橋口稔『ブルームズベリー・グループ―ヴァネッサ、ヴァージニア姉妹とエリートたち』

ブルームズベリー・グループについては名前だけはなんとなく知っていたけれど、しかし、どういう人たちなのかよく知らなかったので。
20代の前半くらいに仲良くしていた友人グループで、30代過ぎてからみんなそれぞれの分野で有名になっていった、という感じらしい。
サロンにも近いが、しかしああいう社交を目的にしていたわけではなく、かなりプライベートな内輪な集まりという印象
エリート層ではあるので、世間からは反発もされた
また、ヴィクトリア朝の価値観からの脱却を模索していた、というところにも特徴がある。


時期としては、1900~1920年
1920~1930年代のイギリスについてはリチャード・オヴァリー『夕闇の時代──大戦間期のイギリスの逆説』(加藤洋介・訳) - logical cypher scape2
この本でレナード・ウルフの名前が頻出だったのだけど、本書を読んでレナード・ウルフがどんな人か分かった。あと、なんでウルフ夫妻の出版社からフロイトの翻訳が出てたか、とか。
また、常松洋『大衆消費社会の登場』 - logical cypher scape2によれば、ヴィクトリア朝の価値観へのアンヴィヴァレンツは同時期のアメリカにもあったよう。

プロローグ

ブルームズベリー・グループについては、70年代頃、特にクエンティン・ベルの回顧録出版以降、研究が盛んになってきた、と。なお、本書は1989年出版
初期の研究においては、文学運動ないし文学を目的にしたグループとされることもあったが、メンバーは、作家、画家、批評家、学者と様々であり、そもそも私的なグループであって文学運動の類いではない(なお、白樺派に喩えられている。時期が近い。文学者と美術家が両方いる。知的エリートみたいなところが似ているようだ)。
文学運動と目したために、フォースターやエリオットをメンバーに含めていた研究者があるのだが、この2人は少なくとも主たるメンバーではない。
クエンティン・ベルの本では、13人の主要メンバーがあげられており、本書ではさらにその中の8人について取り上げているとのこと

第1章 レズリー・スティーヴンの死

1904年、ヴァネッサ、ヴァージニア姉妹の父であるレズリー・スティーヴンが亡くなる。
(ヴァネッサが25歳、ヴァージニアが22歳)
既に母ジューリアも亡く、若い姉弟4人が残された
レズリーとジューリアは再婚同士で、連れ子もいて、再婚後生まれたのがヴァネッサ、トウビー、ヴァージニア、エイドリアンの4姉弟である。最大で10人家族だった時期があり、さらに召使いもいた、とか。
レズリーが亡くなった後、ヴァネッサ以下4名は、ケンジントンハイド・パーク・ゲートからブルームズベリーのラッセル・スクウェアへと転居して、4人だけ(+召使い)で暮らし始める。
父の死という悲しみから逃れるためでもあるし、4人姉弟だけで暮らすという自由な生活の始まりでもあった。
なお、このケンジントンからブルームズベリーへの転居について、親族は反対だったらしいが、筆者によると、家自体はどちらも大した違いはないが、ケンジントンの方が新興の高級住宅地であるとのことで、東京に喩えると、田園調布から本郷へという感じかもしれない、と述べている。


レズリーは、『英国人名辞典』を編纂し、雑誌の編集者として評論活動を行い、思想史の著作を残している。が、後世に注目されるほどではなかった。筆者は、レズリーの文体があまり面白みのないものであることを指摘している。
レズリーの父親は官僚でサーとなっている。これは一代限りのものだったが、レズリーもケンブリッジ大のフェローとなり、のちにサーの称号をえている(ただし、この当時のフェローは聖職者でもあり、キリスト教に疑いを持つようになったレズリーはフェローを辞め、文筆業となった)
もともとは下層中流階級であったのだが、上層中流階級となった「知的貴族」だとのこと。それゆえに、レズリー自身は経済的な不安を常に抱えていて、存命中はかなりお金の使い方に厳しかったらしい。
が、そのためにか、四姉弟には贅沢をしなければ働かずに生きているだけの遺産が残された、と。

第2章 ヴァネッサの結婚

ブルームズベリー・グループのメンバーはほぼ全員がケンブリッジ大出身である
ヴァネッサとヴァージニアは女性のため、学校教育は受けていないが、スティーヴン家においてよい教育を受けてきた。
この章では最初に、スティーブン家の姉弟(父母の連れ子も含む)の社交性と知性について色々述べている。
知的エリートの側面と俗物的な社交好きの両方の側面があった、と。ヴァネッサとヴァージニアは必ずしも社交的な性格というわけではないが、社交界へ出入りはしていた。
トウビーはケンブリッジ大に入るだけの優秀さはあるが、ケンブリッジ大の中ではそこまででもないくらいの知的レベルの人で、なおかつ、母親譲りの社交的な面も持ち合わせていた。
彼らの母親というのは社交的というか世話好きな性格であり、ヴァージニアはおせっかいに感じていたらしい(母ジューリアは『灯台へ』のラムジー夫人のモデルとされる)。連れ子の方は、この母に似て、知性よりも社交性の方が強くてスノッブな人だったみたいな評価を本書の中ではされている。
ケンブリッジ大には「使徒会」という成績優秀者を集めた読書会・懇談会みたいなものがあって、毎週決まった曜日の夜に談話している会があり、レナード・ウルフやリットン・ストレイチーはそのメンバーだった。一方、トウビーはこのメンバーには含まれていなかった。
それで「使徒会」を模した「深夜会」というのを、ラッセル・スクウェアのスティーブン姉弟邸で始めたのが、ブルームズベリー・グループの始まり。
ケンブリッジ大は男性しかいなかったわけだが、深夜会は、ここにヴァネッサとヴァージニアという女性が加わっていたことになる。
ここで彼らは、(「美とは何か」みたいな)抽象的な会話を楽しんでいた。また、沈黙があっても気にならない関係だったようで、そのあたりがサロンや社交界とは違う点なのだろう。
この抽象的な会話というものについて、筆者は、G.E.ムアからの影響があったのではないかとしている。
この当時の彼らは、新しい価値観、新しい感受性というものを求めており、彼らの感受性にとってムアのメタ倫理学が合致したらしい。メタ倫理学的な議論を好んだ理由を「感受性」という言葉で説明しているのが、なんか面白いなと思った。
(ムアが「人間の交わりの快楽」と「美しいものの享受」に価値を置いたところも彼らは気になったらしい)


さてまあ、男女混合のグループなので、当然そういう人間関係が生じてくる。
口火を切ったのはクライヴ・ベルで、ヴァネッサに求婚した。が、何回も断られている。
事態が動いたのは、姉弟ギリシア旅行で、旅行中にヴァネッサとトウビーが体調を崩す。ヴァネッサは持ちこたえたのだが、途中で帰国したトウビーはそのまま腸チフスとなり26歳で亡くなってしまう(なお、トウビーは、ヴァージニアの『波』に出てくるパーシヴァルのモデルとのこと)。
そしてこの2日後、ヴァネッサやクライヴからの求婚を承諾するのである。
2人が結婚したことで、ヴァージニアとエイドリアンは家をでることになる。ほど近い場所に住み始め、ブルームズベリー・グループは、2つの拠点をもつことになる。
トウビーの友人よりも少し年下の、ケインズなどが加わることになる。
リットンの従兄弟でパリで美術を学んでいた画家のダンカン・グラントも合流する。

第3章 後期印象派

グループと外部の接触、あるいは外部からどのように思われたかについて。
まず、ブルームズベリー・グループというとよく引き合いにだされる「ドレッドノート号悪戯事件」(Wikipediaだと「偽エチオピア皇帝事件」)の話から
これ、首謀者のコールはエイドリアンの友人だが、グループのメンバーではない。事件を起こした6人のうち、エイドリアンとダンカン、そして人手が足りないので誘われたヴァージニアの3人がグループメンバーだった。
悪戯自体はうまくいったが、コール自身が新聞にリークしたことで発覚する。コールは騒ぎを起こすこと自体が目的。
で、まあ世間からは総スカンを食らうことになるのだが、筆者は、特権階級がそれを笠に着て勝手なことをしている、という構図が嫌われたのだろうとしている。今後もブルームズベリー・グループは何かと反感を買うのだが、基本的にはこの、特権階級にあぐらをかいて、みたいなことが大きな要因だろう、と。
ところで、ヴァージニアはこの頃、精神的にかなり不安定であったという。元々、神経症を患っていたが、この頃、小説を書き始めつつも軌道にのらず、フェミニズム活動も始めたりと色々な活動をして少し参っていたらしい。その後、サセックスに家を借りる


本章の本題は、章タイトルにもある通り、後期印象派展について。
ブルームズベリー・グループに、年長者であるロジャー・フライが参加するようになる。ベル夫妻が旅行中に偶々出会ったのだが、特にクライヴが美術への考え方で意気投合する。
で、このロジャーが、フランスの美術をイギリスに紹介しようということを考えていた。
グループのメンバーは概ねフランス贔屓で、クライヴもダンカンもパリで美術を学んでいたし、ヴァネッサもたびたびパリを訪れていたし、リットンはのちに『フランス文学道しるべ』を書く。
で、セザンヌゴーギャンゴッホ、さらに他にピカソマティス、ドラン、ルオー、モーリス・ドニなどの作品の展示と販売を行った。
後期印象派」はその際にロジャーがつけた名前
この展覧会への反応は、笑いと怒り
寛容な人は笑い、不寛容な人は怒った。それでいて、販売は上々だった
後期印象派展も、ブルームズベリー・グループとしての活動ではなかったが、彼らはロジャーの後援者であり、また、彼ら自身の感受性が、外部からはどのように見られるのかということを知る機会となった。
ロジャー・フライはのちに、室内装飾や生活用品のデザインをてがける「オメガ工房」をつくり、ヴァネッサとダンカンはこれに参加した。ただし、オメガ工房もやはりブルームズベリー・グループとしての活動ではなく、グループとは関係ない画家も参加している。

第4章 ヴァージニアの結婚

章タイトルは、ヴァージニアの結婚だが、リットン・ストレイチー、メイナード・ケインズ、レナード・ウルフについてそれぞれ書かれている。
グループメンバーも30近くなってきて、少しずつ大人になっていく。
リットンは、ケンブリッジのフェローになることを目指していたが、いよいよそれを諦める。
ケンブリッジのフェローは聖職者でもあるため妻帯しない。ただ、この時期には既に妻帯は許されるようになっていたが、やはり独身者が多く、これは同性愛者が多かったため。リットンもまた同性愛者であったので、安住の地としてケンブリッジに残ろうとしていた。
しかし、リットンの知性は、大学向きというよりは在野向きであったようで、フェローになるための試験には連続で落ちていて、筆者も、大学に残っていたらその才能を生かせなかったのでは、みたいなことを書いている。
ところで、リットンという名前はミドルネームで、名付け親がリットン調査団のリットンその人だったことに由来しているらしい。


さて、一方のケインズの方であるが、彼もまた同性愛者であり、そしてフェローを目指し、実際にフェローとなった。
リットンとケインズは似た者同士でもあり、しかし、全然反対の性質でもあった。
ケインズは親とか先生とかのいうことを聞いて勉強してきた優等生タイプで、自由に生きるタイプのリットンに憧れを抱いていたが、人間関係をうまくこなすのはケインズの方で、何かの争い(同じ人をとりあうとか)があると、必ずケインズの方が勝つという関係だったらしい。
ケインズは親もまたフェローであるのだが、研究活動よりも大学運営実務をこなした人で、祖父は商人であった。筆者はその点で、ケインズ家は、スティーヴン家のような「知的貴族」とはちょっと違うところがある、としている。
グループメンバーのなかでは一番蓄財に成功した人でもある。
ケインズ家が非国教徒であるのもスティーヴン家とは違うところ


