今、レポートを書いていた。
というわけで、今日は一日中PCの前にいて、もう頭が痛い。
ドゥルーズのCinema1を読む、という授業。
その中で、ドゥルーズはベルクソンに依拠して「運動-イメージ」というものについて語っている。
そんなわけでレポートは、ベルクソンを読んで「運動-イメージ」について説明しなさい、というもの。
正直、困った。
『物質と記憶』と『創造的進化』を読まなければならないが、〆切までの時間があまりない。
なので、『物質と記憶』は第1章だけ、『創造的進化』は第4章だけを読んだが、やっぱりベルクソンは面白かった。時間があったら、ちゃんと通して読みたい。
『時間と自由』では、意識が持続によって連帯する、と書いてあったけど、『物質と記憶』ではさらに、それは記憶によっている、ということが書かれていた。
記憶が知覚と知覚、知覚と感情を結合させる。そして、知覚と記憶の区別はなくなり、一切は体験となる。
『創造的進化』の第4章は、運動とはどういうことか、ということについて、古代ギリシアと近代西欧を比較している。創造とか進化とかの話は第3章までで終わってたらしい。
さて、古代の科学は類で、近代の科学は法則で物事を理解しようとするが、古代の形而上学は類の類、つまりイデアのイデア、すなわちアリストテレスでいえば不動の一者が出てくる。近代の形而上学ではどうか、ってことでデカルト、スピノザ、ライプニッツ、カント、スペンサーを次々と出してくるのだけど、ここらへんはさっぱりよく分からなかった。
ベルクソンは、心身二元論的なものを、もう一度統一したような形而上学を作ろうとしていたのかな、という感じがした。『物質と記憶』では、身体と精神との接触点を探す、って書いてあったし。
ところで、レポートはどんな感じか、というと、
ベルクソンにとって持続とは、運動とは何か、ということを延々と書いて、質的なもの、結合しているものが運動-イメージなんだ、とか書き、ドゥルーズは映画を見るという体験の中で運動-イメージを再発見したのだ(ってこれはドゥルーズが自分で言ってるけど)とまとめておいて、最後にCGアニメとかの話を書いてみた。要するにシミュレーション。あれは、ベルクソンが批判したところの量的なもので運動を再現させるものだろう、と思ったのだけど、映画を運動-イメージとか言えるんだったら、あれも運動-イメージじゃないのか、と。つまり、量的なものでも質的なものは作れるんじゃないか、と。
最後に
これは授業で習ったこと。生成とか生成変化という哲学の専門用語がある。
これ、フランス語devenirの訳らしい。
で、devenirというのは英語でいうbecome。
生成とか言っておきながら、すごい簡単な単語じゃないか、と思った。
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