安岡章太郎『質屋の女房』

安岡章太郎については、以前『群像2016年10月号(創刊70周年記念号)』その1 - logical cypher scape2を読んだ時に面白く感じたので、気になっていた(安岡だけでなく、この『群像』を読んで第三の新人に属する作家が全体的に気になりはじめた)。
去年の12月から今年の1月に、SFじゃなくて文学とかも読もうキャンペーン(?)が自分の中であって、古井由吉『杳子・妻隠』 - logical cypher scape2を読んだりしていたが、実は、その頃に本書も読み始めていた。
読み始めていたのだが、途中でなんとなく読む気が失われてしまって、半年以上放置して、最近また文学とか読もうという気持ちになって、読むのを再開していた。
ただ、改めて読むと「悪い仲間」も以前感じたほど面白くなくて、それで読むのが止まっていたところがある。
全体的に、10代の少年を主人公にした作品が多く、また、母親との関係を巡った作品が多いのだが、おそらくそのことが、今現在の自分にとってはあまりピンと来なくなっているのかもしれないと思った。
逆に、最近読んだ古井由吉『木犀の日 古井由吉自薦短編集』 - logical cypher scape2でも触れたが、10・20代よりも30・40代が主人公になっている作品の方が、今の自分には面白く感じられるようになっているのかもしれない。

ガラスの靴

猟銃店のバイトをしている「僕」は、その用事でいた米軍の軍医の家のメイドと知り合う。その軍医が留守の間にその家で遊ぶ

陰気な愉しみ

役所に傷病年金をもらいにいっている「私」

夢みる女

この作品集の中では毛色の違う作品で、聖書の中のエピソード*1を戯画化して描いた作品
最後の方に人名が出てきて、聖書の話なのかということがわかる(自分はググらないと分からなかったが)

肥った女

母親が肥っていることを気にしていたせいか、肥った女に親しみを覚えていた「僕」が悪友たちと遊郭へ行く

青葉しげれる

落第し浪人を続ける順太郎の話1

相も変らず

落第し浪人を続ける順太郎の話2
いずれも、母親の希望によりそれに従ってしまう自分と、それに反抗しようとする自分の葛藤

質屋の女房

学校をサボりながら、家のものを質入れしたり戻したりしながら、その店の女房とやりとりする話
女房というか、おそらく元は女郎だった女性をここの主人が身請けしたのか何なのか、そういう人だろうと。
でまあ、この主人公も母親に対する反抗と従属を繰り返している。

家族団欒図

これと次の「軍歌」では、既に妻子ある身となった安岡自身と思われる男が主人公の作品
いずれも、母親が亡くなり、父と同居し始めることになった頃の話で、父親と妻との間でどっちずかずの態度をとりつづける話。

軍歌

正月に、出版社から依頼された成田神社への取材に逃げるように出かける
帰ってくると、近くに住んでいる年下の友人が来訪しており、父親と飲んでいる

リリー・ブルックス=ダルトン『世界の終わりの天文台』(佐田千織訳)

突如人類が滅亡し、最後の生き残りとなってしまった老天文学者と、木星から地球へと帰還するクルーたちが、それぞれに孤独を受け入れ愛に気付くまでの物語。


日本語訳は2018年に刊行されており、その際、冬木さんや牧さんの書評を読んで存在は知っていたのだが、当時そうした書評記事をブクマしてはおらず、あまり食指は動いていなかった。
が、その後、友人から薦められたので、読んでみることにした(薦められてからさらに1、2年経過してしまったが……)。


北極の天文台に勤務する老いた天文学者と謎の少女のパートと、木星への初の有人探査ミッションを終えて地球へ帰還中の6名の宇宙飛行士たちのパートが、交互に展開されていく構成。
彼らはいずれも、突然全くの通信が途絶えてしまうという事態に遭遇する。
ただし、この事態が一体何で起きたのか(戦争で起きたことが示唆されてはいるが)についての説明は全くなされない。
突然、自分たち以外とのつながりが完全に絶たれてしまうという緊急事態の中で、登場人物たちがパニックと内省を経て、「日常」へと回帰しつつ、上述したとおり、愛に気付いていくという話である。
老いた天文学者オーガスティンと、宇宙飛行士の一人であるサリーがそれぞれのパートの主人公で、2人とも宇宙に関する職業を選ぶことで、家族や人間関係を捨ててきた過去を持ち、こうした緊急事態・異常事態を通して、その過去を捉え直していくのである。



「シノハラは好きだと思う」というような薦められ方をしたので、どういうことだろうなと思いながら読んだのだが、一読しての感想としては「嫌いではないが……」というところだった。
上で、愛に気付く物語だと大雑把に要約したが、そのプロットについては、そこまで面白くは思えなかったというのが正直なところではある。
ただ、後に映画化されているらしいのだが、確かに映画にするとよさそうな作品ではあるなと思った。
一方で、この作品の魅力は、プロットよりは描写にあるなという感じがしていて、北極の風景や宇宙船の生活の描写を読み進めていくのは結構面白くて、この点は結構良かった。「嫌いではない」という感想はこれに由来する。
矢野利裕が文学のことを、日常を輝かせるというように形容していたかと思う*1、また、以前、中沢忠之が(文学が文体、ライトノベルがキャラクターなのに対して)SFやミステリはプロットのジャンルだと整理していたことがあったかと思う。それに倣うと、本作はSFというよりは文学寄りの作品なのかもしれない。


ところで、翻訳者の佐田さん、最近なんだがよく見かけるような気がしたのだが、自分の場合、シルヴァン・ヌーヴェル『巨神計画』『巨神覚醒』『巨神降臨』 - logical cypher scape2ジョナサン・ストラーン編『創られた心 AIロボットSF傑作選』 - logical cypher scape2で触れていたのが、そういう印象があるのかも。wikipediaを見るとそれ以前はファンタジーをよく訳されていたようなので、自分は見かけていなかったのだと思う。と思いつつ、さらにwikipediaをよく見てみたら、山岸真編『スティーヴ・フィーヴァー』 - logical cypher scape2の収録作の一つを訳してた!

