島尾敏雄「離脱」色川武大「路上」古井由吉「白暗淵」(『群像2016年10月号』再読)

島尾敏雄「離脱」

『群像2016年10月号(創刊70周年記念号)』その1 - logical cypher scape2で以前読んだことがあるのだが、この記事を見直してみると

島尾敏雄「離脱」(1960年4月号)
夫婦の話
ずっと勝手してた夫が妻からいろいろ

と非常にそっけないメモしか残っていなかったw
読み直してみたところ、まあ、まさにこの通りの内容ではあるのだが、島尾敏雄の伝記的事実をある程度知った今読むと、かなり解像度が上がった。
東京の小岩に住んでいた頃の話で、島尾の浮気が発覚し、妻との関係が悪化。関係回復を図ろうとしている時期の話。
妻からの烈火のごとき詰問にあい、「すみません、すみません」と低頭しながら、聞かれるがままに答えていくのだが、そういう状況にあっても、できれば細部は誤魔化したいと思っている心情が書かれている。むろん、その態度はすぐにばれる。
妻が突然自殺してしまわないかということを恐れ、反省しきりであり、その改心自体は本心なのであろうが、「これからの自分を見て欲しい」という夫と、これまでの10年間がこの3日間でチャラになるわけじゃないからなと言ってくる妻との齟齬みたいなのが、読んでてキリキリするといえばキリキリする。
全くの第三者視点に立つと、妻が明らかに正しいのだが、こうヘナヘナになってしまう夫の心情も分からないでもない。
妻の機嫌がよくなって関係が回復していくのかなと思わせた直後に、再び、詰問が待っている。
また、精神的に参ってしまっている妻は時々激しい頭痛の発作がおこり、それをおさめるために、冷水をかけてほしいとか、頭を殴って欲しいとか頼んでくるし、また、街中を彷徨したりする。終盤は、妻のこの発作に付き合う様子が描かれていて、このあたりは、単なる夫婦喧嘩の域を超えて壮絶なものがある。
ところで、息子の「伸一」*1と娘の「マヤ」も出てくる。2人ともまだ幼く、母親の突然の変貌にただならぬものを感じてはいるが、状況がよくわかってはいないという感じ。マヤが失語症になる前なので、幼児語ながら言葉を喋っている。

色川武大「路上」

やはり、『群像2016年10月号(創刊70周年記念号)』その4 - logical cypher scape2で以前読んでいるのだが、その時のメモは以下の通り

色川武大「路上」(1987年6月号)
読んだけど、どんな話だったか思い出せない
なんか、昼ご飯どこで食べようかと彷徨っているシーンとかがある

色川は『戦後短篇小説再発見18 夢と幻想の世界』 - logical cypher scape2で読んだ「蒼」が面白かったので気になった。
本作は、夢と現実とが入り混じるような作品で、確かにあとで一体どんな話だったか思い出そうとすると難しい作品かもしれない。
昼飯をどこで食べようかさまよっているシーンもある。
「けれども、私の一生は、路上を歩き続けただけのようなものだった、という実感は消えない。」というフレーズがあって、それがテーマといえばテーマか。
冒頭はおそらく夢で、材木置き場だらけの道を歩いていたら母校と思われる学校に入って行って、教師が謎の理科の授業らしきものをしている。
夢から覚めるとホテルの最上階の部屋に寝ているのだけど、このシーンも現実かどうか怪しくて、というのも、ホテルの部屋が滑り出して、中庭に落下して、そしてまた戻っていくのだ。
それから、例の昼飯を食べる店を探して、いろいろな店に行くのだが目当ての店はしまっていて、初めて入る店に入って食べてみるけど、ビールを注文しようとするとそんなものはないとにべもなく断られたりする。
そして、店を出ると、再び材木置き場があって、自分の身体が材木に変化してしまったところで終わる。
かなりシュールといえばシュールな話だったかもしれない。

古井由吉「白暗淵」

これまた以前、『群像2016年10月号(創刊70周年記念号)』その5 - logical cypher scape2で読んでいるが、その時のメモは下記の1行のみ

古井由吉「白暗淵」(2006年9月号)
空襲で母親が死に、親戚のもとで育てられることになった主人公の話。

特に読み返すつもりもなかったのだが、ふと目に留まって読み始めたら、するすると一気に読んでしまった。
わりと文のテンポがよいからかもしれない。
主人公、坪谷の子供のころの話と、大人になってから回想しているシーンが交互に進む。
先の引用にあるとおり、空襲で母親が死に、親戚のもとで育てられることになったという話なのだが、自分も死にかけて九死に一生を得た、というのが最初の記憶で、その後、聞き分けのよい子だとわりと褒められながら育てられる。
それから、高校時代の英語の女教師から何人かの生徒と課外で創世記の話を聞いた話、大学の時に知り合った友人と年に何度か安酒場で酒を飲みながら哲学話のような話をした話が続く。最後に、坪谷もその友人も就職してから再会して、あの頃は身の程知らずのことを語ったなと言い、坪谷は女から子ができたことを宣告された、というところで終わる。
話のあらすじだけ追うと特に面白みがないのだけど、人生の空虚な(?)感じと時々挟まれる俗っぽい感じ(女教師との関係や最後や)とのバランスとかテンポ感とかがよかった。

*1:実在する島尾の息子の名前は伸三

島尾敏雄『その夏の今は・夢の中での日常』

筆者の、特攻隊経験をもとにして書かれた系列の作品と、夢系列の作品とを収録した短編集
島尾敏雄については[『戦後短篇小説再発見 6 変貌する都市』 - logical cypher scape2」を読んだら「蜃気楼」が面白かったので、続いて島尾敏雄『夢屑』 - logical cypher scape2を読んだ。
島尾作品には、戦争体験を描いた作品の系列、妻との関係を描いた作品の系列、夢を描いた作品の系列の3系列があるらしいが、「蜃気楼」は夢を描いた作品の系列で、それを追うために『夢屑』を手に取ったのだが、そこに収録されていた私小説系列の作品もわりと面白かったので、さらに特攻隊関係の作品も読んでみてもいいかなと思って読むことにした。
また、「蜃気楼」は30才の頃に書かれた作品であったのに対して、『夢屑』収録作品は晩年期に書かれた作品で、同じ夢系列の作品とはいえ雰囲気が異なっていた。「蜃気楼」により近い時期に書かれた作品が収録されているのも、この本を選んだ理由である。
本書に収録されている夢系列の作品(後半の作品)は、「蜃気楼」や「夢屑」などとはまた雰囲気が異なっている。シュールレアリスティックな作品というべきか。
この系列では、「蜃気楼」や「夢屑」の方が面白い作品だったかなと思うが、本書収録作品の中では「島へ」がそれらに匹敵するくらい面白かった。


島尾作品は、私小説的な作品の場合、淡々と出来事が書かれていく感じがする。「私」の心情も書かれているのだが、それも含めて淡々としている、ような印象を受けた。
そうした描写の雰囲気は、夢系列の作品でも同様といえば同様なのだが、シュールレアリスティックな作品であるためか、より情景描写が細かくなされているような印象はある。
格別に凝った文体であったりはしないのだが、しかし、やはり書かれた時代が数十年前ではあるので、21世紀現在の感覚で読むと、古めかしい文章だったりあまり使われない語彙が頻出し、その点で、読むのに一定の集中力が必要になるが、雰囲気に浸れる。
また、時々カタカナで書かれる台詞が出てくることがあるのだけど、それが結構効果的だなと思う。

出孤島記

島尾の属していた特攻隊というのは、有名な神風特攻隊ではなく、震洋特攻隊。2人乗りないし1人乗りのボートの舳先に爆薬を搭載したもの。作中で島尾はこれを「自殺艇」と呼んでいる。島尾は、九州大学を出た後に海軍に入ったため、隊長としてこの島に赴任しているが、戦闘経験はない。
出撃直前まで行ったが結局出撃しなかった日のことを描いている
終戦間際の出来事で、沖縄から本土へ向かう米軍艦隊を攻撃するのを目的としているが、どうも奄美周辺は米軍から重要視されておらず、奄美素通りで本土へ行っているようだということが推測されているような状況。
また、制空権をとられているので、敵機はしょっちゅう来ており、そのためかつて行っていた訓練ももう行えなくなっている。このため、特攻兵も含めて畑仕事が日常作業となっている。
そんななか隊長の「私」は、時に部落の方に行ってNに逢いにいったりしている。
いずれ死ぬことが決まっている緊張感と、しかしそのための命令がなかなか来ないことによる弛緩との間に挟まれた「日常」
この緩慢に死に向かう感じは、そもそも自殺艇が大したスピードが出ないということにも反映されている(自分たちには麻痺が必要だが、その麻痺をもたらす速度もでない)。
そしてある夜、ついに出撃準備の命令がやってくる。
準備中に、第四艇で爆発事故が起きるが人的損害が全くでないという不可解な事態も起きる。
一晩中、出撃命令を待ち続けるが、結局その後命令は出されず朝を迎えてしまう。先述した通り、速度の出ない自殺艇が体当たり攻撃を成功させるためには夜闇に乗じるしかないので、夜が明ければ当然出撃はなくなる。
そして再び「日常」へと戻るところでこの話は終わる。


「私」は、一方ではわりと冷静な状況判断ができており、特攻がほとんど無意味だし戦争の大勢は決していて、このまま生き残れるのではないかという考えもあるのだが、他方で、軍人としては、彼らは特攻の訓練しかしておらず、他に何かできるわけでもなく、早く命令をもらって終わらせてしまいたいというような気持ちも抱いている。
死ぬことが決まっているからこそ、この「日常」をなんとか生き抜いているというところもある。
生き抜いているというと格好がいいが、色々なことを誤魔化しているとも言える。
例えばNとの関係だが、部下たちには隠しているという体で(というかまあバレているし、バレていることも分かっているのだろう)夜な夜な通ったりしているわけだが、この話では攻撃命令がそろそろ来そうだという予感を抱いている頃なので、Nのところに行っているわりにすぐ帰らないとまずいんだと言ってすぐ帰ろうとしている。Nが純粋に「私」のことを慕っているのに対して、なんとも言えない態度をとっている。
あるいは、隊内の人間関係というのも、本作ではあまり表だって出ては来ないが、なんとも微妙である。「私」は戦闘経験も何もなく隊長となっているが、一方で先任士官や先任下士官がいて、他方で、階級が下の方の者たちには、年かさで徴兵された者たちがいる。彼は、徴兵される前は色々な職業に就いていた者だが、今は見張りだったり何だったりをさせられている。軍の中では下っ端なので従順だけど、例えば、畑仕事など非軍事的な生活が次第に行われるようになってきて、態度が少し変わってきている者などもいる。

出発は遂に訪れず

「出孤島記」で描かれた出撃待機の夜から始まり、玉音放送を聞いた日の夜までを描く。
敵機が全く来ない日が3日続いた後、守備隊へ来るように命じられる。
戦争が終わったのではないかという予感を抱きつつ、歩いて向かう
そこで玉音放送を聞き、その後、戦争は終わったが待機は解除しないという命令を受け、隊に戻り部下たちにその旨話す。
その晩、先任下士官がやってきて、自分は戦後こういう生活をするつもりだが士官は責任をとらされると思いますよという話を一方的にされ、「私」は軍刀を握りしめて眠る。


「出孤島記」よりも内省的な感じがしたが、冒頭だけかも。
「出孤島記」ではNという名前になっていたミホがこちらではトエとなっている他、「出孤島記」では他の登場人物もイニシャル表記だったが、こちらではそういう表記はあまりなされていない
部落の人たち(もともと島に住んでいる民間人)の描写が増えたかも。

