ジョン・ウィックシリーズ

ジョン・ウイックシリーズ全然見てこなかったけど、気になってきた。trickenさん含め2名が今年のよかった映画にあげていたため

シノハラユウキ (@sakstyle.bsky.social) 2023-12-31T15:00:02.824Z
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なるほど マトリックス世代(?)なので、キアヌのアクション映画は気になりつつ、結局見てなかったんですよね。 まあ、他にも見たい映画・映像作品はたまってるので、折を見て見れたらいいなあと思ってます。 1と3がそんな感じで、2と4がそんな感じだと分かってると、見るにあたっては参考になります。長いので

シノハラユウキ (@sakstyle.bsky.social) 2024-02-07T10:33:25.187Z
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というわけで、見てみた。
2月頃に1を、3月頃に2と3を、そして先日4を見た感じ。
ちなみに、上で挙げた「2名が今年のよかった映画にあげていた」というのは以下の2つ
2023年:オレ的映画ベストテン! - メモリの藻屑、記憶領域のゴミ
2023年まとめ/2024年予定 - Trick or Think?

最初の方の展開が早く、ストーリーは二の次です感があってよいw
アクションが何となく地味目なのが面白い
シオン・グレイジョイ! シオン・グレイジョイじゃないか!

2

いきなり取り戻した車がぼこぼこにw
ローマのコンチネンタルのサービスで銃と服そろえていくシーン好き
ターゲット殺すのわりとあっさりと思ったら、そのあとが本番
暗殺指令下って、ニューヨーク中の殺し屋が殺しにくるところから俄然面白くなってくるというか、ギアあがって、なるほどって感じだった
人ごみの中で、サイレンサーついたハンドガンでこそこそ(?)撃ち合うシーン面白かった

パラベラム(Chapter3)

1と2の間もそうだったけど、2と3の間も、作中での時間が全然空いていない。2の最後のシーンの直後から3が始まる。映画の公開は2年後くらいだったみたいだけど
ナイフで刺された傷を治すため、闇医者のところへ。追放処分まであと5分、というギリギリのところ。治療後、自分が助けたと思われないため撃ってくれと銃を渡す闇医者。「どこを撃てばいい?」「太もっ」パァン。撃つの早すぎて闇医者の答えに食い気味になってるw 「もう一発頼む」「どこに?」「鎖こ」パァン。天丼w
追放処分後、次々と襲撃される。まずは、中国人グループ。ジョンは古い武器のコレクションがある建物に逃げ込む。ガラス割って中のナイフ取り出しては投げる乱戦
その次は、たぶんイタリア人グループ。厩舎に逃げ込むジョン。馬の横で銃撃戦やるのはやばいだろと思ってたら、馬に敵を蹴らせるジョンww
馬とバイクのチェイスシーン
その後、カサブランカへ逃亡し、そこのホテル・コンチネンタルの支配人ソフィアのもとへ。
ここで誓印出してくるジョン! (2で、ジョンは誓印のせいで酷い目にあったわけだが、それを躊躇なく(?)自分も繰り出していく)
ソフィアは猟犬を連れているのだが、犬が撃たれてしまう。めちゃくちゃに反撃し始めるソフィア。ボスを撃ち殺そうとしたところ、しかし、ジョンがそれを制止する。「犬を撃たれたのよ」「気持ちはわかる」気持ちはわかる、じゃねーよwwww お前、1はそれで皆殺しにしてるじゃねーか
謎の日本人の弟子たちパートはちょっと謎だった。なんでとどめ刺しにいかんのってところで。ただ、ガラス部屋でのアクションは、前作の鏡の部屋アクションよりも、よかった。

コンセクエンス

170分とかあって長いので、1~3を見た後、見るタイミングがなくて少し間が開いてしまった。とはいえ、見始めると結構あっという間であった。
予告編では、ベルリン、パリ、大阪という順になっていて、大阪が最後っぽいけど、実際に見てみたら、大阪、ベルリン、パリという順であった。真田広之も出てくるが、彼の出番は大阪パートまで。
昔の友人知人に会いに行く→ミッションみたいなものをこなす→大量の殺し屋に追い回される、という流れは、概ね2や3とも共通か。
コンチネンタルのコンシェルジュがいきなり殺されてしまった。いい奴だったのに
大阪コンチネンタルの外見って、国立新美術館では? と思ったけどどうだろう
大阪ヤクザたち、日本刀はまだいいとして、弓矢と手裏剣装備してるの笑った。手裏剣は使用シーンなかった気がするけど、弓矢は普通に使っていた
今回はわりと「友」と「家族」がテーマだった
侯爵の部下、高速でパンチ繰り出す殴り方がゲームかアニメのようだったw
ベルリンは、やはりジョン・ウィックで毎回出てくるクラブで逃げる敵を追い回すパート。一般人に当たらないように敵を撃て
大阪やベルリンのパートも悪くなかったが、一番見ごたえがあるのはパリのパートだった。
また例によって街中の殺し屋から追い回されるという奴なのだが、まず最初は、凱旋門のまわりのロータリーでのカーチェイス
多数の車がぐるぐる走り回っているところを縫うように歩きながら銃撃戦。むろん、ガンガン車に轢かれたりもするが、「どうやって撮影してんだ、これ」と思いながら見ていた。
次は、どっかの建物の中での銃撃戦だが、ドローン飛ばして真上から撮影してる。つまり、撮影方法としては天井のないセットを作って、その上から撮影しているのだと思う。
壁が薄くて隣の部屋に貫通する銃撃をしていて、それを真上から(つまり両方の部屋を俯瞰して)見ることができて、面白かった。
また、着弾すると着火するような弾丸を使っての銃撃戦だった。あれ、やべー弾だなーと思いながら見ていたけど、後から考えてみると、どうしても引きの構図になるから、撃たれたことをわかりやすくするための演出なのか。
あと、ジョン・ウィック、基本的にみんな一発では死ななくて、倒れた後にヘッドショットしてとどめさすのが基本だけど、あの真上視点の構図だとそれいちいちやってられないから、一発当たればそれでKOになる、という意味もあるのかな。
さて、パリパートは、サクレ・クールで決闘を行うので、夜明けまでにサクレ・クールにつかないといけないが、それを大勢の殺し屋が邪魔しにくる、という話になっている。で、サクレ・クールというのはモンマルトルの丘の上にたっているので、たどり着くためにはめちゃくちゃ長い階段を上る必要がある。
その階段上っていると次から次へと敵が現れてくる、というので、これも見応えがあった。
ウィックのとんでもない長さの階段落ちもある

ブルース・スターリング『蝉の女王』(小川隆・訳)

スターリングの未来史〈機械主義者/工作者〉シリーズの短編集。
(なお、本来の「蝉」の字体は、上の点3つが口2つになっている奴なのだけど、環境依存文字らしいのでここでは「蝉」と記す)
大体23世紀頃の太陽系が舞台になっている。
人類は宇宙に適用するために遺伝子工学を活用した「工作者」というグループと、機械との融合を選んだ「機械主義者」というグループに大きく分かれている(さらにその中で細かい派閥に分裂している)、という世界。


発表順に掲載されていて、作中世界の時系列順とも大体対応しているのだけど、最初の「巣」の舞台は太陽系外、次いで天王星軌道、ツァリーナ・クラスターは木星系か、で、「火星の神の庭」はタイトル通り火星が舞台となっていて、段々地球に近付いている。
なお、地球人はまだ恒星間航行の技術は持っていないので、「巣」については〈投資者〉という異星人の宇宙船に乗せてもらっている。


一般的な評判として「巣」の評価が高いのだが、実際「巣」が一番面白かったかもしれない。「スパイダー・ローズ」も面白かった。
どちらも直接的に描かれるエピソードの背景に、壮大な宇宙スケールの時間を想起させるようになっているのがよい。


太陽系を舞台にして、人類がポストヒューマン化しつつあって、異星人のテクノロジーが少し入ってきていて、というと、ヴァーリィの〈八世界〉シリーズとも近いよなあと思うが、〈八世界〉シリーズの方が〈機械主義者/工作者〉シリーズよりも前なんだよな。
上のようにまとめると似ているけど、実際の雰囲気はだいぶ違う。

以前、『ラブ、デス&ロボット』シーズン3 - logical cypher scape2でアニメ化作品を見た。というか、これを見たことで、〈機械主義者/工作者〉シリーズを知ったのだった。
ディテールについては忘れてしまったが、まあ大体原作通りのアニメだったのではないかと思う。アニメを思い出しながら読んだ。あらすじは、アニメ見た時に書いたものがそのまま使えそうなので、以下引用する。

スターリングの短編が原作となっているということだけ事前に知っていたので、サイバーパンクな作品なのかなと思ったら、宇宙生物SFだった。
(...)
原題はSwarmで群れという意味。
小惑星帯みたいなところに、社会性昆虫みたいな生物の巣があって、1人の科学者がその中に暮らすようにして研究しており、そこにもう1人別の科学者が訪れるところから始まる。
昆虫のような見た目をしているけれど、大きさは人間くらいあり、また、複数の種が共生しており、分業体制をとっている。
後から来た科学者の方は、この群れを人類のために利用しようとする
誰のために働いているかなどということを理解する知性を持ってないのだから、人類のために働かせても問題はないだろう、と。
しかし、実はこの群れにも知性があって、というか、知性を担うユニットは普段休眠状態になっていて、侵略種族が出てきた時だけ起動するようになっている。そして、共生している種は、実はかつての侵略種族であったことが明かされる。
で、その知性ユニットが、この科学者に選択を迫るシーンで終わるんだけど、この選択肢の意味がいまいちよく分からず、なんか突然終わった感が否めなかった。

ちなみに、この科学者たちは工作者(人体改造派)側
アニメと小説の違いとしては、小説の方が、各昆虫の説明が詳しい。あと、特定の個体を使役できるようになったけど、アニメだとそのへん描写どうだったかな。
あと、〈投資者〉という異星人が、地球人の宇宙航行や取引の仲介をしてくれていて、結構重要な存在なのだけど、アニメでどう描かれていたか忘れてしまった。確かに冒頭になんかいた気がするが。
で、アニメ見た時はよく分からなかったが最後の選択肢の話だが、要は、お前を地球に帰しはしないが、意識を保ったままと意識をなくした状態になるのとどっちがいい、という選択肢だった。
そしてそれは、地球人類というのは、これまでも他の知性種族がそうだったように、1000年もすれば絶滅するけど、それを一緒に見届けるか、みたいな問いかけだったようだ。科学者側は、地球人類は必ず〈群体〉を征服するぞ、というようなことを言い返している。〈群体〉の知性ユニットが、話し相手ができて退屈しなくてすむな、みたいなことを言って終わる。