あらすじ(ネタバレあり)

オーガスティンが勤務する北極諸島天文台に、軍の輸送機がやってくる。戦争の噂があるからと全職員撤収することになるが、この天文台の終の棲家と定めていたオーガスティンは拒否する。
一人になったオーガスティンだったが、数日後、どこからともなくアイリスという8歳くらいの少女が現れる。物静かな彼女との不思議な同居生活が始まる。
アイリスとともに生活するうちに、オーガスティンは、より強力な電波局がある湖のほとりのキャンプへと移動することを決める。スノーモービルに荷物を詰め込み山を越え、天文台には二度と戻れない旅へと出る。
そして、たどり着いた湖のほとりでは春が訪れ、オーガスティンとアイリスはつかの間の豊かな春を謳歌する。
オーガスティンの回想がたびたび挟まるのだが、話が進むにつれて嫌な奴だったことが分かる。
研究についてしか興味がなく、次々と勤務先を転々としていく孤独な人生を送ってきたオーガスティンなのだが、一方ですごくモテるのである。そのことを自覚した彼は、そっち方面も「研究」も始める。つまり、次々と女性に手をつけていくのだが、関係を結ぶと、冷たくあしらうということを繰り返し、人間関係がいよいよにっちもさっちもいかなくなると、別の研究機関へと転職するのだ。
女たらしという評判はたつものの、研究者としては間違いなく優秀であったため引くてあまたであり、勤務地を変えるのはわけなかったのだ。
そんな彼にも生涯に一人だけ魅了された女性はいた。その女性の間には子どももできたのだが、オーガスティンは堕胎するよう求め、2人は別れた。数年後、母娘の行方を調べ、娘に対して誕生日プレゼントを何年間か送りもしたのだが、母娘の行方が分からなくなったので、それっきりとなり忘れ去っていた。
アイリスとの生活を続けるうち、オーガスティンはその女性とのことを少しずつ思い出すようになっていた。
一方、オーガスティンの前にはたびたびホッキョクグマが現れる。
完全なネタバレで、最後のオチを書いてしまうと、アイリスはオーガスティンの娘の幻影で、オーガスティンはクマにくっついて亡くなる。
オーガスティンに関する物語は、オーガスティンに甘いような気もして、鼻白んでしまうところがないわけではない。アイリスの正体は自分の予想*2と違っていたので「え?」って感じだったし。
しかし、それはそれとして、雪に覆われた天文台での暮らし、荷物を厳選して雪の中での野宿を伴いながらのスノーモービルの旅、湖のほとりでのひと時の豊かな暮らし(キャンプに燃料や食料が十分以上に貯蔵されていたからでもあるし、春が訪れ、雪が解け草花が咲き、湖で釣りをすることができたためでもある)といった、北極圏での非日常な日常の描写はよかった。
筆者は、本作が小説デビュー作だが、その前に、世界中を旅した経験があり、作家としては自叙伝的ノンフィクションでデビューしているらしく、そうした経験が北極パートには生かされているのではないかと感じられた(北極に行ったことがあるのかどうかは知らないが)


一方の、宇宙飛行士パートであるが、
初の有人木星宇宙探査船が舞台となっており、同船のクルーメンバーは、主人公であるサリーのほか、ハーパー船長、最年長のシーヴス、研究者のイワノフ、航海士(?)のタル、最年少のデヴィの6人。
木星でのミッションを終え地球へ帰還しようとしたところ、管制センターからの通信が途絶し、地球からの電波が一切途絶えてしまう。
まず、当然のことながらメンバーのほとんどが大きなショックを受ける。
元々、こうしたミッションでは、一日の生活スケジュールが細かく決められているが、それが次第に緩んでくるというか、守る意味が感じられなくなって、例えば食事の時間に出てこなくなるメンバーが出てきたりする。
サリーの場合、地球に残してきた家族への思いで内省的になっていく。
そもそも彼女は離婚しており、家族よりも宇宙、地球よりも木星を選んで生きてきた。娘の写真も1枚しか持ってきていなかったのが、それを急速に後悔するようになる。船では通信を担っており、木星に残してきた探査機からのデータを受信・保存していたが、それへの興味も次第に失っていく。
イワノフは自分の研究室にこもりきりになり、タルはゲームに当たり散らし、デヴィは自室にこもってほとんどコミュニケーションをとらなくなる。
しかしそんな中、ハーパーやシーヴスは比較的落ち着いており、その2人の様子に気付いたサリーも当初のパニックからは回復していく。
その後、小惑星帯まで戻ってきたあたりで宇宙船のアンテナが破損するトラブルが起こり、これがメンバー全員に再び目的意識を取り戻させることになる。
ハーパーがサリーのことを想うようになっていて、サリーはそれに気付かないようにしていて、というラブロマンス的なプロットもある。
こちらも、宇宙船という限定的な空間の中での生活を描写していくところがよかったと思う。
また、北極パートと比較すると、登場人物も多いし、アンテナ故障とその修理といった見せ場もあり(北極パートの場合、湖への旅がそれに相当するが)、メンバーそれぞれにそれぞれの人間味があって、プロット面での読みやすさもある。
某メンバーは死ななくてもよかったのでは、と思わないこともないが……。