そして、レナード・ウルフであるが、彼はユダヤ人であり、父親が弁護士として成功したものの、亡くなってしまう。彼は「使徒会」に入れる程成績優秀ではあったが、卒業後、セイロンに赴任している。資産なきジェントリ階級がジェントリであるためには、植民地へいくというのが最良の手段だったのである(フェローは名誉職であるために給料が安く、法曹職になるためには勉強の期間を支える財力が必要だった)。筆者は、イギリスが植民地支配を行った原動力はそれだったという。
また、ジェントリ階級には、政治を行う者と与えられる者の区別という哲学が教え込まれている、とも。
セイロン時代、リットンと頻繁に手紙をかわしている。レナードは都落ち、リットンもフェローになるのに失敗した時期であった。ヴァージニアについてのやりとりもしているのだが、レナードはこのあたりのことを自伝には書き残していない、と
リットンからのせられたこともあったのか、帰国後、ヴァージニアに求婚する。実はこれに先だって、ヴァージニアはほかの男性からも次々と求婚を受けていた。

第5章 良心的徴兵忌避

ヴァージニアは、心の病を患っていたため、元々はかなりヴァネッサに頼っているところが多く、しかし、ヴァネッサの結婚後は、ずっとヴァネッサを頼るわけにもいかなくなっていった。30歳近くになって、そういう意味でも、結婚相手を考える時期になっていた。
なお、ヴァージニアの心の病は、おそらく躁鬱病だったとされるが、統合失調症的な要素も見られたという。
結婚後、ヴァージニアは初の小説『船出』を書き上げるが、評判を気にして鬱状態にはいり、自殺未遂
レナードは、その後、ヴァージニアが鬱にならないようにかなり気遣いをしていたらしい。これにより、30年の結婚生活・作家生活をすることができたが、しかし、ヴァージニアは最後には自殺してしまう。
ところで、ヴァネッサとクライヴのベル夫妻の夫婦仲はわりと早い段階で冷めてしまったらしい。クライヴは独身時代のヴァージニアに粉をかけていたこともあって、三角関係が生じていたこともあるとか。逆にヴァネッサは、ロジャーと関係を持っていた時期もある。
2人は結婚は維持したまま、結婚相手以外と関係を結ぶようになる。
ヴァネッサはサセックスに移住し、ダンカンと生活するようになり、ダンカンの子どもを妊娠するが、しかしベル姓となり、クライヴの子として育てられた。
レナードは、こうしたベル夫妻のありようを「堕落」と感じていたようである。


第一次世界大戦は、イギリスにとって初めての徴兵制による戦争でもあった。
ブルームズベリー・グループのメンバーの多くは徴兵制に反対し、徴兵制成立以後は、良心的徴兵忌避を行った(これは制度的に認められていた)。
ただ、この良心的徴兵忌避こそ、ブルームズベリー・グループは批判されることになる。
本章では、ブルームズベリー・グループの個々のメンバーと良心的徴兵忌避の関係が解説されている。
徴兵制反対運動に特に積極的だったのは、リットンとエイドリアン
バートランド・ラッセルや後に首相となるマクドナルドも参加した「民主的支配のための同盟」の事務局でエイドリアンは働き、同時期にキャリンという女性と結婚しているが、キャリンの叔母がラッセル夫人という関係らしい。
なお、キャリンとともにエイドリアンは精神分析を学ぶ
リットンは、良心的徴兵忌避を申請しているが、この申請は認められなかった。しかし彼は、身体的理由のために徴兵されなかった。
レナードは、徴兵制には必ずしも反対ではなかったが、ヴァージニアの看病があるため徴兵を避けたいという動機があり、腕が震える神経症が認められて徴兵を免れている
ケインズによる良心的徴兵忌避の申し立てはなんだかよく分からない。彼は大蔵省の要職なので、それによってそもそも徴兵は免れていた。グループの他のメンバーは、彼が大蔵省を辞めた上で良心的徴兵拒否をすることを求めていた。

第6章 平和の帰結

第一次大戦後、メンバーが30を過ぎると、みな、それぞれの仕事で有名になっていく。
実質的には、この頃にはブルームズベリー・グループは失われていたが、しかし、逆に外部からはこの頃からこのグループが発見されるようになる。
このグループというのは、結局、20代の若者たちが友だちの家に集まっておしゃべりを楽しんでいた、というものであって、大人になってくると、自由に会話を楽しむということは難しくなっていったようである。もっとも友情関係が失われたわけではなく、その後も継続的に集まってはいる。が、昔を懐かしむことを目的としたものに変わっている。
一方、外部からは、グループ同士でえこひいきし合っていると見えていたようである。筆者はこれについて、似たような感性を培った者同士なのでそう見えるのだろう、としている。
第6章では、グループメンバーそれぞれの活動についてまとめられている

1918年『著名なヴィクトリア朝人たち』刊行
野心作にして問題作
タイトル通りヴィクトリア朝の偉人4名(フローレンス・ナイチンゲールなど)について書かれているが、リットンは彼らに対して批判的。
リットンはアフォリズムを好んだ
詩や批評も書いたが、むしろ、リットンの才能を生かせるジャンルは伝記であった、と筆者は述べている。

1919年『平和の経済的帰結』刊行
大蔵省の要職に就き、講和会議ではドイツに多額の賠償金を課すことに反対し、辞任している。
『平和の経済的帰結』も主な内容は条約批判だが、ここでは、ケインズの人物描写がリットンからの影響が指摘されている

  • ロジャー・フライとクライヴ・ベル

1920年 フライ『ヴィジョンとデザイン』刊行
芸術はそれ自体が目的であり、秩序と多様性が求められる。フォーム
1916年 ベル『芸術』刊行
ここで美の代わりに「意味を持つ形式significant form」という言葉を使う。
『分析美学入門』にも形式主義者として、ベルの議論が紹介されていたのでそこだけ確認してみたところ、「意味のある形式」と、それによって喚起される「美的な情動」の定義が循環していることで悪名高いとのこと。
ベルやフライが形式に着目したのは、当時のモダニズム美術との共鳴であり、彼らはセザンヌからの影響を受けていた、というようなことも書いてあった。
本書では、ベルは知性にコンプレックスがあって、それによる気負いとエリート意識が露骨に出た文章を書いているとされている
続く『文明』も、そうした気負いとエリート意識がでている、と

  • ヴァネッサ・ベルとダンカン・グラント

1920年 ダンカン初の個展
1923年 ヴァネッサ初の個展
2人は画家として活動
フランスからの影響を受けた作風で、イギリスでも人気が出るが、そこが彼らの限界でもあり、オリジナルなものへ突き抜けるところまでは至らなかった模様
生活の中に美術を位置づけ、部屋に飾る用の絵画を手がけ、さらには家具に直接絵を描いた。彼らの作品は、美術館などよりも、チャールストンの農家などで見ることができる、と。
なお、筆者が彼らの作品を直接見た際に印象に残ったのは、暗さで、それは彼らが新しい感受性を求めながらも、なおどこかでヴィクトリア朝の名残があるのかもしれない、と述べている。

  • レナード・ウルフ

ウルフは政治の道へと進む。
第一次世界大戦後、戦争を避けるための研究を始め、フェビアン協会から研究費の提供を受けながら、国際連盟の案を提案する。
1916年『国際的政府』刊行
H.G.ウェルズと知り合う。ウェルズ『世界史』の執筆にも協力した。
メンバーの中ではもっとも真面目なタイプ

1925年『ダロウェイ夫人』刊行
前年に、およそ10年近く住んでいたリッチモンドのホガース・ハウス(ここで出版社も営んでいた)を引き払い、ブルームズベリー地区で戻っていた
1927年『灯台へ』刊行
1931年『波』刊行
ここでは、ダロウェイ夫人がヴァージニアの分身であること、『灯台へ』が父親や子供のころに毎年訪れた避暑地を描いたものであること、『波』が一生を回想するものであったことが解説されている。

エピローグ

1917年、リッチモンドの家にレナードは印刷機を備える。
自分たちの本を出版するとともに、ヴァージニアに植字の仕事をさせることで健康が保てるのではと考えた。ホガース社として、レナードやヴァージニア自身の小説や、のちにエリオットの詩集を出版する(ホガース社から出版した人が、ブルームズベリー・グループのメンバーと見なされることもあったらしい)。
エイドリアンは精神分析の道に進んでおり、ウルフ夫妻の出版社がフロイトの翻訳を出版したのはその関係。


1931年、リットン・ストレイチーが胃癌のため51歳で亡くなる。
1934年、ロジャー・フライが68歳で亡くなる
1937年には、ベル夫妻の長男であるジュリアンがスペイン内戦で戦死
これについてはリチャード・オヴァリー『夕闇の時代──大戦間期のイギリスの逆説』(加藤洋介・訳) - logical cypher scape2にあった。
スペイン内戦については斉藤孝『スペイン戦争――ファシズムと人民戦線』 - logical cypher scape2
1941年 ヴァージニアの自殺


ケインズ
1925年、リディア・ロボコワと結婚。ただ、リディアとグループメンバーはお互いに親しくなることができなかった
リディアとケインズについては海野弘監修『華麗なる「バレエ・リュス」と舞台芸術の世界』 - logical cypher scape2でも。
ケインズは1938年に自分たちは「ムアの宗教は受け入れて、ムアの道徳は捨てた」と回想している。
ここでいう「ムアの宗教」とは「人間の交わりの快楽」と「美しいものの享受」であり、「ムアの道徳」とは彼のメタ倫理学のこと
筆者は、ケインズがグループの中では異質な存在であったと繰り返し述べているが、そうではあるものの、彼はずっとグループのメンバーと親しい関係を続けていた、とも。
1946年 心臓病で亡くなる


1961年 ヴァネッサ没
1964年 クライヴ没


ブルームズベリー・グループの人々は自分たちの記録を残そうとしていたが、ちゃんと自伝を書き残したのはレナード・ウルフ一人
1969年 レナード没
最後まで生き残ったのはダンカン・グラントで、1978年に93歳でなくなっている。

追記

全く忘れていたのだが、『フィルカルvol.1no.2』 - logical cypher scape2でブルームズベリーグループ関連の論文があった。

要真理子「モダニズムの地平−ブルームズベリーのエクリチュール−」
ブルームズベリーグループの作家、ヴァージニア・ウルフの小説と、同じくブルームズベリーグループに属していたといわれるバートランド・ラッセルの哲学とが、どちらも形式主義的なモダニズムとして展開されたこと、さらにそれがロジャー・フライの美術批評の影響を受けて形成されたのではないかということを論じている。

灯台へ』のラムジー氏のモデルはラッセルらしい。
ラッセルが、ブルームズベリーグループのメンバーなのかどうかは自分にはよく分からないのだが、この論文によると、ラッセルとフライが親しかったらしい。なお、フライは1866年生まれ、ラッセルは1872年生まれ、ヴァネッサが1879年生まれ、ヴァージニアが1882年生まれである。
significant formはベルの発案だが、これの定義が循環していたので、フライが定式化しなおしているらしい。でもって、その際にラッセルの哲学の影響を受けているとかなんとか

