ブルース・ククリック『アメリカ哲学史』(大厩諒・入江哲朗・岩下弘史・岸本智典訳)

サブタイトルに「一七二〇年から二〇〇〇年まで」とあり、18世紀からの宗教哲学、19世紀からのプラグマティズム、20世紀からの分析哲学の三部構成で書かれた本。


元々、フィルカルvol.5 no.2 - logical cypher scape2アメリ哲学史特集が組まれたりと、アメリ哲学史関連の本が最近立て続けに出ていて気になっていた。最近、桑野隆『20世紀ロシア思想史 宗教・革命・言語』 - logical cypher scape2を図書館で借りた時、近くの棚に置いてあったのを見かけて、「そういえば気になっていたんだよな」と思って手にとった。
アメリカ哲学というと、自分は分析哲学には色々触れているものの、それ以前のことはほとんど知らず、分析哲学についてもあまり歴史的な観点では触れていない。
ドイツ観念論アメリカ哲学のつながりとか、大学などの制度的な面からの哲学史とかそういうあたりに興味をひかれた。
ところで、本書を読んでみると、制度的な話もしているのだが、それ以上に、取り上げている哲学者の思想内容についても(当然ながら)がっつり論じられていた。


まず、第1部についていえば全く知らないところで、出てくる人たちの名前すら知らないという有様だった上に、基本的に神学の話なので、内容の理解もなかなか覚束なく難しくはあった。
ジョナサン・エドワーズという人が起点で、この人が、ロックなどイギリス経験論ひいてはヨーロッパの哲学からの影響強めの神学を始めて、神学校ができて専門職化していったのともかかわって、それで哲学寄りの神学がどんどん出てきたというのが大雑把な感じ。
ユニタリアニズムとかトランセンデンタリズムとか名前はなんとなく聞いたことがあるがよく分からんというものの立ち位置が、少しだけ分かった気がした。
第2部は古典的プラグマティズムで、パース、ジェイムズ、デューイという高校でも習う超有名な3人を扱っているが、これに加えて、アメリカの観念論者として名前は聞いたことがあるのだが名前以外よく知らなかった、ジョサイア・ロイスについても取り上げられていて面白かった。
あと、パース、ジェイムズ、デューイの3人は確かに名前だけなら有名だが、彼らがどういう哲学者・思想家だったか聞かれると、正直心許ない。そのあたりが、少し分かったような気がした。
第3部は分析哲学、というか、分析哲学が主流となっていった20世紀アメリカ哲学界を対象としている。訳者解説でも触れられているが、「分析哲学史」として書かれているわけではない。どちらかといえば、蛸壺化してしまった分析哲学に対して批判的な論調で書かれている。
とはいえ、かなり色々と勉強になった。
まず第11章は20世紀前半だが、新実在論や批判的実在論というのを全然知らなかったのでそれがまず勉強になった。特に後者については、そこにラブジョイが位置づけられることやセラーズの父親もまた有名な哲学者だったことなどが。
また、同じく第11章はC.I.ルイスとウィルフリド・セラーズも扱っている。C.I.ルイスは様相論理学の先駆者、あるいはクオリアという言葉を現代的な意味で使い始めた人として、名前はよく見かけるのだが、しかしそういう断片的なことしか知らなかった*1ので、どういう哲学者だったのか知れてよかった。
また、第12章から第14章については、20世紀アメリカの大学の哲学科がどういう状況に置かれていたのかということが知れて面白かった。大学の名前がぽんぽん出てくるのだが、アメリカの大学は名前は聞いたことあっても、どういう位置づけかよく分からないので、そのあたりも面白かった。

序論

第1部 アメリカにおける思弁的思想 一七二〇―一八六八
 第1章 カルヴィニズムとジョナサン・エドワーズ
 第2章 哲学と政治
 第3章 神学論争 一七五〇―一八五八
 第4章 カレッジの哲学 一八〇〇―一八六八
 第5章 革新的なアマチュアたち 一八二九―一八六七
第2部 プラグマティズムの時代 一八五九―一九三四
 第6章 革命のかたち
 第7章 観念論へのコンセンサス 一八七〇―一九〇〇
 第8章 ケンブリッジにおけるプラグマティズム 一八六七―一九二三
 第9章 ハーヴァードにおけるプラグマティズム 一八七八―一九一三
 第10章 シカゴとニューヨークにおける道具主義 一九〇三―一九三四
第3部 専門職的な哲学 一九一二―二〇〇〇
 第11章 専門職的な実在論 一九一二―一九五六
 第12章 アメリカに対するヨーロッパのインパクト 一九二八―一九六四
 第13章 ハーヴァードとオックスフォード 一九四六―一九七五
 第14章 専門職哲学の苦難 一九六二―一九九九
結論
謝辞
訳者解説 アメリカ思想史の一分野としてのアメリ哲学史[入江哲朗]
訳者あとがき[大厩諒]
方法、文献、註
主要人物表

第1部 アメリカにおける思弁的思想 一七二〇―一八六八

第1章 カルヴィニズムとジョナサン・エドワーズ

アメリ哲学史ジョナサン・エドワーズから始めるのは、訳者の一人である入江によれば「実のところきわめてオーソドックスな哲学史観」だというが「日本においては、残念ながら、この哲学史観がオーソドックスであることもあまり知られて」いないという通り*2、自分も全然知らなかった。
ロックをはじめとするヨーロッパの哲学に影響を受けたエドワーズ
一次性質と二次性質の区別を退け、いずれも直接に知られるとして、観念論を唱える
また、神による因果的決定論と個人の自由意志との両立を説く。神による作用因と出来事の系列の区別。
人間は必ず堕落するので神の恩恵が必要というカルヴィニストと、人間は善良に生きることを選ぶこともできるというアルミニウス主義がいて、エドワーズはカルヴィニストの立場から、自由意志が罪をもたらすと考えた。

第2章 哲学と政治

この時期のアメリカにおいて、哲学と政治が乖離していたという話
建国者たちは、政治に関する理論的な文章をたくさん書いているけれど、アメリ哲学史で「哲学者」と呼ばれる人たち(エドワーズやその影響を受けた者たち)とは距離があった。
逆に、エドワーズなどの哲学者にとっても、政治や社会は二次的・三次的な関心の対象でしかなく、政治とは距離をとっていた。

第3章 神学論争 一七五〇―一八五八

エドワーズに影響を受けた者たちにより、ニューイングランド神学=ニューディヴィニティ(新神学)が生まれる。
18世紀前半、ハーヴァード、イェール、プリンストンが聖職者養成学校として台頭する。ニューディヴィニティはイェールが中心。
ニューディヴィニティは、2種類の因果分析を行い、神の世界と人間の世界を区別して、エドワーズの意志論を引き継ぐ。他からの批判に応答する形で、例えばエモンズによる「行使論」などが展開される。
エドワーズやその後継者は、ロックやバークリー、ヒュームの考えの影響を受けていたが、イェールやハーヴァードから距離を置き始めたプリンストンでは、ウィザースプーンが、これをスコットランド実在論に置き換える。
また、ハーヴァードはもともとコスモポリタン的でカルヴァニズムとも距離があったので、イェールなどとは違っていたが、アルミニウス主義からユニテリアニズムへと向かう。イエスは神の子ではないという立場。
こうしたハーヴァードの動きは、牧師の養成に相応しくないと考えたカルヴィニストたちは、アンドーヴァー神学校をはじめ新たなプロフェッショナル・スクールを作る
ところで、ニューヘイヴン(イェールの所在地)はニューヘイヴンで、テイラーが、エドワーズの考えを独自に解釈しなおした(ニューヘイヴン神学)。

第4章 カレッジの哲学 一八〇〇―一八六八

もともとアメリカでは哲学は神学と一緒に行われて、独立したものではなかったが、カレッジと神学校がそれぞれ増えていくことで、哲学は相対的に独立していく。
ヒューム的な懐疑論に対抗するものとして、スコットランド哲学(とそれに先立つものとしてのロック)とカントがそれぞれ見いだされていく。
1830年代から、カントやドイツ哲学がアメリカへ入ってくる

第5章 革新的なアマチュアたち 一八二九―一八六七

ここでいうアマチュアというのは、大学教員ではなく、講演や著述を通じて自分たちの思想を広めた者たちのこと。ラルフ・エマソンなどの名前が出てくる。
知的な層が、かつては牧師や神学者となっていて、あるいはこれより後の時代だと大学教員になっていくのに対して、ちょうどその中間の時代で、そのどちらでもない立場で影響力を発揮していた、と。それをここでは「アマチュア」と呼んでいる。
彼らは、ドイツ哲学を積極手に取り入れていった
ヴァーモント大学の学長ともなったマーシュは、カントを用いて神学を再構築しようとした。
また、ユニテリアンの元牧師だったエマソンたちは、トランセンデンタリズムを立ち上げた。この名前はカントに由来し、カント哲学をもとに神学を乗り越えようとした。
ブッシュネルは、物理的な文字通りの真理と霊的な比喩的な真理とをわけて、宗教的な言語は後者を述べるものと論じた
ブッシュネルやネヴィン、ハリスは、ヘーゲル主義者であった
ハリスは、英語で書かれた最初の哲学に関する雑誌である『思弁哲学雑誌』を1867年に創刊した。パース、ジェイムズ、ロイス、デューイはこの雑誌から世に出ることになった。

第2部 プラグマティズムの時代 一八五九―一九三四

第6章 革命のかたち

ダーウィンの進化論が衝撃を与えたこと
大学の変化、神学が凋落し哲学が高い地位を占めるようになったことなど

第7章 観念論へのコンセンサス 一八七〇―一九〇〇

ジョン・デューイとジョサイア・ロイスについて
本書は、プラグマティズムを観念論の一種だと位置づけるが、本書において観念論は、存在を意識が超越する立場、としている。
存在が意識の外界に実在するという、いわゆる実在論の立場にたつと、そもそもどうやって我々は外界についてアクセスすることができるのかという問題が生じる。一方、観念論の立場にたつと、逆に、どのようにして誤謬が可能になるのかという問題が生じる。
第1部の神学においては主に、決定論と自由意志が問題になっていたのに対して、第2部では認識論が問題になるように変化したように感じる。
ロイスはカントから影響を受けながら、観念論を作り上げた。実在を経験する「仮説的な主体」を要請する。誤謬を「不完全な思考」と定義した。
デューイは自らを「新ヘーゲル主義」と名乗っている。
進化と観念論を結びつける。絶対的な意識を前提。心理学に着目し、科学と宗教の両立可能性を力説。
 

第8章 ケンブリッジにおけるプラグマティズム 一八六七―一九二三

チャールズ・パースについて
ケンブリッジで、哲学者のジェイムズやライト、パース、法律家のホームズやグリーン、ウォーナーらがメタフィジカル・クラブを結成
進化論と整合的に信念の本性を調査するための確率としての「プラグマティズム


パースは父親が高名な数学者で、父親パワーで天文台や米国沿岸測量局のポストを得ている。その後、ボルチモアジョンズ・ホプキンス大学に就くも、女性関係スキャンダル等で辞めさせられる。ジェイムズやロイスによって、ハーヴァードではパースはよく知られており、ジェイムズの尽力はあったのだが、ボルチモアの醜聞により、ハーヴァードで職を得ることは適わなかった。