先述したとおり、サリーは離婚しているわけだが、サリー自身、母子家庭で育っている。サリーにとって、天文学者でもある母親と2人で暮していた頃の思い出というのが人格形成に大きなウェイトを占めているのだが、その母親が後に再婚し家庭に入ってしまってからはどうにも家族の中に落ち着けなくなってしまう。
読み進めていくうちに、サリーがオーガスティンの娘であることが分かってくる。
地球に接近してきたところで、オーガスティンが発信していたアマチュア無線の電波をキャッチし、宇宙船クルーとオーガスティンは数回交信することに成功する。
サリーとオーガスティンは互いに自分たちが父娘であることには最後まで気付かないままだが、2人の間にはしばし温かな交流が生まれる。


最後の最後、彼らはちゃんと地球に還れるのか、そこには何が待っているのか、生き延びられるのかという点については完全にオープンになっていて、分からない。
もとよりそこに力点がある作品ではなく、オーガスティンとサリーという、互いに互いのことを知らない父娘が、家族よりも仕事を選び上手く人を愛することができない、という相似形の人生を送り、しかし、それぞれに家族を愛するに至るまでを描いた物語ということになる。


ところで、初の有人木星探査が行われているが、この世界の他の宇宙開発関係の出来事としては、ボイジャー3号という探査機が恒星間宇宙を飛んでおり、その一方で、ISSがいまだ現役でこの木星探査船もミッションを終えた後は恒久的にISSの一部になることになっている。
原著は2016年に出たそうで、ISSと地球の移動がソユーズなのはまあそりゃそうだろうなというところだし、どうも月ゲートウェイ計画もまだ出てきてなかった頃っぽいので、ISSがいつ頃までにどうなるかというのも見えにくい時期だったのかもしれない。
が、さすがに初の有人木星探査をやれるような時代までISSが現役ってことはないのではなかろうか……。

*1:『文学+』03号 - logical cypher scape2

*2:読み返してみるとその予想が違うのは早々に分かるようになっていたが

清塚邦彦「K・L・ウォルトンの描写の理論:R・ウォルハイムとの論争を手がかりに」

K・L・ウォルトンの描写の理論:R・ウォルハイムとの論争を手がかりに


とりあえず、読んだよというメモ
すごく勉強になる。

ウォルトンは,論文「ごっこ遊びと諸芸術」(1997年)1の中で,自らの描写理論の展開を,分析美学の進展と関連付けて解説している。そこでの説明では,ウォルトン理論は,E・H・ゴンブリッチの問題提起を継承しつつ,R・ウォルハイムの理論を補完し,さらに発展させる理論なのだとされる。しかし,果たしてウォルトンの理論は想定されている役回りを想定通りに果たせるのかどうか。その見極めが本稿の課題である。
 この課題と取り組むための手がかりとして,本稿では,ウォルトンと晩年のウォルハイムの間で交わされた論争に注目する。論争は多分に行き違いの観を呈しているが,両者が取り組んでいた問題の所在を見極める上では貴重な手がかりになるはずである。

最初の部分から引用
ウォルトンは、自分の理論がウォルハイムを引き継ぐものだと考えていたが、ウォルハイムはウォルトンの分析を終始批判し続けていた、と
清塚はしかし、この論争は行き違いとなっており、どちらかといえばウォルトンの立場に立つというか、ウォルハイムの批判があまりうまくいってないだろうことを論じている

一方のウォルハイムは,絵を見る経験を「の中に見ること」と呼んだうえで,その特質を,絵の表面と主題対象の双方に関わる「二重性」を持った現実の,しかし特殊な知覚作用として特徴づけた。ウォルトンとの論争の中でも,ウォルハイム側の最終的なよりどころは,この特殊な知覚作用が現実に存在するという強い確信にあった。彼はそれを経験の事実と考えていたのかもしれない。それは独断とも言えるが,しかしまた,少なからぬ人々が共鳴する素朴な直観でもあるように思われる。
 他方,ウォルトンの関心はそれとは方向性が異なる。ウォルトンが関心を寄せているのは,例えば馬の絵が一定の文脈では端的に「馬」と呼ばれ,その絵を見ることが「馬を見る」ことでありうるという事実である。こうした事実(虚構的真理)を成り立たせているのはどのような事情なのかというのがウォルトンの関心事であり,それに答えるのが視覚的なごっこ遊びの理論だった。

最終的なまとめ
ウォルトンとウォルハイムでは注目しているところが違うので、論争が行違っている、と。

ウォルトンの理論では,絵の中にその主題対象を見る経験は,現実の「見る」経験ではなく,虚構的な真理にとどまる。しかし,その虚構的真理を支えているのは,主題対象を現実に見る場合と類似した視覚的な認知過程が現に成立しているという事実なのである。ウォルトンにとっては,それが,主題対象を「見る」ということの実質である。

ところで、実際の論争は行き違いだったけれど、ウォルトン理論をもう少し評価できるのではないかという清塚の考察がなされる。
ウォルトンは、見ることを想像する、というけれど、もちろんそれは好き勝手な想像を意味するわけではなくて、上述のように「主題対象を現実に見る場合と類似した視覚的な認知過程が現に成立しているという事実」をもとにした経験なのである、と。
ただ、個人的には、(ウォルトンのメイクビリーブにおける「想像」が、一般的なところの「想像」とは少し違うものだということを認めた上でも)それを想像と言ってしまっていいのかという疑問はある。
つまり、認知過程があって捉えられた主題対象について、どのような(命題的)態度をとるかというところが、メイクビリーブ的な想像なのではないか、ということで、認知過程はそれの前段階にあたるもので想像と同一視できないのではないか、と。