スパイダー・ローズ

こちらは機械主義者の話
天王星軌道にある蜘蛛の巣型宇宙ステーションで孤独に暮らすスパイター・ローズ
彼女は機械的身体改造によって200年を生きており、感情も薬ですりつぶしている。
採掘された稀少な宝石を〈投資者〉へと売りつけるのだが、自給自足できている彼女は、エネルギー通貨やありきたりの商品は特に欲していない。
〈投資者〉は様々な商品を提案し、最後に、自分たちがペットとして飼育している動物を提案する。
この愛玩動物は、〈投資者〉によく似た爬虫類型の姿*1をしていたが、数日後には、人間に似た姿へと変身した。相手の感情をよく読み、それに適した反応をする、高度な遺伝子改造技術を施された動物であった。
スパイダー・ローズは、〈投資者〉種族よりも古くからこうやって生きながらえてきた個体なのではないか、と想像する。
(ところで、〈投資者〉は人類が持っていない超光速航行技術を持っている異星種族だが、どうもそうした技術を〈投資者〉自身が開発したわけではないらしい。このペットに施された遺伝子改造技術のことも〈投資者〉は知らなかったのではないか、とスパイダー・ローズは思っている)
海賊船に襲撃される。ずっとスパイダー・ローズのことを恨んでいる奴がいるらしくて、撃退しても撃退しても、クローンになって再襲撃してくるらしい。
破損して酸素が不足してしまったので、スパイダー・ローズはペットを食べてしまう。
〈投資者〉が再び訪れると、繭の中からペットが……



蟬の女王

この短編集の中ではもっとも長い作品。
〈投資者〉の亡命者を女王に戴いている〈ツァリーナ・クラスター〉を舞台に、火星テラフォーミング計画を巡る政治的謀略を描く。
太陽系全体では、〈工作者〉と〈機械主義者〉が対立しているが、ここはそれらの主流派からの亡命者などが集っており、この両者が共存している。
主人公のハンス・ラウダウは、亡命以後つけられていた犬による監視が解かれ、晴れて〈ツァリーナ・クラスター〉の正式な一員となった。
彼は、地衣類を研究しており、その地衣類のついた宝石が女王への贈り物となった。これに高い価値があって、一躍金持ちの仲間入りをする。
が、なによりラウダウはその資金を火星テラフォーミングに賭けていた。
しかし、〈ツァリーナ・クラスター〉では〈会計検査官〉が謎の自殺をとげ、女王がここを去るかもしれないという噂が流れ始める。
その背景には、ウェルスプリングという実力者が関わっている。
ラウダウは、ウェルスプリングと機械主義者の一派である〈ロブスター〉の力を借りて、〈ツァリーナ・クラスター〉を脱出し、火星へ向かう氷小惑星へ乗り込む。そして、ウェルスプリングの後継者の座に収まる。
〈ツァリーナ・クラスター〉の中は、盗聴器が多数仕掛けられ、秘密というものをもつことが許されない。
犬というの文字通り犬なのだが、後半になって、喋りだす。で、虎と戦う。
そういえば「ドローン」という言葉が出てきてちょっと驚いたが、Wikipediaによると、遠隔操作機という意味でのドローンの最古の用法は1946年らしい。
あと、腸内細菌がいると下等だと思われる、とかいうのがどっかに書いてあったな、そういえば。
ウェルスプリングは、プリコジンの思想をベースにしたポストヒューマニズム思想を持っていて、プリコジンの複雑性の段階が云々という話をしきりにしている。
〈投資者〉は人類の対立構造を陰で操っている。

火星の神の庭

テラフォーミング後の火星が舞台
「蝉の女王」の主人公であるラウダウは、ロブスター・キングとして君臨している。また、同じく「蝉の女王」に登場していたアルカディア・ソリエンティ(ラウダウの恋人の友人)も登場している。
彼ら〈惑星改造クラスター〉は火星上空の監視衛星からなる都市国家で、〈王政派〉と呼ばれている。
火星には、弱小派閥が住んでおり、クレーターの土地を巡ってバイオテクロノジーによるクレーター競技会というので競い合っており、〈惑星改造クラスター〉につながっている《梯子》が賞品となっている。
そんな派閥の一つである〈パターン主義者〉のミラゾルが主人公

〈機械主義者/工作者〉の時代――二十の情景

ニコライ・レンの200以上の生涯を、20の断片に分けてスケッチした作品

著者あとがき

著者による各作品の解説が書かれていて、『スキズマトリックス』との関係も触れられている。
この短編集は日本オリジナルで、このあとがきは(およびギブスンによる序文も)日本語版でしか読めないらしい……
影響を受けた思想家として、フリーマン・ダイソン、『宇宙・肉体・悪魔』のジョン・バナール、そして「蝉の女王」内でも何度も言及されているイリヤ・プリゴジンをあげている。
「〈機械主義者/工作者〉の時代――二十の情景」は、バラードやバロウズからの影響を受けているらしい。

訳者あとがき

スターリングに会いに行った夏の思い出について、思い入れたっぷりに語っている。

*1:「巣」では鱗を持っている、くらいしか外見の記述がなかったが、こちらでは爬虫類型異星人と明記されていた

ジェフリー・フォード『最後の三角形 ジェフリー・フォード短篇傑作選』(谷垣暁美・訳)

アメリカの幻想小説ジェフリー・フォードの、日本オリジナル短編集
このフォードという作家のことを全然知らなかったのだが、2000年代に長編三部作が国書刊行会から訳出されている。
本作は、同じく日本オリジナル短編集『言葉人形』に続く日本では2作目の短編集となる。自分は『言葉人形』刊行時に書評を読んで少し気になっていたのだが、結局そちらを読む前に本作を手に取った。
編訳者によると、幻想小説を中心にした『言葉人形』に対して、『最後の三角形』は、SF、ミステリ寄り、ホラー寄りといった多彩な方向性の作品を集めたということだったので、そういう方が面白いかな、と思って。
実際、色々なテイストの作品が収録されているが、どれもはっきりと何らかのジャンルに収まるわけでもない。
短編ながら(短編だからこそか)サスペンスなプロットになっていることが多くて、ハラハラしながら読めることができて結構エンタメしているのだが、その中で、不可思議だったり、怪異だったり、幻想的だったりな描写をたっぷり楽しむことができる。それでいて、人生の味わい(?)みたいなものも感じられたりした。
トレンティーノさんの息子」「最後の三角形」「ナイト・ウィスキー」「星椋鳥の群翔」が面白かった。「アイスクリーム帝国」や「ばらばらになった運命機械」もわりと。

アイスクリーム帝国

共感覚者の少年が主人公
書評記事でも紹介されていた作品で、気になっていた作品。
なお、ネビュラ賞受賞作
様々な共感覚を経験している少年ウィリアムが、コーヒーの味を感じたときに、少女の姿を見る、という共感覚経験をするようになる、という話(共感覚で感じられるのは抽象物だが、それが具体物だったら、というところから着想した作品のようだ)。
13歳のときに初めて彼女を見る。その際は、コーヒーアイスクリームを食べた時。大学生になって、初めてコーヒーそのものを飲んだ際、さらにはっきり見るようになり、なんとその少女アンナと互いに話すことができるようになる。
主人公は、幼い頃、両親から共感覚が理解されず、何らかの精神病を患っていると思われ、無数の怪しげな治療を受け、また半ば世間から隔離されて育てられてきた。
そんな彼の初めての親への反抗が、アイスクリームショップへ行くことで、上述の13歳の時の経験につながる。
また、彼にはピアノの才能があり、それは彼が唯一、安らぎを得られる時間でもあり、次第に作曲家を志すようになり、音楽大学へ進学していた。
彼はその共感覚を作曲活動に活かしていた。
そして、アンナには絵画の才能があって、そしてやはり彼女も共感覚を活かして創作活動を行っていた。
コーヒーを互いにがぶ飲みしながら話すうちに、互いの境遇が非常によく似ていることが分かってくるが、一方で、互いに相手のことを、ある種の幻覚にすぎないとも思っている。
最後、なるほどそういうオチになるのか、という感じだった。
立場の逆転。


共感覚が起きる際にノエティックな感覚というのが生じるらしい。
ゲルスベス音楽大学やヴァリオン島という地名が出てきたのでググってみたら、架空の地名のようだった。

マルシュージアンのゾンビ

主人公の近所に引っ越してきた老人のマルシュージアンは、非常に強い訛りのある英語を話すので当初は何を言っているのか分からなかったのだが、そのいたずらっぽい笑顔から主人公は話をするようになり、話をするうちに、文学談義で盛り上がるようになっていった(主人公は文学を専門とする大学教授)。
親しくなり、引退前の仕事を尋ねると「洗脳者(ブレイン・ファッカー)」だと言うので聞き返すと「心理学者のことさ」と答える。また、以前は政府の秘密研究に関わっていたとも言う。
ある時、マルシュージアンが倒れて病院に運ばれる。亡くなったかと危惧していたところ、回復して家に戻ってきたマルシュージアンから、とんでもない秘密の告白と依頼を受ける。
曰く、彼はかつて、どんな命令にも従うゾンビ兵士をつくる研究を行っていたのだという。それにより、親と妹をこの国に連れてくることはできたが、しかし、親と妹とは二度と会うこともできなくなってしまった。
冷戦終結後、ゾンビを殺すことを命じられたが、そのゾンビも元は誘拐された被害者なので殺すことができず、実は今でも匿っている。ついては、自分が死んだ後、しばらくの間預かっていてほしい、というのである。
主人公はこれまたマルシュージアンの冗談かと思い、帰宅後、妻と笑い飛ばすのだが、マルシュージアンが亡くなった後、何者かが彼の家の戸を叩くのだった。
そして、物語の後半は、なんと本当にゾンビが登場し、彼が自分の記憶を取り戻すまで、密かに一緒に生活するようになる。
小学生の娘がモンスター好きで、マルシュージアンからゾンビの絵をもらっていたり、実際に現れたゾンビともすぐに親しくなったりしている。
なお、ここでいうゾンビの話は、ジュリアン・ジェインズの『神々の沈黙』に由来している。マルシュージアンは、ジェインズのいう二分心が脳の器質的な形状によるものだと考えて研究していたという設定で、人為的に二分心をつくって、命令をあたかも神からの命令のように聞こえるようにした。さらに、何故か老化も止めることにも成功している。
最後、このゾンビが自分の記憶を取り戻したので、家へと連れ帰るのだが、その家にいたのはマルジュージアンの妹だった、というラスト

トレンティーノさんの息子

訳者解説曰く、筆者の経験談を元にした作品らしい。
1970年代前半、主人公は大学をドロップアウトして、グレート・サウス・ベイ(ロングアイランド島の南側)でクラム漁を始める。
隙間時間にSFなどの習作を書いている描写がある。
冬が非常に寒く、漁師たちのあいだで、こういう年は夏が豊漁となる代わりに人が死ぬ、ということが語られる。
実際、その年の春先から豊漁となるのだが、言い伝え(?)通りというか、死者が出る。それが、タイトルにもなっているトレンティーノさんの息子のジミーで、主人公にとっては、中高生時代の後輩であった(主人公が中学生の時にジミーは小学生くらいの年齢差。課外活動か何かで時々会うことがあった程度の関係)。
ジミーもクラムをとりにいって水難事故に遭って亡くなったのだが、その後しばらくして、漁師たちの間で、海の上で彼を見た、という幽霊譚のようなものが出回り始める。
で、主人公も嵐の日に遭遇してしまう。
(幽霊というよりは、少し動く遺体、みたいな感じで描かれている)
主人公も死にかけるのだが、九死に一生を得て、それが1つの人生の転機になって、陸の生活に戻っていった、ひいては作家になった、というお話。
ホラーストーリーではあるのだけれど、恐怖というよりは、モラトリアムの終わりみたいなものが中心に描かれている感じがする。
子どもの頃、父親から教えてもらった海との向き合い方が、彼の人生の指針ともなっていく。また、クラム漁を始めたばかりの頃に溺れかけたところを助けてくれた漁師のジョン・ハンターが、漁師時代、ずっとメンター的存在となっていたのだけど、その後は二度と会うことはなかった、という終わり方をしている。