パースは『純粋理性批判』をきっかけに哲学をはじめ、表象がどのように可能になるかを問うた。
唯名論では、偶然な一般化と法則的な一般化の区別ができない。また、デカルトやロックのような形而上学実在論は必然的に唯名論に帰結するとして、認識論的実在論の立場をとる。認識論的実在論は観念論を含意する。実在的なものの定義は、科学的共同体によって信じられる対象である。


死後残されたパースの草稿を整理するために多くの哲学者が招へいされたらしい(ラッセルやサンタヤナ、C.I.ルイスなど)。
多くの人が関与したことで、草稿群はどんどん乱雑な状態になっていった、と。1930年代に2人の大学院生の手によってようやく『論文集』が刊行される。これは大きい業績ではあるが、さらに混乱をもたらすものでもあった、と。

第9章 ハーヴァードにおけるプラグマティズム 一八七八―一九一三

ウィリアム・ジェイムズについて
ジェイムズは、ダーウィンの進化論に衝撃を受けて、これと自分の宗教的信念をどう両立させるかという点で思想をスタートさせていった。
かなり鬱などを持っていたらしい。
心理学から始まって、次第に哲学へと移行していった。
様々な哲学的信念などは気質によるのだ、という話
パースがあくまでも科学的推論のことと考えていたプラグマティズムの原理を、個人の心理的過程にもあてはめる。


この章の後半では、ロイスとジェイムズが比較されている。
2人は互いに論争しているのだが、実はロイスはジェイムズに結構同意していて自らの立場を「絶対的プラグマティズム」とも称していたらしい。
2人は、絶対者をめぐって立場が分かれていた。
ロイスは、絶対的意識と一致する場合にその観念は真であるという
ジェイムズは、真なる信念の心理的な状態の記述と正当化とをあまり区別しない。つまり、真なる信念とは「満足いく」ものである(有用であるとか、うまく機能するとかと同義)、と。
一方、彼らは当時の保守的な道徳観を正当化するという点で似ていて、あまり、社会的・政治的な思想家ではなかった。
プラグマティズムは、民主主義政治を正当化する思想として紹介されることがあるが、それはケンブリッジプラグマティズム(パース、ジェイムズ、ロイス)には当てはまらないという(この後に出てくる、デューイらには当てはまる)。
ジェイムズとロイスは、これまでのアメリカ哲学の伝統にならい、政治を優先度の低い応用問題としてしか見ておらず、いくつか社会問題に関する文章も書いているのだが、ちゃんとした労働問題の知識とかを持って書かれたものではない。
ところで、ロイスはドイツ観念論を専門としていたため、第二次世界大戦を契機に不遇の身となり、忘れ去られてしまったらしい。

第10章 シカゴとニューヨークにおける道具主義 一九〇三―一九三四

ジョン・デューイについて
デューイは、シカゴで教授をしているが、当時のシカゴの社会状況から(ハーバードのあるケンブリッジとは異なり)社会問題などへと関わりが生じる。その後、デューイはニューヨークへ移るが、シカゴではデューイのあとをミードが継いだ。
デューイは、ヘーゲルダーウィンから影響を受けていて、ヘーゲルダーウィンによって「自然化」したと自分のことを捉えていた。
二元論を退け経験一元論を説く。経験がどのように組織化されるかで物理的な事象だったり心理的な事象だったりになる*3
科学論と道徳的価値論とを結びつけようとした。
この時期、民主主義は必要だが見直しが必要で、合理的な公衆などは存在せず官僚となる専門家が重要だという考え方が強まっていたが、デューイは、専門家がアドバイスをするとしても政策を決定するのはあくまでも公衆であるという考えを維持した(リップマンを重要視していた)。
また、デューイは自然主義者で超自然的なものを退けたが、宗教的なものにはこだわった。

第3部 専門職的な哲学 一九一二―二〇〇〇

第11章 専門職的な実在論 一九一二―一九五六

本章では、20世紀前半のアメリカで展開された実在論的な哲学として、新実在論、批判的実在論、C.I.ルイス、ウィルフリド・セラーズがそれぞれ紹介されている。

ジェイムズの弟子たちが立ち上げた「新実在論
ラルフ・ペリーをリーダー格に、ウィリアム・モンタギューやエドウィン・ホルトら6名が集った。
経験論を徹底すると実在論になるという立場で、ロイスの観念論を批判し、また、実在論の先駆けとしてジェイムズを評価した。
実在論というとこれまでは表象実在論という、外界に実在があって表象を介して知られるという立場が知られていて、ロイスなどはこれを批判していたが、彼らは、直接知られるのだという議論を展開した。例えばホルトは「まさにここに」存在する、と考えた。
しかし、本書において、結局彼らは表象実在論に陥ってしまった、とされている。その後、影響力を残すことなく、このグループは消えていくことになる。

ここまで実は何度か名前が出てきたジョージ・サンタヤナ、そして、アーサー・ラブジョイ、ロイ・ウッド・セラーズが取り上げられている。
本書ではサンタヤナについては「ハーバードがみずからの自由主義を証明するものとして寛容に扱った哲学者」と書かれているだけで経歴はあまり書かれていないが、Wikipediaによればスペインからの移住者でのちにフランスやイタリアに移っていったらしい。
実在論を批判して、存在と本質とを分けた。現れは、知覚の対象ではなくて知覚の手段であるとして、伝統的な実在論や新実在論が陥った問題点を回避し、この知覚の手段としての表れを本質と呼んだ。
また、彼らは形而上学には踏み込まず、認識論をやるという立場に自分たちを置いている。
ラブジョイは思想史の分野で仕事を行った。有名な『存在の大いなる連鎖』は観念の歴史を追ったもの。ラブジョイは、直接的に自分の哲学的立場を論ずることはなくて、他の立場への批判を通じて間接的に示していた、と。ラブジョイは博士号は修得しなかった。
ロイ・セラーズは、ウィルフリド・セラーズの父親。「批判的実在論」というのはセラーズ(父)の著作のタイトルで、セラーズは、自分たちの哲学的立場をまとめた。
心脳同一論を唱えたり、知識を言語の問題と捉えた(息子に受け継がれる)
セラーズは、ミシガンで学び、教鞭に立った

  • C.I.ルイス

ジェイムズとロイスに学ぶ。ロイスが、ホワイトヘッドラッセルの『プリンキピア・マテマティカ』をもとに授業していたらしくて、その影響で論理学へ。
認識論について、所与(感覚)と概念を区別し、単なる所与だけでは知識にならず、これに概念が適用されることで知識になると考えた。
カント主義っぽいが、ルイスは、実在論に対しても観念論に対しても中立的な立場をとって、カント主義への肩入れも避けることができると考えた。が、筆者はルイスは観念論を受け入れることで懐疑論を回避したと論じている。また、知覚と概念を区別したけど、知識の正当化においてこの区別が崩壊している、という指摘もしている。

  • ウィルフリド・セラーズ

父親の哲学的立場を継承。また、ルイスを批判。セラーズというと「所与の神話」批判が有名だけれど、この所与というのはルイス哲学のキーワードで、これを批判している。
知識というのは、知覚の領域ではなくて言語の領域のもの、つまり知識を「理由の空間」へ持ってきた。
セラーズは、ハーヴァードとオックスフォードで学ぶが、学士号止まりであった。イェールを含むいくつかの大学で教えるが、最終的にピッツバーグに落ち着いた。

第12章 アメリカに対するヨーロッパのインパクト 一九二八―一九六四

この章では、1930年代頃のアメリカの大学の安定と停滞について触れ、ヨーロッパからのインパクトとして「フランクフルト学派」「論理経験主義」「実存主義」の3つを挙げている。

ナチスドイツが台頭していた時期にアメリカへ来ていた。ただ、ホルクハイマーとアドルノアメリカの大衆文化とあわず、ナチスの敗北とともにヨーロッパへ戻っている。なので、あんまりアメリカの専門職的な哲学への影響もなかった、と。
一方、フロムとマルクーゼは、グループからは離脱し、そのままアメリカへ残った。
特にマルクーゼは、象牙の塔の知識人から社会についての批評家となった。

見出しでは「論理経験主義」だが、本文中ではわりと「実証主義」表記が多かった。
フランクフルト学派と違って、アメリカの専門職的な哲学への影響が大きかったグループ
もともと、ラッセルがハーヴァードで講演したことがあり、また、同じくハーヴァードがホワイトヘッドを招聘していた(論理学を期待していたのに対して、渡米後のホワイトヘッド形而上学の研究をするわけだが)が、1930年代にこのグループの哲学者が次々とアメリカへやってくる。
ハーヴァードからケンブリッジへ留学したスティーヴンソンは、倫理学においてのちに「情動主義」と呼ばれる立場をとって、アメリカの伝統的な倫理学の考えを拒絶した。イェール大学でテニュアを得ることはできず、ミシガンに移った。
ティーヴンソンは「説得的定義」というアイデアを出した

戦後、アメリカでサルトルが知られるようになる。
イェール大のフランス学部が特にその役割を果たす。
実証主義実存主義の対立
イェール大は、実証主義的な哲学者もいれようとして、スティーヴンソン、その代わりにヘンペル、その代わりにウィルフリド・セラーズと次々に雇うが、いずれも定着しなかった。

第13章 ハーヴァードとオックスフォード 一九四六―一九七五

アイザイア・バーリンが、C.I.ルイスの著作を読んだことから始まる、ハーヴァードとオックスフォードの交流
アメリカ側では、モートン・ホワイトが仲介人となった
ルイスに学び、プラグマティズム的分析と呼ばれるスタイルをとった者として、クワインとグッドマンが特に詳しく取り扱われている。
グッドマンはルイスを尊敬しており、ルイスをカントと同等に位置づけていた。そのうえで、概念の構造を「いくつかの記号体系」の構造に置き換えなければならないと考えていた。「こうした考えに対するルイスの返答は情け容赦のないものだった。」知識の正当化と知識の内容の分析は区別すべき、というもので、グッドマンのヒューム的な立場は「知的な惨事」だと述べた。
また、ルイスの拒否によってグッドマンはハーヴァードに職を得られなかったらしい。


ハーヴァードとオックスフォードの交流について
1953年 グッドマンがロンドンで『事実・虚構・予言』のもとになる講義
その数か月後 クワインがオックスフォードへ
1954年 オースティンがハーヴァードで『言語と行為』のもとになる講義
1955年 ウィルフリド・セラーズがロンドンで所与の神話批判の講義
50年代の終わり グライスがハーヴァードでウィリアム・ジェイムズ講義
1957年 ハートがハーヴァード訪問
1970年 エヤーがハーヴァード訪問
1972年 ウィリアムズがハーヴァード訪問
オックスフォードで博士号を取得しアメリカに帰国した哲学者として、シファー、サール、アンガーなど
また、ハーヴァードとオックスフォードのつながりに恩恵を受けた哲学者として、デイヴィドソンデネットクリプキ、D.ルイス、ノージックヌスバウム、シューメイカーらの名前が並べられている。
また、オックスフォードの哲学者で晩年にアメリカへ渡ったものとして、ハンプシャー、アームソン、ウォルハイム、グライス、ヘア。より若い哲学者として、マクダエルやクリスピン・ライトの名前が挙げられている。