 第二は,第6節において行った考察――それは何より,絵の表面を見る経験と,主題対象を見ているかのような想像との間の因果関係に関わる――の位置づけに関わる問題である。画像表象の本性を理解する上でこの種の因果関係が重要であることを説く立場は,しばしば「認知主義(cognitivism)」と呼ばれる65。ウォルトンの場合には,そうした認知主義の洞察を実質的に受け入れながら,それをあくまでごっこ遊び理論の枠内に位置づけている。しかし,果たしてそれは後者の枠内に収まるものなのかどうか。

で、これは結びのところで、今後の検討課題としていくつか挙げられているところの一つなのだけど
ウォルハイムとウォルトンの論争においては、ウォルハイムはあまりよい批判ができていなくて、ウォルトンのほうが優勢なのかもしれないけれど、まあしかし、別の描写理論の立場からの批判に対しても、ウォルトン説が優位を保てるかは定かではないよなあ、というのが個人的には思っているところ。
ただまあ、そういうわけで描写理論でウォルトン説はあまり擁護できないのでは、と思っていたのだけど、この論文はかなりウォルトン説擁護に近い立場で書かれていたので、その点で面白かったし、改めてウォルトン説のことが整理できてよかった。

古井由吉『木犀の日 古井由吉自薦短編集』

1960年代の作品から始まり、主には1980年代(おおよそ古井の40代頃)に書かれた作品を収録した短編集
古井由吉については、最近古井由吉『杳子・妻隠』 - logical cypher scape2を読んだ。つまらなかったわけではないが、格別面白かったわけでもなく、古井作品を読み進めようという気持ちにはあまりならなかったのだけど、それはそれとして、なんか文学作品を読もうと思っていくつか候補をピックアップしていて、その中に一応これも入れいていた。で、図書館に行ったら、他の候補は貸出中なので、これを借りてきたというあまり積極的ともいえない経緯で手に取った。
とまあそんな経緯はともかく、読んでみるとこれが面白かった。
図書館で借りてきたということもあって、間をおかずに読まねばという思いから、勢いつけて読んだのもよかったのかもしれない*1
また、作者が40代くらいの頃に書かれた作品が多くて、主人公も概ねそれくらいの年齢が多い。だからといって別に共感できるとかいうわけではないのだけど、大学生が主人公である「杳子」よりも関心を持って読めたのかもしれない。


内向の世代」の1人と言われている作家だけど、「なるほどこれは内向だなー(?)」と思った
とにかく自分の中の思索に潜っていく感じで、あんまり出来事や情景が出てこない。日常のふとしたところから、思索というか妄想というかが連なっていく。
どこかで、文体の作家だみたいに書かれていたような記憶があるんだけど、例えば、一段落すべてを読点でつないだ長い1文を書いてたりとか、上述のように自分の内面について書いていたり、現実のことを書いているのかどうか分からなくなったりするので、そういうのに対応している文体なのかな、と思う。
あと、使っている漢字が時々難しくて読めない*2。ルビふられる基準がよく分からなくて、それに振るならこっちに振ってくれ、というものが度々あった。あと、初出の時には振ってなかったけど、次に出てくるときに振ってああって、そういう読み方だったのかと気付いたものとか。


「秋の日」「風邪の日」「木犀の日」が面白かったって、全部「○○の日」だな

先導獣の話

1968年
聞き慣れない「先導獣」という単語は、巻末解説によれば、古井がブロッホから借用した言葉らしいが、古井自身独特の使い方をしている。野生動物の群れの先頭に立つ個体の意味だが、リーダー的存在とかそういうのではなくて、若くて群れの動きを乱してしまうような個体を指している。
主人公は、東京生まれ東京育ちだが、転勤で何年か田舎暮らしをした後に東京に戻ってきて、ラッシュ時の群衆に驚くという話になっている。
群衆の中でそれにそった動きをしない「夕立ち男」や、仕事ができるがマイホーム主義で残業をしないため同僚から疎まれている「先輩」など、先導獣的な人間に、憤りなどを感じる
たまたま、学生運動のデモに巻き込まれ、学生から暴力をふるわれ気絶するのだが、旗振り役をしていたと警察に疑われ捕まってしまう。嫌疑自体はすぐに晴れるのだが、入院先に、同僚ばかりか「先輩」も見舞いに訪れる。

椋鳥

1978年
二股というか、主人公が2人の女性と付き合うのだが、この2人にもともと因縁(?)があってという話
因縁というか、互いに寝取り・寝取られを繰り返している関係という
で、主人公が40になった時に、そのうちの片方がまた会いに来て、もう1人が癌で死ぬところだと告げる。
ところが、最後に、死んだはずの方が主人公の前に現れて、あの子は頭がおかしくなってしまったのよと告げるという話
女性同士の大きな感情が渦巻く話だが、主人公がわりと、ここで寝るのはまずいだろうと思いつつ寝たいと思って関係を持つというムーブを何度かしていて、どうにも

陽気な夜まわり

1982年
就寝の儀式というものについてのとりとめもない考えがまず書かれていて
そのあと、学生の頃に、学校の用務員のアルバイトをしていた友人が、自分自身の霊を見るという話がなされる

夜はいま

1984
勤務中に突如発狂した男が入院し、1週間で退院するまで、の話
と思わせておいて、最後に退院の下りが夢でまだ入院し続けているというオチがつく
というか、語りそのものは整然としており、過労っぽく描かれているので、あんまり主人公が狂っている感はないのだけど、最後の夢オチは結構びびる。

眉雨

1985年
巻末解説でポストモダン小説と紹介されていて、実際、何が起きているのか一番よく分からない作品
主人公がトイレに入ったところで、戦国時代?の情景と、そこで味方の女が架けられているところを幻視する。
敵・味方、目や見られることを巡って