タイムマニア

1915年7月、オハイオ州ハーディン郡スレッドウィルを舞台にした、ある殺人事件の話。
やはり幽霊譚でもある。遺体との遭遇、という意味で「トレンティーノさんの息子」とも似ているが、死者がもっとアグレッシブ(あ、そういえば、どっちもジミーだな)
主人公のエメット・ウォレスは、寝ていると魔物などの幻覚を見て叫んで起きてしまう、夜驚症を患っている。母親が淹れてくれるタイムのお茶を飲むのが習慣となっている。
タイトルの「タイムマニア」のタイムは、このタイムのこと
ところで、タイムのWikipediaを見てみたら、「ハーブティーとして古くから飲まれていて、ニコラス・カルペパーは、悪夢にうなされる人に効くと書き残している。」とあった。
ある日、無人の農場に入り込んだエメットは、井戸の底に遺体を発見する。行方知らずとなっていたジミー・トゥースの遺体だった。
エメットは、起きているときから、ジミーの姿を見るようになる。
そして、ジミーが何かを訴えていることに気づく。
一方で、日中に人の畑のタイムを貪り食べてしまったことから、タイムマニアという綽名を付けられ、両親を含む町の住人みんなから避けられるようになっていく。
どちらかといえばミステリ的な趣向で、ジミー・トゥースを殺した犯人と、第二の殺人をめぐる物語へとなっていく。
とはいえ、ジミーに連れられて地獄めぐりをするなど、幻想小説的なところも結構ある。
町のみんなから疎まれるようになったエメットのことを、唯一信じてくれるグレーテルという少女が出てくるのだが、微妙に正体がよくわからない。

恐怖譚

エミリー・ディキンスンが死神と取引をする話
ディキンスンの手紙の中に、人に言えない恐怖を抱いていたという記述があり、また、「わたしが死のために立ち止まることができなかったので、死が親切にもわたしのために立ち止まってくれた」という詩があり、それをもとに書かれた作品で、作中、ディキンスンの詩の引用などが多くなされている。
ある晩、屋敷から誰もいなくなってしまい、家族を探しているうちに、謎の男に声を掛けられる。この男がいわゆる死神だったのだが、取引を持ち掛けられる。
本来死ぬべき運命にある男の子を、その母親が何かの呪文によって妨げている。詩の力でこれを解いてほしい。そうすれば、まだ20年以上は生きられる、と。
エミリーは、子守役としてその親子の家に入り込み、さらにその後、解呪のための詩を書くために、永遠に冬の中にある家の中に閉じ込められる。

本棚遠征隊

妖精が見えるようになった主人公が、妖精たちが本棚を登攀していく様子を見ている。

最後の三角形

薬物中毒の主人公が、禁断症状でへろへろになった状態で、誰かの家のガレージへと転がり込む。その家の主人であるミズ・バークレーという老婆が彼を助ける。その厚意もあって主人公もハードドラッグには手を出さなくなる(マリファナはこっそり吸っている)。
そして、ミズ・バークレーからある仕事を頼まれる。
Eを横倒しにしたような記号が描きこまれている場所を、町の中から探し出してほしい、と。
実際、それを見つけ出して、その記号のあった場所を地図上で結ぶと正三角形になる。
ミズ・バークレー曰く、これは「最後の三角形」という魔術なのだという。
術者にとって、誰にも害されない結界になる代わりにその三角形の外へ出ることができなくなる。そして、その術の発動のために、三角形の真ん中で誰かが殺される。
彼女はそれを阻止しようとしていた。
何より、彼女の分かれた夫こそが、「最後の三角形」の術者であった。
一体、この記号は何なのか、この魔術とは一体何で、誰が何のために、というサスペンスで話を引っ張りつつも、主人公のある種の脱出の物語ともなっている。
それはまた、ミズ・バークレーにとっても、何らかの過去との決別でもある。
老人から、生き方の指針を得て、どうしようもない場所から抜け出す、という意味では「トレンティーノさんの息子」とも相似形の話かもしれない。

ナイト・ウィスキー

主人公が、ウィッザー老人の手ほどきで、酔っぱらいを木から落とすための練習をしているシーンから始まる。高校を卒業する年に〈酔っぱらいの収穫〉をする仕事に任命され、そしてその仕事に就くことは、この町では大変名誉なことだという。
そんな、ある種コミカルな始まり方をして、一体これはどんな話だろうと思わせるのだが、この酔っぱらいの収穫は、毎年9月に行われる、この町の習わしの一部であることが説明されていく。
この町には、死苺と呼ばれる木の実があって、その木の実から作られる「ナイト・ウイスキー」という飲み物がある(死苺の採集もナイト・ウイスキーの製法も、それぞれある一家にのみ伝わっている)。9月に行われる祝宴で、くじ引きで選ばれた町民だけがこれを飲むことができる。それを飲むと、深夜2時頃にどこかへふらふらと歩き出し、木の上で眠ってしまう。そして、その眠りの中で、亡くなった者と出会うことができるのである。翌朝、そうやって眠っていた人々を回収するのが、酔っぱらいの収穫人の仕事である。
こうして僕は、収穫人として初めての9月を迎えるのだが、その年は異常事態が起きる。翌朝、ピート・ヒージャントを回収すると、若くして亡くなったピートの妻らしき女性が一緒に木の上から落ちてきたのだ。
ウィッザー老人、保安官のジョル、クヴェンチ医師、同じくその年にナイト・ウイスキーを飲んだヘンリー、そしてぼくは、秘密を抱えることになる。
ナイト・ウイスキーの習わし自体が、奇妙な風習で面白いのだが、その後のスリラー的な展開もまた面白い。そしてこれもまた、脱出の話である。
ナイト・ウイスキーにまつわるあれこれは全て、この地に入植した人々が先住民から教えてもらった、という設定も興味深い。

星椋鳥の群翔

ファンタジー世界を舞台にしたサスペンス
舞台は〈ペレグランの結び目〉という都市で、夏は観光客で賑わうが、冬になると数年に一度、残虐な殺人事件が起きている。被害者の遺体には、無数のひっかき傷と脾臓を取り出されたあとが残っている。犯人は俗に〈野獣〉と呼ばれるようになった。
主人公は、植民地であるアンサー諸島出身の警察で、この殺人事件の専従捜査員に選ばれる。アンサー諸島出身者が警部に昇進できるとあって喜び勇むが、迷宮入り必至のこの事件の担当者という貧乏くじを体よく引かされただけでもあった。
その年の冬は、フォン・ドローム教授が被害者となり、娘のヴィエナが事件の目撃者と考えられた。しかし、ヴィエナは、事件より前、母親が亡くなって以降、喋れなくなっており、彼女から目撃証拠を得ることはできなかった。
以降、助手のジャリコとともに、数年間にわたり、主にヴィエナを尾行するなどの捜査を行う。
ヴィエナは、星椋鳥を飼っており、そしてある時、主人公はヴィエナが飼っている個体を含む星椋鳥の群れが集団で見事に統率のとれた飛翔を行い、そして、一瞬だけ、噴水の情景を描き出したのを目撃した。その後も何度か、そのようなある種の目撃証拠のようなものを見ることになる。
死んだと思われていたヴィエナの母親が実は、とある奇病に冒されていて……というようなところから話は進んでいくのだが、ある種のミステリ的なプロットに、アクションシーンなどもあり、また、主人公も一度事件解決に失敗して、解雇されてしまうという憂き目も見て、結構ハラハラする物語展開で面白かった。
主人公が植民地出身で、彼を助けてくる登場人物たちも、実はこの出身地つながりだったりするのも、世界観に陰影をもたらしている気がする。


イムリーにこんな記事を見かけた
ホシムクドリ、岩手で発見 陸前高田市立博物館の学芸員が撮影 | 岩手日報 IWATE NIPPO
群翔はこんな感じ
Flight of the Starlings: Watch This Eerie but Beautiful Phenomenon | Short Film Showcase - YouTube

ダルサリー

マッドサイエンスとのマンド・ペイジが作った微小人間の都市ダルサリー
瓶詰めになったドームの中に、縮小光線で作った人間を放り込んだら、都市を形成して……という話

エクソスケルトン・タウン

ユーモアSFでバカバカしい設定の話なのだが、最後の展開はなんだか悲哀のあるものになっている。
蟲型の異星人がいる惑星で、交易に来ている人間たちも、その大気圧に耐えるため、外骨格スーツを着ているので、外骨格の町(エクソスケルトン・タウン)と呼ばれている。
何の交易をしているかというと、異星人たちの糞球と地球の古い映画。
糞球は地球人に対して強い媚薬として機能し、地球の富裕層に高く売れた。
それで、一攫千金を夢見た地球人たちが、古い映画のフィルムを持って何人もこの惑星に訪れたのだが、この惑星での映画の流行の予測できなさや、彼らの悪賢い商才によって、なかなか上手くいかないのである。
それからもう一つ、地球人たちがまとう外骨格スーツは、古い映画の俳優たちの見た目を模しているものとして作られており、蟲たちには、俳優本人が来ているかのように思わせている。
主人公は、父親が持っていた秘蔵のフィルム『ナイト・オブ・ザ・リビングデッド』を持ってきたのだが、地球人に対して常習性を持つ「煙」の依存症になってしまい、安値で売ってしまう。そのせいで、地球へ帰る運賃も払えず、この惑星に残っている。
そして、この町の町長からある取引を持ちかけられる。
町外れに住む地球人女性(亡き大使の夫人)が、『雨のせいよ』という映画を持っているのだが、どうしても譲ってくれない。これをどうにかして手に入れてくれないか、と。
こうして彼女の家に訪れた主人公だったが、彼女と、外骨格スーツ越しに(つまり本人とは異なる俳優・女優の見た目で)恋に落ちるのだった。
最終的に、主人公と彼女は『雨のせいよ』と同じ展開をなぞっていくことになる。