第14章 専門職哲学の苦難 一九六二―一九九九

哲学の専門職化(分析哲学化)が進むことによる哲学の困難さについて

  • 哲学の細分化

分析哲学が専門化・細分化していくことで、退屈な分野となっていき、学生からの人気も失っていった

  • 哲学内の対立

いわゆる分析哲学と大陸哲学の対立
マルクーゼが非常に人気になっていたことが書かれている
また、イェールが反分析哲学、大陸哲学の根城になっていった

  • 哲学外との対立

分析哲学が専門化し他の分野との交流がなくなり、社会科学の各分野が「哲学する」ようになる


ククリックは明らかに分析哲学全般の傾向に厳しい目を向けており、その中で、そうではない哲学者を何人かピックアップしている。
その一人目がトマス・クーン。
クーンは教授になる際哲学科ではなく歴史学科ならよいと判断されて、実際そうなったらしいのだが、ククリックはこれを分析哲学の傲慢さを示す最悪な決定と論じている。
クワインへの批判として、チョムスキーによるものと、クリプキやバーカン・マーカスによるものが紹介されている。指示の新理論については、その起源がクリプキかマーカスかで議論があるらしい
また、リチャード・ローティについてもページを割いている。
イェール出身でありながらも、クワインに影響を受けた分析哲学者としてスタートする

結論

訳者解説 アメリカ思想史の一分野としてのアメリ哲学史[入江哲朗]

訳者の一人である解説。
ここでは、本書の背景としてアメリカ思想史について説明されている。
思想史の一分野である、とはどういうことかというと、歴史家によって書かれた哲学史であるということである。
(この訳者解説では特に述べられていないが、哲学史というのはたいてい哲学者がやっていて歴史家がやっているわけではない、というのがある)
なので、普通、哲学史というと、哲学者の思想がどのような影響関係にあるのかというのをその思想内容から論述するものだが、この本はむしろ、そういう論述だけでなく、当時の社会状況・文化状況との関係から論じる部分も多い(ので読者はちょっと驚くだろう、というようなことが述べられている)。
これは、ククリックが哲学者ではなく、歴史家として哲学史を書いているためである。
しかし、単にそれだけではなくて、アメリカ思想史という分野自体の辿った経緯というのも関係しているらしい。というのも、アメリカ思想史という分野は1970年代に一度衰退し、近年になって再興したという経緯を持っている。


ところでこの解説、途中で吉本隆明柄谷行人が引用されるが、自分にとって、この解説を書いている訳者の一人である入江哲朗の名前は、もともとアメリカ思想史の研究者としてではなく、若手批評家として知っていたので、ちゃんと繋がっていると勝手に感じたりしていた。
トランプ旋風の「トランプ」ではなく「旋風」にアメリカ性を見いだす視点

主要人物表

本書に登場する主要なアメリカ思想家・哲学者について、氏名のスペル、生没年、主に登場する章についての一覧表が付されている。
このブログでは、本書の内容をかなり省略してしまっているので、この表に挙がっている名前だけ下記に列挙してみたい。
ジョナサン・エドワーズ
ベンジャミン・フランクリン
ショゼフ・ベラミー
サミュエル・ホプキンズ
ジョン・ウィザースプーン
トマス・ペイン
トマス・ジェファソン
ナサニエル・エモンズ
ナサニエル・ウィリアム・テイラー
ジェイムズ・マーシュ
チャールズ・ホッジ
ローレンス・バーシアス・ヒコック
ホレース・ブッシュネル
ジョン・ウィリアムソン・ネヴィン
ラルフ・ウォルド・エマソン
シオドア・パーカー
ジェイムズ・マコッシュ
フランシス・ボーエン
ノア・ポーター
ヘンリー・C・ブロックマイヤー
ニコラス・セント・ジョン・グリーン
チョーンシー・ライト
ダニエル・ギルマン
イライシャ・マルフォード
チャールズ・ウィリアム・エリオット
ジョージ・ホームズ・ハウィソン
ウィリアム・トーリー・ハリス
チャールズ・サンダース・パース
ジョージ・S・モリス
オリヴァー・ウェンデル・ホームズ・ジュニア
ウィリアム・ジェイムズ
ジョージ・ラッド
ボーデン・パーカー・ボウン
ジェイコブ・グールド・シュアマン
ジョサイア・ロイス
ジョージ・S・フラートン
ジョン・デューイ
ルフレッド・ノース・ホワイトヘッド
ジェイムズ・E・クレイトン
ジョージ・サンタナ
エドウィン・ビッセル・ホルト
アーサー・O・ラヴジョイ
ウィリアム・ペッパーレル・モンタギュー
ラルフ・バートン・ペリー
ロイ・ウッド・セラーズ
クラレンス・アーヴィング・ルイス
ルドルフ・カルナップ
ヘルベルト・マルクーゼ
エーリッヒ・フロム
カール・ヘンペル
ネルソン・グッドマン
ウィラード・ファン・オーマン・クワイン
チャールズ・スティーヴンソン
ウィルフリド・セラーズ
ウィリアム・バレット
ジョン・ロールズ
ルース・バーカン・マーカス
トマス・クーン
ヒラリー・パトナム
ノーム・チョムスキー
リチャード・ローティ
ソール・クリプキ

*1:というかまあ、ぶっちゃけデイヴィッドじゃない方のルイスという程度の認識しかない

*2:アメリカ哲学史 一七二〇年から二〇〇〇年まで | 翻訳 | 新刊紹介 | Vol.39 | REPRE

*3:桑野隆『20世紀ロシア思想史 宗教・革命・言語』 - logical cypher scape2で読んだボグダーノフについての説明とあまりにも似ていたのだけど関係は不明

『宇宙開発未来カレンダー 2022-2030's』

『宇宙開発未来カレンダー 2022-2030's』という本をパラパラと眺めている。
カレンダーというタイトルだが、どちらかといえばロケット・宇宙機カタログという感じの本で、今後打ち上げが予定されているロケットや探査機・人工衛星と、現在運用中の探査機・人工衛星が掲載されている。


これ、発行日が2022年2月25日なのだが、今このタイミングで読むと、「これ延期になった」「これもまだ打ち上がってない」のオンパレードで、それをチェックしながら読んでたりする。
まあ、宇宙開発というのはそういうもので、予定通りに進む方が少ないくらいであり、「そりゃあね」という話ではある*1
とはいえ、執筆時にはまだロシアのウクライナ侵攻が起きていなかったわけで、それが影響して延期したものを数えるのはやはり悲しい。というかまあ、ExoMarsがESAロスコスモスの共同開発で2022年打ち上げ予定になっているのを見ると、なんともやりきれない。まあ、リブートされたので、まだ希望はあるが。
一方で、概ね予定通りに進んだの、中国の天宮くらいじゃねーか(8月完成予定となっていたところが11月に完成した程度の遅れ)ということに気付くと、それはそれでまたなんとも言えない気分にはなる。


さてそんなこんなで本日、アルテミス1の打ち上げが成功した。この本の中では「打上予定/2022年3月12日」と書かれているが、その横に「11月16日打ち上げ」とペンで書き込んだ。
今後も少しずつこうやって書き込んでいって、ここに書かれている未来が実現されるところを見ていきたい。
直近では、11月下旬のHAKUTO-Rや12月のCLPS-2のノヴァCか。
CLPS(民間月輸送サービス)というと、第1号になるはずだったペレグリンが2023年に延期してしまったけど、それも含めて2023年に結構目白押しなんだな。
それから、H3が年度内……か
スターシップ/スーパーヘヴィーまだー?

*1:本書では「2022年打ち上げ予定」と書かれているもののうち、去年は「2021年打ち上げ予定」だったし一昨年は「2020年打ち上げ予定」だったのでは、みたいなものもあったりするわけで

桑野隆『20世紀ロシア思想史 宗教・革命・言語』

20世紀のロシアにおける哲学や思想に一体どんなものがあるのか、概略をつかむのにちょうどよい入門書ないしハンドブック
かなり広範に扱っているが、ページ数は手頃な長さにおさまっている。その点、個々の思想について説明が少なくなってしまっているところはあるものの、「そもそも20世紀ロシア思想全然分からん」という身としては「こんなのがあるのか、こんなのもあるのか」と見ていくのには程よい分量であった。また、筆者自身、深彫りするというよりは、様々な思想があったことの紹介を目指しているようである。
20世紀のロシアといえば、やはりソ連の存在感が圧倒的だが、本書では、革命前から革命初期までにあった、宗教哲学ロシア・フォルマリズムロシア・アヴァンギャルド、あるいはフォルマリズム以降の言語学記号論構造主義について多くページが割かれており、それらがソ連、特にスターリン時代に抑圧された後、復活してきた思想についても紹介されている。
もちろん、レーニントロツキーなどの革命家の思想も紹介されているが、彼らについては、革命思想よりも「哲学」の側面に絞って紹介されている。


それにしても、何故突然ロシア思想の本を、という話だがいくつか理由はある。

  • 宇宙主義(コスミズム)への興味

コスミズムって最近時々名前を聞くけど、一体何なんだというのが気になっていた。
もともとは山形浩生のブログがきっかけだったかと思う。
セミョーノヴァ『ロシアの宇宙精神』:変態だー!! 「屍者の帝国」ディープな読者必読! - 山形浩生の「経済のトリセツ」
ロシア未来派とコスミズム - 山形浩生の「経済のトリセツ」
次いで、『ロシア宇宙開発史』をちょっと眺め、美術手帖SFMの木澤連載でも見かけていた。
冨田信之『ロシア宇宙開発史』(一部) - logical cypher scape2
『美術手帖2019年10月号』 - logical cypher scape2
『SFマガジン』2021年6月号 - logical cypher scape2

  • ロシア現代思想の流行あるいは世間的な関心の高まり

2017年に『ゲンロン』が「ロシア現代思想」の特集を組むなど、ロシア現代思想というのが一種の流行というか、世間的な注目を集めている様子がある。
また、ロシアのクリミア侵攻(2014)、ウクライナ侵攻(2022)などを受けて、プーチンの思想的背景としてネオ・ユーラシア主義という言葉も昨今にわかに目にする機会が増えてきていると思う。
(この本を手に取るきっかけとして)そういう世相からの影響も無論ある。

2020年にちくま新書から『世界哲学史』シリーズというのが刊行されていた
伊藤邦武・山内志朗・中島隆博・納富信留編著『世界哲学史8』 - logical cypher scape2など
ところで、このシリーズにはロシア哲学は含まれていなかった。恥ずかしながらそのことに自分は全然気付いていなかったのだが、それを指摘するツイートを見かけて「確かにないな」と思ったのだった*1。そして、そのツイートで本書も紹介されていたのだったと思う。

最後にこれはおまけみたいなものだが、最近立て続けに以下のものを読んで、ロシア・アヴァンギャルドへの関心が再度出てきていたところだった。
五十殿利治『日本のアヴァンギャルド芸術――〈マヴォ〉とその時代』 - logical cypher scape2
『SFマガジン2022年2月号』 - logical cypher scape2
本書をこのタイミングで読むことにしたのは、改めて目次を見てみたら、ロシア・アヴァンギャルドも含まれていることに気付いたから。
なお、SFマガジンに掲載されていた坂永雄一「〈不死なるレーニン〉の肖像を描いた女」はロシア・アヴァンギャルドを扱った作品だが、ボグダーノフも登場している。もちろんボグダーノフも本書に登場している。

はじめに――二〇世紀の「ロシア思想」

第1章 バフチン―― 「ロシア哲学」の外の思想
1 対話
2 カーニヴァル
3 バフチン・サークル

第2章 実証主義を超えて
1 実証主義批判
2 全一性の哲学――ソロヴィヨフとその後継者たち
3 道標派  
4 建神主義  
5 ロシア・コスミズム  

第3章 「ポスト宗教」思想  
1 芸術の自律――ロシア・フォルマリズム
2 精神の自由――前期ロシア・アヴァンギャルド
3 アナーキズム

第4章 言語思想――フィロソフィーとフィロロジー
1 言葉への関心の高まり
2 存在論的言語論
3 名とあだ名
4 シペートの哲学と内的形式
5 ヴィゴツキー――思考とことば
6 フォルマリズムから構造主義