秋の日

1985年
読んでいる時の感覚が、磯崎作品を読んでいる時に似ていたような気がする。
突然の歯痛に苛まされて以降、会社に行けなくなってしまった主人公
夏の間は、幼い我が子と散歩したり昼寝したりという穏やかな日々を過ごすのだが、秋になり、歯痛のあった日に浮気があったっぽいことが発覚して、離婚することになる
それでその女性と同棲し始めるのだが、その期間は完全にヒモ。離婚を仲介した友人が時々会いにきてくれるのだが、それも次第に足が遠のく。
それで、20年だかの時が過ぎて、主人公は50になっていて、その友人のところに現れる。同棲相手の女性とは別れ、その直後にその女性は亡くなってしまい、それを機会に働き始めたという。20年も社会生活送っていなかったのによく働けたなとその友人から思われるのだが、なんかそれが逆に上手い具合に気に入られたらしいとかなんとか。

風邪の日

1988年
タイトル通りで、主人公が風邪になった時の話
なお、主人公は古井と思われるような人物(作家と名言されていないが自宅で働いており、8年間勤めていた先を辞めた後15年この仕事をしているとあり、大学教員を辞めた後専業作家になった古井の経歴と重なる)
年をとると、風邪もちゃんとひけなくなるというところから始まる。風邪のひきかけにはなるのだが、発熱まで至らないとかなんとか。それで、仕事しないといけないと思いつつ寝て過ごしてしまう一日が描かれている。
のだが、後半になって急に子ども時代の回想ないし夢が挟まれる。父親と野球を見に行った帰りに、新宿の飲み屋に2人で入ると、闇で野菜を売りに来た女性に絡まれたというエピソードのあと、今の自分より若い姿の父親から、どこから来たんだ、また会いに来い、みたいなことを言われる。

髭の子

1989年
入院した父親のことを見舞う話。
主人公は、毎週見舞いに訪れては父親の髭を剃るのだが、寝たきりのまま押し黙ってほとんど口をきかない父に対して、髭が旺盛な生命力(?)によって硬く伸びる。
なので、髭剃りにもなかなか苦労するのだが、次第に習慣化していく。
一方、兄弟で分担している入院費用がそれぞれの家計を圧迫するため、転院を検討することになる。
付添婦という職業の人が出てきて、そんな職があったのかと驚きながら読んだ。今ググったら1997年まであったらしい。

木犀の日

1993年
かつて生家があった坂道を訪れる話。
15の頃に姉と訪れた時と、18の頃に訪れた時の話が回想で挟まれつつ、坂道を歩くことで既になくなった風景を思い出したり思い出せなかったりしながら、最後、雨に降られて見知らぬ男性と雨宿りする。

背中ばかりが暮れ残る

1994年
女に養われ部屋に閉じこもったまま50代を過ぎた男の姿を、白昼夢のように見るようになったという話
学生時代に、登山の帰りにたまたま一緒になった、少し年上のサラリーマンが夕食をおごってくれた話を思い出す。
作家となりある意味社会とは距離を置いた「私」と、当時から社会の一員として働き、その後もおそらくそうやって働き続けたであろうその「男」
当初、白昼夢に出てくる男は、そのときに出会った男なのではないかと思うのだが、次第に、しかしやはりあれは自己投影なのではないかと思うようになる話。
最後に、亡くなった人からの手紙が届くところで終わる

解説

読んでいる最中もこの解説を度々見て、読む手がかりとしながら読んだ。
群れの中の自我としての先導獣ないし犬儒的なものとの対決でもあり、それが次第に馴らされていく過程なのかもしれない。
また、女性に狂気をみる「椋鳥」から、狂気自体が解体していく「夜はいま」
私小説的な時間と漱石的な時間のあわい、あるいは対立としての「秋の日」や「風邪の日」
収録作品の年代の間隔が次第に短くなるように配置されているというのも面白かった。

*1:最近kindleで小説を買うことが多いが、途中まで読んで置いてしまっているものが多い……

*2:そもそも杳子(ようこ)だって読めないしな

『文学+』03号

「凡庸の会」*1が発行している文芸批評と文学研究の雑誌『文学+』の第3号
以前、創刊号を少し読んだことがある。
『文学+01』 - logical cypher scape2
第3号の宣伝が回ってきたとき、大正文学史というのが見えて、最近立て続けに大正史を読んでいた(筒井清忠編『大正史講義』 - logical cypher scape2筒井清忠編『大正史講義』【文化篇】 - logical cypher scape2
山口輝臣・福家崇洋編『思想史講義【大正篇】』 - logical cypher scape2
ので、手にとってみることにした。
冒頭に座談会が3本連続で載っており、大正文学、大江健三郎、そして現代文学と時代を下っていくことができるのがよかった。

【シリーズ座談会 大正篇】 大正文学史批判(荒木優太×小谷瑛輔×竹田志保×多田蔵人 司会・大石將朝)
【座談会】 大江健三郎論のために(高橋由貴×村上克尚×山本昭宏×梶尾文武)
【特集・政治と文学】
いま「政治と文学」から考えられること(木村朗子×倉数茂×矢野利裕 司会・中沢忠之)
<物語>に向き合う必要性―現代日本文学における非-社会性(矢野利裕)
いま、生身の作家に出会うことー仁川における二〇一九年の日中韓青年作家会議「私にとって文学とは?」を回想して(南相旭)
【論文】
フェミニスト読者の誕生と韓国文学の再構成(金銀河、訳・李智賢)
構造を背負う――マゾヒスムとモダニズム、あるいは作者と読者の間に(梅田径)
知覚世界と想像力――円城塔「良い夜を待っている」論(岡本健太)
徳富蘇峰の出発――愛の帝国(木村洋)
くずし字の翻字と日本近現代文学研究(出口智之)
コミュニケーションのなかの風景描写(中沢忠之)
〈喪失〉の喪失――格差社会におけるロスジェネと文学(樋口康一郎)


