中原昌也『子猫が読む乱暴者日記』

今まで読んだ中原作品の中で、一番読みやすかった気がしたのだが、それは本当にこれが読みやすいからなのか、単に自分が中原に馴れてきたからなのか。多分後者。
なんとなく、中原昌也の読み方がわかってきたのか。
大体必ず裏切りがある。
これこれはなんか素晴らしいものなのだ、と描写しておいて、突然全部勘違いなんだけどね、というふうに。
これは、小説トリッパー秋号で前田累の中原論にも書いてあったことでもある。
例えば
「会場のフィードバックの音は消えない。しかし、冷静に考えてみればそれは自分の耳鳴りだった」(P.52)
自分の耳鳴りならまだいいが、こんな感じで突然ぶっ殺される(「殺して肉屋にでも売っちまえ!」(P.40))こともある。
それから、視点人物がけっこう変わる。
三人称と一人称が、同じ作品に(短編なのに)混在していることもある。視点人物と登場人物との関係、あるいは登場人物同士の関係もよくわからないことがある。
単語の異質な組み合わせ
「もし憎悪が街の至る所に、まるで野に咲く花のように存在していたら」(P.97)
「憎悪」と「野に咲く花」という、考えにくい取り合わせ。
あと、サブタイトルの格好良さはいつも秀逸。

「子猫が読む乱暴者日記」
「十代のプレイボーイ・カメラマン
かっこいい奴、うらやましいあいつ」
「デーモニッシュ・キャンドルズ」
「闘う意志なし、しかし、殺したい」
「黒ヒゲ独身寮」
「欲望ゴルフ ホール・イン・ワン」
「貧乏だから、人間の死肉を喰らう」

「闘う意志なし、しかし、殺したい」が一番面白かった。
それから、中原によるあとがきがある。
文庫化にあたって解説をいれる予定が、結局中原自身によるあとがきになったらしい。
いつもの中原節ではある。

子猫が読む乱暴者日記 (河出文庫)

子猫が読む乱暴者日記 (河出文庫)