第5章 革命思想
1 初期ロシア・マルクス主義
2 ボグダノフ、レーニントロツキー
3 ユーラシア主義
4 芸術を生活のなかへ――後期ロシア・アヴァンギャルド

第6章 ソヴィエト哲学の確立
1 哲学のボリシェヴィキ化 
2 社会主義リアリズム 
3 マールとスターリン言語学  
4 禁じられた宗教哲学――亡命知識人らの思想

第7章 雪解け時代の新潮流
1 記号論構造主義――モスクワ・タルトゥ学派
2 民族主義とリベラル――一九七〇―八五年の文化状況
3 文化のエコロジー――リハチョフ
4 異論派

第8章 ポストソ連思想
1 束縛を解かれた文化 
2 ポストモダニズムの登場
3 ママルダシヴィリと「余白の哲学」
4 文化の精神分析  

おわりに

あとがき
文献一覧

はじめに――二〇世紀の「ロシア思想」

ロシアでは、「哲学」という言葉より「哲学すること」という言葉の方がよく使われるという。
哲学を専門とする狭義の哲学者より、専門外の学者が「哲学する」ことが圧倒的に多いためらしい。このために、広範な分野で哲学が見られるし、あるいは逆に「ロシアに哲学はない」とも言われることになる。
本書でも、文学や言語学、芸術思想といったものを取り上げていて、というわけで、「ロシア哲学史」ではなく「ロシア思想史」ということになる。
また、本書は基本的に時系列順に構成されているが、バフチンだけ別立てとなっていることへの注意書きがなされている。
バフチンは、ロシア以外でも広く知られているだけでなく、本人の思想自体も広がりがあってどこか特定の位置に入れ込むことができなかったためとされている。実際、バフチンは他の章にも度々顔をだす。

第1章 バフチン―― 「ロシア哲学」の外の思想

バフチンというと、ドストエフスキー論(ポリフォニー論)やラブレー論(カーニヴァル論)が有名だが、初期には哲学や美学の著作もあり、独自の対話原理を様々な領域に適用した多面的な人物。
全体像を把握するのが難しく、思想史の中でどこに位置づけるかという評価も定まっていない、とのこと。
対話原理において、他者であることということを重視する。自分の姿というのも、自分自身では分からなくて、鏡とか外から見ることで分かるように、文化というのは、中にいても分からなくて外から見ることで理解できるようになる、という
プラトンの対話とか弁証法とかには批判的(最終的にモノローグ化するから)
また、民衆の笑いや非公式文化に注目するのがカーニヴァル
言語論や記号論についても論じている。

第2章 実証主義を超えて

第2章は、20世紀初頭から1910年代を扱う
ロシアでも西欧と時を同じくして実証主義批判の思想、具体的には宗教哲学などが出てくる

  • 2 全一性の哲学――ソロヴィヨフとその後継者たち

ロシアの宗教哲学に大きな影響を及ぼしたのが、19世紀の哲学者であるソロヴィヨフ
「全一性」「神人」「ソフィア」などがキーワード
ソロヴィヨフに影響を受けた者としてここでは、ブルガコフ、セルゲイ・トルベツコイとエヴゲニー・トルベツコイの兄弟、エールン、カルサヴィン、フロレンスキーが挙げられている。
ブルガコフは、マルクス主義宗教哲学を両立させていた珍しい人
カルサヴィンは、世界全体が階層的統一体をなすシンフォニー的人格論を唱えた
「ロシアのプラトン」とされるソロヴィヨフに対して、フロレンスキーは「ロシアのレオナルド・ダ・ヴィンチ」と呼ばれた
また、トルベツコイ兄弟のところで「ソボールノスチ」「ソボール性」という言葉が出てきたが、これは今後別のところでも出てくるキーワード。ロシア宗教哲学の伝統的理念で、「キリストとむすばれた人々のあいだの自由な連合ないし共同体的一体性」

  • 3 道標派  

1902年『観念論の諸問題』、1909年『道標』という論集が出されて、そこに集った人々
ベルジャエフやブルガコフ
カデット(立憲民主党)の穏健派で、急進派で無宗教的なインテリゲンツァを批判した。
逆に、道標派は、ゴーリキーレーニンなど各方面から批判された

  • 4 建神主義  

ルナチャルスキー、バザーロフ、ゴーリキーら初期ボリシェヴィキによる神なき宗教論
ルナチャルスキーは、マルクス主義こそ「神なき宗教」であると考え、神とは、完璧な社会主義的人類のことだと唱えた。いまだ人類は完全な存在にいたっていないが、いずれ進化して、理性によって全宇宙を支配するようになると考えた。
また、集団としての不死を唱えて、こうした不死論はゴーリキー『懺悔』の中にも書かれているという。
なお、ルナチャルスキーは途中からレーニンと対立しトロツキーと行動を共にしている。また、バザーロフはのちにメンシェヴィキへ近づき、最後は獄死している

  • 5 ロシア・コスミズム  

宗教哲学思想と自然科学思想における一潮流を「ロシア・コスミズム」と呼ぶようになったのは1970年代から
コスミズムは19世紀から形成され始め、その際の宇宙は、キリスト教的宇宙のことだったが、20世紀コスミズムでは世俗的宇宙も含むようになる
宇宙が人間の倫理的な自己決定の根拠となるという宇宙中心主義や、不死や死者の復活あるいは宇宙開発などの特徴をもつ
コスミズムへの関心は、ソ連解体前後に高まった。
代表的な論者としてここでは、フョードロフ、ツォオルコフスキー、ヴェルナツキーが挙げられている。
フョードロフは、全一性を自覚した人類による「共同事業」を論じ、その中に死者の復活もある、また、全世代が復活すると一つの惑星には収まりきらないので、宇宙開発を提案し、そのための肉体改造も考えた。
ツィオルコフスキーは、宇宙は感覚や精神を有する不滅の原子で構成されているという「宇宙汎神論」ないし「汎心論」を唱え、また宇宙の進化の中心に人間をおく「人間宇宙主義」や、独自の「宇宙倫理学」を持っていた。
ヴェルナツキーは、宇宙が「地質圏」「生物圏」「精神圏」から成り立ち、精神圏へと発達していくと考えた。
最後に、性と宗教について論じた異色の思想家ローザノフという人物が紹介されている

第3章 「ポスト宗教」思想

第3章は、「ポスト宗教」として文学・芸術の世俗化ならびにアナーキズムを取り上げる。
第2章では、20世紀初頭のロシアで宗教思想が強かったことを見たが、1910年代から芸術の分野では世俗化が進み、ロシア・フォルマリズムなどの合理主義的な(ロシア的な伝統からは離れた)思想が出てくる。


ロシア・フォルマリズムは、1916年にペテルブルクに設立されたオポヤズ(詩的言語研究会)と、1915年に設立されたモスクワ言語学サークルを中心とした詩学運動。
前者は文学研究者のシクロフスキーなど、後者は言語学者ヤコブソンなどがいる。
構造主義の先駆ともされる。
ヤコブソンは1926年にプラハ言語学サークルを結成し、1929年に「構造主義宣言」を発表している。レヴィ=ストロースプラハ言語学サークルにおける音韻論の誕生を重視していて、そこで言語学者ニコライ・トルベツコイ(セルゲイの息子)を引用している。
ロシア・フォルマリズムは、実用言語とは別に詩的言語を区別し、主に未来派の詩を分析した。未来派の理論的裏付けを果たしていた。
シトロフスキーの「異化」(ブレヒトの異化とは異なり社会性に欠くと言われるが、日常生活批判としてのものであった)


一方の未来派について
ロシア未来派は、イタリア未来派と違って一つのまとまったグループではなく、攻撃性やパフォーマンスなどもイタリア未来派に比べてると徹底していなかった(なので、マリネッティから批判されたりもしていた)
また、イタリア未来派と違って、テクノロジーに批判的で、機械よりむしろ自然や有機性を重んじた
一方、ヤコブソンは、イタリア未来派による表現の更新はルポルタージュ領域のもので詩的言語の領域ではないとして、ロシア未来派の方が芸術的にはラディカルだとした。
政治からは距離を置いていたロシア未来派だが、十月革命前後では、アナルコ・フトゥリズムが出てくる。マレーヴィチ、ロトチェンコ、タトリンなど。
十月革命前後の未来派にはアナーキストボリシェビキがいたのだが、最終的にはアナーキー党は壊滅。未来派は精神の革命をボリシェヴィキに期待していたが、1922年頃までにはアヴァンギャルド自体が潰える。
最後に、ロシア・アヴァンギャルドの中心人物である演出家のメイエルホリドについて、少し詳しく紹介されている
自然主義演劇」に対して「演劇的な演劇」を目指し、パブロフの条件反射理論に依拠した演技システムを考え、一方で民衆演劇ともつながっていた。また、悲劇と喜劇など相対立するものを包括したグロテスクを特徴としている
スタニスラフスキーは、メイエルホリドを高く評価しつつも、グロテスク論には批判的だった。
また、エイゼンシュテインは、メイエルホリドの弟子


最後に、アナーキズムについて
まず、アナーキズムには「古典的アナーキズム」と「ポスト古典的アナーキズム」があるとした上で、
前者はさらに「初期アナーキズム」と「後期アナーキズム」(アナルコ・コミュニズムキリスト教アナーキズム)に分けられ、
後者にはさらに、アナルコ・サンディカリズムや神秘的アナーキズムなどがある。
ここでは、アナルコ・コミュニズムクロポトキンキリスト教アナーキズムトルストイ、神秘的アナーキズムが紹介されている
トルストイについて、「ポスト宗教」の章で取り上げるのは本来不適切だが、アナーキズムとしてあえてここで紹介するとしている。トルストイ自身はアナーキストを名乗ったことはないが、徹底的な非暴力主義を貫いた結果、国家と財産の廃止を唱えた
神秘的アナーキズムとして、ベルジャエフ、チュルコフが挙げられている。チュルコフは、社会的な側面だけでなく精神的な側面での権力も廃絶するためには神秘主義だ、と論じた。

第4章 言語思想――フィロソフィーとフィロロジー

1910~20年代、ロシアでも言語への関心が高まる。
ロシアはもともと19世紀に、クルトネやフォルトゥナトフという優れた言語学者がおり、前者はソシュールに先駆けてソシュール言語学に近い見解を出していた。ロシア・フォルマリズムオポヤズには、このクルトネの弟子筋がいる。
一方、19世紀ロシアの言語学者としては、ポテブニャが広く後世に影響を与えており、「内的形式」という概念が、ポテブニャ、もしくはポテブニャを介してフンボルトから由来して、広がっていた。
本章では例えば、フロレンスキー、バフチン、シペートの内的形式論が紹介されている。


カフカスの修道士をきっかけとして「讃名」論争というのが起きている。中世の普遍論争にも似ていて、「神の名は神である」かという論争で、宗教哲学者の間で「名の哲学」が展開された。
フロレンスキーは、言語や名にエネルゲイア性を見ている