『文学+』03号注文フォーム
【New!】『文学+』03号 - 凡庸の会 - BOOTH

【シリーズ座談会 大正篇】 大正文学史批判(荒木優太×小谷瑛輔×竹田志保×多田蔵人 司会・大石將朝)

個人的には、ちくま新書の『大正史講義』といい、最近、大正きてるなーという感じなのだが、この座談会自体は、『文学+』02号で明治篇の座談会をやっていて、そのシリーズにあたるものなので、完全に偶々である。
唐木順三による大正教養主義、ならびに『批評空間』における大正文学についての座談会を参照枠組みとしつつ、それぞれが研究対象としている作家の話をベースに座談会は進んでいく。
具体的には、荒木は有島武郎、小谷は芥川龍之介、竹田は吉屋信子、多田は永井荷風を研究対象としている。
明治の修養=「型」のようなものがなくなって、バラバラになった、あるいは非歴史的になった。あるいは、普遍的なものへの志向があり、そのことで逆に個別の差異が溶けていくというようなものとして、大正がいったんは特徴づけられていく
その中で、じゃあ何故その作家を研究対象に選んでいるのかというところから、「修養」から「教養」へという単純なストーリーじゃなくて大正期にも「修養」は残っていたんだとか、普遍とも個とも「種」の問題があるんじゃないかとか、色々な話がなされていく。


最後のほうで中沢さんも指摘しているが、大正と現代に似ているところがあって、互いに照らし合わせることができるのかなあと思いながら読んだ


竹田さん、筒井康忠編『昭和史講義【戦前文化人篇】』 - logical cypher scape2吉屋信子の章を担当しているのにあとで気付いた。

【座談会】 大江健三郎論のために(高橋由貴×村上克尚×山本昭宏×梶尾文武)

大江健三郎がどのように論じられてきたかということを、年代順に検討していく座談会。。
大江って『芽むしり仔撃ち』大江健三郎 - logical cypher scape2
大江健三郎『万延元年のフットボール』 - logical cypher scape2は読んだけど、それ以外は結局読んでいないので、勉強になる。
1960年代
実存主義的に読まれていて、大江の同時代の伴走者とも言うべき批評家もいた時代。「政治と文学」の図式の踏襲、第三世界への注目なども
1970年代
単著での大江論は書かれなくなる。構造主義に転換していき、読者や批評家が次第についていけなくなる。『ピンチランナー調書』『われらの狂気を生き延びる道を教えよ』『同時代ゲーム
沖縄と関わるようになり『沖縄経験』という同人誌を刊行するも、失敗
また、『同時代ゲーム』は偽史的想像力もあり大江のサブカル的な時期だったのではないかという指摘。SFとの関わり。終末論と核への恐怖
万延元年のフットボール』について
1980年代
蓮実重彦による『大江健三郎論』や他に書誌的研究が整備される
ポストモダン小説へ。時代の伴走者的な存在がいなくなり、独自の道を歩みはじめる
『「雨の木」を聴く女たち』『新しい人よ眼ざめよ』は、短編連作という形式だが、この時代、古井由吉津島佑子中上健次も同様の形式を手がけている
1990年代
いわゆる「レイト・ワーク」。この時代については研究も比較的多い。宗教の問題が入ってくる。また時代とつながり始めた時期
海外でどのように読まれているか
大江の書く評論と小説の関係について

いま「政治と文学」から考えられること(木村朗子×倉数茂×矢野利裕 司会・中沢忠之)

後述する矢野発表を受けての座談会
2010年代前半くらいまで、保坂スクール的な作家が多かったけれど、もっと主題を重視した方がいいのではないか、そして実際2010年代後半から主題を重視した作品がでてきたのではないか、という矢野の問題提起
物語批判、物語解体ではなく物語を構築すること
社会の広がりを描くこと

<物語>に向き合う必要性―現代日本文学における非-社会性(矢野利裕)

2019年の日中韓青年作家会議での矢野発表原稿

いま、生身の作家に出会うことー仁川における二〇一九年の日中韓青年作家会議「私にとって文学とは?」を回想して(南相旭)

2019年の日中韓青年会議において、日本人作家コーディネーターを担当した南による回想エッセイ
会議の実施決定から、日本人作家を招聘するにあたっての苦労話と当日の話
苦労話というか「日本人作家は忙しいから、半年前のオファーで受けてくれるだろうか」という心配をすごくしていたという話

知覚世界と想像力――円城塔「良い夜を待っている」論(岡本健太)

「良い夜を待っている」について、その元ネタになった、ロシアの心理学者ルリヤによる『偉大な記憶力の物語』との参照・比較をしながら論じている。
円城の読書メーターから、円城が執筆にあたって参考にした本を確認しているのが面白かった。
超記憶をもつ「父」の知覚世界の奇妙さを描きつつ、家族の再会にあたっては普通の記憶しか持たない「わたし」の方が重要で、普通の知覚にも奇妙さがあることを示した、と論じている

徳富蘇峰の出発――愛の帝国(木村洋)

