理想の恋愛かもしれない?!

普段、音楽の好き嫌いに歌詞は無関係な自分。
最近聞いてるのは、インストが多いし、歌詞がついてても限りなくインストに近い。
歌詞が好きな場合も、歌詞単体を取り出してああだこうだ、ということはほとんどない。
例外は、ワタナベイビーホフディラン)、AZUKI七(GARNETCROW)、後藤正文アジカン)あたりくらい。
だが、今回『創聖のアクエリオン』は歌詞にやられた。
しかも、たった一行の歌詞に。


そもそも、アクエリオンはタイトルを知っている程度でアニメ自体は全く見ていない。
最近、友達が時々かけてて、サビがリズミカルでいい感じだなぁとは思っていたが、ハマるほどではなかった。
で、その友達とカラオケ行って歌詞を見て、ハマった。
今日は完全にヘビーローテーション
元々、曲そのものがよい(なんてたって菅野よう子だし)というのは重要なんだけど。

一万年と二千年前から愛してる
八千年過ぎた頃からもっと恋しくなった
一億と二千年あとも愛してる
君を知ったその日から僕の地獄に音楽は絶えない

サビ部分。
1行目、3,4行目は、凡庸だと思うのだが、2行目は白眉。
(もっとも、この4行はアニメのストーリーをわりと正確になぞっているらしく、2行目だけを取り出してくるのはナンセンスなのだろうが、僕はアニメは見てないので)
この突拍子もない時間(1万年)は確かにすごいが、恋愛ものなんて簡単に永遠が出てくることを考えれば、別に大したことない。
「一億年後も愛してる」なんて、(何度も繰り返すがアニメを見ていないので)「永遠に愛してる」程度のものとしか聞こえないわけだし、
「僕の地獄に音楽は絶えない」だって、恋愛ものだったらよくある状況だと思う。
ただ、1万2千年愛している中で、8千年過ぎた頃から恋しくなるっていう状況は一体どうだ?
こんなフレーズ、普通だったら絶対出てこないと思う。
それは別に、この突拍子もない年数のせいではない。
1万2千年間「愛してる」期間の中の、8千年頃に「恋しくなる」というのは、恋愛としてはあまりないよう状況のような気がするし、それが実際にあるのは素晴らしい恋のように思える。
概ね、恋→愛という順序があるように思えるが、ここでは愛→恋になっているのだ。
しかも、愛の期間がかなり過ぎた後に。
想像しづらいので、時間のスケールを少し変えてみる。
12年間の結婚生活の中で、8年を過ぎた頃から恋しくなった、という状況はかなり想像しづらいのではないだろうか。
結婚8年目って、夫婦によって相当差はあるだろうけど、どんなに仲の良い夫婦でももはや「恋しい」という感情を抱くことはないのではないだろうか。
まあ結婚というのは、基本的にいつも近くで暮らしているだろうが、この歌詞の場合そうではない。遠距離であったり片思いであったりした場合、どんなに時間が過ぎても「恋しい」と思うだろう。
ただこの歌詞は、「〜頃から」「なった」というように変化を表してる。
「もっと」と書かれているから、最初から恋しかったのだろうが、それでも「より」恋しくなっていったわけだ。しかも、愛している中で。
さて、ここまでは繰り返し、この具体的な時間は重要ではないと述べてきた。
12年の中の8年でも、このサビの何とも言えない特殊さ、というか秀逸さは成立するだろう、と。
ただ、それでもやはりこの歌詞で「1万年」や「8千年」という単語は聞き逃すことができない。
この8千年は、より強いインパクトをもたらす。
イーガンSFの中で『ディアスポラ』という作品があるが、この作品では登場人物が全てコンピュータ上の存在なので、肉体の限界がなく、それこそ何千年も何万年も何億年も生きつづける。さらに、主観的に時間の感覚をコントロールできてしまう。しかし、それでも8千年が長い年月であるには変わりない。
そしてそのような長い年月の中で、感情の深度というのは浅くなっていくのではないだろうか。イーガン作品には必ずしもそのような記述はないが、しかしそのような長時間生きている人間は感情面にも何らかのコントロールを施していることが描かれている。
にもかかわらず、「8千年過ぎた頃からもっと恋しく」なるというのは、一体いかなる状況なのだろうか。
そのあまりにも鮮烈で純粋な恋心に、ただひたすら感動する。

創聖のアクエリオン

創聖のアクエリオン