バフチンは、名とあだ名を対照させている。名は永久化と結びつくが、あだ名は現在と結びついている。バフチンは無論、後者の側に立つ


心理学者ヴィゴツキーの言語論・記号論も紹介されている。
人間の行動を制御する心理的道具としての記号


ヤコブソンは、ロシアの精神的伝統として反実証主義と反因果律をあげ、マルクス主義とフォルマリズムもこの伝統に連なるとしている。構造主義自体は国際的現象だが、その発達にあたってロシアの精神的伝統が寄与した、と。
さて、ヤコブソンと同様プラハに来ていたボガトゥイリョフは、機能構造主義記号論を展開する
ボガトゥイリョフの民族衣装論は、「機能構造の機能+情緒的ニュアンス」が「われわれの衣装」であるとし、言語や文化にも適用可能だといい、民衆演劇論にも記号論的アプローチを適用する
最後に、プロップ『昔話の形態学』も紹介されている。

第5章 革命思想

まず、19世紀後半から初期のロシア・マルクス主義者として、プレハノフがいて、そのプレハノフを、ボグダノフやバザーロフ、ルナチャルスキーが批判していく。
さらにその後、レーニントロツキーが出てくる。


まず、プレハノフだが、「物質的実体」だけが実在するとし、物自体が感覚世界という現象を生み出すと考えた。カントの不可知論には批判的で、物質的実体=物自体は、直接的には認識できないが、記号を介して認識することができるとした。
プレハノフはマッハに批判的だったが、彼より若い世代のボグダノフらはむしろマッハ寄りの考えで、現象と物自体という区別を否定し、プレハノフを不可知論だと批判した。ボグダノフは、客観性は(物自体という実体によってではなく)「集団的」な経験によって正当化されると考えた。
ボグダノフの経験一元論は、「組織化」というのがキーワードで、例えば、物理現象と心理現象の区別は、経験が集団的に組織化されているか個人的に組織化されているかの違い。
この組織化を文化にも適用し、「プロレタリア文化」の形成を目指し、プロレトクリト(プロレタリア文化協会)を結成した。
しかし、レーニンは、ボグダノフの組織化論を警戒(文化だけでなく政治面で党とは異なる勢力を作るのではないかという警戒)し、経験一元論を不可知論・主観主義として批判した。
(プレハノフはカントの不可知論を批判し、ボグダノフはプレハノフを不可知論だと批判し、レーニンはボグダノフを不可知論だと批判し、とここまで一貫して、不可知論が先行の論者を批判するワードになっているのがちょっと面白い)
一方、トロツキーは、科学と哲学を区別しつつも、科学を重視し、メンデレーエフダーウィン、パブロフ、フロイトの理論を取り込もうとしていた。
また、トロツキーは、社会主義が成り立てばプロレタリアートは存在しなくなるのだから、プロレタリア文化は存在しないとしたが、アヴァンギャルドやフォルマリズムへの立場は複雑。多くのマルクス主義者がすでにこれらに否定的だった時期において、一定の評価をしていたという点で異色だった。しかし、トロツキーの芸術観は保守的なものであり、フォルマリストやアヴァンギャルドとは一致しなかった。

  • ユーラシア主義

亡命ロシア人の間で出てきた政治思想
言語学者ニコライ・トルベツコイ、地理学者のサヴィツキー、宗教哲学者カルサヴィンらが貢献
ロシアのアイデンティティを「キエフ・ルーシ」ではなく、「ユーラシア」という概念に求める。
キエフ・ルーシへロシアの起源を求めるのは西欧主義的で、ヨーロッパでもアジアでもない「ユーラシア」概念を打ち出す。なお、この「ユーラシア」概念は地理的にはロシア帝国の版図を指していて、(ヨーロッパや東アジアを含む)ユーラシア大陸とは異なる。
また、汎スラブ主義にも批判的
「ユーラシア」の起源を、チンギス・ハンのモンゴル帝国に求めていた。
イデーによる支配や、ソボールノスチに似ているが違うシンフォニー的人格という概念をもとにした、反個人主義的なヒエラルキーを特徴とした国家構想を持っていた。これは、ソヴィエトの権力体制を利用しつつイデオロギー共産主義からユーラシア主義へと置き換えるというもの。
国家社会主義的・反個人主義的・イデオロギー独裁的なこの国家観が、他の亡命ロシア人から批判を浴び、分裂した。
本書には書かれていないが、最近、ネオ・ユーラシア主義というものが登場し、プーチンの思想的背景ともなっているといわれている。

後期未来派=レフ
トレチヤコフらは〈事実の文学〉運動を行う
これには、ベンヤミンも注目していた。
その名の通り、フィクションを否定し、新聞をモデルに脱個人化した文学を目指す。
アルヴァトフは、芸術によりモノの世界の変革を目指した

第6章 ソヴィエト哲学の確立

主にスターリン時代の思想・哲学について
本書は基本的に思想の内容を説明する形で進み、その思想家の略歴や政治・社会状況についてはあまり触れていない(この点については「おわりに」で述べられている)が、本章はさすがにそういうわけにもいかない。
スターリンに翻弄された学者たち、という感じである。
もともとマルクス主義と相容れない宗教哲学者たちはともかく、我こそマルクス主義的○○学を名乗りスターリンにも当初承認されていたのに、手のひら返しされている人たちの哀れ
いかにもソ連という感じがする。

1920年代初頭、マルクス主義哲学者内部でも対立が生じる。
ミーニンの「機械論」派と、デボーリンの「弁証論」派。
前者は、哲学は科学から独立していないという立場。ミーニンは特に極端で、科学さえあれば宗教だけでなく哲学も不要になるという立場
後者は、科学の認識論を成り立たせているのは哲学で、哲学なくして科学もないという立場
当初、デボーリン路線こそが正当な解釈とみなされたが、1930年にはデボーリンも断罪され、1931年、党はどちらにも支持を与えないことを決める。
1930年代以降、「スターリン哲学」が指針となっていく。

1934年、第1回ソヴィエト作家大会で「社会主義リアリズム」の定義が正式に定まる
この方針からはずれた作家は抹殺されていく。作家だけでも200名。この大会には600名近くの作家が参加したが、250名以上が粛清されていく。
革命期は「ユートピア的」というのが肯定的な形容だったが、ソヴィエト期にはむしろ否定的なニュアンスに変わる。
安定期に入り、今の現実こそが理想的状態である、ということから、「美しい現実」を描くこととされた。

マールという言語学者がいて、多様な言語がいずれ統一されていくという考えをしていた。彼は自分こそマルクス主義的な言語学をやっているという自負があり、実際、スターリンからも承認され、一時期はソ連ではマール言語学であらずんば言語学にあらずというような感じだったらしいが、スターリンの手のひら返しにあう。
マールは、階級的な言語観を持っていて、民族を超えて言語が統一されていくという考えだったが、スターリンはむしろ「民族」をベースとした考え方をもっていたので、ある時期からマール言語学と相容れなくなる。
ところで、そもそもマールの言語学自体、あまり証拠もなく、トンデモ気味の主張だったようだ。

  

  • 4 禁じられた宗教哲学――亡命知識人らの思想

宗教哲学者などは国外追放・亡命で国外へ行っており、特に、1922年の9月と11月に多くの哲学者が船で国外追放され、これらは「哲学者の船」と呼ばれている。
本書では、国外で活動をつづけた者のうち、ベルジャエフ、フランク、ロスキー、イリイン、シェストフが紹介されている。
ベルジャエフは、マルクス主義が反宗教的でありながらも宗教的色合いを帯びていることを見て取っていた。反平等、自由の哲学を主張した。
フランクやロスキーは、ソロヴィヨフ哲学に大きな影響を受けていた。
イリインはボリシェヴィキ政権を評論活動で攻撃しつづけ、死刑を宣告されたこともある。霊性を重要視した。将来のロシアの国家体制として君主制をもっとも望ましいものと考えていた。
なお、本書には書かれていないが、イリインでググると、プーチンに影響を与えた思想家とされている。
シェストフは、哲学者の船以前に亡命していた。反合理主義で、人格にとって宗教経験を重要視した。自らの思想をユダヤキリスト教哲学や、キルケゴールの実存哲学の系譜に位置づけた。

第7章 雪解け時代の新潮流

フルシチョフによるスターリン批判(1956)以後、文学や言語学を中心にいわゆる雪解けと言われる状況が訪れる。この状況は、1966年のシニャフスキー=ダニエル裁判で終わるとされる。

1960年前後には「モスクワ・タルトゥ学派」というロシアの記号論が活動を開始。
本書では特に、タルトゥのロートマンとモスクワのイヴァノフが紹介されている
イヴァノフは、20世紀初頭のロシアの作家・思想家など(バフチンヴィゴツキーエイゼンシュテインアヴァンギャルド)を再評価する道筋を作った。

  • 2 民族主義とリベラル――一九七〇―八五年の文化状況

1968年プラハの春以降、締め付けが厳しくなる
タムイズダート(国外出版)の代表格としてシニャフスキーがいる
一方で、復古主義民族主義的な文学批評も台頭し、コスモポリタニズム批判や反ユダヤ主義へとつながっていく。彼らは「農村派」作家を評価した。
他方で、リベラルな批評家たちもいた。彼らは多様で、単一の傾向はなかったが、彼らもまた「農村派」作家に関心を持っていた

中世ロシア文学の泰斗であるリハチョフは、文化遺産の保護を課題とする「文化のエコロジー」、そして、〈記憶〉の詩学を展開する。
当時のソ連では〈記憶〉という言葉が色々な響きを持っていたらしい(地下出版雑誌の誌名となったり、排他的民族主義グループがそう名乗ったり)
ペレストロイカ前後から、環境保全への関心も高まる。

  • 4 異論派

ここではソルジェニーツィン、物理学者のサハロフ、歴史家のロイ・メドヴェジェフの3人が紹介されている。
特にソルジェニーツィンとサハロフは、反体制の闘士とされることが多いが、2人の思想は大きく異なっていた。
ソルジェニーツィンは、民族主義的保守派で民主主義を批判しているのに対して、サハロフは民主主義の発達こそ好ましい道と考えていた。

第8章 ポストソ連思想

ソ連崩壊以後、「イデオロギーの空白」が訪れる。
宗教哲学が次々と復刊され、宗教哲学ブームが起こる。
一方でエプシテインなどにより「文化学」という新しい学問も登場する
また、ポストモダニズムも登場する。
ポストモダニズムはまず、イリヤ・カバコフなど造形芸術で使われた。
また、ポストモダニズム批評もあらわれ、コンセプチュアリズムを否定神学的と論ずるエプシテインや、論文ともエッセイとも創作ともつかないスタイルをとるゲニスなどがいた
一方で、カージンなどポストモダニズム批判も早々に現れる。
ママルダシヴィリは、「意識」に関心をもつ哲学者で、彼の弟子たちは「余白の哲学」シリーズを刊行した。「文学中心主義」批判や「言語中心主義」批判を行った。
1990年代には文化に対する精神分析的アプローチも増える。
エトキンド、ゾロトノフ、スミルノフなど
また、グロイスは、ロシアをヨーロッパの下意識として捉えた。


ポストモダニズムとか精神分析とか、西欧由来の思想が入ってきて、ロシアに限定されない思想をやるぞという方向と、いやしかし、やっぱりロシアにはロシアの特殊性があってという方向の両方が混ざっているということなのかなと理解した。

