安冨歩『複雑さを生きる』

複雑系の科学を駆使して、人間社会を分析する。
ルーマンの社会システム理論が中核に据えられているのだが、それが非常に分かりやすく述べられている。
第一章では、ベイトソンによる情報の定義「情報とはちがいを生むちがいのことである」から始まって、ポランニーの「暗黙的に知る」ということや「創発」について述べられる。
「暗黙的に知る」は「暗黙知」と訳されることが多いが、これが誤訳であることが読むと分かる。そういう知識があるのではなくて、それを生成している過程のことをさすから。
第二章は、コミュニケーションとハラスメントについて。
この章を読むと、社会システム論がよくわかる感じがする。
社会システムの構成要素が何故個人ではなくコミュニケーションなのか、ということがわかる。
複雑なシステムとは、要するに何かを生成していく過程のことで、何かを生成させているのはコミュニケーション。
コミュニケーションによって何が生まれるか、というと「場(コンテキスト)」が生まれる。
そして、場があるからこそ、コミュニケーションが成立する。
場、というのは、コミュニケーションの上位概念としてある。これは、コミュニケーションによって絶えず生成されている。そして、その場を学習することで、コミュニケーションが成立する。そうして、ぐるぐると循環する。
ハラスメント、というのは、そうした学習の循環を悪用すること。場に対する信頼を崩壊させること。
第三章では、上述の理論から、「調査・計画・実行・評価」という枠組みを批判し「やわらかな制御」を推奨する。
ここまでは、分かりやすい解説書、といった感じ。
第四章以降はちょっと雰囲気が変わってくる。わかりやすさはそのまま。
第四章では、リデル=ハートという軍事思想家が紹介される。
第一次大戦が思想へと与えた影響が書かれている。計画制御による理性への信頼が揺らいだのだ。
そして、第五章は、著者の専門でもあり最も面白い部分だ。
一般的に、市場(近代資本主義)が共同体(前近代的な)を破壊する、と考えられている。
共同体が果てる時市場が始まる、と。
しかし、市場と共同体が共存する例もある、という。それは、中国やイスラム世界の市場である。市場といっても、マーケットではなくバーザールである。
バーザールでは、贈与経済と交換経済が共存しているのである。
そこでは、人と人との関係の度合いと、贈与と交換の度合いが相関している。
コミュニケーションによって場を生成していくことが社会の目的であり、例えば利益を追い求めることは目的ではない(条件であると述べられている)。人間を疎外するのは、資本主義や市場なのではなく、ハラスメントなのである。
マーケット的な考え方からバーザール的な考え方への移行を推奨して終わる。

複雑さを生きる―やわらかな制御 (フォーラム共通知をひらく)

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