徳富蘇峰の人民主義やそこでの文学の立ち位置を、福沢諭吉と比較しながら論じる。
蘇峰と福沢は、いずれも人民を重視した点で似ているが、実学を重視し文学を軽視していた福沢に対して、蘇峰は文学の役割を重視していた。
蘇峰は、新島襄やブラントンの影響を受けており、キリスト教を重視している。宗教を統治のための手段としかみていなかった福沢に対して、宗教からくる精神性を根本に置いている。例えば「愛」という言葉を多用するなど。
また、知識人が無知なる人民を啓蒙するという立場の福沢に対して、蘇峰は知識人は人民に対して奉仕するという立場をとる。

コミュニケーションのなかの風景描写(中沢忠之)

読み進めると、乗代雄介「旅する練習」論だということがわかる。
言葉には、記述的側面と解釈的側面があり、小説における描写というのは記述的側面として扱われてきたけれど、解釈的側面から捉え直そうという論
柄谷、大塚、東の議論をまとめ直しながら、大塚と東の間に切断線をひく。

〈喪失〉の喪失――格差社会におけるロスジェネと文学(樋口康一郎)

helplineこと樋口さん*2のロスジェネ文学論
ロスジェネ世代とされる作家の作品を広く検討するものになっていて、なかなかの大作
世代論として書くことによって単純化してしまっていないかというところもなくはないが、おおむね2000年代以降の作品ガイドとしても読んでいくこともできる。
このあたり、名前は知っていて気になっているが読めていない作家が多いところもあって、その点個人的には興味深く読めた。
最初に、1970年代生まれの作家リストがあって、さらにその前後の世代の作家についても代表的な作家名が羅列されており、ここらへんは資料としてよい
新自由主義・自己責任論を内面化した世代としてのロスジェネ世代
まず、連帯の不可能性として、伊藤たかみ「八月の路上に捨てる」津村記久子「ポトスライムの舟」山崎ナオコーラ「この世は二人組ではできあがらない」が論じられている
それから「弱者男性」と異世界転生ものについて
身体の破壊・変容を描いた作品として、小山田浩子「穴」、村田沙耶香コンビニ人間
さらに、社会変革への実践運動に関わる作家として坂口恭平と木村友祐が取り上げられる。坂口作品にはいくつかの系列があって、幻想文学的な系列もあるとか。
「引きこもり」作家としての田中慎弥についても詳しく論じられている。
最後に、喪失を認識していたロスジェネ世代に対して、喪失したことすら認識できていないポスト・ロスジェネ世代として、朝井リョウ古市憲寿が取り上げられている。

*1:凡庸の会って不思議な名前だなあと思っていたのだが、磯崎憲一郎『鳥獣戯画/我が人生最悪の時』 - logical cypher scape2のテーマが凡庸だったりするし、結構、文学的にはキーワードなのか?

*2:古くから相互フォローの関係

山口輝臣・福家崇洋編『思想史講義【大正篇】』

ちくま新書の歴史講義シリーズから、新たに『思想史講義』シリーズが始まり、その第1回配本にあたる。シリーズ全体としては、明治1、明治2、大正、戦前昭和の4篇を予定しているとのこと。
最近、筒井清忠編『大正史講義』 - logical cypher scape2筒井清忠編『大正史講義』【文化篇】 - logical cypher scape2を読んだので、それの延長で手に取った
なお、編者の福家は『大正史講義』の執筆者の1人でもある。


ところで、本書を読みながら、平成思想史というものを同様に編むことは可能なのだろうかと思ったりした。平成の時代において、世の中に影響を及ぼす思想とかオピニオンリーダーってあったのか・いたのか、と。まあ、何かしら色々とトピック自体は思い浮かばないこともないけれど。
100年後とかに書かれることになる平成思想史を読むことができたとしたら、おそらく、「こんな風にまとめるのか」というところが色々あるんじゃないかなと思う。となると、逆にこの本を、大正時代の人が読んだとしたらどう思うだろうか。


やはりというか何というか、マルクス主義アナキズムアジア主義と国家改造論あたりが面白い。このあたりは筒井清忠編『大正史講義』 - logical cypher scape2でも面白かったので。
また、大本もほとんど知らなかったので、面白かった。

はじめに……福家崇洋
第1講 憲政擁護論……小山俊樹
第2講 天皇機関説論争……住友陽文
コラム1 雑誌メディアと読者……水谷 悟
第3講 民本主義……平野敬和
コラム2 生存権の思想……武藤秀太郎
第4講 教養主義……松井健人
コラム3 文化主義……渡辺恭彦
第5講 大正マルクス主義……黒川伊織
コラム4 日ソ国交論……富田 武
第6講 大正アナーキズム……梅森直之
コラム5 労働運動論……立本紘之
第7講 アジア主義と国家改造論……萩原 稔
コラム6 思想史のなかの「院外青年」……伊東久智
第8講 民族自決論……小野容照
コラム7 植民地政策論……平井健介
第9講 小日本主義自由主義……望月詩史
コラム8 国際協調主義……酒井一臣
第10講 女性解放思想……小嶋 翔
コラム9 パンデミック精神史の断片……藤原辰史
第11講 新教育……和崎光太郎
コラム10 能率増進論と科学的管理法……新倉貴仁
第12講 皇道大本と「大正維新」……永岡 崇
第13講 水平社の思想……佐々木政文
コラム11 社会政策・社会事業論……杉本弘幸
第14講 関東大震災と民衆……北原糸子
第15講 政党政治論……奈良岡聰智
編・執筆者紹介
人名索引

第1講 憲政擁護論……小山俊樹

大正デモクラシーの第1期である第一次護憲運動
立憲主義帝国主義が結びついている

第2講 天皇機関説論争……住友陽文

昭和になって、天皇機関説を唱えた美濃部は公職追放の憂き目にあるが、本講に書かれているのはその前段、大正期になされた学問的な論争としての天皇機関説論争
こちらでは、美濃部説が論争には勝っていて、通説となっていた。
重要なのは、天皇が国家機関かどうかというよりは、大日本帝国憲法において国体や政体はどのような位置づけにあるのか、という論争だったという点で、「天皇機関説」という名称はあまり正しくないようだ*1