おわりに

ロシアの思想や哲学は、少なくとも20世紀初頭などはかなり多様な感じもあるが、一方で「ロシアの運命」を論じるという統一性があるという指摘もある。つまり、みんなロシアの特殊性を論じるのが好き、という話。
これについて筆者は、両義的なことを述べている。
まず一方で、「ロシアの運命」的な枠組み、つまり権力との関係で読んでしまうことの危険性を述べている。例えばバフチンヴィゴツキーなど、既にロシアという枠組みにとどまらない読み方をされている思想家がいるように、他にもそのような読み方が可能な思想家がいるのに、その可能性を見逃してしまうという危険性である。
しかし他方で、ロシアの思想家はみな権力との関係を抜きに読むことができないというのも事実である、と。
本書は、紙幅の都合もあり、思想家の経歴にはほとんど触れていないが、本書に登場する思想家のほとんどに、逮捕、投獄、弾圧などの経験がある。
あまりにも当然の話なので全然触れてないけど、その点は忘れてはならないという念押しがされている。

*1:ただし、その後に出た「別巻」には、未読なので詳しくは知らないがロシア現代哲学の章が立てられている

ウィリアム・ギブスン、ブルース・スターリング『ディファレンス・エンジン』(黒丸尚・訳)

言わずと知れたスチームパンクSFの古典
遙か昔に一度読んだことがあったのだが、全然内容を把握することができず、いつか読み直そうと思いながら幾星霜……。
ギブスン+スターリング『ディファレンス・エンジン』 - logical cypher scape2
最近、巽孝之『恐竜のアメリカ』 - logical cypher scape2を読んだら、『ディファレンス・エンジン』について触れられていて、「あ、そういえば」と思い出して漸く再読を果たした。
前回読んだ時の感想として「多分、一気に読むことが出来れば良かったのだろうけど、ぶつぶつと途切れながら、だらだらと読んでしまったので、全体像が把握できぬまま読み終わってしまった。」とあり、これがまさに敗因(?)なので、今度はなるべく一気に読んでしまおうと思ったのだけど、結局、今回も途中で別の本を読む期間を挟みながら読んでしまったので、またもや「あれ」となるところがなくもなかったが、前回よりは分かった気がする。
とはいえ、そもそもストーリーの把握しにくい作品のような気がする、知らんけど。
全部で6章なのだが、大きく分けると4つのパートに分けられ、それぞれ主人公が異なる。
第1パートは、シビル・ジェラードとミック・ラドリー(第一の反復)
第2パートは、エドワード・マロリー(第二の反復、第三の反復、第四の反復)
第3パートは、ローレンス・オリファント(第五の反復)
第4パートは、他と趣向が違っていて、様々な記事や手記などの引用から構成されていて、後日談やら何やらとなっている。
オリファントは、第1パートにも第2パートにも登場している。シビル・ジェラードとミック・ラドリーが引き起こした事件を、第3パートでオリファントが解明せんとするという話になっているのだが、じゃあその間に挟まっているマロリーパートは一体何だったのか。
マロリーパートは、確かにアクションシーンやスチームパンク的ガジェットの多いパートではあるのだが、一方で、どこに向かおうとしているのかがわかりにくい。というか、物語全体への関与度に対して分量が長すぎやしないか、という感じがしたのだが、しかしまあ、自分がちゃんと読めていないだけなのかもしれず、なんともいえない。
あと、実はこの作品全体が1990年に差分機関自体が書いたものだったのだ、というメタフィクション的なオチがあるが、話の内容以上にこのオチ自体が有名なので、読んでいて驚きを感じることはできず、それは仕方ないとして、じゃあこのオチにいたる伏線がどういう風に張られていたのかもいまいち把握できず、うーんであった。
巻末には、アイリーン・ガンによる「差分事典」という用語集が付されており、登場人物や歴史的事件、用語についての史実の説明がなされている。
これを読んでいると、この作品の背景にある大枠として、ラッダイト運動があることがよりはっきり分かってくる。
一方、後にオリファント森有礼らの日本人をつれてアメリカにおけるハクスリーのユートピア運動へと合流したことについても色々分かるのだが、ここらへんの作品自体との関係もいまいちつかめなかった。

第一の反復 ゴーリアドの天使

テキサスからロンドンへ講演旅行にやってきたヒューストン将軍
この世界で、アメリカは統一されておらず複数の国家が乱立している。ヒューストンはテキサス共和国の元大統領でイギリスからの支援をあてにしての渡英。
蒸気映像(キノトロープ)という技術が講演にあたって、今や必要不可欠で、ミック・ラドリーはこれの技師として将軍に帯同している。
物語は、そのラドリーがシビル・ジェラードという商売女とベッドをともにしているシーンから始まるのだが、実は彼女は、父親がある男の裏切りにあり、このような身にやつしている。その男はいまや有力議員となりつつあり、ラドリーは彼女をロンドンからパリに逃がすことを画策する。
ミックから預かったカードをパリへと小包で送る
ミックとヒューストン将軍はテキサス人に殺される。
ところで、ガンの「差分辞典」によると、シビル・ジェラードとこの議員エグレモントは、ベンジャミン・ディズレイリの小説に出てくる登場人物らしい。

第二の反復 ダービィ競馬日

生物学者エドワード・マロリーは、アメリカでの恐竜発掘を終えてイギリスに帰ってきた。弟と友人が参加しているガーニーのレースを見に来ていた。
そこで、暴漢に襲われている女性を助けるのだが、それはバイロン首相の娘にして機関(エンジン)の女王エイダ・バイロンだった。
マロリーは、彼女から謎のパンチカードを預かる。
一方、ガーニーレースでの賭けに大勝ちし、一躍金持ちになる。


このエドワード・マロリーは、作中では、雷竜(ブロントサウルス)の発見者とされており、それにより名声を博し、碩学の1人と遇されている。
ところで、マロリーにはエドウィクというライバルがいて何者かによって殺されている。
マーシュとコープのライバル関係をモデルにしているのだと思われる(実際には2人とも殺されていないが)。
マーシュとコープの化石戦争については、「差分辞典」にも記載がある。本作の舞台が1855年前後であるのに対して、実際の化石戦争は1870年代という違いがある。
なお、ブロントサウルスは、後に頭骨の付け間違いによって誤って新種とされただけで、アパトサウルスと同種だということが分かっているが、作中で、マロリーがエイダから預かったパンチカードを隠したのは、ブロントサウルスの頭骨化石の中であった。
なお、エドウィク以外にも、ピーター・フォークという博物館勤務の男が出てきて、彼もマロリーとの間に復元を巡って確執がある。


作中に出てくるガーニーというのは蒸気自動車のことで、マロリーの弟は、”
線流型”をした新型ガーニーに乗ってレースに参加した。全くの新型であったため、大穴扱いであり、マロリーも半ば気の迷いのように大金を賭けていた
なお、生井英孝『空の帝国 アメリカの20世紀』 - logical cypher scape2によれば、「流線型」は1920~30年代マシン・エイジのキーワードである。

第三の反復 裏取引屋

マロリーは、ジャーナリストを名乗るオリファントという男と会う。彼は、マロリーがアメリカで関わった武器の密輸の件で、テキサス人に命を狙われているという。マロリーは、エイダが襲われていた件をオリファントへ告げる。
マロリーは、暴漢の正体を突き止めるべく、統計局の犯罪人体測定部へと赴く
犯罪者のデータを蓄積しているところで、機関(エンジン)を使って検索して調べることができる。
ところで、この世界では、国民IDみたいなものがあってクレジット機能と繋がっているっぽい。
で、フローレンス・ラッセルという毒婦とキャプテン・スウィングという男の名前があがってくる。
以降、マロリーがどうにしかてスウィングを捕まえてやろう、という方向で話が進む


今度は、マロリー自身が襲撃を受ける。
マロリーには弟や妹が多くいて、妹が今度結婚するというのでそのためのプレゼントを買っていたところで襲撃に遭う。
オリファントがマロリーの護衛を依頼したフレイザー警部が登場する
助けられたマロリーは、オリファントの家に招かれ、そこで森有礼ら日本人グループと出会う。

第四の反復 七つの呪い

ロンドンは「大悪臭」という災厄に見舞われる。
読んで文字通りの災厄なのだが、これによりロンドンを離れられる者たちは次々と離れていき、ロンドンの治安が悪化していく。
こうした中、ラッダイトが反乱を画策しはじめ、マロリーはスウィングを捕まえるべく、ラッダイトの巣窟へと向かう。


マロリー自身は、政治的には急進派という立場で、現首相のバイロンバベッジ卿を支持している。機関による産業革命を推進する立場で、科学者とも親和的なので。
その後、弟が2人ロンドンへやってくる。1人はクリミア戦争に参戦した軍人でもある。マロリーやフレイザー警部がスウィングを捕まえるのに同行する。

第五の反復 すべてを見そなわす眼

オリファントは、ミックの事件を調べ、シビル・ジェラードを追ってパリへと向かう。

モーダス――提示されたイメージ

大悪臭の際に、バイロンが亡くなっているのだが、バイロンの葬儀の際の夫人の様子の話とか
エグレモント宛への手紙とか
ジョン・キーツオリファントに会った時のことを話したインタビューとか
森有礼の手紙とか
最後に、パリで講演していたレイディ・エイダに話しかけたフレイザーの話

島尾敏雄『夢屑』

1970~1980年代、筆者が50代後半から60代前半の頃に書かれた短編集。
『戦後短篇小説再発見 6 変貌する都市』 - logical cypher scape2で読んだ「摩天楼」が面白かったので、手に取ることにした。

解説によると、島尾作品には、『死の棘』など妻との関係を書いた作品の系列、戦争体験(特攻隊)を書いた作品の系列、そして本作(「摩天楼」)のような夢を書いた作品の系列の3系列があるらしい。

タイトルからして、夢を書いた作品の系列だろうと思われたので『夢屑』を読んでみることにしたが、本短編集収録8編のうち「夢屑」「過程」「痣」が夢を題材にした作品で、それ以外の「幼女」「マホを辿って」「水郷へ」「石造りの街で」「亡命人」は、いわゆる私小説である。また、夢を題材にした最初の3編にしても、「摩天楼」とはだいぶ雰囲気の異なる作品群であった。
しかし、いずれも面白い作品だった。
「夢屑」「過程」「痣」は筆者自身が見た夢を書き綴ったものだと思われるが、筆者自身の経験を反映したと思われるエピソードが多く、続く私小説的な5篇のうちいくつかは、それの答え合わせ的な側面もあって、面白かった。
島尾は、妻との関係を綴った『死の棘』が代表作(映画化もされている)だが、本短編集収録作は、いずれも『死の棘』完結後に発表された作品である。筆者は69才で亡くなっているので晩年の作品とも言える。「摩天楼」は1947年、30才の時に書かれた作品なので、雰囲気の違いは当然ともいえる。なお、夢系列の作品としては、1948年の「夢の中での日常」などもあるようなので、そちらも気になると言えば気になる。

夢屑

筆者が見たと思われる夢のエピソードが、断片的にいくつも書かれている。
最初の方は、比較的現実的な話が多いが、だんだんと非現実的な要素が増えていく。というか、死にまつわる夢が増えていくという構成になっている。
図書館長をやっていた頃、東京に住んでいた頃、教員をやっていた頃、ロシア人の少女との再会など、実際の経験を反映したものが多いが、夢の中の出来事なので、いずれも少し不思議なエピソードだったり、途中でぶつ切りになったエピソードだったりしている。
死にまつわる夢は、特攻隊員であった経験の反映であろうが、こちらは特攻隊の話が直接出てくるものはない。
死のうとする、あるいは死んでしまった夢などが、超現実的な雰囲気で描かれている。例えば、家族揃って入定の儀式に臨み、粘土のようなものに顔を突っ込む夢。死んだふりをして川の中に投げ込まれ、しばらく経った後起き上がろうとしたら、川の中の他の死体もぞろぞろと起き出す夢、爆発が起きて、自分の家の一室以外が消滅してしまい、妻と2人で熱死を座して待つ夢など。