その夏の今は

玉音放送の翌日以降の話
戦争が終わった後の方がむしろ緊張状態を強いられる、というか高圧的になっている「私」
戦争中は、友好的で色々よくしてくれた部落の人々だったが、貸した舟返せとか、あげた鯉返せとか言ってくる人が出てくる。
部隊の中も規律が緩み始める。あるいは「暴発」にも警戒しなければならない。出撃待機の夜に起きた爆発事故の事後処理もしなければならない。先任士官が隊長をしている第二艇隊は、入り江の反対側に位置していて元々「私」の目が届かない部隊であったが、ますます規律が緩んでいるように見える。隊の中には、出身地域が異なる者たちが混ざっていて、その差異による軋轢が今後噴出してくるかもしれない、という考えもよぎる。
そうした状況で「私」は、以前では言わなかったような高圧的な言い方を度々してしまう(こんなどこかで聞いたような言い方をまさか自分がしているとは、というようなことを思いながら)。
2つの出来事が起きる。
まず1つとして、占領軍が入ってきたら女子どもは乱暴されるという噂がたち、部落の者たちがさらに山奥へと移動しようとしているという話を聞いて、そもそも詔勅を伝えていなかったことに気付いて部落を訪れる。そこで玉音放送の原稿を読み上げるのだが、下読みをしていなかったのでつっかえつっかえになってしまい、その上、不意にこみ上げるものがあって半ば泣きながら読むことになる。
もっとも、その前日、実際に玉音放送を聞いたときやそれを部下に伝えたときは、とても淡々とした態度をとっていて、この時も終戦について嘆くような思いや悔しい思いがあったわけではない。むしろ、そのような激情を叫んだ部下に対して、ほんとにそう思っているなら言うだけでなく実際に行動して見せろ的な冷たい言葉を言い放っていたりする。
ただまあそれが功を奏したのか何なのか、噂に惑わされないようにという「私」の話はおそらく部落の人々に伝わる。
もう一つは、ある少尉から、兵曹長がトエの家に行って暴れたという報告を受けたもので、しかし、兵曹長を呼び出すと話が食い違う。少尉はそれを基地隊長から聞いたというのだが、基地隊長を呼び出すとそことも食い違う。少尉は、「私」とは同じ大学出で気安く話せる仲であったが、兵曹長や基地隊長は、その少尉が「私」にあることないこと話すので、「私」との間に壁ができてしまったのだという。

孤島夢

戦闘艇の艇長になって航海していたら、ある島へと迷い込んでしまう。
列島に住んでいる人たちと同じ見た目をしているが言葉が通じない島があるという噂があり、それがこの島だと「私」は考える。列島の人々が、普通二文字の苗字を持つのに対して、島の人々は一文字の苗字と三から四文字の名を持つ。
東京歯科医学士で、列島風の名前を名乗っている歯科医を見つけて侮蔑する

夢の中での日常

小説が1本採用されたが、まだ掲載誌が発売されておらず、ノヴェリストとなったはいいがしかし次の作品が書けないでいる「私」が、とあるビルに住んでいる不良少年たちのグループのところに取材込みで一緒に生活しようとするのだが、そこに何故か小学校時代の友人でレプラ(ハンセン病)患者の男が「私」を訪れる。
その男は、ゴム製の器具を私に売りつけるが、私はなるべく男に触らないようにして、その後、手を消毒する。それを見た男は憤慨し、私はその建物から逃げ出す。
無数の飛行機が飛び交う空に恐怖を覚える。
母が住んでいる筈の南方の町へと向かう。「すると町は全滅した訳ではなかったのだ。」「丘陵も建物も灰になってとろけるように崩れ落ちた平面の感じがする或る区域に、その場所があるようであった。」とあり、長崎かどこかなのかもしれない。
満員電車に乗り込んで、若い女に痴漢のようなことをする
母親の住んでいる家に着くと、不義の混血児がいることが分かる。怒る父親に対して、母とその弟をかばうが、父はさらに他にも子がいるのだと責める。父のむち打ちを母の代わりにうける私。
歯がぼろぼろと崩れ落ちてしまう。
女の部屋にいくと、医者にもう見放されたという子どもがいる。そして、自分の作品が載った雑誌がおいてある。
私の頭に瘡ができて、それをはがしているうちに、腹痛が起きて、手を胃袋の中に突っ込んで、自分の肉体を裏返しにしてしまう。
まさに夢の中の世界のように、脈絡もなく次々とシーンが移り変わっていき、まさにシュールレアリスム、という感じの作品。

鬼剥げ

自分は大学まで行かせてもらったが、弟は専門学校までだったので、弟に引け目を感じている「ぼく」。また、弟は「ぼく」とは違って女性関係が進んでいて、「ぼく」の知らぬ間に女中に手を出していたりしていて、そのあたりでもコンプレックスを感じている。
さて、そんな弟から、Sの家から隣家の夫婦の営みが覗けるという話を聞かされて、ぼくと弟と知人の女と3人で見に行くことになる。
隣の家の者はまだ帰ってきておらず、弟もしらけてどこかへ言ってしまい、ぼくは女と逢引するのだが、すると、弟が担架で運ばれてくる。女は弟のところへ駆け寄るが、ぼくはこれを無視してしまう。その後、弟からそのことを詰られる。

島へ

妻と2人で、群島の中のある島へと赴く話。
島の中を歩いているなかで、光の環を目撃するが、バスを待っていた妻に急かされて何だったのか分からずじまいになる。
混み合った宿で、この島で何かの調査をしているという男と同室になる。この男は「私」のことを知っているが、「私」は思い出せない。
入り江に不思議な塔が立っていて、日に3度、鐘が鳴らされる。妻はその塔に住んでいる男のもとに通うようになる。
ある晩、妻が塔からなかなか帰ってこないので、塔へ赴く。明らかに妻がいた気配がするのに、そこの男は妻は来ていないという。しかし、妻が「私」を驚かせようとするイタズラだった。
妻と二人、宿に戻り眠りに落ちていくところで終わる。
冒頭、連絡船で群島の合間を縫って進んでいく描写で引き込まれる。
連絡船が来ればいつだって列島に帰れるのだと何度となく考えている「私」だが、必ずしも島を全部嫌がっているわけでもない感じ
同室の男が連れてきた者たちによる謎の儀式とか、不思議な塔とか、シュールレアリスティックな光景も度々出てくるが、一本のストーリーとしても成り立っている。

著者に代わって読者へ

本書は1988年に発行されているが、島尾敏雄は1986年に亡くなっているため、妻の島尾ミホが読者への言葉を寄せている。
これによれば、島尾自身は自分の作品を「眼をあけて見た周囲を書いたものと、眼をつぶったそれを表現したもの」に分類しているらしいが、ミホはここで前者についてのみ語っている。
島尾ミホにとっても、本書収録の前半3作は自分の戦争時代を描いているもので思い入れが深いようで、また夫婦で、あるいは夫の死後に改めて基地の跡地に訪れた時のことなどを語っている。
ただ、正直いうと、思い入れたっぷりに書かれているため、文章的にはくどい感じがした。亡き夫の持ち上げがすごいというか……
なお、「出孤島記」「出発は遂に訪れず」「その夏の今は」は、明らかに続き物だが、実はさらに島からの引き揚げ・隊の解散を描いた話を含めて四部作とする構想があり、この最終話にあたる作品を書いている途中で亡くなったらしい。
「出孤島記」の発表が32才の時、「その夏の今は」の発表が50才の時なので、時間をかけて書いていったのだな、ということが感じられる。

解説

巻末解説は吉本隆明
島尾の戦争体験と作品の中に見られる「死」について
それから、「夢の中での日常」や「鬼剥げ」に見られるコンプレックスについて

作家案内

野間宏に推薦され、その後『近代文学』に参加するなどしており、第一次戦後派に近い位置にいたという一方で、庄野潤三との親交から第三の新人とされることもあるがそこに収まるわけでもなく、文学史的な位置づけとしては、独特の存在であると評している。
また、東大京大のエリートコースでもなく、早慶の文科のような文学青年コースでもなく、神戸、長崎など海に関わる場所で育った点や、一時的に東京に住んでいたこともあるが基本的には奄美諸島で暮らし、鹿児島で亡くなった点など、そのあたりにも他の作家とは違う存在なのだよ、という評し方をしている。
両親が福島出身で幼少期はそこで過ごしていたことも多く、島尾というと九州・沖縄のイメージが強いが、この東北体験も重要なのだと強調しているが、具体的にどう重要なのかはいまいちよく分からなかった。
最後に、彼が大学で東洋史を専攻していたことと南島論とを結びつけつつ、死を悼んで終わり。

ブルース・ククリック『アメリカ哲学史』(大厩諒・入江哲朗・岩下弘史・岸本智典訳)

サブタイトルに「一七二〇年から二〇〇〇年まで」とあり、18世紀からの宗教哲学、19世紀からのプラグマティズム、20世紀からの分析哲学の三部構成で書かれた本。


元々、フィルカルvol.5 no.2 - logical cypher scape2アメリ哲学史特集が組まれたりと、アメリ哲学史関連の本が最近立て続けに出ていて気になっていた。最近、桑野隆『20世紀ロシア思想史 宗教・革命・言語』 - logical cypher scape2を図書館で借りた時、近くの棚に置いてあったのを見かけて、「そういえば気になっていたんだよな」と思って手にとった。
アメリカ哲学というと、自分は分析哲学には色々触れているものの、それ以前のことはほとんど知らず、分析哲学についてもあまり歴史的な観点では触れていない。
ドイツ観念論アメリカ哲学のつながりとか、大学などの制度的な面からの哲学史とかそういうあたりに興味をひかれた。
ところで、本書を読んでみると、制度的な話もしているのだが、それ以上に、取り上げている哲学者の思想内容についても(当然ながら)がっつり論じられていた。


まず、第1部についていえば全く知らないところで、出てくる人たちの名前すら知らないという有様だった上に、基本的に神学の話なので、内容の理解もなかなか覚束なく難しくはあった。
ジョナサン・エドワーズという人が起点で、この人が、ロックなどイギリス経験論ひいてはヨーロッパの哲学からの影響強めの神学を始めて、神学校ができて専門職化していったのともかかわって、それで哲学寄りの神学がどんどん出てきたというのが大雑把な感じ。
ユニタリアニズムとかトランセンデンタリズムとか名前はなんとなく聞いたことがあるがよく分からんというものの立ち位置が、少しだけ分かった気がした。
第2部は古典的プラグマティズムで、パース、ジェイムズ、デューイという高校でも習う超有名な3人を扱っているが、これに加えて、アメリカの観念論者として名前は聞いたことがあるのだが名前以外よく知らなかった、ジョサイア・ロイスについても取り上げられていて面白かった。
あと、パース、ジェイムズ、デューイの3人は確かに名前だけなら有名だが、彼らがどういう哲学者・思想家だったか聞かれると、正直心許ない。そのあたりが、少し分かったような気がした。
第3部は分析哲学、というか、分析哲学が主流となっていった20世紀アメリカ哲学界を対象としている。訳者解説でも触れられているが、「分析哲学史」として書かれているわけではない。どちらかといえば、蛸壺化してしまった分析哲学に対して批判的な論調で書かれている。
とはいえ、かなり色々と勉強になった。
まず第11章は20世紀前半だが、新実在論や批判的実在論というのを全然知らなかったのでそれがまず勉強になった。特に後者については、そこにラブジョイが位置づけられることやセラーズの父親もまた有名な哲学者だったことなどが。
また、同じく第11章はC.I.ルイスとウィルフリド・セラーズも扱っている。C.I.ルイスは様相論理学の先駆者、あるいはクオリアという言葉を現代的な意味で使い始めた人として、名前はよく見かけるのだが、しかしそういう断片的なことしか知らなかった*1ので、どういう哲学者だったのか知れてよかった。
また、第12章から第14章については、20世紀アメリカの大学の哲学科がどういう状況に置かれていたのかということが知れて面白かった。大学の名前がぽんぽん出てくるのだが、アメリカの大学は名前は聞いたことあっても、どういう位置づけかよく分からないので、そのあたりも面白かった。

