フィクション論
グレゴリー・カリー『フィクションの性質』("THE NATURE OF FICTION")第1章 - logical cypher scape グレゴリー・カリー『フィクションの性質』("THE NATURE OF FICTION")第2章 - logical cypher scape グレゴリー・カリー『フィクションの性質』("THE NATU…
グレゴリー・カリー『フィクションの性質』("THE NATURE OF FICTION")第1章 - logical cypher scape グレゴリー・カリー『フィクションの性質』("THE NATURE OF FICTION")第2章 - logical cypher scapeの続き Chapter3. Interpretation 3.1. Relationalism …
グレゴリー・カリー『フィクションの性質』("THE NATURE OF FICTION")第1章 - logical cypher scapeの続き Chapter2. The Structure of Stories 2.1. Truth in fiction and fictional worlds 2.2. Being fictional 2.3. Lewis's theory 2.4. More on make-b…
ウォルトンの「ごっこ遊び」論 小説や絵画といったフィクション作品=representational artsをごっこ遊びとして捉えて分析する。 まず、想像、特にごっこ遊び的な想像というものが取り上げられる。この場合の想像というのは自由奔放に思い描いてくことではな…
フィクションは現実を指示しているわけではないよ(サン・ヴィクトワール山の絵は、まず第一に絵であって、サン・ヴィクトワール山を指示していたり、サン・ヴィクトワール山の代理であったりするわけではない)。ただし、何らかの約束事があって、指示して…
映像を巡る言説を、アナログとデジタルの区別について吟味する形でまとめたもの。 冒頭で、方法論として概念分析と系譜学的考証というのを挙げている通り、映像という言葉がどのように使われてきたのかというのを追いかけている。 アナログ映像とデジタル映…
これまで出てきたキャラクター論のまとめをしつつ、斎藤環なりのキャラクターの定義を提案している本。 個人的に、斎藤環のキャラクター論というのは以前から気に入っていて、この本も面白く読んだ。 斎藤環の文章というのは、そこかしこにラカン派の言葉が…
ゼロアカ道場優勝者である村上裕一によるデビュー作。 これで長きにわたったゼロアカ道場企画も本当に終結したと言える。 キャラクターというものが現代オタク文化の中で拡散している様をゴーストという概念で捉え直し、そのリアリティを批評している本。 三…
基本的にテヅカ・イズ・デッドについて再整理したことのつぶやきまとめ http://togetter.com/li/131760
陸条くんの企画した、東日本太平洋沖大地震チャリティ同人誌『Pvol.2』に、「音楽はフィクションか?」という文章を寄稿しました。 まず、そもそも『P』というのは、陸条くんが電子書籍サービス・パブーを利用して配信している電子書籍型の同人誌です。 そ…
2/11、2/12のフィクションと評論に関わる部分(一部2/4のpost含む) - Togetter 岡和田さんのpostした「評論の文体」という言葉に反応したpostと hiroyuki_inさんのpostした「批評のアニメ」という言葉に反応したpostをまとめた*1 *2 特に後半は、言葉と映像…
『筑波批評2009冬』に載せた亜人間論について、id:kugyoくんからコメントを貰っています。 コメント欄でちょっとやりとりがあったのですが、それに対する簡単な応答を。 別に、このまま向こうのブログのコメント欄で続けても構わないのですが、まあひと…
id:kugyoくんをはじめとする、早稲田大現代文学会主催の講演会「虚構の美がせまってくる」 講師は、山形大で分析哲学を研究している清塚邦彦と小説家の諏訪哲史。 諏訪は大学で哲学専攻だったとはいえ、やはり出自の違う2人で、基調講演で話す内容もわりと…
上では、芸術についてと述べたが、芸術といってもその中で特に興味関心があるのは、フィクションであり、小説、映画、マンガである。 僕は大概、小説、映画、マンガを総称してフィクションと呼んでいる。 フィクションには、国家とはフィクションであるとか…