過程

断片的に夢が綴られるという点で「夢屑」と同様だが、各エピソードにタイトルがふられている。
沖縄を舞台にした夢が多く、その場合、巳一という男が主人公になっている
「ドアを三つ持った細長い部屋」「青い海」「同郷の若者同士」「座談会にて」「花子になったワーリャ」「名知らぬ港町」「パーティの女」「少女を連れ出す」「散乱した肉と骨」「変事」

「過程」と同じ形式で書かれており、「過程」と「痣」とで一セットというか、あまり区別がつかない。
「菱形の凧に似た物体」「川沿いの二階屋での自由」「理髪店にて」「地が揺れる」「掃除をしないウラ」「美しくは無い女の子」「父」「痣」「潮のにおい」「みみずく」

幼女

小学2、3年生の頃に、娘のマヤと同級だったミユカとの話。
米兵を父にもち、シングルマザーのもとで育てられていて、マヤと何らかのトラブルがあり、おそらくマヤの失語症の原因となっている。
というわけで、妻とマヤはこの子を避けているのだが、主人公は何故かこの子になつかれており、主人公も邪険に扱うことができず、むしろかわいがっている。
マヤの病気のためにマヤと妻が東京へ行っていた時期にに、ミユカはますます頻繁に家に遊びにくるようになった。

マホを辿って

孫のマホについての爺馬鹿話といえば爺馬鹿話だが、マヤの関係なども含めてなかなか読み応えがあり、解説では「出色の短編」と評されている。
東京に住んでいる息子夫婦は、2,3か月に一度は孫を連れて茅ヶ崎へ遊びに来ていたが、3歳になって一人でも泊まることになる話
マホが次第に言葉を覚えて色々と話すようになっていく頃の話でもあり、マホの話し声を録音したカセットテープを主人公夫婦はよく聞いている。ところで、マホの叔母にあたるマヤは、小さい頃は活発だったが小学校3,4年生の頃から失語症になっている。マホからマヤがどのように見えるのかを心配していたのだが、マホはマヤに一番に懐いている。お泊りの時もマヤと一緒に眠っている。
一方のマヤもマホのことをよくかわいがっており、主人公にとっては、それもまた知らぬマヤの一面をみたということになる。
作家なので、ホテルに缶詰めで仕事をするのだが、その時にもカセットテープを持っていって、マホの声を聞いているところで終わっていて、まあ爺馬鹿といえば爺馬鹿なのではという話だが、マホがあっという間に成長していくことから、カセットテープに記録されている過去のままのマホと、あるいはさらに大人になっていく未来のマホという時間の重なり合いに戸惑ったり緊張したりしている主人公の様子が描かれている。
最後、2ページほど、マホの幼児言葉で語られる昔ばなしがカタカナでそれだけ書かれているところで終わる。

水郷へ

中学生くらいの頃に父に釣り旅行へ連れられた温泉地へ、再び旅行へ行く話
父とはあまり親しくなく、その時の旅行も決していい思い出ではない。そもそも何だったんだあれ、という感じの話

石造りの街で

妻とともにイタリアのFという街へ旅行した際の話
ある劇団がイタリアに行くというのでそれについていった旅行で、旅行の準備をあまりちゃんとしておらず、しかし現地についたら当然劇団はそこでやることがあるわけで、自分たちだけで過ごさなければならなくなる。
それで緊張して疲れてくるのだが、一方の妻は、思いのほか自然体で楽しみ始めている。日本にいるときと変わらぬふうに買い物したりしている。
街にでて夕飯を食べに出たときに、自分自身も次第にこの街にひきつけられていることに気づく。

亡命人

商業高等学校時代にロシア語を習った教師についての話から始まり、何故ロシア語かということで、長崎時代に知り合ったロシア人家族の話をしている。「夢屑」や「過程」で出てきたワーリャという少女は、ここに出てきている。
あとになって、横浜に移ったと聞いて消息を辿ろうとしたけれど、時間が経ちすぎていて辿り切れない。

島尾敏雄略歴

夢に関して、筆者の経験が反映されているところが多いので、巻末の略年譜やWikipediaを参照しながら簡単にまとめてみる。
横浜生まれだが、小学生の頃に神戸へ移住
神戸の商業学校→長崎の高等商業学校→九州帝大へ進学
大学生の頃に、庄野潤三と親交があり同人活動をしている。戦後には、さらに三島由紀夫らも交えて同人活動をしている。
1943年に海軍へ志願し、1944年に、特攻隊の隊長として奄美諸島加計呂麻島へ着任
島で教員をしていた大平ミホに出会い、終戦後、結婚。
戦後、神戸で教員をした後、東京へ移住。
島尾の浮気により妻が精神を病み入院。退院後、奄美の名瀬へ移住。
奄美ではまた教員をした後、県職員となり、県立図書館奄美分館の初代館長となる。
沖縄旅行もよくしていた模様。
60才の時に茅ヶ崎へ移住するが、67才で鹿児島へ戻り、鹿児島で亡くなっている。



島尾一家はなかなかみんな芸術家で、妻のミホは40才の時に小説家デビューしている。
長男の伸三は写真家で、その妻も写真家
孫(伸三の娘)の真帆は、漫画家のしまおまほ。なお、これでWikipediaを見ていて初めて知ったのだが、かせきさいだぁが、しまおまほ事実婚していて子どもがいるようだ。
なお、伸三の下にマヤという娘がいて、「幼女」や「マホを辿って」に出てくる。小学生の頃に失語症となったことが作中にも書かれているが、その後、52才で亡くなったらしい。

『戦後短篇小説再発見18 夢と幻想の世界』

夢や幻想をテーマに、1949年の日影丈吉「かむなぎうた」から、1996年室井光広「どしょまくれ」まで11篇を集めたアンソロジー
このシリーズは、まず全10巻で刊行されたが、編集委員の中ではこれでは分量が足りないと考えており、第1期10巻が全て重版できたことにより、第2期8巻の刊行が可能になったと巻頭言に書かれている。また、1人1作というルールのもと作品は選ばれているが、第1期と第2期については作家の重複がある、と。
タイトルを見れば分かる通り、巻数は第1期から第2期まで通しになっているので、途中から第2期になっているのが分かりにくい。


夢や幻想をテーマとしているが、幻想文学かというとちょっと違う作品が集められている気がする。
面白かったのは、日影「かむなぎうた」矢川「「ワ゛ッケル氏とその犬」色川「蒼」村上「ハワイアン・ラプソディ」村田「百のトイレ」室井「どしょまくれ」あたりか。
日影と色川の作品は、東京生まれの少年が(かたや母の死、かたや疎開で)田舎で暮らすことになってしまった際の話。村田と川上はともに家族(と性)がテーマ。

日影丈吉「かむなぎうた」

日影はミステリ作家で、本作は『宝石』の新人賞に投稿して掲載されたデビュー作。
本作も一方でミステリ要素がある作品なので、他方でそれ自体が夢か何かだったのではないかというようなオチになっている。
主人公は、幼い頃に母と離別し父の生まれ故郷へと引っ越してきた。養蚕をしている家で、蚕室の奥に母親の形見の品があるため、幼少期はその部屋に引っ込んで泣き暮らしているような少年だった。
小学生になり多少は外で遊ぶようになっていたが、その中で親しくなったのが源四郎で、同じく母を亡くしているなどの共通点があったが、イタズラ好きで活発な源四郎は、主人公としては対照的な少年であった。
で、ある時、隣の村から「巫女(いちこ)」の老婆がやってくる。イタコをするわけだが、主人公は密かに恐怖を抱くようになる。彼の亡き母の口寄せもされて、夢に見たりする。
その後、この老婆が橋から足を滑らせて川に落ちて死んでしまう。警察は事故死だと判定するのだが、風邪に伏せっていた主人公は、これが源四郎の犯行に違いないと考えて推理を働かせる。
トリックに使われた(と主人公が考えている)ガジェットが、鉄製の竹蜻蛉というなかなかかっこいい代物だったりするのだが、そもそも源三郎犯人説自体が、主人公の思い込みのようなものであったりする。その背景として、主人公がうっすらと憧れの念を抱いていた少女を巡る罪悪感がある。
源四郎は、通りがかりの女の子の頭上におしっこをひっかけるというイタズラをよくしているのだが、ある日、主人公にそのイタズラのための合図をするように伝える。しかして、道の向こうからは主人公が憧れている少女がやってくる。主人公は、なんと合図を送ってしまうのである。しかし、源四郎は何もしなかった……という挿話があり、また、老婆と少女が一緒にいるところを主人公が目撃したこともあり、そうしたことがない交ぜになっていたということがうかがえる。
「巫女殺人事件」というミステリの体裁をとりながら、主人公の少年の内面の諸々をテーマに扱っており、それが例えば、蚕室で密かに読む草紙本とか空高く飛ぶ竹蜻蛉の情景とか老婆が醸し出す雰囲気とか、そういったものと組み合わさって、完成度の高い短編になっている。
(1949年)

矢川澄子「ワ゛ッケル氏とその犬」

作者は澁澤龍彦の妻(のち離婚)。Wikipediaを読むと、澁澤龍彦ひでーなーというエピソードがポロポロ書いてある。絵本・児童文学の翻訳が多い。あ、『ぞうのババール』訳した人なのか!
入れ子上の構造をしており、「私」が話すスコッペ氏の話の中に出てくるのが「ワ゛ッケル氏とその犬」というお話なのだが、ワ゛ッケル氏もまた作家で、つまり、物語る者についての物語を物語る者が語るのを物語る者が語るという構造になっている。
ワ゛ッケル氏は、財産も才能も何もかもなくしてしまい、家にも住んでいられなくなったので、飼い犬をどこかに捨てにいかなければならず、何もない麦畠を歩きつづけ、立ち止まったときに犬が光りはじめる。周りの麦は子どもたちに代わり、犬は天へと上がっていく
(1955年)

谷崎潤一郎「過酸化マンガン水の夢」

谷崎の日々の記録を綴ったような作品だが、後半は夢か現か分からなくなってくるというもの
熱海から度々上京している際のことを書いており、妻らの希望でストリップ・ショーを見に行ったり、1人でスリラー映画を見に行ったり、あるいは高血圧を気にしながら中華料理や京料理を食べに行ったりしたことを書いている。
半分おきて半分寝ているような状態で、鱧の肉、ストリップ女優の裸、あるいは映画で見た風呂場で殺された男が夢に出てくる
で、過酸化マンガン水だが、これは、便に食べたものの色がついてトイレが真っ赤になってしまったのを過酸化マンガン水のようだと喩えたところからついていて、そこから、中国の呂太后が戚夫人の手足を断ち眼をとって厠の中に入れたというエピソードを思い出していく。
(1955年)

星新一「ピーターパンの島」

星新一は、小学生の頃によく読んでいた時期があって、本作も読んだことあると思うのだがさすがに覚えていなかった。
合理的であることが重視されるようになった社会で、妖精や魔法を信じるような子どもたちは隔離されて別の教育を受ける。
その隔離策の極致として、フック船長の海賊船に乗って離島へ赴くというものがあるのだが、その先に星新一的なブラックなオチが待っている。
(1961年)