序論

第1部 アメリカにおける思弁的思想 一七二〇―一八六八
 第1章 カルヴィニズムとジョナサン・エドワーズ
 第2章 哲学と政治
 第3章 神学論争 一七五〇―一八五八
 第4章 カレッジの哲学 一八〇〇―一八六八
 第5章 革新的なアマチュアたち 一八二九―一八六七
第2部 プラグマティズムの時代 一八五九―一九三四
 第6章 革命のかたち
 第7章 観念論へのコンセンサス 一八七〇―一九〇〇
 第8章 ケンブリッジにおけるプラグマティズム 一八六七―一九二三
 第9章 ハーヴァードにおけるプラグマティズム 一八七八―一九一三
 第10章 シカゴとニューヨークにおける道具主義 一九〇三―一九三四
第3部 専門職的な哲学 一九一二―二〇〇〇
 第11章 専門職的な実在論 一九一二―一九五六
 第12章 アメリカに対するヨーロッパのインパクト 一九二八―一九六四
 第13章 ハーヴァードとオックスフォード 一九四六―一九七五
 第14章 専門職哲学の苦難 一九六二―一九九九
結論
謝辞
訳者解説 アメリカ思想史の一分野としてのアメリ哲学史[入江哲朗]
訳者あとがき[大厩諒]
方法、文献、註
主要人物表

第1部 アメリカにおける思弁的思想 一七二〇―一八六八

第1章 カルヴィニズムとジョナサン・エドワーズ

アメリ哲学史ジョナサン・エドワーズから始めるのは、訳者の一人である入江によれば「実のところきわめてオーソドックスな哲学史観」だというが「日本においては、残念ながら、この哲学史観がオーソドックスであることもあまり知られて」いないという通り*2、自分も全然知らなかった。
ロックをはじめとするヨーロッパの哲学に影響を受けたエドワーズ
一次性質と二次性質の区別を退け、いずれも直接に知られるとして、観念論を唱える
また、神による因果的決定論と個人の自由意志との両立を説く。神による作用因と出来事の系列の区別。
人間は必ず堕落するので神の恩恵が必要というカルヴィニストと、人間は善良に生きることを選ぶこともできるというアルミニウス主義がいて、エドワーズはカルヴィニストの立場から、自由意志が罪をもたらすと考えた。

第2章 哲学と政治

この時期のアメリカにおいて、哲学と政治が乖離していたという話
建国者たちは、政治に関する理論的な文章をたくさん書いているけれど、アメリ哲学史で「哲学者」と呼ばれる人たち(エドワーズやその影響を受けた者たち)とは距離があった。
逆に、エドワーズなどの哲学者にとっても、政治や社会は二次的・三次的な関心の対象でしかなく、政治とは距離をとっていた。

第3章 神学論争 一七五〇―一八五八

エドワーズに影響を受けた者たちにより、ニューイングランド神学=ニューディヴィニティ(新神学)が生まれる。
18世紀前半、ハーヴァード、イェール、プリンストンが聖職者養成学校として台頭する。ニューディヴィニティはイェールが中心。
ニューディヴィニティは、2種類の因果分析を行い、神の世界と人間の世界を区別して、エドワーズの意志論を引き継ぐ。他からの批判に応答する形で、例えばエモンズによる「行使論」などが展開される。
エドワーズやその後継者は、ロックやバークリー、ヒュームの考えの影響を受けていたが、イェールやハーヴァードから距離を置き始めたプリンストンでは、ウィザースプーンが、これをスコットランド実在論に置き換える。
また、ハーヴァードはもともとコスモポリタン的でカルヴァニズムとも距離があったので、イェールなどとは違っていたが、アルミニウス主義からユニテリアニズムへと向かう。イエスは神の子ではないという立場。
こうしたハーヴァードの動きは、牧師の養成に相応しくないと考えたカルヴィニストたちは、アンドーヴァー神学校をはじめ新たなプロフェッショナル・スクールを作る
ところで、ニューヘイヴン(イェールの所在地)はニューヘイヴンで、テイラーが、エドワーズの考えを独自に解釈しなおした(ニューヘイヴン神学)。

第4章 カレッジの哲学 一八〇〇―一八六八

もともとアメリカでは哲学は神学と一緒に行われて、独立したものではなかったが、カレッジと神学校がそれぞれ増えていくことで、哲学は相対的に独立していく。
ヒューム的な懐疑論に対抗するものとして、スコットランド哲学(とそれに先立つものとしてのロック)とカントがそれぞれ見いだされていく。
1830年代から、カントやドイツ哲学がアメリカへ入ってくる

第5章 革新的なアマチュアたち 一八二九―一八六七

ここでいうアマチュアというのは、大学教員ではなく、講演や著述を通じて自分たちの思想を広めた者たちのこと。ラルフ・エマソンなどの名前が出てくる。
知的な層が、かつては牧師や神学者となっていて、あるいはこれより後の時代だと大学教員になっていくのに対して、ちょうどその中間の時代で、そのどちらでもない立場で影響力を発揮していた、と。それをここでは「アマチュア」と呼んでいる。
彼らは、ドイツ哲学を積極手に取り入れていった
ヴァーモント大学の学長ともなったマーシュは、カントを用いて神学を再構築しようとした。
また、ユニテリアンの元牧師だったエマソンたちは、トランセンデンタリズムを立ち上げた。この名前はカントに由来し、カント哲学をもとに神学を乗り越えようとした。
ブッシュネルは、物理的な文字通りの真理と霊的な比喩的な真理とをわけて、宗教的な言語は後者を述べるものと論じた
ブッシュネルやネヴィン、ハリスは、ヘーゲル主義者であった
ハリスは、英語で書かれた最初の哲学に関する雑誌である『思弁哲学雑誌』を1867年に創刊した。パース、ジェイムズ、ロイス、デューイはこの雑誌から世に出ることになった。

第2部 プラグマティズムの時代 一八五九―一九三四

第6章 革命のかたち

ダーウィンの進化論が衝撃を与えたこと
大学の変化、神学が凋落し哲学が高い地位を占めるようになったことなど

第7章 観念論へのコンセンサス 一八七〇―一九〇〇

ジョン・デューイとジョサイア・ロイスについて
本書は、プラグマティズムを観念論の一種だと位置づけるが、本書において観念論は、存在を意識が超越する立場、としている。
存在が意識の外界に実在するという、いわゆる実在論の立場にたつと、そもそもどうやって我々は外界についてアクセスすることができるのかという問題が生じる。一方、観念論の立場にたつと、逆に、どのようにして誤謬が可能になるのかという問題が生じる。
第1部の神学においては主に、決定論と自由意志が問題になっていたのに対して、第2部では認識論が問題になるように変化したように感じる。
ロイスはカントから影響を受けながら、観念論を作り上げた。実在を経験する「仮説的な主体」を要請する。誤謬を「不完全な思考」と定義した。
デューイは自らを「新ヘーゲル主義」と名乗っている。
進化と観念論を結びつける。絶対的な意識を前提。心理学に着目し、科学と宗教の両立可能性を力説。
 

第8章 ケンブリッジにおけるプラグマティズム 一八六七―一九二三

チャールズ・パースについて
ケンブリッジで、哲学者のジェイムズやライト、パース、法律家のホームズやグリーン、ウォーナーらがメタフィジカル・クラブを結成
進化論と整合的に信念の本性を調査するための確率としての「プラグマティズム


パースは父親が高名な数学者で、父親パワーで天文台や米国沿岸測量局のポストを得ている。その後、ボルチモアジョンズ・ホプキンス大学に就くも、女性関係スキャンダル等で辞めさせられる。ジェイムズやロイスによって、ハーヴァードではパースはよく知られており、ジェイムズの尽力はあったのだが、ボルチモアの醜聞により、ハーヴァードで職を得ることは適わなかった。


パースは『純粋理性批判』をきっかけに哲学をはじめ、表象がどのように可能になるかを問うた。
唯名論では、偶然な一般化と法則的な一般化の区別ができない。また、デカルトやロックのような形而上学実在論は必然的に唯名論に帰結するとして、認識論的実在論の立場をとる。認識論的実在論は観念論を含意する。実在的なものの定義は、科学的共同体によって信じられる対象である。


死後残されたパースの草稿を整理するために多くの哲学者が招へいされたらしい(ラッセルやサンタヤナ、C.I.ルイスなど)。
多くの人が関与したことで、草稿群はどんどん乱雑な状態になっていった、と。1930年代に2人の大学院生の手によってようやく『論文集』が刊行される。これは大きい業績ではあるが、さらに混乱をもたらすものでもあった、と。

第9章 ハーヴァードにおけるプラグマティズム 一八七八―一九一三

ウィリアム・ジェイムズについて
ジェイムズは、ダーウィンの進化論に衝撃を受けて、これと自分の宗教的信念をどう両立させるかという点で思想をスタートさせていった。
かなり鬱などを持っていたらしい。
心理学から始まって、次第に哲学へと移行していった。
様々な哲学的信念などは気質によるのだ、という話
パースがあくまでも科学的推論のことと考えていたプラグマティズムの原理を、個人の心理的過程にもあてはめる。


この章の後半では、ロイスとジェイムズが比較されている。
2人は互いに論争しているのだが、実はロイスはジェイムズに結構同意していて自らの立場を「絶対的プラグマティズム」とも称していたらしい。
2人は、絶対者をめぐって立場が分かれていた。
ロイスは、絶対的意識と一致する場合にその観念は真であるという
ジェイムズは、真なる信念の心理的な状態の記述と正当化とをあまり区別しない。つまり、真なる信念とは「満足いく」ものである(有用であるとか、うまく機能するとかと同義)、と。
一方、彼らは当時の保守的な道徳観を正当化するという点で似ていて、あまり、社会的・政治的な思想家ではなかった。
プラグマティズムは、民主主義政治を正当化する思想として紹介されることがあるが、それはケンブリッジプラグマティズム(パース、ジェイムズ、ロイス)には当てはまらないという(この後に出てくる、デューイらには当てはまる)。
ジェイムズとロイスは、これまでのアメリカ哲学の伝統にならい、政治を優先度の低い応用問題としてしか見ておらず、いくつか社会問題に関する文章も書いているのだが、ちゃんとした労働問題の知識とかを持って書かれたものではない。
ところで、ロイスはドイツ観念論を専門としていたため、第二次世界大戦を契機に不遇の身となり、忘れ去られてしまったらしい。

第10章 シカゴとニューヨークにおける道具主義 一九〇三―一九三四

ジョン・デューイについて
デューイは、シカゴで教授をしているが、当時のシカゴの社会状況から(ハーバードのあるケンブリッジとは異なり)社会問題などへと関わりが生じる。その後、デューイはニューヨークへ移るが、シカゴではデューイのあとをミードが継いだ。
デューイは、ヘーゲルダーウィンから影響を受けていて、ヘーゲルダーウィンによって「自然化」したと自分のことを捉えていた。
二元論を退け経験一元論を説く。経験がどのように組織化されるかで物理的な事象だったり心理的な事象だったりになる*3
科学論と道徳的価値論とを結びつけようとした。
この時期、民主主義は必要だが見直しが必要で、合理的な公衆などは存在せず官僚となる専門家が重要だという考え方が強まっていたが、デューイは、専門家がアドバイスをするとしても政策を決定するのはあくまでも公衆であるという考えを維持した(リップマンを重要視していた)。
また、デューイは自然主義者で超自然的なものを退けたが、宗教的なものにはこだわった。

