環境知能シンポジウム2006

環境知能シンポジウム2006 記録映像
http://www.brl.ntt.co.jp/cs/ai/ja/archive.html
9月22日に行われたシンポの映像が公開されたので、見ました
司会:外村佳伸(NTTコミュニケーション科学基礎研究所)
パネリスト:東浩紀(哲学者・批評家) 石黒浩大阪大学) 竹内郁雄(東京大学)前田英作(NTT)
映像による出演:下條信輔カリフォルニア工科大学

ポジショントーク

竹内郁雄

東大で人工知能研究をしている人。
情報技術というのは、能動的に使う道具か、それとも受動的な環境か。
まっしゅるーむは、コミュニティのようだ。
人間と対等にならないような工夫がいるのではないか(声が人工的だとむしろ安心する)
情報環境でも、環境問題が起きる(情報量の爆発)
「編集」の復権

東浩紀

規律訓練から環境管理へ
多文化主義化・グローバル化リバタリアニズム・情報化は、全てが連動している。インターネットの普及は社会の変化に応えたもの。逆に、情報技術の発展によってリバタリアニズムが実現可能に。
公共財はどうなっていくのか
自由意志はどうなっていくのか

石黒浩

人間そっくりのアンドロイドロボットの研究で有名
人間と相互作用するロボットが創りたい。
そのために、センサネットワーク、柔軟皮膚センサ、見かけ、遠隔操作の研究が必要
どれだけ人間に近づければいいか。
不気味の谷:ある値より人間っぽさが増すと気持ち悪くなる。さらに増すと、違和感はなくなっていく
対話などを行うと、人間っぽさが足りなくても気にならなくなる
工学だけでは限界。認知科学との融合。

前田英作

まっしゅるーむのプロジェクトをやってる人
妖精・妖怪は、人の知っている世界とその外の世界との介在になってくれる。
まっしゅるーむの紹介
人間関係の仲介や会議の促進を行う。記録・記憶をそっと提供する。

下條信輔

ビデオのみ
潜在的認知と顕在的認知との相互作用。
ex.東浩紀のいう「マクドナルドの椅子」の戦略を、全ての人が気付いたときどういうことが起きるか
快・快適の指標をどうやってつくるか。
ex.快適のはずの自動運転が、逆に事故(不快なこと)を引き起こすこともありうる
自由意志
渋滞は流体力学で説明できる(マクロな視点では決定論的)
しかし、個々のドライバは勝手に動く(ミクロな視点では非決定論的)

ディスカッション

技術の進歩と人間社会

技術によって人間というのは変化していくかもしれない→その変化と社会をどう適応させるか
技術では再現できない人間らしさはあるのか→石黒は、アンドロイドの研究を通して、人間の雰囲気は7割くらい再現できる、と考える
世界は無限、人間の処理能力は有限、いかに架橋する?
編集がそれを担う?編集とは人間的行為?それともgoogleにも出来る機械的行為?

自由意志と確率

情報の集積→確率・統計が分かるようになる。
その確率・統計の情報を利用できるか否かが重要になってくる。

技術と倫理

研究開発と社会制度・倫理を同時に考える部門が必要
東:文系は、技術に対してとりあえず反対する立場→意識改革が必要

監視について

監視によって得られた情報を一体誰が持つのか。
技術に対する社会設計の議論が遅れている。
技術者の側からすれば、まずは技術を創ることこそが重要。その使い道はあとから考えることになる。

未公開下條インタビュー映像

提案1

人間と非人間の境界より、生物(自然物)と非生物(人工物)の境界の方が大きい
生物「らしさ」とは何か。

提案2

文化や人工物は、生理学の立場から調べることが出来るのではないか。
ex.飼い犬が枕を使って寝るようになった。枕は人間の文化だと思っていたが、生理学的なものかもしれない

提案3

脳科学でも個人差というものが扱えるようになってきた。
が、それは、非人称的な文脈と同じようにして行われている。ex.特定の領野の発火によって、その領野の機能を探る。その領野の発火によって、その人の個性を探る。
それでも、個性というものはありうるか

提案4

従来は、クリエイティビティ=個人に属する。
しかし、分散して創造が行われるようになった今、どこに属するようになるのか。

感想他

上記は、相当の省略を行っているので、発言者の意図とは異なる可能性もあります。あくまでも、僕というフィルターを通したもの、として。
かなり面白かった。
東浩紀に関して言えば、会場もパネリストも東を知らない人が多数だった(アウェー状態)ので、目新しいことは言っていない。情報自由論やギートステイトの議論を知っていれば分かる。
むしろ、技術屋と文系学者とのズレ、というのが見えて面白い。ディスカッションの最初は、周囲が東に質問しまくる、という展開が続いた。
ただ、今回のディスカッションが面白かったのは、そのズレが相当解消されたこと。話が途中から噛み合っていったこと。ただし、それぞれのものの見方の相違はそのままで。最初にあったズレはおそらく情報量によるもの(東の使う専門用語を知らない)。それが解けていくと、技術屋と文系学者の考え方の違いが見えてきたようにも思える。
環境知能のいる未来社会を、どう構成していくか、色々な意見が聞けた気がする。
石黒浩が、技術屋代表みたいな感じになっていった。技術屋としての楽観さがある。存在感というのは創れる、と考え、人間は変化していくのだ、と信じている。そして、そこにはそれなりの裏打ちがあるように思えた。
しかし、残念だったのは、下條が当日参加できなったことかな。
ビデオ映像での発言を見ると、下條は結構東の本を読んでいるみたいで、東と問題意識がリンクしているところが多い。逆に、ディスカッション中の東も何回か、下條を参照していたけど。
他の参加者は、ほぼ東を知らないところから始まっているので、情報量や問題提起の立て方にギャップがある。下條がいれば、そこが埋まったのではないか、とも思う。
それ以外にも、未公開の下條映像に入っていた、4つの提案は、どれも非常に興味をそそられるものばかりだ。
このシンポでは、技術と社会の関係についてずっと語られていた。そして、それは未来方向の話だった(東のギートステイトが2045年、NTT研究所のまっしゅるーむの世界が2059年を想定しているため)。その中で、人間が変わっていくのではないか、ということは何度か言われた。しかし、人間が変化するかどうかに関しては、そもそも人間とは何かということの理解を固めなければいけない(この点はやはり石黒が繰り返し述べていた)。
そうした、「人間とは何か」という論点に関して、下條がいればかなり有効な討論が成立したのではないだろうか。
石黒・前田が技術・エンジニアリングの話担当、東が社会科学っぽい話担当、竹内は参加者の中で最も年長者だったのでややそういう立場から、それに下條がサイエンスから見た人間についての話担当という感じで、役割分担がなされていたのではないかなあ、と思った。
ところで、こういうシンポとかで聴衆がとった議事録の著作権云々はどうなるんだろうか、とちょっと気になった。
以前、公開して好評を得たので、やはり今回も公開しようと思うのですが……。
これ
あと、最後に。
音声がもうちょっとどうにかならないだろうか。録音の問題なのか、ミックスの問題なのか、ファイルにしたときの問題なのか。