夏目陽さんと秋山真琴さんの間で、文学と小説を巡って往復書簡が始まった。 秋山真琴(id:sinden)さんへ 第一信(世界の果てのクロエの祈り) 夏目陽さんへ、第1信(雲上四季) この往復書簡は、無論この二人の対話ではあるが、「実際にはトラバの送りあい…
筆者が3人いて、タグもいっぱいつけてタイトルが長くなるので、筆者名をタイトルでは省略した。筆者は土田知則、青柳悦子*1、伊藤直哉である。 いわゆる、批評理論についての概説書である。 「はじめに」と「おわりに」で、筆者ら自身が、単なる入門書には…
面白かった。 オースティンの言語行為を少し変えて、物語行為論が展開されている。 「物語る」という行為を、オースティンの言語行為と区別し、経験を再構成し共同体で共有する行為と規定する。 そこから歴史についての考察がなされる。 後半では、虚構の存…
『物語の(無)根拠』目次 第6章 インターフィクション 第三のメタフィクション 連続体と無限 連続体からの分節化 自己言及 フラクタル的――メタを志向しない構造 不完全な対称構造――各章をゆるやかに繋げる(1) 転送――各章をゆるやかに繋げる(2) イン…
『物語の(無)根拠』目次 第5章 核兵器の行方 『ミステリアスセッティング』の依存的な妄想 爆発するミステリアスセッティング 核兵器とアメリカ 核兵器とフィクション メイクビリーブとメタフィクション 少し前、文学に関する「評論」と「研究」を以下の…
『物語の(無)根拠』 第4章 「1000の小説」と「文字の海」 脳内妹の不在 《言語》 小説を書くことというカルヴィニズム 物語の「制度」としての「文字の海」 オートポイエーシス・システムと「文字の海」 上位【メタ】の視点からシステム内部の視点へ …
これからおそらく毎週月曜日が、『物語の(無)根拠』の日になるかと。 年内には終わりますね。 物語の(無)根拠 第3章 不自由な佐藤友哉 操りの問題 作者の転落 「言語ゲーム」と「規則に従う」 『クリスマス・テロル』から「世界の終わりの終わり」へ ミ…
『物語の(無)根拠』目次 第二章 メタ物語から物語へ 選択の根拠 物質か精神か 量子力学と自由意志 選択と喪失――ゲーム的リアリズム 自由で責任を持つ主体 非日常と日常を巡るサブカルチャー史 責任の不可能性と時間の暴力 第一章で論じられた「物語の自律…
『物語の(無)根拠』第一章html版を公開する。 『物語の(無)根拠』html版公開に関して 基本的に僕の活動範囲はweb上であって、僕の文章を読んでくれる人がいたり、あーだこーだと意見を交わすことのできる場というのもweb上にある。 というわけで、自分の…
「リアリズムとリアリティ」のつづき。 リアリティという言葉を、伊藤剛にならって、「現前性」と「もっともらしさ」に分類した。 大抵、リアリティという語が使われるときは、「もっともらしさ」についてのことが多いが、フィクションについて考察するので…
正直、早くPCの電源切って本読みながら寝たい気分なんだけど、 「3つのリアリズム」(らいたーずのーと)を読んだら、そうも言っていられなくなった。 まず、リアリズムとリアリティという言葉を区別したいと思う。 リアリズム、というのは、リアルに描くこ…
前回のエントリでは、「波状言論号外4号」を、「何だ、この「キャラクターズ」とかいう小説は?」で一蹴したのだけれど、まあちょっと真面目に受け止めてみる。 偉そうなことを言うならば、東浩紀と自分の対立点がもしかしたら見えてきたかもしれないのだ。…
東浩紀と筒井康隆の対談(『群像7月号』) これ、あまり期待しないで読んだら、よかった。 ぎゅうっと濃縮されている感じがする。 他の文学史とも繋がってるんだよ、っていうのはよかったと思う。 しかし、結局文学について素養がないと全然分からない、困…
こ、これは、ヤバイ……!! 自分の語彙の少なさを恨むが、しかしヤバイとしか言いようがない…… 今年の5月に、渋谷で行われた古川日出男と向井秀徳のライブが、スペースシャワーTVのWEBサイトで公開されている。 このライブには本当に行きたかったのだが、瞬…
美学、芸術学についての本。 去年とっていた芸術学の授業や、今年取っている現代美術論という授業と絡み合って、なかなか面白かった。 まず、この本では、何故「芸術」という言葉ではなく「アート」という言葉を使っているのか。 「芸術」という言葉には、ど…
mixiニュースで何やら著作権の話が出ていて、それに反応したマイミクの日記に対する自分のコメントを抜粋。 元のニュースとはもはや関係がないので、元のニュースのソースは割愛。 「創作としての模倣」の話は、創作論としては全くもってその通りだと思うけ…