大塚英志講演会

うちの大学の学生有志が、大塚英志を呼んで講演会を開いたので、行ってきました。
演目は「憲法
最初は、柳田国男田山花袋が目指し、挫折した自然主義文学運動とはなんだったのか、という話
そもそも近代の思想には、社会ダーウィニズム社会民主主義的なものが競り合っている。柳田はドイツ流の農政学を学ぶ中で、そうした社民的なものを自らの思想に取り入れた。
柳田は、近代的な「個」を支えるものとして、2つのアプローチを模索した。
一つは、農政学の手法により経済的に個を支えるアプローチ。
そしてもう一つが、自然主義文学運動により言葉の側面から個を支えるアプローチ。
柳田の考える自然主義文学とは、それぞれが自らの実験(実際の体験)についての観察報告である、というもの。ちなみに、柳田は花袋の自然主義文学をのちに批判する側に回るが、それは「私」についての観察ばかりだったからだ。柳田の目指す自然主義文学運動は、報告にとどまらない。それらを持ち寄ることによって、互いに人生観を構築していくことを目指す。個々の報告から公共性を構築する。そしてこの公共性によって、個々を支える、という運動なのである。
公共性とは、所与のものなのではなく、個々が時々刻々と持ち寄り組み立てていくものなのである。
また柳田は、言葉とはあくまでも報告の技術である。他人と分かりあう、ネゴシエートするツールにすぎないと考えていた。本人は、詩人でもありいわゆる美文も書くことができたらしいが、美文に言葉の価値を求めなかった。
ちなみに、標準語はそうしたツールとして人工的に作られた言語であるわけだが、さらにその先にエスペラント語を創る運動があり、これは当時の国連内部でもエスペラント公用語にする計画があったそうだ。
しかし、こうした運動は結局のところ挫折で終わるのである。
で、こうした前段階を踏んだ上で、広義的には近代を生きる、狭義的には憲法について考える、ためには「言葉」についてもう一度鍛えなおす必要をがあるとして、中高生に前文を書かせることや名古屋の自衛隊派遣差し止め訴訟などの実践についての話になる。
中高生に書かせた前文には、主語が「私」のものが多い。そして、差別や平等の話や「誰かと違う私」を経由することで、「私と違う誰か」を発見する。さらにこの「私と違う誰か」を含む「みんな」を主語へと置き換えていく。
「私をわかって、私をわかって」というのは文学ではない、というようなことを言った評論家がいるらしい。花袋の自然主義文学とは要するにそういうものであったし、またあるいは昨今のネット上に氾濫する言葉というのもほとんどはその類のものであろう。だが、「私」と「私とは違う誰か」がいて、「私とは違う誰か」とネゴシエートする言葉が文学だったり「言葉」だったりするのではないか。
近代とは、「誰だか分からない誰か」の恐怖に常に怯えている社会である。だが、その恐怖に打ち勝つために「言葉」がある。これを大塚は「近代のやせがまん」という。そして、「やせがまん」を選んでしまった以上は、恐怖を言葉で克服していくしかないのではないか、と。しかし、近年の日本や世界は、恐怖にひれ伏してしまっている。言葉に敗北してしまっている。
近代は終わっていない、近代はまだ徹底されていない、ポストモダンが今後訪れるにしても今はまだその時期ではない、と大塚は再三繰り返す。それゆえに、近代を生き抜くためには「言葉」をもう一度鍛えなおさなければいけないのではないか。
内容としては、大塚の最近の文章を読んでいたり、あるいは近代思想について多少触れていれば、特に目新しいこともないもの。大塚自身も「きわめて穏当な意見」だと繰り返していた。
だからこそ、別に皮肉も議論を煽るようなことも言っていない。むしろ、議論をするための前段階としての地均しをしているといった感じ。こういう作業をする人はもっといた方がいいと思う。似たような仕事をしているのは、宮台とかレッシグなのかな、とか思ったり。
皮肉は言っていないとはいったけど、まあそこは大塚なのでところどころそういうような言い回しはありました。そういうところも、ちょこちょこと楽しんでいたわけですが。中曽根大元帥とかね。
意外と、ぼそぼそと淡々と喋る人なのだなぁ、とかも思ったり。後半になってくると、のってきたのか勢いがついてきたけれど。時々、アジるようなことを言ってないわけではないのだけど、アジテーションっぽい喋りにはならない。