中屋敷均『遺伝子とは何か』

遺伝学の歴史から遺伝子概念の変遷を追っていく本
以前から積んでいた本で読むタイミングがなかなかなかったのだが、応用哲学会2024年大会 - logical cypher scape2で「無知を産む装置としてのパラダイム——遺伝暗号解読競争からの教訓——(石田知子)」を読んだのをきっかけに手に取った。
実は、事前には遺伝学史の本だという認識があまりなかったのだが、上での石田発表を読んで「そう言えば自分、分子生物学の歴史よく知らないな」と思った矢先に読み始めたら、ちょうどそのあたりのこととかも書かれていて、ドンピシャにはまって面白かった。
マクリントック登場の「(起承転結における)転」っぷりがはまっていて、歴史物語の描き方がうまい。
また、セントラルドグマにおけるワトソンVer.とクリックVer.の違いであったり、ダーウィンの「ジェミュール」であったりといった忘れられた歴史的細部に、現代の観点から再解釈しているあたりなど面白かった。


遺伝子概念について、形質を遺伝させる何らかの「因子」である、という定義から、分子生物学の進展により、タンパク質をコードするDNA配列である、というセントラルドグマに基づいた定義へと精緻化されていった。
しかし、実際には、タンパク質をコードするDNAはゲノム全体の中では一部であり、非コード領域も「形質」に関与していることがはっきりしてくるにつれて、タンパク質をコードしていることを遺伝子の定義に用いるのは不適当ではないかと考えられるようになり、機能という言葉を用いて定義されるようになる。
筆者は、ENCODEプロジェクトによるこの定義についても、遺伝子の働きをトータルに捉えるならば、不完全なものなのではないかと指摘している。
ただ、これは別に前の定義が間違っていたとかそういう話ではないと思う。
遺伝子の働きがより分かるようになっていった過程が描かれており、よくもまあこんなにも精妙な仕組みが備わったものだなあ、と改めて思った。
遺伝子をどう定義すればよいか、という問題は、この本のタイトルにもなっている主題ではあるのだけれど、自分のような外野の人間にとってはそこまで重要な話でもない気がした(研究者がプラグマティックな理由でプラグマティックで細かい定義をするのは、それはそれで別にかまわんのでは、と)

序章 遺伝学前史

まずはヒポクラテスアリストテレスから
ヒポクラテス:雄と雌それぞれの「精液」から遺伝する、という二種説
アリストテレス:雄が形相を担う、つまり遺伝は一方からのみ、という一種説
なお、二種説はパンゲネシス説というのに繋がっていって、ダーウィンの「ジェミュール」説へと連なる。
現代から見るとヒポクラテスの方が正しいように見えるが、アリストテレスアリストテレスで後成説(という意味では正しかった)


前成説と後成説の対立は長く続く。
レーウェンフックによる顕微鏡のあと、ハルトゼーカーはホムンクルスのスケッチを描いて、前成説が優勢に(元は想像図でしかなかったが、後に、ほんとうに見たと言い出す人が出てきた)
入れ子
前成説がまだ優勢だった頃、ヴォルフによる胚発生初期のスケッチが描かれ、後成説を後押し
その後、ベーアの胚発生研究で、後成説が決定的になっていく

第1章 遺伝学の夜明け

第1章は、メンデルの略伝
貧しい家庭に生まれたが、家族による援助で教育を受ける機会を得て、聖トーマス大修道院の聖職者となる。
ナップ院長は聖職者であると同時に農業改革などに取り組んでいて、彼のもとでメンデルは品種改良に取り組むようになる。
また、ナップ院長の取り計らいで、ウィーン大学での聴講を2年間行い、ここで確率論や組み合わせ、当時最新の生物学であった細胞学などを学んだことが、のちの研究へと繋がっていく。


メンデルの研究のポイント

  • 表現型と因子の区別
  • 因子の性質は交配によって変化しない
  • 生殖細胞が普通の細胞とは異なる状態になること(粒子説とされる)


メンデルの法則は、「優劣の法則」「分離の法則」「独立の法則」といった法則からなるが、メンデルが明確にそのように述べた箇所はなく、後に「再発見」した人々が整理したもの
メンデルの研究は当時はあまり他の人から理解されておらず、研究ノートも処分されてしまったため、メンデルが実際にどのような理解をしていたかは不明だとのこと
ただ、実験に使っている形質は、明らかに上記の法則に従うものを事前に選定している、とのこと。


ナップ院長が亡くなると、メンデルが次の院長となる。
修道院の院長というのは、地域社会の行政職という面も強くて、かなり多忙となり、結果的に体調を崩してメンデルも亡くなってしまう。
本章の最後では、筆者はメンデルのことを科学者である以前に宗教家であったのだとしたうえで、メンデルの研究には、非常に地道に継続的に大量の品種を管理していくことが必要で、宗教的な情熱の上で支えられていたのだろう、と。

第2章 「遺伝子」の誕生

1865年のメンデルの法則発見から1900年の「再発見」までの35年間
生物学の世界では多くの進展
ヘッケルの三界説、ダーウィンの進化論、パスツールやコッホによる微生物の発見
遺伝について重要なところでは、ヘルトヴィヒによるウニの受精の観察で、雌雄の核が融合することが分かり、また、染色体が発見される。


1903年 ウォルター・サットン「染色体説」(遺伝の因子は染色体だという説)


なお、遺伝の因子については、19世紀後半から様々な仮説があったが、いずれも思弁的な域をでなかった
ダーウィン「ジェミュール」
ド・フリース「パンゲン」
ヴァイスマン「デテルミナント」「イド」「イダント」
ヨハンセンが「遺伝子gen」と命名する。
これは「パンゲン」からパンをとったもの(この「パン」はパンゲネシス説のパンなので、より中立的な名称としてgenとした)


モーガンと「ハエ部屋」「ハエ小僧」
コロンビア大学モーガンの研究室は「ハエ部屋」と、弟子たちは「ハエ小僧」と呼ばれた。
まだ新しい学問分野だったためか、山賊のような風貌のモーガンと小僧たちが、乱雑な研究室で闊達に研究を進めていたらしい。
モーガンはもともとはメンデルの法則に懐疑的だったらしいが、実験を続けるうちにメンデルの洞察が優れていたことを実感していく。
独立の法則には多くの例外があることが分かり、そこから乗り換えと染色体上の遺伝地図を作ることに成功する
1933年ノーベル賞

第3章 「遺伝子」の「正体」

因子と形質の関係の難しさ
そもそも、一つの因子、一つの形質とはどのように特定されるのか


遺伝を担う担体は一体なんなのか
タンパク質か核酸
当初は、タンパク質説が優勢であった。


19世紀
生気論で説明されてきた生物特有の反応・作用については、酵素によって説明がされるようになってきた。
そして、20世紀に入り、酵素の正体がタンパク質であることが分かる
1926年サムナーによる発見
1929年ノースロップによる発見
1949年 サムナーとノースロップノーベル化学賞→生気論が衰退した証


1930年代は、生化学の時代
モーガンの門下生ビードルは、ショウジョウハエからアカパンカビに対象を変えて研究する
(その前の研究でドイツのグループに先をこされたため、さらに早くできる対象にかえた)
代謝ステップと遺伝子との対応をつきとめる
1遺伝子1機能仮説
1941~1945年にかけて発表され、1958年にノーベル賞


DNAの発見
バージルのミーシャがヌクレインとして発見
その後、ミーシャの弟子がヌクレインアシッドみたいな命名をするのだが、それが英語でnuclear acid(核酸)と訳されてしまう。
レヴィーンはDNA、RNAをそれぞれ発見し、その構成要素を特定した。
アデニン、グアニン、シトシン、チミンの4つの塩基の存在比が等しいことから、これら4つが均等に並んだテトラヌクレオチド仮説を唱える。これは全くの誤りだったわけだが、まさか核酸が遺伝子だとは思われていなかった頃の話であり、筆者はむしろ、レヴィーンがDNAやRNAの構成要素を発見したことを評価している。
4つの塩基がそれぞれ2つセットになっている「シャルガフの法則」
グリフィス、アベリー、ハーシーとチェイスによって、DNAこそが遺伝を担っていることが分かる

第4章 解き明かされた「生命の秘密」

シュレディンガーは『生命とは何か』の中で、「遺伝暗号を担う非周期的結晶」という概念を提案しており、これはまさにDNAの特徴を言い表していた。
筆者は、演繹的な推論でも真理にたどり着ける例としている(筆者自身は生物学者であり、どちらかといえば帰納的な手法で研究している)。
このシュレディンガーの著作をきっかけに、物理学・化学畑から生物学への新規参入組が現れる。クリックもその1人。
第4章は、DNAの二重らせん構造発見を巡る話


ワトソンとクリックは、ケンブリッジ大学のキャヴェンディッシュ研究所で、
フランクリンとウィルキンスは、ロンドン大学のキングズカレッジにそれぞれ勤めていた。
この2つの研究機関は互いに役割分担をしていて、実はDNAの研究はキングズカレッジの領分であり、ワトソンとクリックの本来のミッションは別にあった。ただ、彼ら自身はDNAの解明の方に関心があり、副業的にそちらの研究をしていた、と。
で、ウィルキンスがフランクリンの撮影したX線写真をワトソンとクリックに見せたことで、2人は二重らせん構造へといたるわけで、ここらへん、研究倫理的にかなりクロだったのではというと、今現在ではよく知られた話だが、上述のようなことがあったので、ウィルキンスも油断して見せてしまった、みたいなことがあるらしい。
あと、キャヴェンディッシュ研究所の当時のボスの方でも、功を焦って、みたいなのがあったらしい。


さて、筆者は、ワトソンとクリックが研究倫理的にまずいことをしていたのは確かだとして、それがなかったら、フランクリンが真の発見者なのか、というと必ずしもそうではないだろう、と論じている。
フランクリンは結晶学者としてDNAの構造を調べていたのに対して、ワトソンとクリックは、DNAが遺伝暗号を担うための条件という面から考えていた。
つまり、帰納的なアプローチと演繹的なアプローチというアプローチの違いがあった。
帰納的なアプローチからは、二重らせん構造なのかどうかはっきりしなかった。
演繹的なアプローチからは、証拠がなかった。
その両者のいずれが欠けても発見には至らなかっただろう、というのが筆者の見立てである。

第5章 新たな混乱の始まり

一遺伝子一酵素
ガモフ「ダイヤモンドコード」


1955年 パラーデによるリボソーム発見
これにより、ダイヤモンドコードは間違っていたことがわかる。
クリックが、一遺伝子一リボソーム一タンパク質仮説を唱える。


1956年・58年 ヴォルキンとアストラカンによるDNA like RNA発見
また、1960年には、野村眞康がDNA like RNAについて論文を発表しているが、筆者はここでの野村の考察は、事実上mRNAのことを述べているとして、野村の功績が忘れられているのではないかとしている。
mRNAは、1961年に、ブレナー、ジャコブ、メセルソンによって発見されたことになっている。彼らの実験は、クリックの一遺伝子一リボソーム一タンパク質仮説を否定しているものとなっている。ただし、筆者は、確かにクリックの説を否定する点では決定的ではあるが、それ以外では新しい発見をしたものではない、としている。


1961年 ニーレンバーグによる遺伝暗号解読
ついで、ホリーがtRNAの構造解明
リボゾーム、mRNA、tRNAの役割が明らかになることで、セントラルドグマが確立する。
こうして1960年代半ばには、分子生物学は終わった、と考えられる程になった。