色川武大「蒼」

主人公のもとに、不思議な女性たちが訪れる。舞のようなものをする(リズムにあわせて足を踏みならす)女たち。それを率いる女が口にしたのは、彼が少年時代に疎開していたところの地名。疎開先でお世話になった家の誰かだろうかと名前を出すのだが、当てはまりそうな人がいない。彼女は、あなたに焼かれた者です、と名乗る。
主人公は疎開していた頃のことを思い出す。
集団疎開していった先で、東京から来た自分たちと地元民の間にはどうしても溝があり、そんな中で彼らは彼らなりの遊び場を探していく。
地元の名家の墓がある土地が、あまり人目につかないこともあって、彼らはそこで遊ぶようになるが、空襲でなくなってしまう。
その後、東京の空襲の火を目撃したあと、彼らは火遊びをするようになる。

ある夜とうとう、東京の煙と火を、眼にすることができた。(中略)大きな火煙に包まれているのは他ならぬぼくら自身だった。その点ではぼくらは小栗川の人間ではなくなっていた。焼かれる人間だった。焼かれるであろうが、しかし焼こうともしている筈の人間だった。樹や草や湿った土や、墓石や女たちや和尚のように、じっと坐ってうすぼんやりとしているなんてとてもできなかった。

ある夜、全員が集まってそれに火をつけた。ブルルルル、ブルルルル、ぼくらは両手を拡げ、爆音を口にしながら藁の山から山へと飛び回った。闇の中に焔の塊りが次々と現れ、うす明るくなったあたりに、煙がただよいだした。(中略)そうしてそのとき、地を這い逃げる無数の生き物のうごめきが伝わり、騒ぎ狂う鳥どものさまざまな叫びをきいたのだった。

冒頭に訪れた謎の女たちは、この時に焼かれた鳥たちなのだろうという話なのだけど、この、焼き焼かれという関係のゾクッとする感じがすごい。
ところで、この筆者の別名義は、麻雀小説の阿佐田哲也
Wikipedia見る感じ、本人は疎開とかしていないっぽい(1943年に勤労動員とある)。終戦後5年ほどアウトロー生活をしている。本名での作家活動は1961年から
(1965年)

吉行淳之介「蠅」

4ページほどの非常に短い作品
女子高生が、他校の男の子と一緒に学校から帰るようになる、という初めてのお付き合いみたいな話なのだが、ある日、その男の子の背中に蠅がびっしりと止まっているのを見て、避けるようになる。
(1971年)

中井英夫「鏡に棲む男」

これはなんだ、統合失調症かなんかの人の話なのか
自分以外の人間は全て人形なのだと思い込み、さらに、ピーマンは奴らが開発した人工野菜なので絶対に食べない
さらに、鏡の中の自分が、自分を真似た別の存在なのではないかと思っている。ある時、自動車の迎えがきて、それに乗ると運転手が鏡の中の自分。周囲は次第に霧に包まれていき、鏡の中の自分に乗っ取られる……? 
というような話なのだが、とにかく、ピーマンなんて食べられるかということについてことあるごとに述べていて、全体的にはシリアスな調子なのに、こいつは単にピーマンを食べたくないという己の偏食を正当化するために変な妄想を捏ねているだけで、そういうコメディなのか、と思えてきてしまって、なんかダメだった。
(1975年)

村上龍「ハワイアン・ラプソディ」

村上龍は、遙か昔に『希望の国エクソダス』が読んだことがあるはずだが、内容はあまり覚えていない。あとは、評論などを通してあらすじを知って、なんとなく知った気になっている感じでしかたなかった。
しかし、『戦後短篇小説再発見 6 変貌する都市』 - logical cypher scape2村上春樹を読んだ時も思ったが、なんだかんだで人気のある作家というのはやはり面白いのだなというのを、この村上龍作品でも感じた。
タイトル通りハワイが舞台なのだが、主人公が、老いたスーパーマンに出会う話
スーパーマンは老いて飛べなくなっているのだが、地球に飽きてクリプトン星に帰りたくなってきたために、再び飛ぶためにトレーニングを行っている。
主人公とその友人らは、彼のために協力して、トレーニングを手伝ったり、パラセーリングしてみたらどうだと誘ったりする。
主人公たちは、特段彼がスーパーマンであることを疑っておらず、実際どうも彼は普通の人とは違う能力があるっぽいことは示されているが、度々失敗して怪我で入院したりもする。
(1979年)

村田喜代子「百のトイレ」

独身で教師をやっている主人公のところに、従姉が2才の娘を連れて遊びにくる。
この子は、道端で下着を脱いでおしっこをするという癖があって、従姉は困り果てていた、という話。
この従姉と主人公は子どもの頃から仲が良くて、従姉に子どもが生まれてからも親しい付き合いが続いているようで、作中、3人でお昼寝をするシーンもある。
主人公は、そのお昼寝中にたくさんのトイレを掃除する夢を見る。
昼寝後、主人公は2人を散歩へと連れて行く。散歩した先で、大量の便器が廃棄されているところに出くわし、女の子はそこでおしっこをして、主人公は解放感に満たされ、トイレたちが飛び立っていく様子を幻視する。
この話、最後のシーンはいちおう幻想シーンだとはいえ、何故「夢と幻想の世界」というテーマで収録されることになったのか若干戸惑うが、作品としては確かに印象深いものがある。
しかし、自分はいとこは一人しかおらず、その一人とも大きくなってからは会っておらず、近況もあまりよく知らないので、この主人公のような親しい関係のいとこというのが微妙に想像がつかないのだが、独身者と子持ちとの認識のギャップみたいなものは自分にとってもリアルに把握された。
あるいは、2才の子のいうことを聞かない感じや、子どもにあの場所に連れて行ってあげたいなという感じなども。
(1989年)

川上弘美「消える」

団地に住むそれぞれの家族が持つ謎の風習について。
上の兄が消えてしまうが、私の家族では曾祖母の頃から度々消えることがあった、と。この「消える」、文字通り姿形が見えなくなってしまうのだが、いる気配はあって、触れたり声が聞こえることもある、というような謎の現象なのだけど、普通に受け入れている。
そのほか、婚約するのに相手の家に釣書するめを持って行ったり、団地において一家族は5人までという暗黙のルールがあったり、管狐を飼っている家族がいたり、ねこまという謎の生き物がでてきたり、あるいは、謎の声を発する壺ゴシキとかも出てくる。
家族にしか通じない風習が、家族ごとにあったりするよねというよくある話を、かなり極端に奇怪なものへと仕立て上げた物語という感じで、それにしても、てんこ盛りだなという感じで、その盛り過ぎな感じに若干ひいてしまったところはある。


村田・川上ともに、家族のことを非現実的な光景とともに描く作品だが、加えて、性の問題も関わっている。
村田作品の場合、主人公が見たトレイの夢が従姉によって欲求不満や結婚願望の表れではと解釈されるシーンがあったり、娘の癖自体が快感によるものなのではと推測されたりしている。
川上作品の場合、そもそも物語全般が、お見合いから結婚に至る話で、他の家族から主人公の家族に嫁入りがあるのだがそれがうまくいかないという話であり、一方で、主人公は上の兄に対して膝枕やキスを望んでいることが度々書かれている。
川村湊は解説で、女性作家ならではだなあみたいなコメントを書いているのだが、ここらへんどう解釈すればいいのか、分からんといえば分からん。作品の中に書いてある通りだなといえば書いてある通りなのだが。


ところで、こうした村田や川上が、さらに藤野可織に至るみたいな系譜があるのかなーと思ったり思わなかったり。


そういえば、村上龍の「ハワイアン・ラプソディ」とこれの初出が『野性時代』で、いや、『野性時代』は読んだことないんだけど、「へえ、こんなのも掲載してたのかー」と軽い驚きがあった。
(1996年)

室井光広「どしょまくれ」

主人公が友人夫婦とひなびた温泉旅館に泊まる話。
もともとこの3人は、デンマーク語の翻訳の仕事をやっている。
つげ義春作品に出てくる土地が、主人公の出身地だと思い込んでいた。そこで遠縁の女性が旅館をやっているので、旅行しにいこうという話になるどしょまくれ、というのはその地方の方言で、その旅館の名前。
ずいぶん寂れていて、もともと3軒くらいしかなかった旅館が2軒つぶれ、残った1軒も休館したのを改修したのが「どしょまくれ」。
で、この「どしょまくれ」という方言が、主人公とその地域では少しニュアンスが違っていて、その話をしているうちに、デンマーク語に似ていない? みたいな話になっていく。
直接的には、夢も幻想も出てこない作品なのだが、彼らが旅行した地方が、そもそもつげ義春作品から端を発しており、この方言自体もかなり謎めいていて、実在する場所なのかどうかもよく分からず、全体が幻想めいて感じられる作品だった。

伴名練「二〇〇〇一周目のジャンヌ」

『ifの世界線 改変歴史SFアンソロジー』所収の短編
このアンソロジー自体、読みたいなと思っているのだが、他に読みたい本が結構たまっていて、色々比較しているうちに優先順位を少し下げてしまった一方、本作だけ、web上で期間限定で読めるうちに読んでいたのでメモ


タイトルにあるとおり、ジャンヌ・ダルクについての話。
ただし、実在のジャンヌではなくシミュレーションのジャンヌである。
量子コンピュータが発達した未来、歴史学の手法として、歴史上の人物のシミュレーションを行うというものがあった。ただし、正義主義といわれる立場によるもので、立派とされる人物を何度も繰り返しシミュレーションすることで、倫理的に問題あるバージョンを発見し、こいつには問題があるぞ、と告発するために行われていた。
フランスでの国家主義の台頭に対して、そのシンボルとして用いられがちなジャンヌ・ダルクについて、実は敬虔な信者ではなかったバージョンのジャンヌを見つけ出して、そのイメージを貶めるためにシミュレーションが行われる。
ところが、その際、従来のシミュレーションと違ったのは、繰り返す度に記憶を引き継ぐという設定がされたことであった。
シミュレーション内のジャンヌは、火あぶりにあった後、火刑される当日の朝へ戻されるというループを経験させられることになる。
前述の設定は、様々な書籍からの引用という形で断片的に語られ、本作の大半の部分はこのジャンヌのループを描いている。
このループ自体を神の試練だと受け止めたジャンヌは、ループによって蓄積された記憶を用いて、火あぶりを免れ、イギリス王を倒すまでに至り、静かな余生を過ごすが、死ぬとまた火刑の日へと戻される。
まだ神の意志を達成できていないかと思い詰めたジャンヌは、その後、ループする度にフランスの版図を広げ続け、ついには世界統一をなしとげるのだが、それでもなおループしてしまう。
このシミュレーションを実施している側は、適当な時間シミュレーションを走らせたあと、自分たちの意図に沿う結果だけを抽出しようとしているので、ジャンヌが何を達成しようとも、ループ自体は止まらないのである。
このジャンヌのシミュレーションを行っていた正義主義グループの中に、実は、匿名で右派的な言論を行っていた者が紛れ込んでいて、そちらはそちらで、意に沿うようなジャンヌイメージを導き出そうとしていた。
最終的には、この右派側から紛れ込んでいた者のデータが流出するという形で、このジャンヌシミュレーションが衆目にさらされてしまい、終わりを迎える。


伴名練っぽい話だなあという感じだった。