美か芸か

id:akaNa「2006-06-12いろんな考えの人を許容し、謙虚になりたい」

美術といえば、ただその表層の見た目だけを見て感じたことを評価すればいい、というになりはしまいか。

美というのは完全に網膜に映ったものを好ましいと思うか醜いと思うかで、
芸にはもっと深い、思想のような、うまく言葉にできないものが隠れている気がする

これに対して違和感を覚え、その違和感はコメント欄で表明した。
簡単に言えば、彼女(上述blog主)は美より芸の方が深い、と感じ、自分は芸より美の方が深い、と感じた、という違い。
芸というのは、要するに技術に過ぎないわけだが、美というのは例えば古代ギリシアなんか善や真と共に絶対的な価値のあるものだと思われてきた。
しかし、言われてみると、「美より芸の方が深い」という言葉にも一理ある。
で、ちょっと考えてみて、これは東洋と西洋における芸術観の違いを表しているのではないか、とふと思いついた。
芸は単に技術、と言えるのはartの語源のせいだし、美を絶対的な価値あるものとして追い求めたのは、プラトンやカント(彼は美を絶対的なものではなく共同主観的なものと考えたわけだけど)といったヨーロッパの哲学者達である。
とにかく、単に職人の作った商品が、何か「美」を帯びるようになると、芸術作品になるわけだ。
一方で、東洋というか日本では、伝統的にそういった作品を担ってきたのは芸術家じゃなくて職人なんじゃないだろうか。
ここらへんは知識がないので、完全に思いつきでしかないが。
能・狂言にしろ、浮世絵にしろ、茶器にしろ、職人「芸」に価値を見いだしているような気がする。
美というのは美醜という言葉があるように、むしろ相対的な価値基準として捉えられてきたのではないだろうか。
ヨーロッパの場合は、とかく絶対的に「美しいもの」(例えば美のイデア)があると考えがちな気がする。もちろん、「美は主観的である」という考えも当然あるのだけど。
やはり「美は主観的」と考えたカントであっても、それは「共同主観的」なもので、あらゆる人にとって共通するとしていたはずだ。
それに対して、日本の美醜というのは、「これはあれより美しい」という比較によって成り立つ、相対的なものなんじゃないだろうか。
このblogに書いてあることは、いつだって雑なアイデアだけど、今回はいつにもまして雑だ(^^;
日本思想、東洋思想について全くといってほど無知のせいだなあ。

追記(070614)

『現代アートの哲学』西村清和を読んで美か芸かという対立は、アートワールドの対立ということかもしれない、と思った。
ヨーロッパの近代美学のアートワールドの中に入った場合、「美は表層的なものである」というような理解は間違っている。
しかし、そのアートワールドの外に出た場合は、そうでもないかもしれない。