『マシンの園』

読もうと思ったのは、訳者が佐倉統だったからなんですが
作者はクラウス・エメッカというデンマーク人なんですが、訳者あとがきで、デンマークというとセイレンキェルケゴールニールス・ボーアなど哲学が好きな人が多いんじゃないか、と書いてあって、そういえば『ユーザーイリュージョン』のトール・ノーレットランダーシュもデンマークの人だなぁとぼんやり思ったり。
前半が、あんまり面白くなかったのが残念。あとは文章もちょっとわかりにくかった。全体的に、様々な実験の紹介という面が強い。
後半からは次第に面白くなったように感じた。
この本は、生物学者の側から見た人工生命についての話で、要するに炭素以外の材料で作られた生命も生命として認められるのか。もっというと、そもそも材料に縛られない生命なるものはあるのか、ということを人工生命から考えていこう、というもの。
計算で導かれた世界(シミュレーション)を、どのように捉えるかということが問題の主軸。そういう世界に意味論は与えられるのか、というサールの「中国語の部屋」みたいな問題も出てくるわけで。
(意味論や従来の生物学は、現実の世界を観察して調べていくscience的手法なのに対して、構文論や計算科学は、とりあえず一から作ってみたらどんなのができるかなというengineering的手法なのではないか、と思った)
その解決策を明示しないあたりに、この本を素直に「面白い!」といえないところなのだと思うけど、一応シュミラクルを使ってエメッカは説明しようとしている。エメッカは、自然科学者としては珍しく、いわゆるポストモダニズム思想に批判的ではないようだ(『知の欺瞞』出版前だから?)。
話が前後するけれど、人工進化の章は面白かった。進化は、自然選択という外からの要因だけでなく、内からの要因によっても引き起こされているのではないか、というもの。
『知の欺瞞』の話が出てきたので、ついでに関係ない話を少し。
自分はどちらかというとポストモダニズム思想擁護派。「認識的相対主義」というのか何やら知らないけれど、それを実在の仮定に対する疑いとしてみるのではなく、ユクスキュルの環世界的に捉えてみればよいのではないかと思う。
要するに、世界は一つだが、それをどのように切り取るかについては色々な手法があるんじゃないか、ということ。つまり、各人の世界に対する意味づけは自然科学的にもなされるだろうし、それ以外の考え方でもなされるだろう、ということ。だから、自分はポストモダニズム思想擁護派だけど、自然科学によってもたらされた知は尊重したいと思っているし、間違っているとも思わない。
関係ない話だと言ったけど、案外関係あるかも。シミュレーションでもたらされた世界に対して、どのように意味づけるのか、『マシンの園』はその対立について触れている本であるのだから。

マシンの園―人工生命叙説

マシンの園―人工生命叙説