がしかし、実際にはそんなことはなかった。
1951年に、マクリントックは講演の中で、「遺伝子が動く」「遺伝子が別の遺伝子の働きに影響を与える」という2つのコンセプトを示す。
これこそが、新たな混乱の始まりであった。
マクリントックは、「遺伝子が動く」つまりトランスポゾンの発見で有名であるが、筆者はむしろもう一つのコンセプトである「遺伝子が別の遺伝子の働きに影響を与える」が重要だったとする。
1961年 ジャコブとモノー オペロン仮説
遺伝子配列の中にで、遺伝子発現を制御しているプロモーター配列があって云々という考え

第6章 RNAが開く新時代

セントラルドグマには実は、クリック(1957)とワトソン(1965)とで相違がある、と。
ワトソン(1965)の方はよく知られているDNA→RNA→タンパク質という、情報が一方方向にのみ流れるモデル
対してクリック(1957)は、DNA→タンパク質←RNAとなっていて、情報源がDNAとRNAの2つがあり、また、DNAとRNA間での情報のやり取りも書かれている(なので図としては、DNAとRNAとタンパク質が一列に並んでいるのではなく、それぞれを頂点とした三角形で描かれている)。
これは、まだその当時、RNAの役割がはっきりわかっていなかったので、そのあたりを曖昧にしたというか、はっきりさせずに書いたものであって、その後、RNAの役割が分かるに至って、ワトソン(1965)へと精緻化されたものではある。
ただ、筆者は、後知恵的に、クリック(1957)のモデルの方が正しかったのではないかという


1970年 テミンとボルティモアの逆転写酵素
1980年代 チェックとアルトマンのリボザイム
これらにより、RNAからDNAの情報が流れることや、RNA自体が酵素として働くことが分かる。


1960年代後半から ブレナーは分子生物学に見切りをうけて、線虫研究へ
ブレナーの弟子のホロビッツ ヘテロクロニック変異の研究
1980年代後半 
この線虫のヘテロクロニック変異に、たんぱく質をコードしていない配列が関与していることが分かる。
1993年 
短いRNAが転写されていることが分かる。のちに、マイクロRNAと呼ばれるようになる
マイクロRNA自体が機能分子
現在、2800種のマイクロRNAが知られており、mRNAの60%がマイクロRNAの制御をうけている。


チェックとアルトマンのリボザイム
テトラヒメナの実験によって発見され、1989年にノーベル化学賞に繋がった。
RNAのリボと酵素エンザイムを組み合わせてリボザイム
RNA自体に触媒活性があった。
2000年代 リボゾームもまたリボザイムだったことが分かった
リボゾームは、タンパク質が付加されることで反応速度を加速させているが、なくても機能する


1998年 ファイアーとメロー RNAi(RNA干渉)の発見
2005年 FANTOM3プロジェクト 
マウスのゲノムについて、タンパク質コード領域は1.5%なのに対して70%がRNAに転写されている。何の機能もなく70%も転写されているわけがない
→いわば「RNA新大陸」の発見

第7章 DNAを越えた遺伝子

第7章は、エピジェネティクスについて


1883年 ヴァイスマン「生殖質説」
体細胞の変異は生殖細胞には伝わらない、という説
生殖質説にしろ、セントラルドグマにしろ、多くの経験的事実により支えられており、揺るぎないものと考えられてきた。


オランダ飢餓
第二次大戦末期、まだナチスドイツの支配下にあったオランダで起きた飢餓
その後、長期的な追跡調査が行われており、飢餓によるストレスの影響が、直接飢餓を経験していない孫世代まで遺伝していることが分かった
エピジェネティクス


獲得形質の遺伝
ウォディントン(エピジェネティクス命名者)の1940~50年代のショウジョウバエの報告や、トウモロコシのパラミューテーションの遺伝など、獲得形質の遺伝とみられる事象は報告されてはいた。
2013年 ディアスとレスラー マウスの匂いと恐怖反応の条件付けの遺伝
エピジェネティックな変異が遺伝している


体細胞から生殖細胞への伝達
体細胞で起きたエピジェネティックな変異が、何らかの方法で生殖細胞へ伝達しているのではないか。
まだはっきりしてはいないが、注目されているのはエクソソーム
エクソソーム内にマイクロRNA、さらには、長鎖非コードRNA、DNAが含まれていることが分かった。
これら(特にマイクロRNA)が、体細胞から生殖細胞への伝達を担っているのではないか、と。
筆者は、ダーウィンの「ジェミュール」概念との類似を指摘している(体細胞の情報が遺伝する、という点において。ジェミュール仮説は遺伝子の物理的実体(遺伝情報の担体)についての仮説なので、その点においては誤り)


エピジェネティックな変異の遺伝についての話は、以前から読んだことがあったが、生殖細胞にその変異がのるのか? みたいなところはちょっと疑問で、エクソソーム仮説は興味深かった。


非コードRNAの遺伝
2006年 Kit遺伝子変異のマウス
2014年 精神ショックを与えたマウス
アベリーがDNAを注入してDNAが遺伝子の実体であることを確かめた実験のように、RNAの注入による変異が起きるかどうか実験した


章末コラムで、プリオンについても取り上げている。

第8章 遺伝子とは何か

ここまでも書かれてきた遺伝子の定義の変遷を改めてまとめつつ、ヒトゲノムプロジェクトの後継であるENCODEによる遺伝子定義を紹介する。
そこでは、セントラルドグマ的定義がタンパク質を用いていたのに対して、「機能」を定義に用いている。
問題となるのは、遺伝子の単位であった。
DNAは転写される際に選択的スプライシングというのが行われる。
あるタンパク質なりをコードする配列の間にイントロンというジャンクが入っているので、これを切り取る作業だが、実際には色々なバリエーションがあって、複数の配列を別の組み合わせにしたりなんだり、というのがある。
そうしたヴァリアントを1つにまとめてカウントするために、ENCODEの定義は作られている。
ところで、エンハンサーとそれが働きかける配列はすごく離れているのだが、実際には折り畳まれているので、物理的な距離は近いらしい。
ただ、配列として書き出すとすごく離れた場所にあるので、エンハンサーと実際にコードされている配列の関係を特定するのが難しい。
さらにいうと、制御配列とタンパク質コード配列の関係は一対一ではなく多対多となっている
エンハンサーの働きも含めた上で、個別に特定していくのは実際上は困難なので、ENCODEの遺伝子定義はそれを含まないようにしている。
ただまあ、筆者はそれってどうなの、という立場のようである。


2012年 ENCODEによって、ヒトゲノムのタンパク質コード領域1.11%に対して、機能的な配列は80.4%と発表される
この数値自体には懐疑的な声もあるが、とにかく、驚きの数ではある。
2014年 転移因子による遺伝子のネットワーク化が示唆される。
マクリントックが動く遺伝子として発見した転位因子(TE)だが、ゲノム配列中で反復されるTE配列が同時に複数の遺伝子を制御
筆者は、ゲノムとは、個々の独立した遺伝子の集合体ではなく、多数の遺伝子を協調的に制御するシステムなのである、とまとめている。


ゲノムの進化
とはいえ、そのようなゲノム観はヒトに限った話なのではないかと疑うこともできる。
原核生物や真核単細胞生物は、タンパク質のコード領域はゲノムの90~70%を占める
2007年 マティックはゲノム進化にあるパラダイム変化があったと提案
多細胞生物へと進化した頃に、RNAネットワークの増大への変化があったのではないか、と。
原核生物はゲノムサイズとタンパク質をコードする遺伝子の数は比例する。
一方、多細胞生物同士である線虫とヒトは、ゲノムサイズについては30倍の差があるが、タンパク質をコードしている遺伝子の数は大して変わりがない。
つまり、原核生物は、タンパク質をコードする遺伝子の数を増やしてったのに対して、真核多細胞生物では、それ以外の領域を増やしていった(つまり、線虫とヒトのゲノムサイズの差は非コードRNAなどの差)、と。

終章 遺伝子に関する一考察

生命の起源
筆者は自身をRNAワールド仮説の賛同者であるとするが、原始的な遺伝物質はRNAではなく、より合成の容易なトレオース核酸やペプチド核酸ではないかと


シャノンの情報量は、遺伝子の情報を捉えられていないのではないかとか
このあたりは、別に遺伝子に限った話でもないような

河部壮一郎『デジタル時代の恐竜学』

CTスキャンやシミュレーションなどのデジタル技術を用いた古生物学研究について、筆者が実際に携わった研究をもとに紹介する本。
泉賢太郎『古生物学者と40億年』 - logical cypher scape2が、化石発掘だけが古生物学研究ではないということを論じる本であったが、これもまた同様の路線にあって、化石発掘以外での研究手法を示している。また、生物学的古生物学という点でも近いだろう(例えば、泉は研究室で二枚貝等を飼育しているし、河部は大学院生時代にヒヨコの孵化をしている)。
本書は、連載記事をベースに後半の章を書き下ろした、ということで、泉の本よりも、エピソードベースになっている気がする(泉の本もエピソードは多いが)。

第1章 奇妙な新種恐竜「フクイベナートル」との邂逅

筆者は、鳥の脳をCTスキャンで調べる研究をしてきたが、そこからフクイベナートルについてもCTスキャンすることになった話
元々、恐竜の研究を志していく中で、生きている恐竜である鳥を調査対象にすることになり、CTスキャンにはまっていった経緯が書かれている。
フクイベナートルは発見当初、「ドロマエオサウルス類」として福井の恐竜博物館に所蔵・展示されていて、筆者は2007年には福井の現地で、2011年には東京で行われていた福井恐竜博物館展で見ている、はずなのだが、当時は関心がなかったという。
しかし、2013年に脳函のスキャンに携わることとなり、三半規管等の構造を確認する。
2016年には新種「フクイベナートル・パラドクシス」としての記載にいたる。
ただ、CTスキャンできた範囲は限られていて、それについてはそこまで面白い成果が残せたわけでもなかったらしい。


なお、CTスキャンは結構時間がかかる作業
X線をあててその密度差をもとに描画する。化石と岩石も密度差があるのでCTスキャンで岩石の中に埋まった化石も見ることができるのだが、しかし、岩石から取り出しにくい化石というのは、化石と岩石の違いが曖昧になっていることが多く、そういう場合、目視でその境界を見つけていく必要がある。出力されたデータを見ながら、ペンツールでなぞっていくらしい。
単にX線をあてて画像が出てくるのを待つのも時間がかかる。
大抵の研究者はその間他のことをしながら待っているらしいが、筆者は、CTスキャンがとても好きで、画像が出力されている様子をいつまででも見ていられる、とか。

第2章 コロナ禍と「フクイベナートル」のその後

フクイベナートルは、祖先的な形質と進化的な形質があり、そのため種小名もパラドクシスとついており、系統関係に謎が残されていた。
2020年、全世界的なコロナ禍により発掘調査もできなくなってしまっていた時(博物館も閉館していた頃)、逆にこの機会にと、フクイベナートルの全身スキャンが行われた。
これにより、テリジノサウルス類だということが分かった

第3章 「ネオベナートル」のデジタルデータ作成奮闘記

イギリスの恐竜産地ワイト島では、フクイベナートルと近縁とされるネオベナートルが発見されているが、この標本の借用を依頼するために、当地の博物館へ赴いた話
ネオベナートルとフクイベナートルだけでなく、ワイト島と福井では、発見される恐竜などが似ているらしい。
さて、今回の借用は、通常の標本借用と異なり、標本そのものを借りるのではなく、それのデジタルデータを作成させてほしい、というものだった。
フォトグラメトリという技術を使う。周囲から写真をとって、その写真から3Dモデルを起こす、というもの
スティーブ・ブルサッテ『恐竜の世界史』 - logical cypher scape2にも登場していた。
で、それを3Dプリンタで出力する。
実物より大きい、あるいは小さいサイズの標本も作ることができる。

