文化論

あんまりちゃんと感想メモ書けてなかったけど、読んだ本の記録2

清塚邦彦『フィクションの哲学』 色々な意味で勉強になった。 何というか、文章の書き方レベルから。 想像って結局何なの、とか、西村清和から来るであろう反論をどうかわすの、とかが気になった。 あと、やはりウォルトンは面白そうだなあとか。 虚構記号と…

小田切博『キャラクターとは何か』

「キャラクター文化」を巡る様々な(国際的、国内的な、主にビジネスにまつわる)状況を概観させてくれるハンドブック。 であるが、それを前提にしつつ、第三章のキャラクター論が非常に面白い! ディケンズの挿絵からアメリカの戦前出版文化あたりに、キャ…

大塚英志『アトムの命題』

大塚読むの久しぶり 大塚なのでやっぱり政治的に読むように言ってくるのだけど、漫画史研究としてちゃんと読める。ちゃんとって何だw いや、でも大塚的な皮肉とかはほとんどなかったかもな。 っていうか、宮本大人や伊藤剛の研究との連続性もすごくあるし。…

『社会は存在しない』限界小説研究会編

サブタイトルに「セカイ系文化論」とある通り、セカイ系評論集となっている。 「何を今更セカイ系なんて」と思う向きにも、ちょっと立ち止まってもらいたい。 これは、セカイ系と称されてきた作品について論じる、というわけではなく、セカイ系という概念が…

泉信行『漫画をめくる冒険』下巻

これまた、非常に面白く、また色々と示唆に富む本。 とりわけ、下巻の序で言われている「詠む」という概念の提起は素晴らしいと思った。これは自分のフィクション論にも適用していくことができそうだ。 非常に細かい、技術的な話を論じているようにも思える…

速水健朗『ケータイ小説的』

サブタイトルは「再ヤンキー化時代の少女たち」で、郊外に住む、ヤンキーの少女文化について論じられている。 これは、東京に住む、オタクで少年の文化との対比でもある。 ところで、ヤンキーとは一体何を指しているのか。 斎藤環は『文学の断層』の中で、日…

加藤幹郎『映画館と観客の文化史』

映画は一体どのようにして見られてきたのか、ということについての歴史的変遷を追った本。 映画を見る、と一言で言っても、それには様々な様態がある。シネマ・コンプレックスで見るのか、DVDを借りてきてホームシアターで見るのか、ネットで落としてきてPC…

『ユリイカ6月号』特集「マンガ批評の新展開」

鼎談「マンガにおける視点と主体をめぐって」 夏目房之介、宮本大人、泉信行による鼎談。 『漫画をめくる冒険』の解説といった感じ。 タイトル通りマンガにおける視点と主体についての話だが、『漫画をめくる冒険』という本そのものの語り手は一体誰か、とい…

タイプとトークンから考えるデータベースと同一性

タイプとトークンというのは、ちょっと僕自身も正確に把握しているのかどうか怪しいところがあるのだが、例えば音楽に喩えるならば、楽譜と演奏のような関係にある。 あるいは、ここに「あ」という文字がある。その時、これが明朝体であろうとゴシック体であ…

「春の文学フリマ」感想1

『漫画をめくる冒険・上巻』イズミノウユキ これは、素晴らしく面白いマンガ批評となっている。 マンガをいかに精読するか、という一つの方法論を提示してくれると同時に、そのように精読することによって、読みそのものが変化する、という批評のダイナミズ…

『思想地図』

冒頭の共同討議以外は読み終わった。 この雑誌は、冒頭の共同討議を除くと、 1歴史の中の「ナショナリズム」、2ニッポンのイマーゴポリティクス、鼎談日本論とナショナリズム、3問題としての日本社会、4共和主義の再発明、公募論文 に分けられる。 この…

『中国動漫新人類』遠藤誉

中国における、日本動漫(マンガとアニメ)の受容のあり方について書かれた本。 というわけで、クールジャパン系の本かとも思うかもしれないが、さにあらず。 そもそもこの本の著者は、1941年生まれの女性物理学者で、日本のオタク文化とは全く縁のない…

カイヨワ『遊びと人間』

ミミクリについて知りたくなったので読んでみた。 人類学的な実例が色々載っているので、面白い本ではあるけれど、今自分の欲しい情報が載っている感じがあまりしなかったので、かなり飛ばしながら読んだ。 とりあえず、カイヨワによる遊びの定義と分類など …

文学フリマ感想その2

感想その1はこちら URLを書いていないと、スパムとして弾かれるため、今回、トラックバックを送る先、というのを書いています。 はてなは、idトラックバックというシステムがありますが、それにすると最新記事にトラックバックが送られてしまうので、文学フ…

