まっしゅるーむの世界2005/ギートステイトハンドブック

まっしゅるーむの世界2005
NTTコミュニケーションの研究所がやっているプロジェクト。環境知能を「まっしゅるーむ」と名付けている。
環境知能、というのは、部屋の電脳化。ロボット開発における方向性の一つ。普通、ロボットというと、例えばヒューマノイドのような一個体の中で機能が完結しているものが想起される。環境知能の場合は、そうではなく、機能が分散している。問題を、一個体で処理するのではなく、分散して処理することができるので、ハイパワーなマシンやセンサを作らなくてすむ。ユビキタスコンピューティングとも近いかと。
環境知能は、ひっそりと周囲にいる(ユビキタス)。「まっしゅるーむ」はそれを具現化したようなもの。
研究者自らがいうように、それは妖怪・妖精のイメージをとっている。
「まっしゅるーむ」は普段は部屋の隅で隠れているが、確かにそこにいて、呼べば応えてくれるというコンセプトで作られた環境知能。
普通、環境知能というと、生活にすぐに役に立つものが多い。
「まっしゅるーむ」の面白いところは、ちょっとそういう「役に立つ」とは違うこと。彼らは、ひたすら言葉を収集する。人間が話しかけると、収集した言葉を返す、というのが基本的な性能。
言葉の収集と応答には、音声が使われている。
音声による言語処理、というのは、今後のインターフェイスとしては重要だろうなあと思う。
「まっしゅるーむ」がいる、ちょっと賑やかなひとり暮らしの部屋、というのを想像してみて、ちょっと楽しくなった。妖怪が周囲にいる感じ。


で、こいつらの研究はロボットの研究というよりも、人間の知覚の研究に伴って出てきているもの。
下條信輔なんかもコミットしているみたい。
「環世界」とか「脳の来歴」とかいうキーワードとつながってくる。
それから、ギートステイハンドブックで読んだ、「検索性同一性障害」や「オープン教」なんかともつながってくるような気がした。
上手く言葉で説明できるか分からないけれど。
アイデンティティをどのように規定するか、という問題。
つまり、「自分」という存在を一個体で完結した存在と見なすか、環境に分散しているものと見なすか。
人間の意識とか個とかいうのは、肉体や脳という「密室」に閉じこめられているのではなく、もっと世界に対して開かれているのではないか(うわ「持続」みたいだ)。
「検索性同一性障害」というのは「検索エンジンを介して自分の知識や身体が世界全体に拡大するかのような妄想を抱く(東浩紀)」もの。さらに「ライフログの普及によって、あらゆるひとびとの過去の人生にアクセスできるようになる。すると、他人の記憶を自分の前世のように感じるようになるんじゃないか。データベースを背景にして自己-他者の区別そのものが曖昧になってくる(鈴木健)」という設定もある。
そういえば、「ライフログ」っていうのは「脳の来歴」を可視化したもののように思える。


簡単に言ってしまえば、「(環)世界=自分」という感覚が、新しい(?)アイデンティティの形なのではないか、ということ。
主体なんていうものはない。全てはネットワークのノードに過ぎず、あらゆる個は全体に溶けゆくのだ!って言ってみてもいい。
この世界観・自我観というのは、とても居心地がいいし、結構ある種の真実を言い当てているような気がする。
じゃあ、そうだとしたら、志向性とか自由意志とかはどうなるのか。そんな問題ははなからあり得ない問題であって、勝手に設定して勝手に悩んでいただけ、ということになるが。
要するに、自己の核となるようなもの(individualなもの)なんてない!という主張。自己の要素は、全世界に拡散している要素をサンプリングしたもの(故に「世界=自分」)。
自意識から解放され、世界という「大きなもの」と一体になる宗教的な高揚も得られる。
何だか、オープン教*1に入信したくなった。


妄想じみてきた。
まっしゅるーむの世界は、こんなに妄想じみてないので誤解なきよう。
ライフログの話も出てきたけど、1テラバイトあったら人の一生を記録することができるらしい。まっしゅるーむは、そういうライフログ的側面も勿論併せ持つ。
音声認識とかあまり直接役に立たない機能、というのは、エモーショナルな面でのサポートを目指しているから(だから、妖怪とか妖精とかいう表現も出てくる)。


参考:総検索社会と外延化するアイデンティティ
ギートステイトハンドブック他メモ

*1:ギートステイトの世界の新興宗教。全情報の暗号化に反対している