第3部 専門職的な哲学 一九一二―二〇〇〇

第11章 専門職的な実在論 一九一二―一九五六

本章では、20世紀前半のアメリカで展開された実在論的な哲学として、新実在論、批判的実在論、C.I.ルイス、ウィルフリド・セラーズがそれぞれ紹介されている。

ジェイムズの弟子たちが立ち上げた「新実在論
ラルフ・ペリーをリーダー格に、ウィリアム・モンタギューやエドウィン・ホルトら6名が集った。
経験論を徹底すると実在論になるという立場で、ロイスの観念論を批判し、また、実在論の先駆けとしてジェイムズを評価した。
実在論というとこれまでは表象実在論という、外界に実在があって表象を介して知られるという立場が知られていて、ロイスなどはこれを批判していたが、彼らは、直接知られるのだという議論を展開した。例えばホルトは「まさにここに」存在する、と考えた。
しかし、本書において、結局彼らは表象実在論に陥ってしまった、とされている。その後、影響力を残すことなく、このグループは消えていくことになる。

ここまで実は何度か名前が出てきたジョージ・サンタヤナ、そして、アーサー・ラブジョイ、ロイ・ウッド・セラーズが取り上げられている。
本書ではサンタヤナについては「ハーバードがみずからの自由主義を証明するものとして寛容に扱った哲学者」と書かれているだけで経歴はあまり書かれていないが、Wikipediaによればスペインからの移住者でのちにフランスやイタリアに移っていったらしい。
実在論を批判して、存在と本質とを分けた。現れは、知覚の対象ではなくて知覚の手段であるとして、伝統的な実在論や新実在論が陥った問題点を回避し、この知覚の手段としての表れを本質と呼んだ。
また、彼らは形而上学には踏み込まず、認識論をやるという立場に自分たちを置いている。
ラブジョイは思想史の分野で仕事を行った。有名な『存在の大いなる連鎖』は観念の歴史を追ったもの。ラブジョイは、直接的に自分の哲学的立場を論ずることはなくて、他の立場への批判を通じて間接的に示していた、と。ラブジョイは博士号は修得しなかった。
ロイ・セラーズは、ウィルフリド・セラーズの父親。「批判的実在論」というのはセラーズ(父)の著作のタイトルで、セラーズは、自分たちの哲学的立場をまとめた。
心脳同一論を唱えたり、知識を言語の問題と捉えた(息子に受け継がれる)
セラーズは、ミシガンで学び、教鞭に立った

  • C.I.ルイス

ジェイムズとロイスに学ぶ。ロイスが、ホワイトヘッドラッセルの『プリンキピア・マテマティカ』をもとに授業していたらしくて、その影響で論理学へ。
認識論について、所与(感覚)と概念を区別し、単なる所与だけでは知識にならず、これに概念が適用されることで知識になると考えた。
カント主義っぽいが、ルイスは、実在論に対しても観念論に対しても中立的な立場をとって、カント主義への肩入れも避けることができると考えた。が、筆者はルイスは観念論を受け入れることで懐疑論を回避したと論じている。また、知覚と概念を区別したけど、知識の正当化においてこの区別が崩壊している、という指摘もしている。

  • ウィルフリド・セラーズ

父親の哲学的立場を継承。また、ルイスを批判。セラーズというと「所与の神話」批判が有名だけれど、この所与というのはルイス哲学のキーワードで、これを批判している。
知識というのは、知覚の領域ではなくて言語の領域のもの、つまり知識を「理由の空間」へ持ってきた。
セラーズは、ハーヴァードとオックスフォードで学ぶが、学士号止まりであった。イェールを含むいくつかの大学で教えるが、最終的にピッツバーグに落ち着いた。

第12章 アメリカに対するヨーロッパのインパクト 一九二八―一九六四

この章では、1930年代頃のアメリカの大学の安定と停滞について触れ、ヨーロッパからのインパクトとして「フランクフルト学派」「論理経験主義」「実存主義」の3つを挙げている。

ナチスドイツが台頭していた時期にアメリカへ来ていた。ただ、ホルクハイマーとアドルノアメリカの大衆文化とあわず、ナチスの敗北とともにヨーロッパへ戻っている。なので、あんまりアメリカの専門職的な哲学への影響もなかった、と。
一方、フロムとマルクーゼは、グループからは離脱し、そのままアメリカへ残った。
特にマルクーゼは、象牙の塔の知識人から社会についての批評家となった。

見出しでは「論理経験主義」だが、本文中ではわりと「実証主義」表記が多かった。
フランクフルト学派と違って、アメリカの専門職的な哲学への影響が大きかったグループ
もともと、ラッセルがハーヴァードで講演したことがあり、また、同じくハーヴァードがホワイトヘッドを招聘していた(論理学を期待していたのに対して、渡米後のホワイトヘッド形而上学の研究をするわけだが)が、1930年代にこのグループの哲学者が次々とアメリカへやってくる。
ハーヴァードからケンブリッジへ留学したスティーヴンソンは、倫理学においてのちに「情動主義」と呼ばれる立場をとって、アメリカの伝統的な倫理学の考えを拒絶した。イェール大学でテニュアを得ることはできず、ミシガンに移った。
ティーヴンソンは「説得的定義」というアイデアを出した

戦後、アメリカでサルトルが知られるようになる。
イェール大のフランス学部が特にその役割を果たす。
実証主義実存主義の対立
イェール大は、実証主義的な哲学者もいれようとして、スティーヴンソン、その代わりにヘンペル、その代わりにウィルフリド・セラーズと次々に雇うが、いずれも定着しなかった。

第13章 ハーヴァードとオックスフォード 一九四六―一九七五

アイザイア・バーリンが、C.I.ルイスの著作を読んだことから始まる、ハーヴァードとオックスフォードの交流
アメリカ側では、モートン・ホワイトが仲介人となった
ルイスに学び、プラグマティズム的分析と呼ばれるスタイルをとった者として、クワインとグッドマンが特に詳しく取り扱われている。
グッドマンはルイスを尊敬しており、ルイスをカントと同等に位置づけていた。そのうえで、概念の構造を「いくつかの記号体系」の構造に置き換えなければならないと考えていた。「こうした考えに対するルイスの返答は情け容赦のないものだった。」知識の正当化と知識の内容の分析は区別すべき、というもので、グッドマンのヒューム的な立場は「知的な惨事」だと述べた。
また、ルイスの拒否によってグッドマンはハーヴァードに職を得られなかったらしい。


ハーヴァードとオックスフォードの交流について
1953年 グッドマンがロンドンで『事実・虚構・予言』のもとになる講義
その数か月後 クワインがオックスフォードへ
1954年 オースティンがハーヴァードで『言語と行為』のもとになる講義
1955年 ウィルフリド・セラーズがロンドンで所与の神話批判の講義
50年代の終わり グライスがハーヴァードでウィリアム・ジェイムズ講義
1957年 ハートがハーヴァード訪問
1970年 エヤーがハーヴァード訪問
1972年 ウィリアムズがハーヴァード訪問
オックスフォードで博士号を取得しアメリカに帰国した哲学者として、シファー、サール、アンガーなど
また、ハーヴァードとオックスフォードのつながりに恩恵を受けた哲学者として、デイヴィドソンデネットクリプキ、D.ルイス、ノージックヌスバウム、シューメイカーらの名前が並べられている。
また、オックスフォードの哲学者で晩年にアメリカへ渡ったものとして、ハンプシャー、アームソン、ウォルハイム、グライス、ヘア。より若い哲学者として、マクダエルやクリスピン・ライトの名前が挙げられている。

第14章 専門職哲学の苦難 一九六二―一九九九

哲学の専門職化(分析哲学化)が進むことによる哲学の困難さについて

  • 哲学の細分化

分析哲学が専門化・細分化していくことで、退屈な分野となっていき、学生からの人気も失っていった

  • 哲学内の対立

いわゆる分析哲学と大陸哲学の対立
マルクーゼが非常に人気になっていたことが書かれている
また、イェールが反分析哲学、大陸哲学の根城になっていった

  • 哲学外との対立

分析哲学が専門化し他の分野との交流がなくなり、社会科学の各分野が「哲学する」ようになる


ククリックは明らかに分析哲学全般の傾向に厳しい目を向けており、その中で、そうではない哲学者を何人かピックアップしている。
その一人目がトマス・クーン。
クーンは教授になる際哲学科ではなく歴史学科ならよいと判断されて、実際そうなったらしいのだが、ククリックはこれを分析哲学の傲慢さを示す最悪な決定と論じている。
クワインへの批判として、チョムスキーによるものと、クリプキやバーカン・マーカスによるものが紹介されている。指示の新理論については、その起源がクリプキかマーカスかで議論があるらしい
また、リチャード・ローティについてもページを割いている。
イェール出身でありながらも、クワインに影響を受けた分析哲学者としてスタートする

結論

訳者解説 アメリカ思想史の一分野としてのアメリ哲学史[入江哲朗]

訳者の一人である解説。
ここでは、本書の背景としてアメリカ思想史について説明されている。
思想史の一分野である、とはどういうことかというと、歴史家によって書かれた哲学史であるということである。
(この訳者解説では特に述べられていないが、哲学史というのはたいてい哲学者がやっていて歴史家がやっているわけではない、というのがある)
なので、普通、哲学史というと、哲学者の思想がどのような影響関係にあるのかというのをその思想内容から論述するものだが、この本はむしろ、そういう論述だけでなく、当時の社会状況・文化状況との関係から論じる部分も多い(ので読者はちょっと驚くだろう、というようなことが述べられている)。
これは、ククリックが哲学者ではなく、歴史家として哲学史を書いているためである。
しかし、単にそれだけではなくて、アメリカ思想史という分野自体の辿った経緯というのも関係しているらしい。というのも、アメリカ思想史という分野は1970年代に一度衰退し、近年になって再興したという経緯を持っている。


ところでこの解説、途中で吉本隆明柄谷行人が引用されるが、自分にとって、この解説を書いている訳者の一人である入江哲朗の名前は、もともとアメリカ思想史の研究者としてではなく、若手批評家として知っていたので、ちゃんと繋がっていると勝手に感じたりしていた。
トランプ旋風の「トランプ」ではなく「旋風」にアメリカ性を見いだす視点

主要人物表

本書に登場する主要なアメリカ思想家・哲学者について、氏名のスペル、生没年、主に登場する章についての一覧表が付されている。
このブログでは、本書の内容をかなり省略してしまっているので、この表に挙がっている名前だけ下記に列挙してみたい。
ジョナサン・エドワーズ
ベンジャミン・フランクリン
ショゼフ・ベラミー
サミュエル・ホプキンズ
ジョン・ウィザースプーン
トマス・ペイン
トマス・ジェファソン
ナサニエル・エモンズ
ナサニエル・ウィリアム・テイラー
ジェイムズ・マーシュ
チャールズ・ホッジ
ローレンス・バーシアス・ヒコック
ホレース・ブッシュネル
ジョン・ウィリアムソン・ネヴィン
ラルフ・ウォルド・エマソン
シオドア・パーカー
ジェイムズ・マコッシュ
フランシス・ボーエン
ノア・ポーター
ヘンリー・C・ブロックマイヤー
ニコラス・セント・ジョン・グリーン
チョーンシー・ライト
ダニエル・ギルマン
イライシャ・マルフォード
チャールズ・ウィリアム・エリオット
ジョージ・ホームズ・ハウィソン
ウィリアム・トーリー・ハリス
チャールズ・サンダース・パース
ジョージ・S・モリス
オリヴァー・ウェンデル・ホームズ・ジュニア
ウィリアム・ジェイムズ
ジョージ・ラッド
ボーデン・パーカー・ボウン
ジェイコブ・グールド・シュアマン
ジョサイア・ロイス
ジョージ・S・フラートン
ジョン・デューイ
ルフレッド・ノース・ホワイトヘッド
ジェイムズ・E・クレイトン
ジョージ・サンタナ
エドウィン・ビッセル・ホルト
アーサー・O・ラヴジョイ
ウィリアム・ペッパーレル・モンタギュー
ラルフ・バートン・ペリー
ロイ・ウッド・セラーズ
クラレンス・アーヴィング・ルイス
ルドルフ・カルナップ
ヘルベルト・マルクーゼ
エーリッヒ・フロム
カール・ヘンペル
ネルソン・グッドマン
ウィラード・ファン・オーマン・クワイン
チャールズ・スティーヴンソン
ウィルフリド・セラーズ
ウィリアム・バレット
ジョン・ロールズ
ルース・バーカン・マーカス
トマス・クーン
ヒラリー・パトナム
ノーム・チョムスキー
リチャード・ローティ
ソール・クリプキ

