を見たときの場合だ。一方で、この作品は、敦子がDCミニを盗んだ犯人を見つけ出すという物語も持っている。そちらから見ると、粉川はやや脇にずれる。そうなったときの粉川は、時々出てくる夢のイメージに対して、観客かのようにツッコミを加える*6。本来全くメタ位置にたたないはずのキャラを、ややメタにさせてくるあたりも、なかなか見事である。


『パプリカ』公式サイト

*1:イノセンス』を見ていない人には分かりにくいだけだと思うので、読み飛ばしていただいても構わない

*2:ただし、作品を見れば分かるが、多重人格における別人格とは全く異なる

*3:声も、今、筒井自身がやっている

*4:空中キャンプ

*5:探偵と犯人は双子と喩えられることがある

*6:そういう時の粉川は、映画館の席に座って他の人の夢を見ていたりする