「ネットワーク社会の文化と創造─開かれたコミュニケーションのために」

ICCのリニューアルオープン記念のシンポジウム
斎藤環宮台真司藤幡正樹浅田彰
ネットで中継されていたのを見た。
ICCは一度実際に行ってみたいところだが、実際に行かなくても見れるというのは実に便利w


さっきから、レビューを書いていて2回も消してしまった
超鬱。
書き直す気が起きない。
なので、読みにくいが、見ながらとったメモをupしとく。
http://www10.ocn.ne.jp/~fstyle/text/060610.txt
宮台と斎藤の話は、他でも聞いたことがあるけれど、藤幡の話は初めてなので面白かった。
アーティスト=白痴ってのが。
コンテンポラリー・アートは、ものそのものが作品なんじゃなくて、メタレベルのコンセプトが作品なんだよ、という主張とか
(それで、日本ではアーティストの居場所がない、とかアートが理解されない、と言っている)


いくつかキーワード的に拾ってみる
宮台から
ポストモダン再帰性保全すべき(再帰的に選択できる)<生活世界>はもう失われているから、その機能的等価物を探すこと。宮台が「オン・ザ・エッジ」で最近書いてる、家族の話とかだな。
・晩期近代latemodernにおける正当性(ハーバーマス):誰がプラットフォームを設計するエリートになるのか、という正当性のこと。自分(宮台)も含めて、未解決の問題
ロマン主義:世界(無秩序)から社会(秩序)への再着地。アーティスト=白痴は、世界を開示して社会をreconfirmする。だが、今や誰が白痴で誰がそうでないかの区別がない。秩序、無秩序の区別がない。社会に戻ったつもりが戻れていないのでは
斎藤から
・二極化(勝ち組・負け組、モテ・非モテ):引きこもる人は、早くから自分を負け組と規定し、それが再帰的に循環して、よりその自己イメージが強固になる。
・ひきこもり系はカルトにいかない
・体験主義の無効化(鈴木謙介がいうところのテンプレート化):体験効果がメディアを介して既に予測されているので、体験によって主体が変化することがなくなった
再帰をとめるのは趣味、嗜好、セクシャリティではないか
藤幡から
・アーティスト=白痴
・cuture=耕す:耕すというのは、白痴がやること。延々とバカみたいに掘っていると、しかしいつか何かが出来る。
浅田から
・ビデオアーティストの始まり:テレビの上に磁石を置いてみた
・メディアアーティストの役割:フラットになっていないところ(例えば検索エンジンに選ばれなかったところ)を指差していくこと
藤幡と斎藤の対話から
・テクノロジーのグロテスクさに注目せよ。グロテスクさをマスクされた商品に自覚的になれ(藤幡)
・メタレベルだけでは作品は作れない。アルゴリズムに対するオブセッションがあるように思えるが、それに対してもメタ的になれるか(斎藤)
・背後に隠れているものが、グロテスクなものだと思う。その隠れているものが理解できそうで出来ないのが面白い。しかし、斎藤の問いには上手く答えられない(藤幡)