*1:というかまあ、ぶっちゃけデイヴィッドじゃない方のルイスという程度の認識しかない

*2:アメリカ哲学史 一七二〇年から二〇〇〇年まで | 翻訳 | 新刊紹介 | Vol.39 | REPRE

*3:桑野隆『20世紀ロシア思想史 宗教・革命・言語』 - logical cypher scape2で読んだボグダーノフについての説明とあまりにも似ていたのだけど関係は不明

『宇宙開発未来カレンダー 2022-2030's』

『宇宙開発未来カレンダー 2022-2030's』という本をパラパラと眺めている。
カレンダーというタイトルだが、どちらかといえばロケット・宇宙機カタログという感じの本で、今後打ち上げが予定されているロケットや探査機・人工衛星と、現在運用中の探査機・人工衛星が掲載されている。


これ、発行日が2022年2月25日なのだが、今このタイミングで読むと、「これ延期になった」「これもまだ打ち上がってない」のオンパレードで、それをチェックしながら読んでたりする。
まあ、宇宙開発というのはそういうもので、予定通りに進む方が少ないくらいであり、「そりゃあね」という話ではある*1
とはいえ、執筆時にはまだロシアのウクライナ侵攻が起きていなかったわけで、それが影響して延期したものを数えるのはやはり悲しい。というかまあ、ExoMarsがESAロスコスモスの共同開発で2022年打ち上げ予定になっているのを見ると、なんともやりきれない。まあ、リブートされたので、まだ希望はあるが。
一方で、概ね予定通りに進んだの、中国の天宮くらいじゃねーか(8月完成予定となっていたところが11月に完成した程度の遅れ)ということに気付くと、それはそれでまたなんとも言えない気分にはなる。


さてそんなこんなで本日、アルテミス1の打ち上げが成功した。この本の中では「打上予定/2022年3月12日」と書かれているが、その横に「11月16日打ち上げ」とペンで書き込んだ。
今後も少しずつこうやって書き込んでいって、ここに書かれている未来が実現されるところを見ていきたい。
直近では、11月下旬のHAKUTO-Rや12月のCLPS-2のノヴァCか。
CLPS(民間月輸送サービス)というと、第1号になるはずだったペレグリンが2023年に延期してしまったけど、それも含めて2023年に結構目白押しなんだな。
それから、H3が年度内……か
スターシップ/スーパーヘヴィーまだー?

*1:本書では「2022年打ち上げ予定」と書かれているもののうち、去年は「2021年打ち上げ予定」だったし一昨年は「2020年打ち上げ予定」だったのでは、みたいなものもあったりするわけで

桑野隆『20世紀ロシア思想史 宗教・革命・言語』

20世紀のロシアにおける哲学や思想に一体どんなものがあるのか、概略をつかむのにちょうどよい入門書ないしハンドブック
かなり広範に扱っているが、ページ数は手頃な長さにおさまっている。その点、個々の思想について説明が少なくなってしまっているところはあるものの、「そもそも20世紀ロシア思想全然分からん」という身としては「こんなのがあるのか、こんなのもあるのか」と見ていくのには程よい分量であった。また、筆者自身、深彫りするというよりは、様々な思想があったことの紹介を目指しているようである。
20世紀のロシアといえば、やはりソ連の存在感が圧倒的だが、本書では、革命前から革命初期までにあった、宗教哲学ロシア・フォルマリズムロシア・アヴァンギャルド、あるいはフォルマリズム以降の言語学記号論構造主義について多くページが割かれており、それらがソ連、特にスターリン時代に抑圧された後、復活してきた思想についても紹介されている。
もちろん、レーニントロツキーなどの革命家の思想も紹介されているが、彼らについては、革命思想よりも「哲学」の側面に絞って紹介されている。


それにしても、何故突然ロシア思想の本を、という話だがいくつか理由はある。

  • 宇宙主義(コスミズム)への興味

コスミズムって最近時々名前を聞くけど、一体何なんだというのが気になっていた。
もともとは山形浩生のブログがきっかけだったかと思う。
セミョーノヴァ『ロシアの宇宙精神』:変態だー!! 「屍者の帝国」ディープな読者必読! - 山形浩生の「経済のトリセツ」
ロシア未来派とコスミズム - 山形浩生の「経済のトリセツ」
次いで、『ロシア宇宙開発史』をちょっと眺め、美術手帖SFMの木澤連載でも見かけていた。
冨田信之『ロシア宇宙開発史』(一部) - logical cypher scape2
『美術手帖2019年10月号』 - logical cypher scape2
『SFマガジン』2021年6月号 - logical cypher scape2

  • ロシア現代思想の流行あるいは世間的な関心の高まり

2017年に『ゲンロン』が「ロシア現代思想」の特集を組むなど、ロシア現代思想というのが一種の流行というか、世間的な注目を集めている様子がある。
また、ロシアのクリミア侵攻(2014)、ウクライナ侵攻(2022)などを受けて、プーチンの思想的背景としてネオ・ユーラシア主義という言葉も昨今にわかに目にする機会が増えてきていると思う。
(この本を手に取るきっかけとして)そういう世相からの影響も無論ある。

2020年にちくま新書から『世界哲学史』シリーズというのが刊行されていた
伊藤邦武・山内志朗・中島隆博・納富信留編著『世界哲学史8』 - logical cypher scape2など
ところで、このシリーズにはロシア哲学は含まれていなかった。恥ずかしながらそのことに自分は全然気付いていなかったのだが、それを指摘するツイートを見かけて「確かにないな」と思ったのだった*1。そして、そのツイートで本書も紹介されていたのだったと思う。

最後にこれはおまけみたいなものだが、最近立て続けに以下のものを読んで、ロシア・アヴァンギャルドへの関心が再度出てきていたところだった。
五十殿利治『日本のアヴァンギャルド芸術――〈マヴォ〉とその時代』 - logical cypher scape2
『SFマガジン2022年2月号』 - logical cypher scape2
本書をこのタイミングで読むことにしたのは、改めて目次を見てみたら、ロシア・アヴァンギャルドも含まれていることに気付いたから。
なお、SFマガジンに掲載されていた坂永雄一「〈不死なるレーニン〉の肖像を描いた女」はロシア・アヴァンギャルドを扱った作品だが、ボグダーノフも登場している。もちろんボグダーノフも本書に登場している。

はじめに――二〇世紀の「ロシア思想」

第1章 バフチン―― 「ロシア哲学」の外の思想
1 対話
2 カーニヴァル
3 バフチン・サークル

第2章 実証主義を超えて
1 実証主義批判
2 全一性の哲学――ソロヴィヨフとその後継者たち
3 道標派  
4 建神主義  
5 ロシア・コスミズム  

第3章 「ポスト宗教」思想  
1 芸術の自律――ロシア・フォルマリズム
2 精神の自由――前期ロシア・アヴァンギャルド
3 アナーキズム

第4章 言語思想――フィロソフィーとフィロロジー
1 言葉への関心の高まり
2 存在論的言語論
3 名とあだ名
4 シペートの哲学と内的形式
5 ヴィゴツキー――思考とことば
6 フォルマリズムから構造主義

第5章 革命思想
1 初期ロシア・マルクス主義
2 ボグダノフ、レーニントロツキー
3 ユーラシア主義
4 芸術を生活のなかへ――後期ロシア・アヴァンギャルド

第6章 ソヴィエト哲学の確立
1 哲学のボリシェヴィキ化 
2 社会主義リアリズム 
3 マールとスターリン言語学  
4 禁じられた宗教哲学――亡命知識人らの思想

第7章 雪解け時代の新潮流
1 記号論構造主義――モスクワ・タルトゥ学派
2 民族主義とリベラル――一九七〇―八五年の文化状況
3 文化のエコロジー――リハチョフ
4 異論派

第8章 ポストソ連思想
1 束縛を解かれた文化 
2 ポストモダニズムの登場
3 ママルダシヴィリと「余白の哲学」
4 文化の精神分析  

おわりに

あとがき
文献一覧

はじめに――二〇世紀の「ロシア思想」

ロシアでは、「哲学」という言葉より「哲学すること」という言葉の方がよく使われるという。
哲学を専門とする狭義の哲学者より、専門外の学者が「哲学する」ことが圧倒的に多いためらしい。このために、広範な分野で哲学が見られるし、あるいは逆に「ロシアに哲学はない」とも言われることになる。
本書でも、文学や言語学、芸術思想といったものを取り上げていて、というわけで、「ロシア哲学史」ではなく「ロシア思想史」ということになる。
また、本書は基本的に時系列順に構成されているが、バフチンだけ別立てとなっていることへの注意書きがなされている。
バフチンは、ロシア以外でも広く知られているだけでなく、本人の思想自体も広がりがあってどこか特定の位置に入れ込むことができなかったためとされている。実際、バフチンは他の章にも度々顔をだす。

第1章 バフチン―― 「ロシア哲学」の外の思想

バフチンというと、ドストエフスキー論(ポリフォニー論)やラブレー論(カーニヴァル論)が有名だが、初期には哲学や美学の著作もあり、独自の対話原理を様々な領域に適用した多面的な人物。
全体像を把握するのが難しく、思想史の中でどこに位置づけるかという評価も定まっていない、とのこと。
対話原理において、他者であることということを重視する。自分の姿というのも、自分自身では分からなくて、鏡とか外から見ることで分かるように、文化というのは、中にいても分からなくて外から見ることで理解できるようになる、という
プラトンの対話とか弁証法とかには批判的(最終的にモノローグ化するから)
また、民衆の笑いや非公式文化に注目するのがカーニヴァル
言語論や記号論についても論じている。

第2章 実証主義を超えて

第2章は、20世紀初頭から1910年代を扱う
ロシアでも西欧と時を同じくして実証主義批判の思想、具体的には宗教哲学などが出てくる

  • 2 全一性の哲学――ソロヴィヨフとその後継者たち

ロシアの宗教哲学に大きな影響を及ぼしたのが、19世紀の哲学者であるソロヴィヨフ
「全一性」「神人」「ソフィア」などがキーワード
ソロヴィヨフに影響を受けた者としてここでは、ブルガコフ、セルゲイ・トルベツコイとエヴゲニー・トルベツコイの兄弟、エールン、カルサヴィン、フロレンスキーが挙げられている。
ブルガコフは、マルクス主義宗教哲学を両立させていた珍しい人
カルサヴィンは、世界全体が階層的統一体をなすシンフォニー的人格論を唱えた
「ロシアのプラトン」とされるソロヴィヨフに対して、フロレンスキーは「ロシアのレオナルド・ダ・ヴィンチ」と呼ばれた
また、トルベツコイ兄弟のところで「ソボールノスチ」「ソボール性」という言葉が出てきたが、これは今後別のところでも出てくるキーワード。ロシア宗教哲学の伝統的理念で、「キリストとむすばれた人々のあいだの自由な連合ないし共同体的一体性」

  • 3 道標派  

1902年『観念論の諸問題』、1909年『道標』という論集が出されて、そこに集った人々
ベルジャエフやブルガコフ
カデット(立憲民主党)の穏健派で、急進派で無宗教的なインテリゲンツァを批判した。
逆に、道標派は、ゴーリキーレーニンなど各方面から批判された