文化と政治

今日、ブクマした3つのエントリが、それぞれ別のところで見つけた*1のにも関わらず、同じ問題系を巡っているように感じられたので、紹介してみる。完全に単なる偶然なんだけど。 最初は 橋本努「リチャード・ローティを脱構築する」 私的な領域(つまり文化…

セカイ系とかについての整理

黙示録的想像力の系譜(八〇年代/九〇年代/ゼロ年代) という文章を書いた。

サブカルチャーとかカルチュラルスタディーズとか

今日は、集中授業で学校行ってた。 内容は、戦後アメリカ文化論とでもいえばいいか。 それで50年代後半くらいからの若者のカウンターカルチャーの話になった。 簡単にまとめれば、 大人たちの作ったものを如何にアプロプリエーション(換骨奪胎)するか、…

ゲーラボ

も読んだ。 斎藤環 斎藤環は、この前アメリカであった乱射事件を紹介。この犯人を「イタイ」と思いながら共感した人も多かったのではないか、と論ずる。 「社会的にこうあるべし」という命令と、その命令を守ることができないこととの軋轢 そういう軋轢を感…

著作権と「キャラ」

mixiニュースで何やら著作権の話が出ていて、それに反応したマイミクの日記に対する自分のコメントを抜粋。 元のニュースとはもはや関係がないので、元のニュースのソースは割愛。 「創作としての模倣」の話は、創作論としては全くもってその通りだと思うけ…

『不過視なものの世界』

『コンテンツの思想』でも『文学環境評論集』でもなく『不過視なものの世界』 今までずっと読み損ねていた東浩紀の対談集で、斎藤環、山形浩生、村上隆、法月綸太郎、山根信二、阿部和重との対談がそれぞれ収められている。 『存在論的、郵便的』『郵便的不…

『増補サブカルチャー神話解体』宮台真司他

待望の文庫化。 この作品のタイトルはよく聞いていたのでいつか読まなければいけないのだろう、と思っていて、文庫化を機に手に取った。 文庫版解説で上野千鶴子も言っているが、これが宮台真司の中の必読本であることは間違いない。 こんなこといえるほど宮…

ヴァルター・ベンヤミン「複製技術時代の芸術作品」

いつか読もうと思っていてようやく読めた。 平易な文章で書かれていて読みやすい、と思う。 写真論、映画論として読むことが出来る。 よく、アウラの消滅を論じた論文として紹介されることが多いけれど、それはどちらかというと冒頭のさわりであって、中心は…

女の子になりたい

男性性からの逃避願望――女装少年ブームについて(arctan 1=π/4) 永山薫は、網状言論F改しか読んでいないけれど、非常に気になっている論者の1人。 「女の子になる」という「快楽」あるいは「なりたい」という「欲望」っていうのは、結構気になっている。 …

ゲーム・データベース・キャラ/キャラクター

ゲームで使われるパラメータというものを使って、東のデータベースと伊藤のキャラ/キャラクターを繋ぐ試み。 「パラメータ化への欲望―ゲーム・データベース・キャラ/キャラクター」 長い文章なので、blogではなくてこういう形でうp。 ここでは、この文章の…

『ユリイカ11月号』特別掲載「フィクションは何処へゆくのか 固有名とキャラクターをめぐって」

東浩紀、桜坂洋、新城カズマの鼎談。 ギートステイトハンドブックに収録された「SFとライトノベルの未来」の続編。 2つのリアリズム 大塚英志によって提示された「自然主義的リアリズム」と「まんが・アニメ的リアリズム」を取り上げることによって、東はラ…

総検索社会と外延化するアイデンティティ

なんだ、このものものしいタイトルは。 マイミクのせりなさんのmixi日記にて、「防犯で小学生に携帯電話を持たせるか否か」という話をしていた。 この日記のスタンスは、それに対して肯定でも否定でもなくて、むしろ「それって大した問題じゃないよね」とい…

『検証・若者の変貌』第2章音楽生活について

ゼミ、とか言われてもなんかまだピンと来ませんが、社会学のゼミを一つとっています。 今そのゼミでは、『検証・若者の変貌』という本を読んでいるのですが、 今日は、その第2章音楽生活について。 ジャンルの細分化が進んでいるようだが、では平準化もまた…

集合は実在するか

集合を実在すると考えて、集合についての真偽を問うたりする論理を、第2階の論理と呼ぶらしい(詳しいことはよく知らない)。 それに対して、集合は実在ではない、と考えるのが唯名論。 話は飛ぶが、最近大衆文化論という授業を受けた。そこでは「大衆」の…