第4章 生ける恐竜「ニワトリ」の脳の成長を観察する

章タイトルにある通り、ニワトリの脳の成長について
MRIを使う
CTスキャンMRIは、ともに似たような白黒の画像が出力されるが、CTスキャンは骨が、MRIは内蔵がよく見えるという違いがある。
成長の過程で脳の大きさや形がどのように変化していくか。
群れで発見されるディサロトサウルスやプシッタコサウルス

鳥には早成鳥と晩成鳥という違いがある。
早成鳥は孵化してすぐに歩ける鳥で、ニワトリも早成鳥
晩成鳥は孵化してもすぐには歩いたりできない鳥で、巣で育つ。スズメなど。
恐竜も早成だと考えられるので、ニワトリのデータがとれればそれで構わないのだが、筆者はいずれ晩成鳥のデータもとりたいと思っているとか。

第5章 原始的な鳥類「フクイプテリクス」

CTスキャンSPring-8)によるデジタルクリーニング
鳥の系統の謎 

第6章 恐竜の「失われたクチバシ」を作り出す

コンピュータシミュレーションによる研究
そのパイオニアとして、ラウプモデルと呼ばれるものがある
生物学者ラウプが貝の殻の形についてモデル化したもので、3つのパラメータの組み合わせで、あらゆる貝の形を説明できる。
さらには、実在しないが、可能な貝の形も分かる。
Marco Tamborini "Technoscientific approach to deep time" - logical cypher scape2などで見かけたことがある。
エルリコサウルスのクチバシについて
顎の先端の形状からクチバシがあったと考えられるが、クチバシは化石には残らない。
どれだけの範囲を覆うクチバシだったのか。
有限要素解析という、強度などをシミュレーションできる方法を使って調べる。
有限要素解析はダレン・ナイシュ/ポール・バレット『恐竜の教科書』 - logical cypher scape2スティーブ・ブルサッテ『恐竜の世界史』 - logical cypher scape2でも出てきた。ティラノサウルスの顎の強度を調べる研究に使われていた気がする。

第7章 「ペンギンモドキ」はペンギンか?

ペンギンモドキ(カツオドリ目)とペンギン(ペンギン目)の脳の比較。
ペンギンモドキは、その名の通り、ペンギンによく似た絶滅古生物。しかし、分類としてはカツオドリ目に属する。
しかし、脳の形を比べてみると、カツオドリ目の他の鳥ではなくペンギンと似ていた、と。

第8章 繊細な暴君「ティラノサウルス

筆者の所属する福井県立恐竜博物館にはティラノサウルスの下顎化石が所蔵されている。
さて、ティラノサウルスは様々な研究がなされているが、下顎のCTスキャンはされていなかった。ので、やってみたという話。
CTスキャンは、ステージへ固定するのが実は結構大変だよ、と。
ぐるぐる回転するステージに、長辺を縦方向にするように置いて、倒れないように固定しなければならない。
植木鉢が何かと便利で筆者は持ち歩いているらしい。
さて、血管神経管がよく張り巡らされていることが分かった。
ワニが自分の子どもをくわえて運ぶとかできるのも、神経が細かく張り巡らされているから。

第9章 絶滅した奇獣「パレオパラドキシア」をデジタル復元

化石のクリーニング作業の過程でレーザースキャナーやCTスキャン
クリーニング作業の補助となるとともに、そこから3Dモデルを起こす
復元作業をデジタル空間上で行う

応用哲学会2024年大会


今年の応用哲学会は、Slack上での完全オンライン開催となったため、参加してみた。
参加といっても、気になったタイトルの発表について、共有された原稿やパワポを眺めただけだけど。

銭清弘 ルールとしてのジャンル

「この作品は◯◯(SFでもロックでも何らかの任意のジャンル名)だ」「いや、違う」という争いがある時、それは事実(この作品にどのような特徴があるか)ではなくて、規範(この作品をどのように鑑賞すべきか)をめぐる争いなのだ、ということを示していて面白い
かつて銭さんが「駄作を愛でる」っていう発表で言ってた逆張り鑑賞とかの話をさらに発展させていった話としての、ルールとしてのジャンル、フレーミングとしてのジャンルへのカテゴライズなんだろうな、と思った。
これって、博論をベースにした発表ということでいいのかな?
いつか著作として出るのだろうか。


それはそれとして、「ラノベ」は果たしてジャンルなのかどうかとかよしなしごとを
自分は、ラノベってメディアとか形式とかの類ではないかと思ってた(というかこの発表を読んで事後的にそう思っていたと気付いた)し、実際、そういう側面はあると思うけど、(銭さん的な意味での)ジャンルとしての側面もあるかなと
というか、そこの食い違いがあると、ラノベ定義論争も食い違うよなーと
あと、自分はジャンルを歴史的存在として、かつ、形式的なものとして捉えがちなので、「竹取物語はSF」とかただの妄言だと処理しがちなのだが、ルールとしてのジャンル観に立つと、有意味な主張としては理解可能になる(まあその上でも、その適用はおかしい、と思うけど)。


上で「銭さん的な意味で」と書いたが、銭さんが言うところの「ジャンル」と世間一般で言われるところの「ジャンル」は必ずしも一致しない。
世間的にジャンルと思われるものでも、銭さんの考えるジャンルにあたらないものもあれば、その逆でもある。
ただし、銭さんは、あるカテゴリは、同時にジャンルでもあり形式でもある、とかそういうことがある(メタカテゴリ同士は排他的ではない)ということも述べているので、極端に日常的な用法から離れることもないと思う(例えば、俳句は形式であると同時にジャンルでもある、と言う。こういう言い方は日常的にはあまりしないが、しかし、言われてみると納得感はあると思う)。


ところで、ある作品に対してそのジャンルを適用する成否ってどうやって決まるのだろうか。
というか、普通、ジャンルと作品とって帰属関係というかメンバーシップ関係だと思われていると思うのだけど(あるジャンルは個々の作品をそのメンバーとしてもつ)、ルールの場合、そういう関係じゃないよな。だとすると、どういう関係?
あくまで自分個人はこの作品にこのルールを適用して鑑賞します、という私的な適用はありなのか?
まあとはいえ、やはり共同体の中で、この作品にはこのルールを適用すべきという規範があると考えるべきなんだろうな。作品解釈にもかかわってくるし。
ただ、実はこっちのルール(ジャンル)を適用した方がよいぞ、みたいなことが起こってくるということだよな。
いや、だからこそ「〇〇はSFだ」「いや違う」という論争があるのだし、その点では別に、ジャンルをルールと考えようが分類と考えようが同じことか。同じことか?
フレーミングは、スタンスの表明や提案という行為であり、宣言型で「世界から言語へ」の適合性があるとされる。
ここで類比的に「私は警察だ」「ここは私有地だ」という宣言もフレーミングの役割を果たすと挙げられているのだけど、こうした宣言が適切・誠実となるのは、発話者が本当に警察だったり、制度上、権利や権威を有している者だったりする場合なのではないか、と(「ここは私有地だ」という宣言は、発話者はその土地の権利者じゃなくても成り立つことは成り立つが、しかし完全な赤の他人がいう場合は、事実の言明に近いような気もする。どうなんだろう)
ジャンルのフレーミングについては、作者や出版社にある程度権威がある気がするが、そうでない人間にできないわけでもない。むしろ、そうでない人間でもできるから、論争が生じるのだろう。
「駄作を愛でる」発表と組み合わせて考えるのであれば、解釈上・評価上の利得についての均衡(としての制度)が生じて、それによってフレーミングの適切さが決まる感じなのかなあ。
これはあくまで哲学・美学的な論点だけど、それとは別に、鑑賞者の実際の鑑賞的反応が生じる際に、どういうタイミングでジャンルのフレーミングが関与してくるのか、という心理学的な論点も気になるといえば気になる(例えば、状況モデル関係の研究で、フィクションかノンフィクションかでどう違うかみたいなのはあったはず)。

山田圭一 ChatGPTとウィトゲンシュタイン ―言葉の意味を理解するとはどういうことか?―

前期的には理解しているといえるかもだけど、後期的にはいえないよね、という話
うんうん、やっぱ「生活」大事だよねと思ったけど、ネット上で完結する「生活」という範囲に限ればありうるかも、とも言ってて、なるほど、言われてみれば確かにと思った。
松阪陽一「規則とパターン:後期ウィトゲンシュタインの洞察」という論文が言及されていて、 面白そうだったので眺めた
https://www.jstage.jst.go.jp/article/jpssj/50/0/50_85/_pdf

石田知子 無知を産む装置としてのパラダイム——遺伝暗号解読競争からの教訓——

「WS 無知をめぐる科学と哲学」で3本くらいあったけど、これだけ読んだ。
分子生物学史を全然知らないので勉強になった。
遺伝暗号って、ワトソン、クリックあたりが解読したんだと勝手に思い込んでたけど、違った。
当時の主流派は、遺伝暗号を解読する研究を行うにあたって暗黙の前提を置いていたので、それにより「無知」が発生していて、解読に至らなかった。それを共有していなかった研究者の方が、発見できた、という話
ここでパラダイムは、通時的に変化するものではなくて、同時的にも複数共存しているものとして捉えられてる。また、研究者共同体も結構小規模なものが想定されている。
研究者共同体の多様性が必要だよね、みたいな話になっている、のだと思う。

金 雲龍  効果的利他主義は非規範的であるべきか

マッカスキルは、効果的利他主義というのはあくまでも社会運動であって、「効果的利他主義をすべき」という規範的な主張を含まない、としているらしいが、シンガーは規範的なものとして捉えていたはず
ということで、マッカスキルが効果的利他主義は非規範的であるとした理由を退ける発表になっている。
マッカスキルは、効果的利他主義が非規範的である理由は、運動の参加者に聞いたら、非規範的な方がよいと答えていたから、と述べているらしいが、倫理的な主義主張だとすると、それは通らねえんじゃないの、というのはその通りな気がする。

下道亮成  概念分析は人類学的営みか:H・コーンブリスの議論を批判する

コーンブリスは概念分析批判をしていて、その中で、概念分析は科学的主張を取り込まないからということを述べているらしいが、実際の概念分析は、科学的主張を取り込むこともあるよ、みたいな発表だったかな。
ところで、リチャード・ボイドって道徳的実在論やってる人だったのか。

坂田萌音 クライオニクスにおける自己決定の妥当性

クライオニクスの賭け(パスカルの賭けのクライオニクスVer.)なんて論法あるのか
医療倫理的に考えると、クライオニクスまずいよね、という話

佐藤巧眞  実在的パターン概念の現在とその応用可能性

実在的パターンというのは、デネットが命題的態度の実在を論じる際に提案したアイデアで、後に形而上学でも使われるようになり、本発表では、倫理学における「理由」の実在に応用している。
命題的態度が実在なら理由も実在だろ、って言われると、そうかも、ってなんか思わされる。
実在的パターンって何かというと、情報量が圧縮できる場合、それに相当する
完全にランダムな数列は実在的パターンじゃないけど、123123123……みたいな数列で「123のn回繰り返し」みたいに言える場合は、実在的パターンだ、というらしい。


ところで、下道、坂田、佐藤がみな一橋の井頭研だった
あと、やはり井頭研の院生の人が懇親会の幹事だったっぽい
もう大分前からだけど、一橋大学が地味に分析哲学研究のホットスポットになっている気がする(哲学科が存在しないのでたぶん見逃されがちだが)。