  • 4 建神主義  

ルナチャルスキー、バザーロフ、ゴーリキーら初期ボリシェヴィキによる神なき宗教論
ルナチャルスキーは、マルクス主義こそ「神なき宗教」であると考え、神とは、完璧な社会主義的人類のことだと唱えた。いまだ人類は完全な存在にいたっていないが、いずれ進化して、理性によって全宇宙を支配するようになると考えた。
また、集団としての不死を唱えて、こうした不死論はゴーリキー『懺悔』の中にも書かれているという。
なお、ルナチャルスキーは途中からレーニンと対立しトロツキーと行動を共にしている。また、バザーロフはのちにメンシェヴィキへ近づき、最後は獄死している

  • 5 ロシア・コスミズム  

宗教哲学思想と自然科学思想における一潮流を「ロシア・コスミズム」と呼ぶようになったのは1970年代から
コスミズムは19世紀から形成され始め、その際の宇宙は、キリスト教的宇宙のことだったが、20世紀コスミズムでは世俗的宇宙も含むようになる
宇宙が人間の倫理的な自己決定の根拠となるという宇宙中心主義や、不死や死者の復活あるいは宇宙開発などの特徴をもつ
コスミズムへの関心は、ソ連解体前後に高まった。
代表的な論者としてここでは、フョードロフ、ツォオルコフスキー、ヴェルナツキーが挙げられている。
フョードロフは、全一性を自覚した人類による「共同事業」を論じ、その中に死者の復活もある、また、全世代が復活すると一つの惑星には収まりきらないので、宇宙開発を提案し、そのための肉体改造も考えた。
ツィオルコフスキーは、宇宙は感覚や精神を有する不滅の原子で構成されているという「宇宙汎神論」ないし「汎心論」を唱え、また宇宙の進化の中心に人間をおく「人間宇宙主義」や、独自の「宇宙倫理学」を持っていた。
ヴェルナツキーは、宇宙が「地質圏」「生物圏」「精神圏」から成り立ち、精神圏へと発達していくと考えた。
最後に、性と宗教について論じた異色の思想家ローザノフという人物が紹介されている

第3章 「ポスト宗教」思想

第3章は、「ポスト宗教」として文学・芸術の世俗化ならびにアナーキズムを取り上げる。
第2章では、20世紀初頭のロシアで宗教思想が強かったことを見たが、1910年代から芸術の分野では世俗化が進み、ロシア・フォルマリズムなどの合理主義的な(ロシア的な伝統からは離れた)思想が出てくる。


ロシア・フォルマリズムは、1916年にペテルブルクに設立されたオポヤズ(詩的言語研究会)と、1915年に設立されたモスクワ言語学サークルを中心とした詩学運動。
前者は文学研究者のシクロフスキーなど、後者は言語学者ヤコブソンなどがいる。
構造主義の先駆ともされる。
ヤコブソンは1926年にプラハ言語学サークルを結成し、1929年に「構造主義宣言」を発表している。レヴィ=ストロースプラハ言語学サークルにおける音韻論の誕生を重視していて、そこで言語学者ニコライ・トルベツコイ(セルゲイの息子)を引用している。
ロシア・フォルマリズムは、実用言語とは別に詩的言語を区別し、主に未来派の詩を分析した。未来派の理論的裏付けを果たしていた。
シトロフスキーの「異化」(ブレヒトの異化とは異なり社会性に欠くと言われるが、日常生活批判としてのものであった)


一方の未来派について
ロシア未来派は、イタリア未来派と違って一つのまとまったグループではなく、攻撃性やパフォーマンスなどもイタリア未来派に比べてると徹底していなかった(なので、マリネッティから批判されたりもしていた)
また、イタリア未来派と違って、テクノロジーに批判的で、機械よりむしろ自然や有機性を重んじた
一方、ヤコブソンは、イタリア未来派による表現の更新はルポルタージュ領域のもので詩的言語の領域ではないとして、ロシア未来派の方が芸術的にはラディカルだとした。
政治からは距離を置いていたロシア未来派だが、十月革命前後では、アナルコ・フトゥリズムが出てくる。マレーヴィチ、ロトチェンコ、タトリンなど。
十月革命前後の未来派にはアナーキストボリシェビキがいたのだが、最終的にはアナーキー党は壊滅。未来派は精神の革命をボリシェヴィキに期待していたが、1922年頃までにはアヴァンギャルド自体が潰える。
最後に、ロシア・アヴァンギャルドの中心人物である演出家のメイエルホリドについて、少し詳しく紹介されている
自然主義演劇」に対して「演劇的な演劇」を目指し、パブロフの条件反射理論に依拠した演技システムを考え、一方で民衆演劇ともつながっていた。また、悲劇と喜劇など相対立するものを包括したグロテスクを特徴としている
スタニスラフスキーは、メイエルホリドを高く評価しつつも、グロテスク論には批判的だった。
また、エイゼンシュテインは、メイエルホリドの弟子


最後に、アナーキズムについて
まず、アナーキズムには「古典的アナーキズム」と「ポスト古典的アナーキズム」があるとした上で、
前者はさらに「初期アナーキズム」と「後期アナーキズム」(アナルコ・コミュニズムキリスト教アナーキズム)に分けられ、
後者にはさらに、アナルコ・サンディカリズムや神秘的アナーキズムなどがある。
ここでは、アナルコ・コミュニズムクロポトキンキリスト教アナーキズムトルストイ、神秘的アナーキズムが紹介されている
トルストイについて、「ポスト宗教」の章で取り上げるのは本来不適切だが、アナーキズムとしてあえてここで紹介するとしている。トルストイ自身はアナーキストを名乗ったことはないが、徹底的な非暴力主義を貫いた結果、国家と財産の廃止を唱えた
神秘的アナーキズムとして、ベルジャエフ、チュルコフが挙げられている。チュルコフは、社会的な側面だけでなく精神的な側面での権力も廃絶するためには神秘主義だ、と論じた。

第4章 言語思想――フィロソフィーとフィロロジー

1910~20年代、ロシアでも言語への関心が高まる。
ロシアはもともと19世紀に、クルトネやフォルトゥナトフという優れた言語学者がおり、前者はソシュールに先駆けてソシュール言語学に近い見解を出していた。ロシア・フォルマリズムオポヤズには、このクルトネの弟子筋がいる。
一方、19世紀ロシアの言語学者としては、ポテブニャが広く後世に影響を与えており、「内的形式」という概念が、ポテブニャ、もしくはポテブニャを介してフンボルトから由来して、広がっていた。
本章では例えば、フロレンスキー、バフチン、シペートの内的形式論が紹介されている。


カフカスの修道士をきっかけとして「讃名」論争というのが起きている。中世の普遍論争にも似ていて、「神の名は神である」かという論争で、宗教哲学者の間で「名の哲学」が展開された。
フロレンスキーは、言語や名にエネルゲイア性を見ている


バフチンは、名とあだ名を対照させている。名は永久化と結びつくが、あだ名は現在と結びついている。バフチンは無論、後者の側に立つ


心理学者ヴィゴツキーの言語論・記号論も紹介されている。
人間の行動を制御する心理的道具としての記号


ヤコブソンは、ロシアの精神的伝統として反実証主義と反因果律をあげ、マルクス主義とフォルマリズムもこの伝統に連なるとしている。構造主義自体は国際的現象だが、その発達にあたってロシアの精神的伝統が寄与した、と。
さて、ヤコブソンと同様プラハに来ていたボガトゥイリョフは、機能構造主義記号論を展開する
ボガトゥイリョフの民族衣装論は、「機能構造の機能+情緒的ニュアンス」が「われわれの衣装」であるとし、言語や文化にも適用可能だといい、民衆演劇論にも記号論的アプローチを適用する
最後に、プロップ『昔話の形態学』も紹介されている。

第5章 革命思想

まず、19世紀後半から初期のロシア・マルクス主義者として、プレハノフがいて、そのプレハノフを、ボグダノフやバザーロフ、ルナチャルスキーが批判していく。
さらにその後、レーニントロツキーが出てくる。


まず、プレハノフだが、「物質的実体」だけが実在するとし、物自体が感覚世界という現象を生み出すと考えた。カントの不可知論には批判的で、物質的実体=物自体は、直接的には認識できないが、記号を介して認識することができるとした。
プレハノフはマッハに批判的だったが、彼より若い世代のボグダノフらはむしろマッハ寄りの考えで、現象と物自体という区別を否定し、プレハノフを不可知論だと批判した。ボグダノフは、客観性は(物自体という実体によってではなく)「集団的」な経験によって正当化されると考えた。
ボグダノフの経験一元論は、「組織化」というのがキーワードで、例えば、物理現象と心理現象の区別は、経験が集団的に組織化されているか個人的に組織化されているかの違い。
この組織化を文化にも適用し、「プロレタリア文化」の形成を目指し、プロレトクリト(プロレタリア文化協会)を結成した。
しかし、レーニンは、ボグダノフの組織化論を警戒(文化だけでなく政治面で党とは異なる勢力を作るのではないかという警戒)し、経験一元論を不可知論・主観主義として批判した。
(プレハノフはカントの不可知論を批判し、ボグダノフはプレハノフを不可知論だと批判し、レーニンはボグダノフを不可知論だと批判し、とここまで一貫して、不可知論が先行の論者を批判するワードになっているのがちょっと面白い)
一方、トロツキーは、科学と哲学を区別しつつも、科学を重視し、メンデレーエフダーウィン、パブロフ、フロイトの理論を取り込もうとしていた。
また、トロツキーは、社会主義が成り立てばプロレタリアートは存在しなくなるのだから、プロレタリア文化は存在しないとしたが、アヴァンギャルドやフォルマリズムへの立場は複雑。多くのマルクス主義者がすでにこれらに否定的だった時期において、一定の評価をしていたという点で異色だった。しかし、トロツキーの芸術観は保守的なものであり、フォルマリストやアヴァンギャルドとは一致しなかった。

  • ユーラシア主義

亡命ロシア人の間で出てきた政治思想
言語学者ニコライ・トルベツコイ、地理学者のサヴィツキー、宗教哲学者カルサヴィンらが貢献
ロシアのアイデンティティを「キエフ・ルーシ」ではなく、「ユーラシア」という概念に求める。
キエフ・ルーシへロシアの起源を求めるのは西欧主義的で、ヨーロッパでもアジアでもない「ユーラシア」概念を打ち出す。なお、この「ユーラシア」概念は地理的にはロシア帝国の版図を指していて、(ヨーロッパや東アジアを含む)ユーラシア大陸とは異なる。
また、汎スラブ主義にも批判的
「ユーラシア」の起源を、チンギス・ハンのモンゴル帝国に求めていた。
イデーによる支配や、ソボールノスチに似ているが違うシンフォニー的人格という概念をもとにした、反個人主義的なヒエラルキーを特徴とした国家構想を持っていた。これは、ソヴィエトの権力体制を利用しつつイデオロギー共産主義からユーラシア主義へと置き換えるというもの。
国家社会主義的・反個人主義的・イデオロギー独裁的なこの国家観が、他の亡命ロシア人から批判を浴び、分裂した。
本書には書かれていないが、最近、ネオ・ユーラシア主義というものが登場し、プーチンの思想的背景ともなっているといわれている。

後期未来派=レフ
トレチヤコフらは〈事実の文学〉運動を行う
これには、ベンヤミンも注目していた。
その名の通り、フィクションを否定し、新聞をモデルに脱個人化した文学を目指す。
アルヴァトフは、芸術によりモノの世界の変革を目指した

第6章 ソヴィエト哲学の確立

主にスターリン時代の思想・哲学について
本書は基本的に思想の内容を説明する形で進み、その思想家の略歴や政治・社会状況についてはあまり触れていない(この点については「おわりに」で述べられている)が、本章はさすがにそういうわけにもいかない。
スターリンに翻弄された学者たち、という感じである。
もともとマルクス主義と相容れない宗教哲学者たちはともかく、我こそマルクス主義的○○学を名乗りスターリンにも当初承認されていたのに、手のひら返しされている人たちの哀れ
いかにもソ連という感じがする。