ロボット将軍の第七の表情

かつての戦争を率いたロボット将軍の晩年

ばらばらになった運命機械

老宇宙飛行士ガーンと死に別れた妻ザディーズとの物語
様々な惑星の話が出てきて、それ自体は古いSFっぽい感じでもあるが、登場してくるさまざまな種族の描写などは幻想小説っぽい感じがある。
ガーンはかつて惑星ヤーミット=ソビットを訪れて、そこの村の人たちと親しくなり、特にザディーズと近しくなった。一生の絆を結ぶために、試練も受けた。
結婚したのち、ガーンは再び宇宙へ旅立ちたくなり、ザディーズを連れて宇宙へ行くのだが、冷凍睡眠中にザディーズは亡くなってしまう。
ガーンは後悔を抱えながらも、その後も宇宙の旅を続ける。死に瀕した発明家オンスィンの姿を見て、運命から逃れられないだろうかと考える。
そして、老いて隠遁していたガーンのもとに、藍色の肌をした謎の訪問者が現れる。
一方、ザディーズは冷凍睡眠中の夢の中で、ピョンピョン骨動物の民アイユーたちの女王となっていた。
彼女のもとにも、藍色の肌をした訪問者が現れる。
その訪問者の姿をみたザディーズは、さらにその前に見ていた夢で、オンスィンが作った49というロボットと出会ったことを思い出していた。
オンスィンが作った運命機械は、ケトゥバーンによって破壊されたが、その最後のパーツが、ガーンがサディーズへと贈り、そしてサディーズ亡きあとにはその形見としてガーンが身に着けてた歯車のペンダントだった。
と、あらすじをまとめてみても、なんだかよくわからない話だし、実際読んでみてもよくわからない部分は残るのだけど、短編の中に様々な世界が出てきて、その描写がわりと魅力的であった。
バカ惑星とかピョンピョン骨動物とか、そういうひどいネーミングもあるのだが、ヤーミット=ソビットの異世界生態系とか藍色の訪問者の得体のしれない感じとか

イーリン=オク年代記

妖精トゥイルミッシュは、海辺の砂の城が波にさらわれて消えるまでの期間を生きている。
人間からすれば短い時間だが、彼らにとっては非常に長く感じられる時間でもある。
この作品は、そのトゥイルミッシュの一人であるイーリン=オクが残した手記の翻訳、という体裁で、前半3分の1くらいは、妖精学者による序文となっている。
ハマトビムシを忠犬のように飼い、ムール貝の貝殻をベッドとし、鮫の歯と葦の茎で斧を作り、といった感じ。火をつける魔法が使える。ネズミとの戦いが生涯続く。緑色の人形を見張りに立たせている。
太陽が沈み、彼の一生のほとんどの期間は、夜であった。ほかの種族の妖精の母子と出会い、彼らから昼や月などを教えてもらう。
彼らからもらった「昼間」の写真を首にかけながら、最期の時を迎える。

『星、はるか遠く 宇宙探査SF傑作選』(中村融編)

編者が中村融編『宇宙生命SF傑作選 黒い破壊者』 - logical cypher scape2を編んだ際にページ数の関係で見送った「表面張力」を核にする形で組まれたアンソロジー
「故郷への長い道」「タズー惑星の地下鉄」「地獄の口」「異星の十字架」「表面張力」が面白かった。
「異星の十字架」「ジャン・デュプレ」「総花的解決」は、それぞれ植民と宣教、植民地開拓、冷戦下のアメリカの介入的な外交をモチーフにしており、時代を感じさせるところがある。まあそれぞれ面白さはあるところなのだけど、一方、宇宙探査SFというテーマで思ってたものとは違うんだよな感もある。
9作中2作は初訳。

フレッド・セイバーヘーゲン「故郷への長い道」(中村融訳)

初出1961年。初訳
冥王星以遠で採鉱作業をしていた主人公が、細長い構造物を見つける。
宇宙船カタログにも載っておらず、すわ異星人の船かと思われたが、約二千年前の旧帝国で使われていた宇宙船からコンテナが分離したものだと気づく。
何か目ぼしいものがないか調べに行った主人公は、なんとその中で生きている人間たちに出くわす。
「宇宙アンカー」という代物があって、それを使って人力で少しずつ途方もない世代数を重ねて太陽の方へと向かっているという話
世代間宇宙船を外部から見てしまったら、というネタで、(本短編集の)のっけからぞわっとした

マリオン・ジマー・ブラッドリー「風の民」(安野玲訳)

初出1959年。1975年に既訳あり。新訳を収録。
住民のいない惑星に数か月ほど立ち寄った宇宙船。船医が妊娠・出産する。乳幼児はワープには耐えられない。彼女は、父親を明かさぬまま、息子と2人で惑星に残る決断をする。
誰もいないはずの惑星なのに、時々、声が聞こえる。母親はそれを幻覚と切り捨てるが、この惑星で育った息子は、この惑星のどこかに目に見えない住民がいるのだと考えるようになる。
作家自身、ファンタジー要素のある作品を書いてきたそうで、本作もファンタジー的な作品になっている。結末はわりとバッドエンド気味

コリン・キャップ「タズー惑星の地下鉄」(中村融訳)

初出1965年。1976年に既訳。新訳を収録。
ニューウェーブ運動の中、その運動とは反りの合わない、従来型のオーソドックスなSFを集めたアンソロジーシリーズで看板作家だったとのことで、実際、本作もハードSFというかオーソドックスなSFという仕上がり。
《異端技術部隊》シリーズの2作目。なぜ2作目かというと、編者曰く2作目が一番面白いため、とのこと。
異端技術というのは、異星人の技術のことで、それを解明しようとするエンジニアが主人公。軍隊組織の中に属しているが、上層部からは厄介者扱いされている。
で、考古学チームが発掘調査中の惑星タズーに赴いて、その過酷な環境に耐えられる乗り物を開発せよ、という命を受けることになる。
かつては高度な文明を築いたはずなのに、いまや跡形もなく滅び去ってしまったタズー人
その遺構から、地下鉄らしきものを発見するが、その動力がわからない……
タズー人のロスト・テクノロジーを少しずつ推理して解明していく、という話で、主人公は、同じ問題への解決方法は自ずから似てくるはず、分からないものはばらして組み立てるか、実際に動かしてみて理解する、といった基本方針で、どんな異質なテクノロジーにも取り組んでいく。
エンジニアリング系ハードSFって感じで、専門用語だらけで会話が進む
ツッコミ役の部下の軽口も楽しい。

デイヴィッド・I・マッスン「地獄の口」(中村融訳)

初出1966年。初訳
こちらはニューウェーブ運動の拠点となった雑誌からデビューした作家の作品
編者コメントによると、ニューウェーブ運動はセンス・オブ・ワンダー概念に疑問を呈した運動でもあり、本作もそのような作品だという。
ある惑星の高原を探検隊が南下していくところから物語は始まる。
東西はどこまでも同じ景色が続き、南下していくにつれて次第に斜度が傾いていき、ついには崖へとたどり着く。
斥候隊がその崖を降りて行ったところ、一人は痙攣の発作を起こし、隊は引き返そうとするも、一人は正気を失い、さらに崖を降下していって消息を絶った。
ある種のガスによるものだろうとされるが、この仕組みを解明するとかそういうのはない。
その後、この惑星には観光用の拠点なども作られたようだが、崖は人の訪れない地のままとなっている。
この惑星の独特な風景はワンダーなもののような気もするが、人類の侵入も理解も拒む自然がただ超然とある感じで、物語的な起伏はあまりないかもしれない。

マーガレット・セント・クレア「鉄壁の砦」(安野玲訳)

初出1955年。1980年に2種類の既訳あり。新訳を収録。
編者あとがきにもあるが、ディーノ・ブッツァーティ『タタール人の砂漠』(脇功・訳) - logical cypher scape2を想起させる作品。
辺境の砦に着任してきた士官。最初は出世かと思ったがすぐに左遷だったと気付く。司令官をはじめ、どこか全体的に態度の緩んでいる砦。敵の姿も全く見えない。
査察が来るとの話を受けて、司令官からその準備を命じられるが、砦の石垣が崩れた部分についての修復を申し出ると、それはしなくていい、と言われる。
査察当日、査察官すらその部分は見て見ぬ振り。
主人公はたまらず、その石垣を修復させるのだが、後日、そこが見たこともない物質へと置き換わっていた。司令は、それこそが敵からの攻撃だという。
タタール人の砂漠』は、本当にひたすら何もない時期が続くわけだが、こちらは、司令官は実はわざと何もしていなかった、という話になっている。
最後、主人公も置き換わってしまうというオチ。

ハリー・ハリスン「異星の十字架」(浅倉久志訳)

初出1962年。1974年訳出。
ある惑星で、知識欲旺盛な先住民との独占的な商取引を確立しようとしていた商人。
そこに別の宇宙船がやってくる。一体何者かと思っていたら、最悪なことに、やってきたのは宣教師であった。
この惑星の文明レベルは、まだ宇宙旅行ができるまでには遠く及んでいなかったが、それでもそれなりに高度ではあった。それは彼らが高い論理的思考力を持っていたら。一方で、彼らは宗教や神話の類を一切持っていなかった。目に見えない存在を全く信じていなかったし、そういうものへの想像力もなかった。
だから、彼自身も信仰を持たない商人は、宗教についての知識をまだ教えるべきではないと考えていた。
しかし、知識欲に対して貪欲な彼らは、宣教師から熱心に学んでいくことになる。
そして彼らは、宣教師と商人からそれぞれ得られた知識が両立しないことに気づく。両立しない以上、どちらか一方だけが真実のはずである。それを確かめる方法は一つ。神の奇跡が起きればよい。聖書に書かれている神の奇跡とは、イエスの復活である。
というわけで、最後にブラックなオチが待っている。

ゴードン・R・ディクスン「ジャン・デュプレ」(中村融訳)

初出1970年。1977年に既訳あり。新訳を収録。
植民者と先住民の軋轢の話
編者は、最初の邦訳をした岡部宏之の、ディクスンはタカ派のようだが本作はそれに対する疑問のようなものが感じられる旨のコメントを引用し、ここでいうタカ派というのは、西部開拓時代のフロンティア精神の体現、時に右翼的・暴力的に見えることがあるということだろう、と書き加えている。
実際、この作品の植民者は、西部開拓時代のアメリカ人がモデルなのだろうなと感じられる。
主人公は、この惑星を巡回している軍人兼保安官
この惑星の先住民は、若者でいるとある年齢の期間だけジャングルで暮らし、徒党を組みながら互いに相争う。それが成人にいたる儀礼ともみなされている。
先住民と植民者である地球人は基本的に共存関係にあるが、この若者らは地球人であろうと見境ないので、主人公たちがパトロール活動をしている(この惑星の住民は、地球人のような銃を持たない)
タイトルのジャン・デュプレというのは、主人公が出会う7歳の少年
彼は、父親に銃を持たされながら、一方で先住民の言葉にも通じている。
植民者たちが先住民の若者たちに追い込まれる。この少年が次第に防衛の要になっていく。おそらくこの少年の内面ではアイデンティティの揺らぎというか、葛藤がすごくあるはずなのだけれど、それは直接的には描かれない。状況に対して完全に無力な傍観者となった主人公の観点でだけ、戦況が描かれていく。
主人公は何もできずにただ戦況を見守るしかできない、という形で描かれていくのが面白かった。

キース・ローマー「総花的解決」(酒井昭伸訳)

初出1970年。1999年に訳出したものに手を入れた新バージョン。
ドタバタ・ユーモアSF《レティーフ》シリーズの中の一作
これもまた当時のアメリカのメタファーというかパロディというかなんだろうなあ、という感じの作品
訳者曰く「アメリカ宇宙SF版『エロイカより愛を込めて』」とのことで、確かにそれはわかりやすい喩えかもしれない。
ある惑星の領有権を巡って異星人同士での紛争が起きそうだ、となり、地球側は、外交官を送り込むことになる。
その外交官の部下として一緒に行くのがレティーフ、という本シリーズの主人公。上司が無能で、それをレティーフがうまく解決していく、というのが基本的なストーリー
出てくる異星人も、古いSFに出てきそうな、昆虫型のいかにもな異星人だし、この上司も、いかにもコメディに出てくる、夜郎自大だけれどビビリなタイプのキャラクター
SFネタとしては、その惑星は、動物がいないと思われていたけど、実はその惑星をおおう植物が全体で一つの個体でしかも知性を持っていた、と。おしゃべりが大好きなので、惑星に着陸してきた他の知性体を逃がそうとしない。
ティーフはそれを逆手にとって、うまく紛争を解決することに成功する