久保田琉惟  自己知の徳認識論

自己知には、トリビアルな自己知とsubstantialな自己知があるという区別の仕方、知らなかった気がする。

WS AI・ロボットとともにある共同体の倫理

約30分の動画×5に挫けてしまって、興味あったけどあんまり追えなかった
友情規範と道徳規範は別、という竹下発表が単体で読んで面白かったけど、WS全体のテーマ設定が頭に入ってこなかった

応哲じゃない奴(橋本毅彦「最近の図像をめぐる科学史研究について : クラウス・ヘンチェルの研究を中心に」)

https://repository.dl.itc.u-tokyo.ac.jp/records/2003245
確か、石田発表に「ニーダム」が出てきて、そういえばリチャード・オヴァリー『夕闇の時代──大戦間期のイギリスの逆説』(加藤洋介・訳) - logical cypher scape2にニーダムって出てきたけど、分子生物学系の人だったのかとググっていたら、橋本毅彦が出てきて、橋本毅彦について見てたら見かけたのでちょっと眺めてみた論文
なお、ニーダムは生化学者かつ中国科学史について研究した科学史家。
上の論文、タイトルだけだと何のことか分からないのだが、サブタイトルになっているクラウス・ヘンチェルのことだけでなく、マーティン・ラドウィックと『客観性』についても書かれている、ということで興味をひいた。
90年代頃から図像を巡る科学史研究というのが盛り上がっていて、その集大成として、一方にヘンチェルの著作があり、他方に『客観性』がある、という感じらしい。
で、ヘンチェルの著作を紹介しつつ、図像をめぐる科学史研究の古典としてラドウィック論文についても検討し、という論文

『ユリイカ2023年11月臨時増刊号 総特集=J・R・R・トールキン』

想像のobjectと想像のvividness - logical cypher scape2で「岡田スライドについては、また機を改めて触れるかもしれない。」と述べたが、そのスライドの中で岡田は、フィクションを鑑賞するにあたっては「「想像の産物に現実らしい一貫性を与える表現を達成する」作家の能力(ファンタジー)が必要」というトールキンの妖精物語論に言及している。
で、『ユリイカ』に岡田がトールキンについて論じたものが掲載されているのを知ったので、手に取った。
というか、トールキン特集が出てたのは知っていて気になってはいたが、優先度が低いままで忘れていた。
岡田論文以外にも、気になったものをいくつかピックアップして読んだ。

もうひとつのフィクション性――「妖精物語について」における〈現実〉の位相 / 勝田悠紀

トールキンのいう「妖精物語」は単に妖精が出てくる話というわけではなく「妖精国」にかかわる話
そして「妖精国」というのは「第二世界」のこと
「第二世界」は、人間世界とは切り離された時空で、準創造されるもの(創造は神のすることなので、人間のするそれは準創造となる)。『ガリバー旅行記』はリリパット国が出てくるが、人間世界と地続きのどこかなので、その意味で妖精物語ではない
準創造は、言葉によってなされる。例えば「緑の太陽」など、言葉の組み合わせを変えることによって。
トドロフ幻想文学論、ならびにそれに影響されたジャンクスンのファンタジー論との比較トドロフ-ジャクスンは、現実の奥に非現実を見るという点で、リアリズム的ファンタジー
トールキンのファンタジー論にそういう二層性はない
トールキンの演劇批判
妖精の「魅惑」と人間の「願い」

ファンタジーの魅惑――J・R・R・トールキン『妖精物語について』におけるフィクション理論 / 岡田進之介

トールキンにおける「ファンタジー」概念を整理した上で、想像的抵抗のパズルへの応用を提案している。
トールキンは、コールリッジの「不信の自発的停止」という考え方を批判する。
想像力でつくられたものに対して、不信の停止というだけでは足りず、一貫性を与える必要がある。
(優れたフィクションに触れているときの状態を、「不信の停止」というのは実態にそぐわない。もっと積極的に没入しているのではないか、というようなことだったかと思う。で、そのためには「一貫性」が必要だ、と)
その一貫性を与える技のことを「ファンタジー」と呼ぶ。
人間の技であるファンタジーに対して、妖精による「魅惑」がある。ファンタジーは魅惑を模したもの
想像的抵抗について、一貫性を欠く場合に生じるのではないか、という提案。逆に、倫理的に受入れがたい内容でも、そういう世界であると納得させるにたる一貫性があれば、想像的抵抗は生じないのではないか、とも。

物語を受け継ぐ方法――「再創造」という創作・読解行為からみる、トールキン再読の可能性 / 渡邉裕子

トールキンの創作論として「準創造」が有名だけど「再創造」も重要
で「再創造」とは何かというと、元々ある要素の再配置みたいな話で、トールキンの場合、古典とか神話とかを再利用しているわけだけど、ここでは『力の指輪』がトールキン原作を「再創造」しているという話になって、アダプテーション論みたいな感じになっている。

ファンタジーの祖型はなぜトールキンなのか / 井辻朱美

Maria Sahiko Cesire の”Re-Enchanted: The Rise of Children’s Fantasy Literature in the Twentieth Century”という本の紹介
トールキンとルイスが、当時のモダニズムによる「脱魔術化」に抗して「再魔術化」を行おうとしていたという話で、
2人でオックスフォードのカリキュラム改革を行って、古典の比重を増やしたらしい。
他方で、周知の通り、ファンタジー児童文学を書いた。
つまり、アカデミズムと大衆文学の二正面作戦で「再魔術化」を行った、という話。
でまあ、まさにその古典重視カリキュラムでトールキンの弟子となった人たちから、さらにファンタジー作家が輩出されている、という。
あと、トールキンが影響を受けたものとして、秘境幻想小説がある。架空の編集者の覚書や非公式な脚注が挿入されたりしている。こうした「パラテクスト的な客観性のしるし」は19世紀後半のロマンス小説の特徴でもあり、こうしたテクニックがSFやファンタジーにも使われるようになった、と。「別世界」を支える学術としての言語学

怪物とファンタジーの紡ぎ手たち――J・R・R・トールキンと「人種」をめぐる覚書 / 清水知子

非白人キャストをめぐって

イメージ・ファンタジー・労働の二層性――ラルフ・バクシとランキンバス社による『指輪物語』もののアニメーション / 宮本裕子

指輪物語』の映像化といえば、今ではすっかりピーター・ジャクソンによるそれを指すことが多いが、それ以前のものとして、ラルフ・バクシ監督によるアニメーションとランキン・バス社によるアニメーションとがある。

  • バクシ版

ロトスコープの使用
漫画絵と実写的なものの並存(闇の勢力では、ロトスコープで使った実写フッテージが透けて見えている)
https://macc.bunka.go.jp/265/

  • ランキン・バス版

描線の数が細かく、キャラクター造形が複雑
一方、動きは限定的
のちに『風の谷のナウシカ』を制作することになる日本のアニメスタジオのトップクラフトが実質的に作っている。近年、日本のアニメスタジオが、アジア諸国に外注しているように、アメリカのアニメ制作が日本に外注されていた歴史がある、と。

トールキンを読むシリコンバレー――カウンターカルチャーシリコンバレー、『指輪物語』 / 木澤佐登志

アメリカのカウンターカルチャーの中での『指輪物語』について
ピーター・ティールやイーロン・マスクが『指輪物語』から影響を受けているけど、単に個人的に彼らが愛読していたというだけでなく、文化的背景があるよ、と。
カウンターカルチャー、ヒッピーカルチャーの中で『指輪物語』はバイブルとなり、”Frodo Lives!”というスローガンが流行していた、とか。
IBMに対抗するAppleみたいな構図にも引き継がれていく(小さき者が大きな悪に立ち向かう)

ラリイ・ニーヴン『無常の月 ザ・ベスト・オブ・ラリイ・ニーヴン』(小隅黎・伊藤典夫訳)

1960年代~70年代にかけて書かれたニーヴンの短篇傑作選
『20世紀SF〈3〉1960年代・砂の檻』 - logical cypher scape2を読んで気になった作家の1人
また、ブルース・スターリング『スキズマトリックス』(小川隆・訳) - logical cypher scape2の解説で、60年代以降の新しい宇宙SFの1つとして、ニーヴンの「ノウンスペース」シリーズの名前もあがっていたのも気になった(加えて、ヴァーリィの八世界シリーズがあって、それに続く形でスターリングの〈機械主義者/工作者〉シリーズがある、というような感じで)。
本短編集は、ノウンスペースシリーズに属する作品と、そうでない作品の両方が収録されている。
巻末解説によると、ニューウェーブサイバーパンクの間にある時期に、現代的なSFの基礎を築いた第一人者ということで、確かに、今読んでも遜色ないというか、科学ネタの部分は全然今のアイデアとしても通用するのでは、という感じがした。


帝国の遺物

ノウンスペースシリーズ
植物が播種するためにロケットになっているという、ちょっと『ガメラ2』のレギオンっぽい設定だけど、こっちは最後に打ち上げシーンまである。
かつて宇宙にはスレイヴァー種族の帝国があって、彼らはすでに絶滅したが、彼らが開発した動植物が各地に残っている(このシリーズの各作品でたびたび言及のあるバンダースナッチもそうらしい)。
主人公のは、それを研究することで一山あてようとしている研究者
無人の惑星でステージ樹という植物を研究していたところに、宇宙海賊がやってくる
彼らは、パペッティア人の母星を見つけて海賊行為を始めたのだが、結局見つかって警察に追われ逃げてきた。
多段式(マルチステージ)のロケットになるからステージ樹、か

中性子星

ノウンスペースシリーズ
凄腕のパイロットであるベーオウルフ・シェイファーが、借金問題で、パペッティア人に半ば脅されて、中性子星の調査ミッションへ赴く
パペッティア人が提供している宇宙船の船殻はどんなものも中に通さないのだが、中性子星へ調査へ行った夫婦が何らかの力で死亡し船だけ戻ってくる。
パペッティア人は、シェイファーに対して、その夫婦と同じルートをもう一回飛んでこい、というわけである。
で、実際に中性子星へ近付いていくと、確かにその夫婦が通信を絶つ直前に報告してきた謎の力がかかるのを、シェイファーも気付く。推進モーターを使ってその力を相殺させながら、なんとか突破するシェイファー。
その力の正体が潮汐力であることに気付く。
そしてシェイファーはそこから、パペッティア人の住む星には衛星がないのでは、ということにも気付く。パペッティア人は非常に慎重・臆病なので、自分たちの故郷の星の情報を絶対に公開しない。衛星の有無すら秘匿情報としているので、脅し返す。
「帝国の遺物」で宇宙海賊になった男は、パペッティア人に脅迫が通じると思っていなかった。一方、主人公の博士は脅迫が彼らとの交渉に使えると知っていた。シェイファーもまた同様だった、と。
そういえば、パペッティア人の見た目が細かく描写されているのだけど(『20世紀SF〈3〉1960年代・砂の檻』 - logical cypher scape2には見た目の描写なかった気がする)、双頭のケンタウルスみたいな見た目っぽくてなかなかすごい。あと、口を手のように使うので、カクテルを頼むと口から出てくる(だから地球人はパペッティア人のバーテン
ダーの酒は飲まない)とか