1920年代初頭、マルクス主義哲学者内部でも対立が生じる。
ミーニンの「機械論」派と、デボーリンの「弁証論」派。
前者は、哲学は科学から独立していないという立場。ミーニンは特に極端で、科学さえあれば宗教だけでなく哲学も不要になるという立場
後者は、科学の認識論を成り立たせているのは哲学で、哲学なくして科学もないという立場
当初、デボーリン路線こそが正当な解釈とみなされたが、1930年にはデボーリンも断罪され、1931年、党はどちらにも支持を与えないことを決める。
1930年代以降、「スターリン哲学」が指針となっていく。

1934年、第1回ソヴィエト作家大会で「社会主義リアリズム」の定義が正式に定まる
この方針からはずれた作家は抹殺されていく。作家だけでも200名。この大会には600名近くの作家が参加したが、250名以上が粛清されていく。
革命期は「ユートピア的」というのが肯定的な形容だったが、ソヴィエト期にはむしろ否定的なニュアンスに変わる。
安定期に入り、今の現実こそが理想的状態である、ということから、「美しい現実」を描くこととされた。

マールという言語学者がいて、多様な言語がいずれ統一されていくという考えをしていた。彼は自分こそマルクス主義的な言語学をやっているという自負があり、実際、スターリンからも承認され、一時期はソ連ではマール言語学であらずんば言語学にあらずというような感じだったらしいが、スターリンの手のひら返しにあう。
マールは、階級的な言語観を持っていて、民族を超えて言語が統一されていくという考えだったが、スターリンはむしろ「民族」をベースとした考え方をもっていたので、ある時期からマール言語学と相容れなくなる。
ところで、そもそもマールの言語学自体、あまり証拠もなく、トンデモ気味の主張だったようだ。

  

  • 4 禁じられた宗教哲学――亡命知識人らの思想

宗教哲学者などは国外追放・亡命で国外へ行っており、特に、1922年の9月と11月に多くの哲学者が船で国外追放され、これらは「哲学者の船」と呼ばれている。
本書では、国外で活動をつづけた者のうち、ベルジャエフ、フランク、ロスキー、イリイン、シェストフが紹介されている。
ベルジャエフは、マルクス主義が反宗教的でありながらも宗教的色合いを帯びていることを見て取っていた。反平等、自由の哲学を主張した。
フランクやロスキーは、ソロヴィヨフ哲学に大きな影響を受けていた。
イリインはボリシェヴィキ政権を評論活動で攻撃しつづけ、死刑を宣告されたこともある。霊性を重要視した。将来のロシアの国家体制として君主制をもっとも望ましいものと考えていた。
なお、本書には書かれていないが、イリインでググると、プーチンに影響を与えた思想家とされている。
シェストフは、哲学者の船以前に亡命していた。反合理主義で、人格にとって宗教経験を重要視した。自らの思想をユダヤキリスト教哲学や、キルケゴールの実存哲学の系譜に位置づけた。

第7章 雪解け時代の新潮流

フルシチョフによるスターリン批判(1956)以後、文学や言語学を中心にいわゆる雪解けと言われる状況が訪れる。この状況は、1966年のシニャフスキー=ダニエル裁判で終わるとされる。

1960年前後には「モスクワ・タルトゥ学派」というロシアの記号論が活動を開始。
本書では特に、タルトゥのロートマンとモスクワのイヴァノフが紹介されている
イヴァノフは、20世紀初頭のロシアの作家・思想家など(バフチンヴィゴツキーエイゼンシュテインアヴァンギャルド)を再評価する道筋を作った。

  • 2 民族主義とリベラル――一九七〇―八五年の文化状況

1968年プラハの春以降、締め付けが厳しくなる
タムイズダート(国外出版)の代表格としてシニャフスキーがいる
一方で、復古主義民族主義的な文学批評も台頭し、コスモポリタニズム批判や反ユダヤ主義へとつながっていく。彼らは「農村派」作家を評価した。
他方で、リベラルな批評家たちもいた。彼らは多様で、単一の傾向はなかったが、彼らもまた「農村派」作家に関心を持っていた

中世ロシア文学の泰斗であるリハチョフは、文化遺産の保護を課題とする「文化のエコロジー」、そして、〈記憶〉の詩学を展開する。
当時のソ連では〈記憶〉という言葉が色々な響きを持っていたらしい(地下出版雑誌の誌名となったり、排他的民族主義グループがそう名乗ったり)
ペレストロイカ前後から、環境保全への関心も高まる。

  • 4 異論派

ここではソルジェニーツィン、物理学者のサハロフ、歴史家のロイ・メドヴェジェフの3人が紹介されている。
特にソルジェニーツィンとサハロフは、反体制の闘士とされることが多いが、2人の思想は大きく異なっていた。
ソルジェニーツィンは、民族主義的保守派で民主主義を批判しているのに対して、サハロフは民主主義の発達こそ好ましい道と考えていた。

第8章 ポストソ連思想

ソ連崩壊以後、「イデオロギーの空白」が訪れる。
宗教哲学が次々と復刊され、宗教哲学ブームが起こる。
一方でエプシテインなどにより「文化学」という新しい学問も登場する
また、ポストモダニズムも登場する。
ポストモダニズムはまず、イリヤ・カバコフなど造形芸術で使われた。
また、ポストモダニズム批評もあらわれ、コンセプチュアリズムを否定神学的と論ずるエプシテインや、論文ともエッセイとも創作ともつかないスタイルをとるゲニスなどがいた
一方で、カージンなどポストモダニズム批判も早々に現れる。
ママルダシヴィリは、「意識」に関心をもつ哲学者で、彼の弟子たちは「余白の哲学」シリーズを刊行した。「文学中心主義」批判や「言語中心主義」批判を行った。
1990年代には文化に対する精神分析的アプローチも増える。
エトキンド、ゾロトノフ、スミルノフなど
また、グロイスは、ロシアをヨーロッパの下意識として捉えた。


ポストモダニズムとか精神分析とか、西欧由来の思想が入ってきて、ロシアに限定されない思想をやるぞという方向と、いやしかし、やっぱりロシアにはロシアの特殊性があってという方向の両方が混ざっているということなのかなと理解した。

おわりに

ロシアの思想や哲学は、少なくとも20世紀初頭などはかなり多様な感じもあるが、一方で「ロシアの運命」を論じるという統一性があるという指摘もある。つまり、みんなロシアの特殊性を論じるのが好き、という話。
これについて筆者は、両義的なことを述べている。
まず一方で、「ロシアの運命」的な枠組み、つまり権力との関係で読んでしまうことの危険性を述べている。例えばバフチンヴィゴツキーなど、既にロシアという枠組みにとどまらない読み方をされている思想家がいるように、他にもそのような読み方が可能な思想家がいるのに、その可能性を見逃してしまうという危険性である。
しかし他方で、ロシアの思想家はみな権力との関係を抜きに読むことができないというのも事実である、と。
本書は、紙幅の都合もあり、思想家の経歴にはほとんど触れていないが、本書に登場する思想家のほとんどに、逮捕、投獄、弾圧などの経験がある。
あまりにも当然の話なので全然触れてないけど、その点は忘れてはならないという念押しがされている。

*1:ただし、その後に出た「別巻」には、未読なので詳しくは知らないがロシア現代哲学の章が立てられている

ウィリアム・ギブスン、ブルース・スターリング『ディファレンス・エンジン』(黒丸尚・訳)

言わずと知れたスチームパンクSFの古典
遙か昔に一度読んだことがあったのだが、全然内容を把握することができず、いつか読み直そうと思いながら幾星霜……。
ギブスン+スターリング『ディファレンス・エンジン』 - logical cypher scape2
最近、巽孝之『恐竜のアメリカ』 - logical cypher scape2を読んだら、『ディファレンス・エンジン』について触れられていて、「あ、そういえば」と思い出して漸く再読を果たした。
前回読んだ時の感想として「多分、一気に読むことが出来れば良かったのだろうけど、ぶつぶつと途切れながら、だらだらと読んでしまったので、全体像が把握できぬまま読み終わってしまった。」とあり、これがまさに敗因(?)なので、今度はなるべく一気に読んでしまおうと思ったのだけど、結局、今回も途中で別の本を読む期間を挟みながら読んでしまったので、またもや「あれ」となるところがなくもなかったが、前回よりは分かった気がする。
とはいえ、そもそもストーリーの把握しにくい作品のような気がする、知らんけど。
全部で6章なのだが、大きく分けると4つのパートに分けられ、それぞれ主人公が異なる。
第1パートは、シビル・ジェラードとミック・ラドリー(第一の反復)
第2パートは、エドワード・マロリー(第二の反復、第三の反復、第四の反復)
第3パートは、ローレンス・オリファント(第五の反復)
第4パートは、他と趣向が違っていて、様々な記事や手記などの引用から構成されていて、後日談やら何やらとなっている。
オリファントは、第1パートにも第2パートにも登場している。シビル・ジェラードとミック・ラドリーが引き起こした事件を、第3パートでオリファントが解明せんとするという話になっているのだが、じゃあその間に挟まっているマロリーパートは一体何だったのか。
マロリーパートは、確かにアクションシーンやスチームパンク的ガジェットの多いパートではあるのだが、一方で、どこに向かおうとしているのかがわかりにくい。というか、物語全体への関与度に対して分量が長すぎやしないか、という感じがしたのだが、しかしまあ、自分がちゃんと読めていないだけなのかもしれず、なんともいえない。
あと、実はこの作品全体が1990年に差分機関自体が書いたものだったのだ、というメタフィクション的なオチがあるが、話の内容以上にこのオチ自体が有名なので、読んでいて驚きを感じることはできず、それは仕方ないとして、じゃあこのオチにいたる伏線がどういう風に張られていたのかもいまいち把握できず、うーんであった。
巻末には、アイリーン・ガンによる「差分事典」という用語集が付されており、登場人物や歴史的事件、用語についての史実の説明がなされている。
これを読んでいると、この作品の背景にある大枠として、ラッダイト運動があることがよりはっきり分かってくる。
一方、後にオリファント森有礼らの日本人をつれてアメリカにおけるハクスリーのユートピア運動へと合流したことについても色々分かるのだが、ここらへんの作品自体との関係もいまいちつかめなかった。

第一の反復 ゴーリアドの天使

テキサスからロンドンへ講演旅行にやってきたヒューストン将軍
この世界で、アメリカは統一されておらず複数の国家が乱立している。ヒューストンはテキサス共和国の元大統領でイギリスからの支援をあてにしての渡英。
蒸気映像(キノトロープ)という技術が講演にあたって、今や必要不可欠で、ミック・ラドリーはこれの技師として将軍に帯同している。
物語は、そのラドリーがシビル・ジェラードという商売女とベッドをともにしているシーンから始まるのだが、実は彼女は、父親がある男の裏切りにあり、このような身にやつしている。その男はいまや有力議員となりつつあり、ラドリーは彼女をロンドンからパリに逃がすことを画策する。
ミックから預かったカードをパリへと小包で送る
ミックとヒューストン将軍はテキサス人に殺される。
ところで、ガンの「差分辞典」によると、シビル・ジェラードとこの議員エグレモントは、ベンジャミン・ディズレイリの小説に出てくる登場人物らしい。

第二の反復 ダービィ競馬日

生物学者エドワード・マロリーは、アメリカでの恐竜発掘を終えてイギリスに帰ってきた。弟と友人が参加しているガーニーのレースを見に来ていた。
そこで、暴漢に襲われている女性を助けるのだが、それはバイロン首相の娘にして機関(エンジン)の女王エイダ・バイロンだった。
マロリーは、彼女から謎のパンチカードを預かる。
一方、ガーニーレースでの賭けに大勝ちし、一躍金持ちになる。