ジェイムズ・ブリッシュ「表面張力」(中村融訳)

もともと2つに分かれていた中編(それぞれ1942年、1952年)を一つにまとめなおした作品(1957年)。1967年に既訳あり。新訳を収録。
本短編集収録作品の中で一番古い作品かと思うが、読んでみるとなかなかグレッグ・イーガンみを感じさせる作品だった。
プロローグ、第一周期、第二周期の3つのパートに分かれており、元々は、第一周期にあたる部分と、プロローグ+第二周期にあたる部分とで別々に書かれたらしい。
プロローグでは、人類播種船がとある惑星に不時着する。彼らは、この惑星に適応した人類を作りあげる。
で、第一周期と第二周期は、この作られた人間たちが主人公となるわけだが、彼らはなんと水中の微生物として生きている。
ワムシが天敵で、原生生物たちと共存しているのだ。
原生生物たちは言葉を喋ることができるようになっていて、ミニ人間たちと協力関係にある。というか、この世界に「協力」概念をもたらしたのがミニ人間たちで、彼らが原生生物たちと力をあわせてワムシと戦争するのが、第一周期の物語となる。
ちょっと、庄司創のマンガ「パンサラッサ連れ行く」を想起したりもした。こっちは擬人化されていないけど。
でもって、第二周期の方では、ミニ人間たちはこの水中世界の外へと踏み出すことになる。
もともと、播種船の人々が、将来のために彼らに伝えたい情報を彫り込んだ金属板を残していて、ミニ人間たちは、どうもこの世界の外にも世界があるらしいというのは何となく知っている。また、原生生物たちは、人間たちが現れる前のことを覚えていて、人間たちが異質な存在だということに気付いている。
ただ、この金属板を管理して知識を司っているシャーという人物以外は、あまりこのことを気にかけていなかった。
リーダーであるラヴァンも、金属板に書かれていることは伝説か何かであって、そんなことよりももっと実用的な知識が大事だと思っていた。のだが、ある時、空(水面のこと)の向こう側へ突破することに成功する。
彼らは、空の向こうへ行くための船を作り始める。
クロサイズの人間たちが、ミクロサイズで分かる範囲で世界を記述しているあたりが、イーガンの『白熱光』あたりを想起させる。例えば、上述したけれど、彼らは水面を「空」と呼んでいる。また、ミクロサイズなのでこの水面を突破するのがそもそも非常に難しかったりする。播種船によって水中生活者として改造されているので、空気中に出ると呼吸できなくなるし。
そんな中、しかしあの空の向こうに未知の世界があるようだと気付き、そのために船を作って、そして実際に突破に成功するし、最後に、知識こそが力なんだってなるあたりにも、イーガンっぽさを感じる(多かれ少なかれ多くのSFに共通する要素でもあると思うけれど、知的探求に価値を置くところにイーガンみを感じる)

戦間期アメリカ文化(過去のブログ記事からなど)

常松洋『大衆消費社会の登場』 - logical cypher scape2は、戦間期アメリカの文化を考えるうえで、そのベースとなる社会構造などについて知れるよい本だったが、文化そのものについては手薄だったので、なんかいい本ないかなーと探しているのだが、それはそれとして、過去に自分が読んだ本から関係しそうなところを分野別にサルベージしてみることにした。

  • 文学

といいつつ、いきなり過去に何も読んでない分野からいくが。
戦間期アメリカ文学というと、フィッツジェラルドヘミングウェイなどの、失われた世代だろう。
彼らの作品も未読なら、そもそも彼らについてもあまりよく知らない。
パリに滞在していた時期が結構あるようなので、むしろ当時のパリについて書かれた本の中でちらほらと名前を見かけた。
また、同じくアメリカ人で、パリで美術家たちのパトロンとなっていたガートルード・スタインが「失われた世代」の命名者であるらしい。
断片的に名前を見ているだけなので、全体を概観したい(いつからいつまでパリにいたのか、とか)。


メインストリーム文学とは別に、この時期はまたSFの確立期でもあるだろう。
ガーンズバックの『アメージング・ストーリーズ』が1926年、『アスタウンディング』が1930年にそれぞれ創刊されているようだ。
このあたり、いずれSF史の本を読みたい。

  • 美術

第7章 パリからニューヨークへ―アメリカ美術の胎動 沢山遼
第一次大戦勃発後に渡米したデュシャンとピカビア、これにアメリカ人のマン・レイで「ニューヨーク・ダダ」なんだけど、これ、自分たちで名乗ってなかったのだな。
これに続いて、機械や工場、摩天楼をアメリカの「原風景」として、キュビズムっぽく幾何学的に描くプレシジョニズム
写真家のスティーグリッツがギャラリーを開いて、ヨーロッパの作家だけでなく、ダウやオキーフなどアメリカで抽象画を描いていた作家が発表する
オキーフは、動物の頭骨とかの絵を描く人で、そういったものがメインだけど、20年代にはやはりプレシジョニズム的な都市を幾何学的に描く作品もあったらしい
一方で、写実主義へ回帰しつつ社会問題を描く「アメリカン・シーン」
メキシコ壁画運動や、失業対策の連邦美術計画
シュールレアリストたちの渡米
一方、彫刻分野では、1930年代にカルダーやイサム・ノグチが登場してくる
林洋子編『近現代の芸術史 造形編1 欧米のモダニズムとその後の運動』 - logical cypher scape2

ニューヨーク近代美術館は、世界の「近代美術館」のモデルとなったが、それまでに近代美術館的なものがなかったわけではなく、初代館長のバーは、ケルン、ベルリン、エッセンの美術館を視察している。
1936年、ニューヨークでは「キュビスムと抽象芸術」展が開催
(中略)
アメリ
1930年代半ばから抽象芸術への公的評価が高まり、コレクションが形成され、展覧会も開かれるようになる。
アメリカの抽象画家には、マクドナルド=ライト、ラッセル、ダヴ、オキーフがいるが、ダヴやオキーフにとっては自然とのつながりが重要だったので、のちに具象へ回帰
(中略)
1915年、デュシャンのニューヨーク移住により、ニューヨーク・ダダの動きが始まる。ピカビア、クロッティ、マン・レイ
デュシャンレディメイド、大ガラス、ロース・セラヴィ
(中略)
シュールレアリスム
ジョゼフ・コーネルにも少し触れられている。
井口壽乃・田中正之・村上博哉『西洋美術の歴史〈8〉20世紀―越境する現代美術』 - logical cypher scape2

アメリカの美術というと、第二次大戦後の抽象表現主義の印象が強いけれども、戦間期戦間期でまあ色々あることはある。
第一次大戦前後で、ニューヨークとパリの間で人の行き来があるな、という印象で、これは文学の話とも通じるところな気がする。
戦後になると、美術や文化の中心地がパリからニューヨークへ移行する感じだけど、戦間期の、このニューヨークとパリの距離感というのがどんなもんだったのかな、というのは気になる
ティーグリッツやオキーフも断片的に知っているだけなので、もう少し何か概観がわかるといいのだが。

  • 音楽

大和田俊之『アメリカ音楽史』 - logical cypher scape2

第2章 現代の音楽2―リズム、ビート 小沼純一
あと、マイクの発明によって、声が大きくなくても歌手として成立するようになった、と(フランク・シナトラボサノヴァ


第3章 現代の音楽3―混血性 小沼純一
この章は「アフリカン・アメリカンの音楽」「ブラジルの音楽」「『ラプソディー・イン・ブルー』」「アコーディオン」「『ノヴェンバー・ステップス』」について書かれている
森山直人編『近現代の芸術史 文学上演編2 メディア社会における「芸術」の行方』 - logical cypher scape2


ジャズをはじめとするポピュラー音楽あれこれの重要人物や流れが、あんまり頭に入っていない

  • 映画

第6章 映画1―古典的ハリウッド映画の功罪 北大路隆志
古典的ハリウッド映画によって形成された「映画の文法」について
グリフィスによる映画文法の確立
第8章 映画3―「夢の工場」の発展と盛衰 北大路隆志
エジソン社をはじめとする東海岸の「特許」による独占から西海岸へと逃げてきた新興勢力によって作られたのがハリウッド
1930年代のプロダクションコード(ヘイズコード)とスタジオシステムの確立

森山直人編『近現代の芸術史 文学上演編2 メディア社会における「芸術」の行方』 - logical cypher scape2

この時代の有名な映画人というと以下のあたりか。
グリフィス
 『国民の創成』(1915)『イントレランス』(1916)
チャップリン
 『キッド』(1921年)、『黄金狂時代』(1925年)、『街の灯』(1931年)、『モダン・タイムス』(1936年)、『独裁者』(1940年)
フェアバンクス
 『奇傑ゾロ』や『ロビン・フッド』などの冒険活劇映画でヒーロー役


グリフィスとチャップリンは、断片的に作品を見たことがあるが、ちゃんとは見たことないなあ……


ギャング映画やミュージカル映画

一九世紀アメリカで誕生した。本書はその本質を音楽に注目して探る。ティン・パン・アレーのブロードウェイへの音楽供給から、一九二〇年代のラジオの流行、統合ミュージカルの成立、
ミュージカルの歴史 -宮本直美 著|新書|中央公論新社

この本、未読だが、いずれ読みたいと思っている。
ポピュラー音楽史との関連からも面白いらしいし。

ブラックトンの『愉快な百面相』(1906)について
P.T.バーナムが作った「アメリカ博物館」をはじめとして、見世物小屋的な「博物館」が多く生まれていた。
『リトル・ニモ』(1911)について
『恐竜ガーティー』(1914)
フライシャー兄弟の『インク壺から』シリーズ、その中の『ウィジャ・ボード』(1920)
、軍事教育アニメーション
『蒸気船ウィリー』(1928)
ベティ・ブープの作品である『ミニー・ザ・ムーチャー』(1932)
細馬宏通『ミッキーはなぜ口笛を吹くのか』 - logical cypher scape2

歌や演奏、芸などのライブ・パフォーマンスが、次第に録音や映像などに移り変わっていく、ということが映画館の歴史
(...)
アメリカにおける初期の映画館においては、観客がスライド上映にあわせて合唱する、ということが行われていたらしい。あるいは、ユダヤ人地区ではイディッシュ映画が、イタリア人地区ではイタリア映画が上映されるなど、エスニック・コミュニティを成立させる場としても、映画館は機能していたという。
(...)
時には、映画館そのものが、享楽の対象となる。
例えば、1915年頃に誕生する、映画宮殿(ピクチュア・パレス)などは、その名の通り、映画館自体が非常に巨大で、豪華な装飾を施されており、設備も充実し、ドアマンや案内係までいたというのである。
加藤幹郎『映画館と観客の文化史』 - logical cypher scape2