太陽系(ソル)辺境空域

ノウンスペースシリーズ
引き続き、ベーオウルフ・シェイファーが主人公
太陽系から出ていく宇宙船が次々と行方をくらます事件が発生。シェイファーは、地球へ戻る宇宙船に同乗することになる。
旅の道連れは2人。
1人は、宇宙船を手配したのは「中性子星」にも登場したシグムンド・アウスファラーで、「中性子星」ではシェイファーがパペッティア人から宇宙船を盗むのではないかと、船に爆弾付けた人
もう1人は、シェイファーの友人の天才物理学者であるカルロス・ベイなのだが、なかなか「え、何それ」っていう設定がついている。
この世界では、出産制限があって、能力等に応じて子どもを作れる権利が制限されている。この物理学者は、無制限の出産権を有している。で、シェイファーは、彼の出産権を使って妻に子どもを作らせている。んーつまりNTR? 冒頭で、この世界では普通の話的な感じで進んでいく*1のだが、結果的に、この話があとにつながっていく。
事件の謎解きが宇宙論の謎解きとも連携しており、小惑星の上で巨大アームみたいなものを使ったアクションシーンもあり、と色々見どころがある。
1970年代の宇宙物理学って何がどれくらい分かっていたのか自分には分からないのだけけど、量子ブラックホールが出てくるのと、宇宙論として、ビックバン説、定常宇宙説、サイクリック宇宙説の3つが相争っているという状況が描かれていて、量子ブラックホールとかサイクリック宇宙論とかってこの当時すでにあったのかーと思った。
量子ブラックホール小惑星の中に隠されているかも、というのが「ホール・マン」でも出てくるが、これが当時、よくある仮説だったのか、ニーヴンのアイデアだったのかよく分からない。ビッグバン説が正しければ、宇宙開闢時に生じた量子ブラックホールがどっかにあるはず、と。
こっちでも潮汐力出てきたな。
最後、犯人の動機の1つとして、俺は非モテなのに無限出産権とか許せねえ、だった……(なお、簡便のため「非モテ」と書いてしまったが、重力の強い惑星ジンクスの出身で腕力が強すぎて女にフラれた、と言っている。ジンクス人はほかに寿命が短いとかもあり、貿易で甘い蜜を吸う地球に一泡吹かせたい、とかそういう動機だったよう)
一方で、量子ブラックホールと宇宙の起源についての物理学論争を展開しつつ、他方で、そういうかなり人間くさい犯罪ドラマが並行して進んでいくあたりのバランスのとれたストーリーテリングがうまい。「帝国の遺物」や「中性子星」も同様のところがある。


量子ブラックホールってこれ(原始ブラックホール)のことかな?
「原始ブラックホール」は生成されない? Kavli IPMUが矛盾点を発見 | TECH+(テックプラス)
Wikipediaによると

このような天体の存在は、1966年にヤーコフ・ゼルドビッチとイゴール・ノヴィコフ(英語版)によって初めて提唱された[3]。これらの天体の起源の背後にある理論については、1971年にスティーヴン・ホーキングによって初めて詳細に調べられた[4]。
原始ブラックホール - Wikipedia

本作は1975年発表


シグムンドが船内に隠していた銃火器を大量に出してくるシーンがあるのだけど、その中に、しれっと手裏剣混じってて笑った

無常の月

この作品は映画化の話があるらしく、この短編集もそれを機に編まれたものらしい。
ある晩、突然月が明るくなった、というところから始まる。
主人公はサイエンスライターで、理由を色々考え始めるのだが、太陽活動の異常のせいではないかと思い当たる。ガールフレンドに連絡し、2人で深夜のデートを始める。
夜が明けるとき世界は終わる、しかし、そのことにほとんどの人々はまだ気付いていない(主人公を含め一部の人だけが気付いている)という絶望的な状況は、なかなか切々と胸に迫るものがある。
この作品はそれだけでは終わらず、絶望が一転して希望へと変わる。厳しい状況には変わりないけれども。
読みながら、太陽って新星になるんだっけ? しかもこんな突然? と思いつつも、しかし自分もそのあたり詳しくないし、この世界ではそうなっているのかもしれないし、とそこの疑問には目をつぶって読んでいたら、やはり新星ではなかった。
フレアだったというのは、2024年現在、ちょっとタイムリーな感じで読んだ。

ホール・マン

山岸真編『SFマガジン700【海外編】』 - logical cypher scape2でも読んでいたが、忘れていた。
火星調査隊が、地球外知的生命体がかつて火星にいた痕跡を見つける話。
この調査隊には、2人の両極端なタイプがいる。
隊長がわりと体育会系というか軍人系というか規律と秩序を重んじる威圧的なタイプで、一方、天才物理学者が隊員の1人としているのだが、こちらは、(作中ではそんな言葉出てこないが)ASD発達障害タイプというか、物理学では超優秀だが、部屋の整理はできなかったり、集中していると宇宙服の気密性を維持するためのロック*2を忘れたりする人。
で、物理学者の方が、重力波によるサインウェーブを発見する。
量子ブラックホールを使った通信機だ、と物理学者は主張するが、調査隊のほとんどは半信半疑だし、隊長は完全に頭おかしい扱いをする。
で、ある日、この2人が口論していると、突然隊長の身体に穴があいて死亡する。
学者による、量子ブラックホールを用いた一種の完全犯罪なのだが、異星人による量子ブラックホール制御装置を切ってしまったので、地上の通信機装置ないに固定されていた量子ブラックホールが火星内部へと落下していったのである。

終末も遠くない

剣と魔法のファンタジーもの
これはウォーロック・シリーズものの中の一作らしい
魔術師と剣士の戦い
超自然的なエネルギーが環境に貯蔵されている量にはどうも上限があるらしくて、いずれ魔法は使えなくなってしまうということに気付いた魔術師の話

馬を生け捕れ!

こちらは、タイムハンター・スヴェッツシリーズの中の1つとのこと
過去にタイムトラベルしたスヴェッツが、タイトル通り、馬を生け捕りにしてくるという話
スヴェッツのいる時代には馬は存在しておらず、馬が車を引いていたということすら伝説扱いされている。とある有力者が馬を見たいと言ったので、馬を捕まえにこないといけなくなった。
ところで、読んでいるうちに、スヴェッツが捕まえたのがどうも馬ではなくてユニコーンのようだということが、読者には分かってくる。
本とかに載っている馬と見た目が違うぞ、とつめられて、じゃあ本の内容を全部書き換えましょう、というオチになるコメディSF

*1:カルロスは、シェイファーと顔を合わせないほうがいいだろうと気を利かせて(?)地球を離れているのだが、偶々シェイファーと出くわしてしまう

*2:正確に言うと用を足すための装置のロック

斉藤孝『スペイン戦争――ファシズムと人民戦線』

スペイン内戦の通史
最近、大戦間期の歴史の本をいくつか読んでいる。当初は「ベル・エポックから1920年代、パリ、ウィーン、ベルリンないしヴァイマル共和国、ニューヨーク、ロンドンあたりの、美術・芸術、大衆文化、社会主義、哲学・思想についての概観をつかむ」という目的で読み始めていて、スペイン内戦について読む予定はなかったが、いくつか本を読んでいるうちに、スペインも一応抑えておいた方がいいかな、と思うようになったので。
この頃のスペインはピカソ、ミロ、オルテガがいるし、また、[海野弘『アール・デコの時代』 - logical cypher scape2]で出てきたアルフォンソ13世も気になったし、そもそもスペイン内戦といえば、ヘミングウェイオーウェル義勇軍で酸化したことで有名であり、やはりこの時代の歴史を読んでいくなら、外せないか、と。
しかし、それにしても、スペイン内戦について自分が事前に知っていることがあまりに少ないことに気がついた。


本書は、1966年に書かれた本であり、スペイン内戦から30年後にあたる頃である。
1930年代と1960年代だと、間に第二次大戦が挟まっているので、何となく隔たりのある時代のようにも感じてしまうが、30年というと、まだ当時を知っている人たちが普通にいる頃だなあと思う。
例えば、現代で喩えるなら、湾岸戦争についての本を書いているような感じか。むろん、30年も経っているので既に歴史の対象ではあるが、それでも現代の出来事だよなあという感覚はある。
スペイン内戦については、無論、今の自分には現代の出来事なんていう感覚はないが、この本はまだそういう感覚がある程度残っている頃に書かれているのだなあと思うとちょっと面白い(なお、筆者は当時、小学校低学年だったため当時の雰囲気についての記憶はない、と述べている。自分も湾岸戦争についての記憶はない)。
で、読んでいると、このことについてはまだ詳しくは分かっていない、みたいなこともポロポロある。時代が近すぎて、逆に真相が分からないんだろうなあ、と。
というか、上で湾岸戦争と比較したが、30年経った今、フセインも父ブッシュも既に故人だが、1966年時点はまだフランコ政権が継続中だと考えると、それ以上のものがある。


そういえばタイトルは「スペイン戦争」となっているが、これは、ドイツ・イタリア・ソ連も関わっていて、単なる内戦ではない、ということで本書ではこの呼び方となっているが、文庫版解説によると、本書が書かれた後の60年代後半以降「スペイン内戦」という呼び方が定着していき、筆者も「スペイン内戦」を使用している、とのこと。


そういえばアントニオ・タブッキ『供述によるとペレイラは…』(須賀敦子・訳) - logical cypher scape2はスペイン内戦中の隣国ポルトガルの話だった。

王冠の没落

1931年に行われた選挙で民主制が支持され、アルフォンソ13世は深夜に自動車に乗って亡命する。
アルフォンソ13世のことも気になるのだが、本書での彼への言及は少ない。
革命委員会のアルカラ=サモラによる共和制樹立


20世紀のスペインの5つの問題=宗教・教育・選挙・農民・民族
選挙→農村ではカシケという地方のボスによって投票がコントロールされていた。


米西戦争の敗北→反王制の気運
(この反王制の言説をになった知識人の1人がオルテガだったらしい)
アルフォンソ13世にとっての課題は、モロッコの植民地支配
→軍人にとってモロッコは出世の舞台となり、その中で頭角を現した1人がフランコ
また、スペイン陸軍の中でドイツへの好意的感情が醸成されていく
第一次大戦中、労働運動が発展
1923年に軍人のプリモ=デ=リベーラのクーデター
軍事独裁政権が成立するが、1930年に退陣する。これでアルフォンソ13世の支持者がいなくなる。
同年、共和革命委員会の設立

三色旗の下で

サーニャ内閣
軍隊・教育改革には熱心で、とりわけ学校が多数設立される
一方で、農業・民族問題は手薄で、これがネックとなる。


サーニャは、左派共和主義者
それ以外に、社会党が左派の主要政党
左派にはこれ以外に、スペイン共産党があるが、この当時はまだ弱小政党
これ以外に反スターリン主義を掲げた共産主義者のPOUM(彼らはトロツキストではなかったが、共産党からはトロツキストと呼ばれた)、
アナーキストのCNTがそれぞれあった。


右派は右派で、ヒル=ロブレスのCEDAなど、複数の政党が成立していく。
王党派もいればそうでない派閥もいれば、王党派にしても、どの家系を次の王として考えているかで違いがあり、右派も右派で一枚岩ではなかった。
しかし、アサーニャ内閣が農民や労働者の期待に応えられなかった隙を見て、1933年の選挙で躍進する

暗い2年間

右派のレルー内閣が成立し「逆コース」を辿る「暗い2年間」
ヒル=ロブレスは直接首相にはならず、内閣を裏から操る(?)