このエドワード・マロリーは、作中では、雷竜(ブロントサウルス)の発見者とされており、それにより名声を博し、碩学の1人と遇されている。
ところで、マロリーにはエドウィクというライバルがいて何者かによって殺されている。
マーシュとコープのライバル関係をモデルにしているのだと思われる(実際には2人とも殺されていないが)。
マーシュとコープの化石戦争については、「差分辞典」にも記載がある。本作の舞台が1855年前後であるのに対して、実際の化石戦争は1870年代という違いがある。
なお、ブロントサウルスは、後に頭骨の付け間違いによって誤って新種とされただけで、アパトサウルスと同種だということが分かっているが、作中で、マロリーがエイダから預かったパンチカードを隠したのは、ブロントサウルスの頭骨化石の中であった。
なお、エドウィク以外にも、ピーター・フォークという博物館勤務の男が出てきて、彼もマロリーとの間に復元を巡って確執がある。


作中に出てくるガーニーというのは蒸気自動車のことで、マロリーの弟は、”
線流型”をした新型ガーニーに乗ってレースに参加した。全くの新型であったため、大穴扱いであり、マロリーも半ば気の迷いのように大金を賭けていた
なお、生井英孝『空の帝国 アメリカの20世紀』 - logical cypher scape2によれば、「流線型」は1920~30年代マシン・エイジのキーワードである。

第三の反復 裏取引屋

マロリーは、ジャーナリストを名乗るオリファントという男と会う。彼は、マロリーがアメリカで関わった武器の密輸の件で、テキサス人に命を狙われているという。マロリーは、エイダが襲われていた件をオリファントへ告げる。
マロリーは、暴漢の正体を突き止めるべく、統計局の犯罪人体測定部へと赴く
犯罪者のデータを蓄積しているところで、機関(エンジン)を使って検索して調べることができる。
ところで、この世界では、国民IDみたいなものがあってクレジット機能と繋がっているっぽい。
で、フローレンス・ラッセルという毒婦とキャプテン・スウィングという男の名前があがってくる。
以降、マロリーがどうにしかてスウィングを捕まえてやろう、という方向で話が進む


今度は、マロリー自身が襲撃を受ける。
マロリーには弟や妹が多くいて、妹が今度結婚するというのでそのためのプレゼントを買っていたところで襲撃に遭う。
オリファントがマロリーの護衛を依頼したフレイザー警部が登場する
助けられたマロリーは、オリファントの家に招かれ、そこで森有礼ら日本人グループと出会う。

第四の反復 七つの呪い

ロンドンは「大悪臭」という災厄に見舞われる。
読んで文字通りの災厄なのだが、これによりロンドンを離れられる者たちは次々と離れていき、ロンドンの治安が悪化していく。
こうした中、ラッダイトが反乱を画策しはじめ、マロリーはスウィングを捕まえるべく、ラッダイトの巣窟へと向かう。


マロリー自身は、政治的には急進派という立場で、現首相のバイロンバベッジ卿を支持している。機関による産業革命を推進する立場で、科学者とも親和的なので。
その後、弟が2人ロンドンへやってくる。1人はクリミア戦争に参戦した軍人でもある。マロリーやフレイザー警部がスウィングを捕まえるのに同行する。

第五の反復 すべてを見そなわす眼

オリファントは、ミックの事件を調べ、シビル・ジェラードを追ってパリへと向かう。

モーダス――提示されたイメージ

大悪臭の際に、バイロンが亡くなっているのだが、バイロンの葬儀の際の夫人の様子の話とか
エグレモント宛への手紙とか
ジョン・キーツオリファントに会った時のことを話したインタビューとか
森有礼の手紙とか
最後に、パリで講演していたレイディ・エイダに話しかけたフレイザーの話

島尾敏雄『夢屑』

1970~1980年代、筆者が50代後半から60代前半の頃に書かれた短編集。
『戦後短篇小説再発見 6 変貌する都市』 - logical cypher scape2で読んだ「摩天楼」が面白かったので、手に取ることにした。

解説によると、島尾作品には、『死の棘』など妻との関係を書いた作品の系列、戦争体験(特攻隊)を書いた作品の系列、そして本作(「摩天楼」)のような夢を書いた作品の系列の3系列があるらしい。

タイトルからして、夢を書いた作品の系列だろうと思われたので『夢屑』を読んでみることにしたが、本短編集収録8編のうち「夢屑」「過程」「痣」が夢を題材にした作品で、それ以外の「幼女」「マホを辿って」「水郷へ」「石造りの街で」「亡命人」は、いわゆる私小説である。また、夢を題材にした最初の3編にしても、「摩天楼」とはだいぶ雰囲気の異なる作品群であった。
しかし、いずれも面白い作品だった。
「夢屑」「過程」「痣」は筆者自身が見た夢を書き綴ったものだと思われるが、筆者自身の経験を反映したと思われるエピソードが多く、続く私小説的な5篇のうちいくつかは、それの答え合わせ的な側面もあって、面白かった。
島尾は、妻との関係を綴った『死の棘』が代表作(映画化もされている)だが、本短編集収録作は、いずれも『死の棘』完結後に発表された作品である。筆者は69才で亡くなっているので晩年の作品とも言える。「摩天楼」は1947年、30才の時に書かれた作品なので、雰囲気の違いは当然ともいえる。なお、夢系列の作品としては、1948年の「夢の中での日常」などもあるようなので、そちらも気になると言えば気になる。

夢屑

筆者が見たと思われる夢のエピソードが、断片的にいくつも書かれている。
最初の方は、比較的現実的な話が多いが、だんだんと非現実的な要素が増えていく。というか、死にまつわる夢が増えていくという構成になっている。
図書館長をやっていた頃、東京に住んでいた頃、教員をやっていた頃、ロシア人の少女との再会など、実際の経験を反映したものが多いが、夢の中の出来事なので、いずれも少し不思議なエピソードだったり、途中でぶつ切りになったエピソードだったりしている。
死にまつわる夢は、特攻隊員であった経験の反映であろうが、こちらは特攻隊の話が直接出てくるものはない。
死のうとする、あるいは死んでしまった夢などが、超現実的な雰囲気で描かれている。例えば、家族揃って入定の儀式に臨み、粘土のようなものに顔を突っ込む夢。死んだふりをして川の中に投げ込まれ、しばらく経った後起き上がろうとしたら、川の中の他の死体もぞろぞろと起き出す夢、爆発が起きて、自分の家の一室以外が消滅してしまい、妻と2人で熱死を座して待つ夢など。

過程

断片的に夢が綴られるという点で「夢屑」と同様だが、各エピソードにタイトルがふられている。
沖縄を舞台にした夢が多く、その場合、巳一という男が主人公になっている
「ドアを三つ持った細長い部屋」「青い海」「同郷の若者同士」「座談会にて」「花子になったワーリャ」「名知らぬ港町」「パーティの女」「少女を連れ出す」「散乱した肉と骨」「変事」

「過程」と同じ形式で書かれており、「過程」と「痣」とで一セットというか、あまり区別がつかない。
「菱形の凧に似た物体」「川沿いの二階屋での自由」「理髪店にて」「地が揺れる」「掃除をしないウラ」「美しくは無い女の子」「父」「痣」「潮のにおい」「みみずく」

幼女

小学2、3年生の頃に、娘のマヤと同級だったミユカとの話。
米兵を父にもち、シングルマザーのもとで育てられていて、マヤと何らかのトラブルがあり、おそらくマヤの失語症の原因となっている。
というわけで、妻とマヤはこの子を避けているのだが、主人公は何故かこの子になつかれており、主人公も邪険に扱うことができず、むしろかわいがっている。
マヤの病気のためにマヤと妻が東京へ行っていた時期にに、ミユカはますます頻繁に家に遊びにくるようになった。

マホを辿って

孫のマホについての爺馬鹿話といえば爺馬鹿話だが、マヤの関係なども含めてなかなか読み応えがあり、解説では「出色の短編」と評されている。
東京に住んでいる息子夫婦は、2,3か月に一度は孫を連れて茅ヶ崎へ遊びに来ていたが、3歳になって一人でも泊まることになる話
マホが次第に言葉を覚えて色々と話すようになっていく頃の話でもあり、マホの話し声を録音したカセットテープを主人公夫婦はよく聞いている。ところで、マホの叔母にあたるマヤは、小さい頃は活発だったが小学校3,4年生の頃から失語症になっている。マホからマヤがどのように見えるのかを心配していたのだが、マホはマヤに一番に懐いている。お泊りの時もマヤと一緒に眠っている。
一方のマヤもマホのことをよくかわいがっており、主人公にとっては、それもまた知らぬマヤの一面をみたということになる。
作家なので、ホテルに缶詰めで仕事をするのだが、その時にもカセットテープを持っていって、マホの声を聞いているところで終わっていて、まあ爺馬鹿といえば爺馬鹿なのではという話だが、マホがあっという間に成長していくことから、カセットテープに記録されている過去のままのマホと、あるいはさらに大人になっていく未来のマホという時間の重なり合いに戸惑ったり緊張したりしている主人公の様子が描かれている。
最後、2ページほど、マホの幼児言葉で語られる昔ばなしがカタカナでそれだけ書かれているところで終わる。

水郷へ

中学生くらいの頃に父に釣り旅行へ連れられた温泉地へ、再び旅行へ行く話
父とはあまり親しくなく、その時の旅行も決していい思い出ではない。そもそも何だったんだあれ、という感じの話

石造りの街で

妻とともにイタリアのFという街へ旅行した際の話
ある劇団がイタリアに行くというのでそれについていった旅行で、旅行の準備をあまりちゃんとしておらず、しかし現地についたら当然劇団はそこでやることがあるわけで、自分たちだけで過ごさなければならなくなる。
それで緊張して疲れてくるのだが、一方の妻は、思いのほか自然体で楽しみ始めている。日本にいるときと変わらぬふうに買い物したりしている。
街にでて夕飯を食べに出たときに、自分自身も次第にこの街にひきつけられていることに気づく。

亡命人

商業高等学校時代にロシア語を習った教師についての話から始まり、何故ロシア語かということで、長崎時代に知り合ったロシア人家族の話をしている。「夢屑」や「過程」で出てきたワーリャという少女は、ここに出てきている。
あとになって、横浜に移ったと聞いて消息を辿ろうとしたけれど、時間が経ちすぎていて辿り切れない。

島尾敏雄略歴

夢に関して、筆者の経験が反映されているところが多いので、巻末の略年譜やWikipediaを参照しながら簡単にまとめてみる。
横浜生まれだが、小学生の頃に神戸へ移住
神戸の商業学校→長崎の高等商業学校→九州帝大へ進学
大学生の頃に、庄野潤三と親交があり同人活動をしている。戦後には、さらに三島由紀夫らも交えて同人活動をしている。
1943年に海軍へ志願し、1944年に、特攻隊の隊長として奄美諸島加計呂麻島へ着任
島で教員をしていた大平ミホに出会い、終戦後、結婚。
戦後、神戸で教員をした後、東京へ移住。
島尾の浮気により妻が精神を病み入院。退院後、奄美の名瀬へ移住。
奄美ではまた教員をした後、県職員となり、県立図書館奄美分館の初代館長となる。
沖縄旅行もよくしていた模様。
60才の時に茅ヶ崎へ移住するが、67才で鹿児島へ戻り、鹿児島で亡くなっている。



島尾一家はなかなかみんな芸術家で、妻のミホは40才の時に小説家デビューしている。
長男の伸三は写真家で、その妻も写真家
孫(伸三の娘)の真帆は、漫画家のしまおまほ。なお、これでWikipediaを見ていて初めて知ったのだが、かせきさいだぁが、しまおまほ事実婚していて子どもがいるようだ。
なお、伸三の下にマヤという娘がいて、「幼女」や「マホを辿って」に出てくる。小学生の頃に失語症となったことが作中にも書かれているが、その後、52才で亡くなったらしい。