ボードヴィルやらニッケルオデオンから映画館へ、という流れ

  • 恐竜

第二章 巨大妄想
19世紀におけるクジラの怪物性(ダーウィンメルヴィル
メルヴィルガラパゴス島体験とダーウィンへの批判・皮肉
バートルビーこそが未開の地の生物?
マニフェスト・ディスティニーと恐竜ゴールドラッシュ
アメリカの巨大妄想
地層や絶滅という概念の浸透。地球というテクストを読む古生物学者と地球空洞説SF
コープとマーシュの争いからバーナムへといたる、博物館文化と見世物文化の合流
バーナム・ブラウンの名前はP.T.バーナムにちなんでいる、というホントかウソかよくわからない話が……
巽孝之『恐竜のアメリカ』 - logical cypher scape2

コープとマーシュは19世紀の人だが、バーナム・ブラウンは主に20世紀前半の人
1902年に記載されたティラノサウルス・レックスを発掘している(論文書いてるのは多分オズボーンか)。
コープとマーシュの化石戦争で恐竜のイメージは広がったのだと思うのだけど、この時点では、ティラノサウルス・レックスは未発見なわけで、おそらく20世紀初頭に、現在に至るティラノサウルスの大衆的イメージが確立するのだろうと思われるのだけど、そのあたりの表象史は気になる。
恐竜表象というと、1851年のロンドン万博が嚆矢だろうが、海野弘『万国博覧会の二十世紀』 - logical cypher scape2を読む限り、20世紀のアメリカ開催の万博では、恐竜がメインコンテンツだった気配はない。
あと、上記にある通り、「見世物」から「博物館」へ、といった流れのことも気になる。
でもって、チャールズ・ナイトか……。

19世紀末、パレオアートを発展させた成果として、本書はアメリカ西部での恐竜化石の大量の発見などと並んで、チャールズ・ナイトの存在を挙げる
ナイトは、アメリカ中の動物園や博物館に作品を作り、1935年からは本も出している。
復元プロセスについて広範に書いた初めてのパレオアーティスト
影響力は非常に大きい。
例えば、1925年の「ロスト・ワールド」や1933年の「キングコング」だけでなく、1960年代のハリーハウゼン作品にも影響を与えている。
「パレオアート小史」(Mark Witton”The Palaeoartist's Handbook”1章) - logical cypher scape2

ナイトは科学的な知見に基づいて恐竜の絵を描いているわけだけれど、1920年代にはこんなのも

あと、1920年代に古生物トレーディングカードがお菓子のおまけについていたんだなーっていう。
「恐竜図鑑―失われた世界の想像/創造」展 - logical cypher scape2

まさに消費社会と大衆文化だ!

恐竜と怪獣と人類のあいだ――恐竜表象の歴史をたどって / 中尾麻伊香
19世紀の小説→20世紀前半の映画→20世紀後半の映画で、どのように恐竜表象が移り変わっていったか
(...)
(2)20世紀前半の映画
『ロスト・ワールド』(1925)『キング・コング』(1933)
マーシュとコープの発掘競争によって発見された恐竜が登場する
どちらも秘境探検映画
未開の地に人間が訪れる。危険な存在ではあるがそこまで恐れるものではないものとして描かれている
(...)

恐竜とハンティング――「赤ちゃん教育」から「ジュラシック・パーク」まで / 丸山雄生
赤ちゃん教育」という1930年代のスクリューボール・コメディ映画の主人公が、何故古生物学者だったのか。
いわゆる専門バカである学者が、恋愛コメディにおけるカリカチュアだったと監督は述べているが、本論では、それ以上に当時、オズボーンなどによる恐竜と博物館のイメージが関係していると論じている。
それは化石ハンターとしての古生物学者像であり、「ハンティング」というものがもつ、男らしさなどが象徴されているとしている。
『現代思想2017年8月臨時増刊号 総特集=恐竜』 - logical cypher scape2

1920年代には、ロイ・チャップマン・アンドリュースによるゴビ砂漠遠征も行われている(後に、インディ・ジョーンズのモデルとなる)。
バーナム・ブラウンやアンドリュースのボスが、アメリカ自然史博物館のヘンリー・オズボーンだったはず。多分、ティラノサウルスの大衆的イメージ確立のキーマンはオズボーンのはず。

  • その他

禁酒法とギャングの時代でもあるわけだが、このあたりも全然知識がない。
常松洋『大衆消費社会の登場』 - logical cypher scape2で、メジャーリーグの話が少し触れられていた。野球全く分からんけど、ベーブ・ルースとかもこの時代だよなあ。

  • 哲学

第9章 ハーヴァードにおけるプラグマティズム 一八七八―一九一三
ウィリアム・ジェイムズについて
第10章 シカゴとニューヨークにおける道具主義 一九〇三―一九三四
ジョン・デューイについて
第11章 専門職的な実在論 一九一二―一九五六
ジョージ・サンタヤナ、そして、アーサー・ラブジョイ、ロイ・ウッド・セラーズ
C.I.ルイス
第12章 アメリカに対するヨーロッパのインパクト 一九二八―一九六四
この章では、1930年代頃のアメリカの大学の安定と停滞について触れ、ヨーロッパからのインパクトとして「フランクフルト学派」「論理経験主義」「実存主義」の3つを挙げている。
ブルース・ククリック『アメリカ哲学史』(大厩諒・入江哲朗・岩下弘史・岸本智典訳) - logical cypher scape2

そういえば、ウィリアム・ジェームズと『ねじの回転』のヘンリー・ジェームズが兄弟だというのを最近知った。
分析哲学前夜、という感じの時代だよなあ。

常松洋『大衆消費社会の登場』

19世紀後半から1920年代頃までのアメリカにおける、大衆消費社会の成立について
1920年代頃に、現代まで続く形の社会や文化が成立したといわれるが、それがよく分かる(およそ100年たっていて、また転換期にあるのかな、という気もするが)。
企業活動の再編という話から始まって、それがどのように流通・消費の過程に変化をもたらし、いかに生活方法や価値観の変化へとつながったのか、という流れで論じられていく。
短いけど面白い本だった


資本家でもなければ、肉体労働者でもない、中産階級が拡大していく
中産階級中産階級たらしめていたのが、消費社会・消費文化
その一方で、中産階級による革新主義という政治運動の流れやヴィクトリアニズムという価値観が、娯楽や消費にも影響を与える(健全化など)し、逆に伝統的価値観にも変容をもたらす。

1.大量生産の時代

19世紀後半からアメリカが急速な経済成長を遂げる(鉄道網の整備、製造業の拡大)
過剰供給により価格下落。
価格協定が非合法化されるも、逆に大きな単位での企業合同が促進
一方、流通市場が未整備
これらの要因により、製造業が販売まで手がける「垂直統合」の流れが進む
ここで、具体的に垂直統合した業種の例として第一に挙げられていたのが「ミシン」であった(そのほか、農機具、車両、自転車、さらに生鮮食料品や嗜好品と続く)
具体的な企業名は本書にはなかったが、これはシンガー・ミシンだろうとピンときた
(シンガー・ミシンの名前は青柳いずみこ『パリの音楽サロン――ベルエポックから狂乱の時代まで』 - logical cypher scape2海野弘『アール・デコの時代』 - logical cypher scape2海野弘『万国博覧会の二十世紀』 - logical cypher scape2でつづけて目にしていた)
シンガー・ミシンの公式サイトに社史があったので一部抜粋してみる

1853 シンガーミシン1号機を100ドルで発売
1855 海外進出開始。シンガーミシン、パリ万国博覧会で最優秀賞受賞。
1856 月賦購入制度、分割払い販売等を考案
1863 シンガー裁縫機械会社として法人会社となる。
1906 シンガーミシン裁縫女学院を東京・有楽町に開校。
1927 アメリカで、シンガー・ソーイング・センターを設立。 裁縫課程も設ける。
http://singer.happyjpn.com/naruhodo/history/

法人化や月賦購入の話は、下にも出てくるが、それらに先駆けている
学校を作っているのもちょっと面白い


19世紀後半の経済再編のなか、法人にも憲法上の「人格」が認められ、企業の法人化が進む
一方、労働争議も盛んになっていくが、労働者の抵抗運動に対して、企業側による効率化の動きが進む
先陣を切ったのが、フォード
製品の標準化が進み、分業が徹底され、組み立てライン方式が導入。この方式は労働者を消耗させ、不満を増大させたが、効率化による労働時間の短縮と昇給がもたらされる
とはいえ、その高い給与を得るためには、勤勉・節酒・清潔などの徳目を達成することが課せられた


高い給与は、労働者を、大量生産された商品を買う消費者へと変えた
そして、自動車の売上トップは、フォードからGMへと変わる
良いものを作れば自然と売れる、というのがフォードの戦略だったのに対して、
GMは、経営・デザイン・金融・宣伝を重視
月賦購入ができるようにして、広告と頻繁なモデルチェンジを行うなどした

2.大量販売・大量消費

宣伝が重要になる
雑誌の大衆化路線(部数の増加による読者層の拡大)により、広告が重要な収入源に
贅沢品が宣伝され、そして昨日の贅沢品が今日の必需品になっていく(歯ブラシや自動車)
宣伝により商品を購入してもらうには、銘柄が大事になる
そのために、商標を保護するための立法がすすむ
売店の近代化・専門化はなかなかすすまず、1920年代まで小売の売上3分の2は「母ちゃんと父ちゃんの店」という小規模な店によるもの
つけ払い、金の貸し借り、手紙の代筆や仕事や住宅の紹介などの役割を果たす場所であり、そして、銘柄商品を売りたい企業とは緊張関係にある
こういう店は、商品はカウンターの後ろに並ぶので、店主が客に商品を渡す。また、銘柄商品の利潤率が低かったので、小売がこれを嫌がるというのもあった。
それで製造業側から小売への妥協もあった(マージンの引き上げなど)
先の章で、垂直統合の話があったが、完全に製造業側が小売まで制圧できたわけではない、という話
あと、銘柄商品は缶詰・瓶詰めされていて試食ができないので、消費者側に不安がられたとか。異物混入系の都市伝説みたいなのが出回っていたようだ(元はそういう小説があったらしい)


伝統的価値観との関係
女性解放の時代であったが、売る側は女性は家庭にいるべきという価値観を利用
また、家事の効率化はしかし省力化にはつながらず。むしろ、家事の基準が高くなり、主婦に対して、家庭の清潔・衛生・健康に対する義務感を植え付ける。
また、単なる倹約ではなく経済性が重視され、月賦購入も普通になり、借金は恥ではなくなった
移民のアメリカ化をすすめたのも大量消費社会。フロンティア開拓による土地所有に変わり、耐久消費財の所有が中産階級の証に

3.消費文化と政治・社会

移民とアメリカ化
消費資本主義は移民のアメリカ化を促す。アメリカ化とはアメリカ的生活方法への同化。
ここでは、チェコスロバキアからの移民女性がアメリカに移住してきて、スーパーマーケットで商品を買い漁ったエピソードが紹介される。それらの商品は、かつて彼女がウィーンで小間使いをしていた際にラベルを見ていた商品だった。中東欧では階級に阻まれて享受できなかった豊かさをアメリカではお金さえあればその消費活動の一員になることができた、と。
西欧からの旧移民に対して、中東欧からの新移民は、英語が話せず、カトリックユダヤ教徒だったため、排斥運動も生じてくるが、一方で、同化の可能性も探られていた。


