『検証・若者の変貌』第2章音楽生活について

ゼミ、とか言われてもなんかまだピンと来ませんが、社会学のゼミを一つとっています。
今そのゼミでは、『検証・若者の変貌』という本を読んでいるのですが、
今日は、その第2章音楽生活について。
ジャンルの細分化が進んでいるようだが、では平準化もまた同じように進んでいるのだろうか、調査結果から考察してみよう、ってな章です。
細分化とは、文字通り細かく分かれていること。
平準化とは、細分化されたジャンル間で価値の差異を感じないこと。
考えてみると結構よく分からない話で、見通しが悪い。
何の見通しが悪いのか、というと、そもそもがこのジャンル概念というものがよく分からないのである。
果たしてリスナーは、ジャンルというものを意識しているのか、そうでないのか。
これに関してはどうも、音楽に対して強くコミットしているか否か、という点で異なるようだ。
そしてこれが、平準化しているか否か、という話にもつながってくる。
音楽に強くコミットしている(生活の中で音楽の占める割合が大きい、音楽について人より詳しい、音楽と自分が不可分の関係だと感じている)人ほど、マイナーなジャンルを好む。つまり、ジャンルの意識があり、そして各々のジャンルに対する価値付け(好き嫌い)がある、すなわち平準化していない。また、その好き嫌いが彼らの「自分らしさ」意識とも関係している可能性がある。
だが、それほど音楽にコミットしていない人は、そうでもない。
で、ゼミに参加している人の多くは、どうもそれほど音楽にはコミットしていない人たちだったようで、それほどジャンル意識がなかった。だから、そもそも細分化しているのかどうかもよく分からない。
では、小説やマンガといった領域ではどうなのか、という指摘が入る。これまた、それほどこの領域に強い人がいなくてよく分からない。
この歯痒さ、見通しの悪さ。
例えば、このゼミの参加者の中には、メロコアという言葉を今日初めて聞き、ボーイズラブって何ですか、と質問した人がいた。
確かに、よく考えるまでもなく、メロコアにしてもボーイズラブにしても、世の中の過半数が知っているような言葉ではないということは分かる。ただ、今まで自分は、メロコアという単語にしろボーイズラブという単語にしろ、それを定義せよと言われれば困るが、当然聞いたことがある集団の中に属していることが多かったため、ちょっとした驚きがあった。
例えば、音楽なら音楽というものに対する立ち位置によって、それへの見取り図が全く異なってしまう。音楽へのコミットメントの度合の違いによって、ジャンルの分け方が違う。全部J-POPで括ってしまう方法もあれば、POP、ROCK、R&Bと分ける方法もあれば、さらに細かく分けていく方法もある。そしてこの分け方には、どうも客観的なものがない。
中にいるか、外にいるか、で見え方が変わってしまう。
ならばそもそも何故、中に入ってしまったのだろうか。
となると、「細分化」や「平準化」という現象そのものすら、音楽への立ち位置の違いによって見え方が変わってしまうのではないだろうか。
この本にしても、コミットしていない人は平準化していて、コミットしている人は平準化していない、というような結論を出しているが、断言はしておらず曖昧である。
見通しもよくならず、客観的なデータはあるものの、それに対する見方もままならず。
社会学というのは、結局一般則を導くことは出来ない、一般化できない、というふうに結論せざるを得ない学問なのではないか、などとともふと思ってしまうほどだ。
そもそも自分は、平準化している中でどうやって好き嫌いを決めるのか、という問いをずっと考えていたわけなのだが、そもそも細分化・平準化とは一体どういうことなのか、と問いかけなければならないという事がこの見通しの悪さから見えてきたように思う。
しかし、もし仮に一般化できないのであれば、統計的に調査することによって何か見えてくるものはあるのだろうか、あるいはただひたすら個別化した調査をしないといけないのだとすれば、それは何だか不毛なようにも思えるし、それこそどれだけ調査しても印象論に陥ってしまうだろうし。
書けば書くほど、よく分からなくなってきた。
音楽とそれ以外の軸(例えばファッション・服装)を絡めて調査した方がいいのかもしれない、という意見が最後に出た、と付け加えておく。

検証・若者の変貌―失われた10年の後に

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