バルセロナなどで抵抗運動が起きては鎮圧される。
北部の鉱山アストゥリアスアストゥリアス・コミューンという抵抗運動が起きる。
スペインの左派は大体内部分裂が起きるが、アストゥリアスはそうではなかった。
これを鎮圧するのに使われたのが、モロッコから来たムーア人部隊で、ムーア人部隊を使うことを進言したのがフランコ


右派も内部対立あり


労働者階級は主に社会党系、共産党系、アナーキスト系の3つにわかれる。
この分裂がずっと尾を引くのだが、ともあれこの時点で、人民戦線の名の下に協力体制が模索されていく。
また、この背景にソ連外交の変化(世界革命から人民戦線へ、ブルジョワ国への接近)があった。

三色旗と赤旗

人民戦線協定の成立
ただしこの「人民戦線」は選挙協力としての人民戦線であって、共産党がいうところの人民戦線ではなかった、という。
1936年アサーニャ人民戦線内閣が成立するが、社会党共産党は入閣せず、閣外から協定が守られるか監視するという立場をとった。
共和主義者の三色旗を赤旗が支えている、という構図


右派による攻撃
ファシストアナーキストをそそのかして、焼き討ちをさせたりしている。
アナーキストはそもそも組織が緩いので、ファシストがノーマークで組織に入り込んだりできる。あと、教会焼き討ちはもともとアナーキストがやっていた。
右翼に甘い裁判官がいて、右翼のテロとかに甘い判決がでていた。このあたり、ヴァイマル共和国っぽい

反乱の開始

1936年7月に軍事クーデター
このクーデターの主導者はモラ将軍。この時、フランコはアフリカ方面の指揮官という立場で、他にもたくさんいる将軍の中の1人だった。(ところで、イギリスの航空会社の飛行機でモロッコへと書かれている)
共和国側のカスティリョ中尉が暗殺され、その報復に、中尉暗殺命令を出したとされる上官が暗殺される。それぞれの葬儀を通して左右の対立激化。
ヒル=ロブレスの演説が「内乱の宣言」とされる。
この暗殺をきっかけに、クーデターが結構される。


当時の首相カサレス=キローガやアサーニャは、軍人たちは忠誠を誓っていると思い違いをしており、初動対応を誤る。
ヒラール新内閣は、求めに応じて労働者に武器を配る。
短期決戦を目指していたクーデター側だが、各地で民衆の抵抗にあう。
例えば、バルセロナではCNTが即座に武装して抵抗を開始した。
ヒル=ロブレスはフランスへ逃亡するなどしたものの、しかし、国土の半分は反乱軍の手に落ちた。


スペインは鉄鉱石をはじめとして鉱産資源が豊富らしい。知らなかった。
で、ナチスドイツはこの鉄鉱石に目をつけた
スペイン内戦にナチスが介入してきた理由は鉄鉱石だけではなくて、スペインの方でごたごたしてもらえると、何かと都合がいいみたいなこともあったらしい。
イタリアもスペインへと介入してくる。
ドイツとイタリアは、利害が対立する面もありつつ(チェコスロバキアをめぐって)、とはいえ大きな方向性としてはよく似ていた。
フランコは、スペインに潜入していたナチス党の人間との接触により、ナチスドイツからの協力を得るようになる。もともとクーデター側は短期決戦を考えて金を保有しておらず、海外に財産を移動していた資本家等の寄附を受けていたらしいが、フランコは、鉄鉱石と引き換えにドイツから兵器等を入手していた。
イタリアは当初フランコに注目していなかったらしいが、こちらもつながりが生まれる。
反乱軍側の将軍の1人に過ぎなかったフランコは、ドイツ・イタリアとのつながりによって力を得ていて、モラ将軍を上回る実力者になっていく。


隣国ポルトガル独裁政権になっていてフランコに好意的だった。反乱軍側は、ポルトガル国境を自由に越えることができた一方で、共和国側の人間はすぐに逮捕された。

ロンドンの喜劇

英仏の不干渉政策
1936年、スペイン首相のヒラールはフランス首相のブルムに武器の援助を要請した。
しかし、ブルム内閣とイギリスのボールドウィン内閣は、不干渉委員会を作ってスペインに対して不干渉政策をとった
ブルム内閣は人民戦線内閣なので、不干渉政策ははた目には不可解だった
イギリスとの関係悪化による孤立を恐れたという見方も
イギリスは、スペインとの貿易関係があり、資本家的にはファシストと人民戦線とどっちが勝ってもあまり望ましくないのだが、「反共」という点で、人民戦線の方がより望ましくなかった。ファシスト側も反共という立場を強調していた。
筆者は、英仏の不干渉政策はしかし、事実上の「干渉」政策であったと批判している
そもそも、共和国政府が武器を輸入したいと要請してきていて、それに応えるのは干渉にあたらないわけで、輸出しないことを不干渉ということ自体が不可解だ、と。


ソ連
1936年9月までにはマドリードの周囲にまで反乱軍が迫った
10月にソ連はスペインに対しての軍事援助を開始
この援助はスペインで歓迎されたが、筆者は、なぜこのタイミングに援助が始まったのかという点について疑問をていしている(援助する気があるならもっと早くからできたのでは、と)。
いろいろな理由は考えられる(独伊が介入している決定的証拠を待っていたとか、フランスとの関係に配慮したとか)が、スターリンがスペインについてどのような意図を持っていたのか、謎である、とのこと
なお、ソ連の援助は、双方で過大に宣伝される傾向にあった、と


アメリ
中立をうたってはいたが、石油や自動車をフランコ側へ輸出していた。
筆者は、スペイン共和国は、直接的にはドイツイタリアの武力援助、間接的には英仏の不干渉、そしてアメリカの物資援助によって敗北させられたのだ、としている

マドリードの抵抗

フランコは、将軍の中の一人にすぎなかったが、11月に勝手に主席を名乗り独裁者となる
反乱軍の占領地域が「中世」になったのに対して、共和国政府の地域では「革命」が進んだ
共和党のヒラールは、社会党のラルゴ=カバリェロへ政権を譲る
この内閣には共産党、そして2か月後にはアナーキストが入閣。共産党員やアナーキストブルジョワ政府に閣僚入りするのはこれが世界初
左派も左派で短期決戦を考えていて、それぞれバラバラに武器調達し、バラバラに戦っていた(アナーキストは組織化して戦うという考えがそもそもない)。フランコに勝つために、何とか体制を整えよう、ということであった
ただ、入閣したアナーキストはCNTの許可をとっておらず、アナーキスト側から裏切り者扱いされるとか、逆に、ラルゴ=カバリェロ自身は、軍組織について共産党よりアナーキスト側に近い見解を持っているとか、一筋縄ではいなかところがある。
また、各国から国際義勇兵が入ってくる。これを指導したのはコミンテルン
国際義勇軍共産党は熱狂的に支持されたが、党の政治委員も一緒に入ってきており、ソ連の「粛清」がスペインに持ち込まれる


1936年10月、マドリード包囲戦が始まり今にも陥落すると思われたが、その後、2年半持ちこたえることになる。
翌1月、マラガが陥落し、その際、アーサー・ケストラーがつかまっている。
3月、マドリード北東のグァダラハラでイタリア軍と共和国軍が激突し、共和国軍が勝利する。国際義勇兵にはイタリア人もいたので、イタリア人同士が戦うこととなった。また、イタリア正規兵が捕虜となり、イタリアが介入している動かぬ証拠となった

もう一つの内戦

ファランヘ党
フランコは自らの政党=ファランへ党を作る。
ややこしいのだが、これ以前にもともとプリモ=デ=リベーラのファランヘ党という政党があったのだが、これをもとにほかの党を吸収してつくった新党


ゲルニカ
フランコ軍は、グァダラハラの戦いで負けたのち、北部へと向かう
バスク自治権要求はカトリック色が強く、アサーニャ政権はこれを認めていなかった。そのため、バスクは当初反乱軍側につこうとしていたのだが、フランコバスクへの自治を認めていなかったので、反フランコとなった。
資本家、カトリックと左派が一丸となって反フランコとなっていた
1937年、バスクへの総攻撃が始まり、ドイツによるゲルニカ空爆が行われることとなる


グァダラハラの戦い以降、共産党への支持は高まっていた
が、共産党とPOUM・アナーキストとの間では、考え方に対立があった。
共産党は、スペイン戦争をブルジョワ民主主義革命と位置づける。
ファシスト闘争であり、民族運動であり、民主主義を目指すのだ、と
これは、労働者階級だけでなく、カタルーニャバスク自治を目指す保守系ブルジョワとも共闘するための策であった
一方、POUMやアナーキストは、反ファシズム革命=プロレタリア革命として位置づけた
共産党は、‘POUMやアナーキストファシストのスパイとして「粛清」しはじめる。
また筆者は、共産党の民族革命の中に、モロッコが含まれていなかった点を指摘している。


アナーキストはカタルニアやアラゴンで「アナーキー革命」「共同体化」を実施した
民兵固執するアナーキストたちは、軍事的にはだめだめだし、また捕虜をすぐに銃殺する。
シモーヌ・ヴェイユアラゴン戦線に参加していたらしいのだが、司祭を殺した話をアナーキストたちが笑い話にしていて、ヴェイユはドン引きしていた、と。
POUMもまた民兵組織に固執しており、ジョージ・オーウェルは「階級のない社会だ」と感じたらしいが、彼らは仲間内でかたまり外に広がりを見せない傾向があった、と。
政府は、社会党右派・共産党・共和派ブルジョワジーと、社会党ラルゴ=カバリェロ派・POUM・アナーキストというふたつに分かれるようになる
ついに、バルセロナで、社会党党員でカタルニア州の治安部長に対してアナーキストが発砲するという事件が起こり、バルセロナで市街戦(内戦内内戦)が勃発する
バルセロナ内戦の停戦後、ラルゴ=カバリェロは退陣することになる。
共産党からの支持により中産階級出身のネグリンが次の首相へ
筆者は、プチブル的なネグリンに対して、労働者階級出身のラルゴ=カバリェロを、政策等に瑕疵はあったものの、筋が通っており、労働者からの支持も厚かったと評価している


戦争の終末

6月、バスクビルバオが陥落
バスクは激しい弾圧にあう
7月、マドリード近郊ブルネテの戦い
これは独ソの戦車戦となり、ドイツにとっては第二次大戦のリハーサルになったという
このころ、スペイン戦争に日本人で唯一参加していたというジャック・白井という人物が戦死している。
アストゥリアス、サンタルデル、ヒホンと次々と陥落してき、ヒホン陥落時にイギリスは通商代表をフランコに送り、事実上、フランコ政権を承認した
1938年、人民政府が移転していたバルセロナへの空襲が続く
ネグリンとアサーニャの考え方が対立するようになる
ネグリンは英仏を通した講和工作を期待するが、英仏はなおナチスドイツに宥和政策を続ける。国際義勇兵も撤退が決まる
1939年1月、バルセロナ占領
ネグリン政府は一時フランスへ逃れるが、ネグリンはやはり抗戦を続けるべきと考え、まだ戦い続けているマドリードバレンシアへと戻る。が、マドリードの将校たちはフランコへ降伏を選ぶ。
フランコ政権が成立すると、人民戦線へ協力したものたちへの報復・逮捕・弾圧が徹底的に行われるようになった。
第二次大戦が終わり、ヒトラー政権とムッソリーニ政権は終焉したが、フランコ政権だけは残った。アメリカが反共基地を確保するためにフランコとの協力を選び、1955年に国際連合へ加盟があいなった。
その後も労働者のストライキや山岳ゲリラ戦は続いたという。
上述したように、本書執筆時点では、フランコ政権はなお存続中であった。