革新主義
世紀末転換期において「革新主義」という改革運動が進行する
州の分権から連邦政府による介入へ、という動き
これは、経済活動の再編で、企業活動が州をまたがったものになってきたこととも関係する
女性参政権やボス政治家の打倒、所得税、鉄道・トラストの規制、最低賃金制、禁酒法、人身売買(売春)禁止法などなどが挙げられる。
これらは移民のアメリカ化の手段でもあった。
そして、この革新主義運動を担ったのは、都市の中産階級であった。


都市中産階級
世紀末から急速に増加した都市中産階級
彼らを特徴づけるのは難しく、研究者はおおむね収入で定義しようとする
革新主義は、それ以前の農民中心のポピュリズムと対比される。ポピュリズムは生産者中心の運動だったのに対して、革新主義は消費者中心の運動。
生産者は、階級・職種により利害対立があるが、消費者はそのような利害対立がない。
都市中産階級は、アイデンティティが曖昧な存在でもある。
肉体労働者と比較すると、収入は格段によくて、特に住居に差があり、郊外に一軒家を持つことができた。
大量消費社会において、家庭から生産機能を奪う(かつては家庭で生産していた石鹸等の日用品は購入されるようになる)。夫は働き、妻は家庭という役割分担が定着する。乳幼児の死亡率低下や、相対的に裕福な地位を維持するため、少子化・晩婚化が進む(前の章でもあったように、主婦が家庭を支えて、家族の健康等のために消費活動をする、というようになる)
中産階級の増大は、企業の大規模化でもあり、その中で、個々の労働者の自主性などは失われていくようになる。労働そのものに労働の価値が感じられなくなり、むしろ、労働で得られた収入で何を消費するか、に労働の価値を感じるようになる。
革新主義は、連邦政府が国民の生活へ介入していく動きであるが、家庭が担っていた公的領域と私的領域が分離していく。
アイデンティティの不安を抱える中産階級は、娯楽の世界に自らの帰属を見出す。
娯楽の世界を通じて、移民のアメリカへの同化も促される。

4.ヴィクトリアニズムの動揺

ヴィクトリアニズムは中産階級を中心に遵守されてきた価値観
体面を重んじ、規律正しさ、勤勉、節制、純潔などを重視する
WASPであることが条件
家庭を通して個人は公的活動に結合すると考える


ヴィクトリアニズムは、主婦だけでなくメイドの存在にも支えられていた
が、世紀末になり、メイドの供給源だった若い移民女性が、メイドを避けるようになる(賃金による理由もあれば、住み込みによる束縛を嫌うという理由もある)
核家族化とメイドの不足により、主婦は孤立化し、より資本主義の支えが必要となる


ヴィクトリアニズムの動揺を示すものとして、離婚率の上昇がある
女性解放によるとも考えられていたが、この時期、実は結婚数も増えている。
結婚数が増えたことにより、離婚も増えたと考えられる
結婚が増えたのには以下のような理由がある。
売春禁止法と避妊の一般化により、夫の買春の根拠が失われ、ロマンティックな結婚観が実現
教育制度の充実や経済面での効率性から、結婚や就学・就職の適齢期という考え方が定着
また、洋服や化粧品が安価になり、上流階級でなくとも淑女になることが可能に
一方、労働からの疎外で、労働から「男らしさ」が失われ、男性が家計を支えることに男の面子があるという、ヴィクトリア的価値観が逆に強化される側面もあった。


若者の伝統的価値観への反逆
自動車や映画の出現に求められることもあるが、それ以前に、若さへの崇拝が、「若者の反逆」につながったとみる。
家庭の公的機能の喪失、ロマンティックな結婚観の実現により、家庭はより情緒的なものになっていく。親子関係もより民主的なものへ。
また、適齢期という意識の高まりや生産効率性への意識から、老齢への忌避感が生じる。
これらが「若さ」への崇拝をもたらす。
1920年代の若い女性=フラッパー
化粧品・ストッキング・喫煙、これらはかつて娼婦の習慣だった
コルセットをなくし、扁平な胸を強調し*1、スカート丈を短くする
→伝統的な良妻賢母理念への拒否、未成熟な(若い)身体の理想視
しかし、人はいつまでも若くはいられない。その軋みが離婚としてあらわれていたのではないか、と。

5.男女交際・娯楽・消費文化

5章で扱われるのは、仮想階級の文化がより上流階級へと広がり、新しい娯楽はヴィクトリアニズムと衝突し問題となるが、次第に健全化していく、という流れ


19世紀において、男女交際は母親が複数の男性を家に招待するところから始まる。
メイドや広い邸宅が必要だった
むろん、家が狭く人を招くことができない労働者階級などでは話が別。
「デート」はもともと売春を意味する業過用語
次第に、商業娯楽施設での男女交際のあり方をさす言葉になる(男性が遊園地、映画館、ダンスホールなどの施設の入場料や食費を払う、という金銭を介在させた交際)
下層階級では19世紀前半からあったが、世紀末には、より上流に広がっていく
教育の発達により、同年代の友人と過ごす時間が増えたことが要因
(リースマン『孤独な群衆』にある、同輩集団(ピア・グループ)の重要性の指摘)
流行に乗り遅れないように、という動きから


19世紀前半の娯楽施設である劇場では、階級が混淆していた(異なる階級でも同じ劇場に入る(座席は違うとしても))。
19世紀半ばとなると、階級によるすみわけができる(上流階級はオペラなど、下層階級は見世物など)
世紀末にまた変化
余暇時間の増大
労働時間の減少だけでなく、電化により、夜が余暇時間になったこと
→ダンスの流行
モンキー・グライド、フォックス・トロット、バニー・ハグ、グリズリ・ベアなどの「野生」のリズム


映画の流行
安価であり、また当初はサイレントで英語がわからなくても見れたため、まず労働者階級から広まる
内容や映画館の環境(暗い空間に男女がいる)が問題とされた
検閲局が結成されることになるが、映画業界はむしろこの流れを利用
映画作品の品位を確立することで、中産階級に客層を広める目論見で、実際、国産映画が増加
一方で、映画は酒場から客を奪うことで、禁酒的な機能をもっていたので、内容や環境が改善されれば、むしろ歓迎されるように。
長老派の牧師による映画賞賛
1920年代、中産階級の娯楽として確立
メアリ・ピックフォード、クララ・ボー、ダグラス・フェアバンクス・ジュニア、チャップリンなどのスター輩出
「パレス」と称される壮麗な映画館
女性一人でも安心して入れる施設に
また、酒場も清浄化され、女性が一人でも入れるようになっていく。


映画界は、ヘイズを長とする検閲機関を自ら設立
プロ野球は、ブラック・ソックス・スキャンダルからの立ち直りをめざし、コミッショナー制度を設立
中産階級の革新主義の流れにのって、健全な娯楽・正しい消費へと、進んでいった。

*1:海野弘『アール・デコの時代』 - logical cypher scape2でも、それまでのコルセットによる胸の強調に対して、1920年代はその反動が見られたとの記載があった。なお、1920年代後半には再び胸を強調する下着が登場してくるという話だったかと

田之倉稔『ファシズムと文化』

イタリア戦間期の文化(文学・美術・音楽・映画・建築)をファシズムとの関係から見ていく本
イタリア戦間期の文化、断片的に何人か名前を聞いたことある程度だったので、概観するために読んだ。ネオレアリズモがファシスト政権時代に萌芽があったとか勉強になった。
しかし、イタリア人の名前むずい。というか、慣れてないから、何人も並ぶとよく分からなくなってくる。


色々な芸術家とファシスト体制との関係・距離感みたいな話で、当たり前だが人によって色々ある。
国からの支援を引き出すために戦略的にファシストになるという選択もあり、しかし、それによって完全に体制に飲み込まれていく人もいれば、体制の中での抵抗を示す人もいる。あるいは、反ファシズムに転ずるわけではないが、中立的な距離を保つ人、そしてもちろん、反ファシストな人もいる。
あえてファシストになる人だけでなく、もちろん、そもそも思想がファシストと近くて一緒になる人もいるし、そもそもは近かったのだけど、離れていく人もいる。

時代概念としてのファシズム

ファシズム」という言葉は拡大解釈されて、色々なものをファシズムと呼ぶようになっているけれど、本来は、戦間期のイタリアの政治思想を指す。
しかし、そのように限定してなお、ファシズムという思想は多義的というか、結構幅がある。
ナチズムに比べると、文化に対して「寛容」にみえるところがあった。ただし、これもファシズムの中に幅があったので、相対的に寛容に見えるだけであって、決して自由だったわけではない。
当時の歴史や文化をファシスト側の資料からみていく、というのはあまりやられていないし、ともするとファシズム肯定と見られかねないが、無論、本書はファシズムという思想には批判的な立場をとりつつ、ファシスト側から当時の文化を概観していく。

1.ファシスト政権の成立から終焉まで

1章はまず、文化史をみていく前に、イタリアのファシスト政権の歴史を概観。
正直、「イタリアにはムッソリーニという独裁者がいて、第二次大戦では日独伊三国同盟が結ばれた」以上のことを、そういえば分かっていなかったので、勉強になった。


ムッソリーニは、もともとは社会主義者社会党に入っていた。
第一次世界大戦勃発時、イタリアは中立国であったが、のちに参戦した
(イタリア参戦の流れについては木村靖二『第一次世界大戦』 - logical cypher scape2で読んだ)
ムッソリーニも当初は中立の立場だったが、次第に参戦派となり、このあたりで右旋回が始まる。
1919年、ミラノで「イタリア戦闘ファッシ」結成
1921年、ローマで「ファシスト党」発足
各地方支部の党員がローマへ向かう「ローマ進軍」
太后ファシストに好意的であり、ヴィットーレ・エマヌエーレ3世はムッソリーニに組閣を支持し、ファシスト体制ができる
1924年の総選挙で過半数以上を獲得するが、同年、マッテオッティ事件が起きる
選挙の不正を訴えていた社会党議員のマッテオッティが、過激なファシストに殺害されたのである。
ファシストデモが起き、党内部でも対立が生じ、内外での危機に見舞われるも、国王がムッソリーニを支持したため、事なきをえる。
その後、エチオピア侵攻をはじめとしたアフリカ侵略を行い、さらにヨーロッパでも開戦し、第二次世界大戦へと突入していく。
1943年に、国王の命により逮捕され、いったん逃亡するものの、再度つかまり処刑される。逃亡の際、北イタリアのサロにサロ共和国を作っている。

2.前衛と体制

本章では、未来派、ならびにブラガーリア、ピランデッロという二人の劇作家が取り上げられる。

「未来主義」を宣言する一方、「過去主義」という言葉も作り、例えばヴェネツィアを「過去主義的都市」として攻撃し、ミラノを「未来主義的都市」として称揚した
(ミラノをめぐっては海野弘『アール・デコの時代』 - logical cypher scape2も)
第一次大戦勃発に際して、未来派は中立政策への反対運動を展開
未来派の画家ボッチョーニは戦死している
終戦後も、領土割譲されなかったことへの不満がおき、文学者のダンヌンツィオが義勇軍を率いて「フィウメ進軍」を行うが、これがのちにムッソリーニの「ローマ進軍」のモデルになったとされる。
「前衛」という点で、ファシスト党未来派には共通項があり、マリネッティムッソリーニへと接近し、ムッソリーニも当初、未来主義を支持した。
しかし、政権を握ると、急速に芸術政策は保守化していく。
未来派の中でも、ノイズ音楽や楽器「イントナルモーリ」制作で有名なルッソロや、カッラ、セヴェリーニといった画家は未来派を離れていく。
未来派1920年代にはその創造力を失っていく。
1929年、ファシスト党は、ファシズムを支持する文化人への栄誉として王立翰林院を設立。ダンヌンツィオが会長、マリネッティも会員となる

  • ブラガーリア

10代の頃に未来派に参加し、第一次大戦後から演劇活動を行い、1922年に「独立芸術家劇場」を創立。実験的な演劇活動をつづけた。
彼は、ムッソリーニに手紙を書いて、国家の支援を要請し、実際、ムッソリーニの支持を取り付けた。国家は演劇のメセナたるべし、という主張で、積極的にファシスト体制を支持した。
しかし一方で、若い前衛作家の作品や、例えばブレヒトの『三文オペラ』などの海外作品を上演するなどしていて、その演劇活動自体は非ファシスト的であり、ファシスト過激派から攻撃を受けてもいる。

小説家にして劇作家
もともとイタリア国内では有名であったが、1921年初演の戯曲『作者を探す六人の登場人物』が、22年のパリ公演以降、欧米で人気を博し、世界的な作家となる。特にニューヨークで大ヒットする。
ムッソリーニにとって、イタリアの評価をあげる人物としてピランデッロは認識された。
それは、アメリカのボクサーを倒したイタリア人ボクサーのカルネロと同じだった。ムッソリーニは、自転車やサッカーなども支援した(イタリアがサッカー強国になった要因らしい)。
そしてピランデッロは、マッテオッティ事件の際、ファシスト党の危機を救うべく、自らも入党する。
ピランデッロもまた、国家を演劇のメセナとみなし、芸術活動への国家の支援を受けるべくファシスト政権を支持していた。
彼は公的には最後までファシストであり続けたが、しかし、ある時期からファシズムとは次第に距離を置くようになった。
1934年にはノーベル文学賞を受賞し、授賞式ではやはり自分はファシストであると述べているのだが、ムッソリーニはこの受賞に対して何も反応していない。内務省において、ピランデッロは、反ファシストに転ずる可能性のある文化人として監視されていた。
1936年に亡くなっているが、故人の遺志により、葬儀への党の関与を拒否している。
彼を有名にした作品は『作者を探す六人の登場人物』だが、その後も『各人各説』『今宵は即興劇で』といった前衛作品を作り、遺作となった『山の巨人たち』は『六人』との対比で、俳優が観客を探すという作品らしい。

3.国家と音楽

ファシスト時代のイタリア国歌(ファシスト党歌)は「青春」
「老衰」したイタリアの再生
とはいえ、ファシスト未来派と違って、過去を全否定しておらず、古代ローマ文化やルネサンスバロック期の音楽を称揚した

オペラの世界でのナショナリズム的運動として「ヴェリズモ」(イタリア化した、フランスの自然主義)がある
プッチーニは、その流れの代表的作曲家
もともとプッチーニは、イタリア嫌いでドイツ好きだったのだが、ローマ進軍以降、ムッソリーニに共感する。イタリアが、ドイツのような強権的な国家になることを望んだらしい。
ムッソリーニも国際的に知名度の高い作曲家を厚遇した。
しかし、プッチーニ1924年に病没する

国際的に高い評価を得ていた指揮者
プッチーニの遺作のミラノ・スカラ座での初演で指揮したが、その際、「青春」の演奏を拒否した。この時、ムッソリーニは、指揮者の国際的な知名度を鑑みて、特に責めはしなかった。
が、1931年、ボローニャでの公演で再び「青春」を拒否し過激なファシスト党員が、トスカニーニに対して暴力をふるう。
一躍、トスカニーニは、反ファシズム運動のシンボルとなってしまう。
もともとトスカニーニは、第一次大戦については参戦派、「フィウメ進軍」への慰問公演もしていて、決して反ファシストではなかったが、この事件を機に、アメリカへ亡命し、反ファシスト運動をするようになる。

  • マスカーニ

明確にファシスト化する前に亡くなったプッチーニ、結果的に反ファシストとなったトスカニーニに対して、ファシスト体制に積極的に接近していったのがマスカーニである
プッチーニと同じくヴェリズモの作曲家だが、プッチーニと比較すると知名度はぐんと下がる。
ヴェリズモは次第に時代遅れになりつつあり、マスカーニ自身も作曲活動が停滞する中で、ムッソリーニとマスカーニは接近するようになる。
マスカーニもまた、国家を音楽のメセナとして支援を要請し、その見返りとして、国家行事での音楽演奏の際には必ず指揮をふるようになる。
1929年に、ピランデッロ、マリオネッティ、マルコーニとともに翰林院会員となっている(マルコーニは、無線電信の実用化に成功し、1909年にノーベル賞を受賞した物理学者。本書では注で解説されるにとどまる)。

4.映画と政治的イデオロギー

イタリアは、リュミエールが映画装置を作った翌年には映画製作をはじめた映画大国
特に史劇に力を入れて、1910年代は「史劇の黄金時代」
が、過剰生産が仇となり不況に陥り、1920年代には一気に製作本数が落ち込む。
映画輸出大国だったイタリアだったが、逆にアメリカ映画を輸入するようになる。
ファシスト政権は、アメリカ文化を嫌ったが、実際には映画を通じて大衆はアメリカ文化に親しんでいた

  • ブラゼッティ『太陽』(1929)

政府の干拓事業を扱った作品
「都市のファシズム化」から「農村のファシズム化」への政策変化をうけた作品
一方、ドキュメンタリー性から、のちのネオレアリズモへの先鞭をつけた。
ブラゼッティは、その後も、ファシスト体制の文化政策の一翼を担うような作品を制作しつつ、大衆娯楽作品も撮っていた

  • ネオレアリズモの萌芽

ネオレアリズモというと、主に戦後イタリアの映画潮流を指す言葉だが、戦後イタリア映画の発展を支える基礎は、ファシスト体制の中で生まれてきた、という
1934年、大衆文化省の中に映画局設置(のちに「映画産業国民協会」に改称され、ヴェネチア映画祭を企画)
1935年、「映画実験センター」設立
映画理論誌『ビアンコ・エ・ネーロ』創刊
1937年、イタリア版ハリウッド「チネチッタ」オープン

ネオレアリズモの代表的映画監督であり、代表作として『無防備都市』(1945)がある。この作品は、反ファシズム的な作品である。
ロッセリーニは、ブルジョワの家庭に育ち、ローマの映画館に出入りし、海外映画を見て育った。彼の家は、芸術家のサロンのようになっていて、マスカーニも常連だったし、ファシスト党幹部や政府の要人も出入りしていた。そういう環境で育った。
彼が本格的に映画製作を始めたのは32歳の時で『飛行士ルチャーノ・セッラ』のシナリオライターとしてだが、この映画の監修者は、ムッソリーニの長男ヴィットーリオであった。
1941年最初の長編映画として『白い船』を撮る
海軍の広報用で、海軍の病院船をドキュメンタリー・タッチで撮影した作品。厭戦的な雰囲気の作品らしいが、ヴェネツィア映画祭で「ファシスト党賞」を授賞し、ヴィットーリオの映画雑誌でも賞賛された。
翌年『帰還する飛行士』
こちらは、原案・監修はヴィットーリオ・ムッソリーニである
さらに翌年『十字架の男』
ロシア戦線に従軍した司祭の話。ファシストプロパガンダではないが、ファシスト政府の意向にそうような作品ではあった。
ロッセリーニは、戦後、反ファシズム的な作品を撮っており、インタビューではムッソリーニが政権をとった時から反ファシストだったと語っている。
しかし、内心は反ファシズムだったかもしれないが、戦前・戦中は、外形的にはやはりファシスト体制下の中で映画制作をしている

5.芸術の超越性

ファシストは「秩序への回帰」と「正常化」

美術批評家にしてムッソリーニの側近(かつ愛人)
1910年代、デ・キリコ未来派のカッラが出会って「メタフィジカ絵画」が生まれ、これを拡大していこうとする運動もあったが、保守化の流れの中で消えていく。
サルファッティは、新しい芸術運動が必要だと考えた
彼女は「ノヴェチェント」運動というものを展開しようとして、ノヴェチェント展を企画する。
1920年代、色々な画家を集めてくるのだけれど、結局、一つの様式としてまとまることはなかった。
秩序への回帰は、自然主義への回帰という含意があったが、この当時、もはや自然主義は少数派
ムッソリーニは当初、芸術家たちに寛容な態度を示したが、次第にファシズムというイデオロギーが優位に立っていき、プロパガンダこそ芸術の役割と考えるようになっていく。結局、ローマ進軍の様子の絵とか、ドゥーチェの肖像とかを描いてほしかったのだ。

  • マリオ・シローニ

ノヴェチェント運動に参加した画家で、戦後も高い評価を受けている。
バッラ((バレエ・リュスと未来派の邂逅について海野弘監修『華麗なる「バレエ・リュス」と舞台芸術の世界』 - logical cypher scape2に少し記載がある
))の弟子。第一次大戦に従軍し、ムッソリーニが政権をとったあと、ファシスト党へ入党
ファシスト政権の企画した美術展にもおおくかかわり、完全に体制寄りの画家ではある。
ただ、体制内部では、党内右派と対立して論陣を張り、抵抗を試みてもいた。
1930年代には、壁画運動も展開している。
体制に協力しつつ、個人の創造性も発揮させるのが、理念だった。

  • ジュゼッペ・テラーニ

建築家
ル・コルビジェやグロピウスに影響を受けたイタリアの若手建築家による「グループ7」の一員で、合理主義建築運動を推進した。
ファシスト党に入党したのち、ロシア戦線へ。精神的に疲弊し、故国送還後、1943年に突然死(自殺説もある)
サンテリーアに代表される未来派建築の空想的なモダニズム(実際、サンテーリアは設計プランのみで実際に建築されていない)は否定し、現実的なモダニズムをイタリアに導入しようとした。
伝統への回帰が唱えられる中、過去のものを否定した未来派は排除されていったが、豪理知主義建築運動は、過去のものは否定しなかった。しかし、伝統への回帰もしなかった。反ファシストの側に身を投じたパガーノという建築家もいたが、基本的に、ファシスト体制下に身を置いた。
建築家は施主の意向には逆らえない。ファシスト国家は最大の施主である。その点で、テラーニは忠実なファシストではあった。
最後のほうに、ローマ万博の話も出てくる。テラーニもコンペに出したが、テラーニ案は作用されなかった、と(ローマ万博については、暮沢剛巳・江藤光紀・鯖江秀樹・寺本敬子『幻の万博 紀元二千六百年をめぐる博覧会のポリティクス』 - logical cypher scape2)。