美濃部の主張は、天皇機関説というより国家法人説と呼ぶ方が適切
公法と私法の関係を見直し、国家を私法領域である民法概念である法人に当てはめることで、権力の無制限性を否定する
対して、美濃部を批判する穂積・上杉であるが、実は彼らも、天皇が国家の一機関であること自体は否定していない。しかし、国家を有機体と呼ぶことに嫌悪感を示す。


また、大きな争点は、統治権や国体に関するもの
統治権について
美濃部は、国の統治権の主体は国家(団体)であると考えるが、穂積・上杉は、統治権天皇(自然人)であると考えた。後者にとって、国家の意思とは、自然人たる天皇の意思(精神作用)
国体と政体について
上杉にとって、君主国か共和国かは国体の区別、立憲国が専制国かは政体の区別
憲法は、国体と政体の両者について書かれている(国体政体二元論)
対して、美濃部は、国体は法律上の概念ではなく、君主国か共和国か、立憲国か専制国かはいずれも政体の別だとした(政体一元論)
国体を法学上に問う上杉らの議論こそ「不謹慎」であり、国体は日本固有のもので憲法より一段高いところにあり、国民道徳と同じ次元にあり、統治権の主体を天皇のものとするのは西欧主義的君主制に基づくのでかえって国体に背くと論じた。


既に述べたように、論争自体は美濃部有利で、穂積の死後、上杉は孤立
上杉は、直接民主制へのシンパシーもあり、主意主義的な国民精神と天皇の意思の一体化に国体を見いだしていく。


筒井清忠編『昭和史講義――最新研究で見る戦争への道』 - logical cypher scape2を読んだ時、国体よく分からんって書いたんだけど、これ読んで、当時の学者の間でも理解が割れてたのなら、わからんのも仕方ないだろ、と思った。
あと、これ、途中までは美濃部説に対して同意しながら読めるのだけど、国体の話になった途端、美濃部の話がわりと理解不可能になる。これ、ある種の方便(国体の議論をさせないためにあえて持ち上げている)なのか、ガチの勤王主義なのか、というあたりが。

  • 追記(20221223)

国体について、以下の論文を斜め読みした
「近代国体論の誕生」米原
https://www.jstage.jst.go.jp/article/jjpt2000/8/0/8_282/_pdf/-char/ja
明治末以降に国体についてなされた言説を「近代国体論」と呼んだ上で、そこで展開されている概念的枠組みが幕末期に成立していたと論ずるもの
遡ると、荻生徂徠本居宣長が「国体」という言葉を使っているらしい*2が、特に水戸学者である会沢正志斎の『新論』が理論的に論じている、と。
あと、国体/政体二分論とかが幕末期に既に出てきている(ただし、上杉の二元論よりも美濃部の一元論に近い考え方だろう)。
西欧諸国の強さをキリスト教というイデオロギーに見て取った会沢が、西欧のキリスト教に対して、日本には「国体」があるのだ、として論じたものらしい。
また、ペリー来航以降の幕末期の文書には「国体」という語の登場頻度が急増するらしいが、「(一)国家の体面あるいは国威、 (二) 国家の気風、(三)伝統的な国家体制、(四)万世一系の皇統を機軸とする政教一致体制」の4つの用例が入り交じっており、これらが最終的に(4)へと統合され、教育勅語へ至る、ということらしい。
水戸学というのは、儒学国学があわさったもので、また上述したとおり、会沢は西欧におけるキリスト教に対するものとして「国体」を挙げているわけで、国体というのは、単に天皇制という政治体制を指すというよりは、儒教的な道徳体系(そして、それを体現した日本人の「国民性」みたいなもの)が渾然一体となった言葉なのだろう。
(そのように理解すると、筒井清忠編『大正史講義』 - logical cypher scape2に「男女平等を求めることは、治安維持法が禁ずる「国体の変革」にあたる可能性が」あったと書かれていたが、どういうことが分かってくる。)
これでようやく、「国体」という言葉の分かりにくさが腑に落ちてきた感じがする。どちらにしろ、意味不明な概念だなという感想には変わりはないのだが、その意味不明さが何に由来しているのかが少し分かった、ということ。
美濃部の国体論について、この人一体何言ってんの感があったが、国体概念解釈としては正当解釈なのだな、と。
追記終わり


1910年代には他にも色々論争があったという豆知識(?)も(邪馬台国論争、南北朝正閏論争、堺利彦大杉栄論争(のちのアナ・ボル論争)、平塚らいてう与謝野晶子論争(のちの母性保護論争))

コラム1 雑誌メディアと読者……水谷 悟

多くの雑誌が創刊され、読者の投書欄が言論空間を形成していったという話
もし、平成思想史講義が書かれるなら、匿名掲示板、ブログ、SNSの変遷が論じられることになるのかなーと思いながら読んだ

第3講 民本主義……平野敬和

吉野作造民本主義について*3
民本主義というのは、大日本帝国憲法の枠組みとデモクラシーは両立できるという主張。
吉野は、国家主権の概念を「所在」と「運用」に分けた
法律上、主権の所在は天皇にある(だから民主主義ではない)けれど、それを政治的にどのように運用するか、という点で民衆の声を反映させる(具体的には、普通選挙と議会政治)、と。


民本主義への批判として、2方向からの批判がある。
山川均が、民主主義と言わずに民本主義とか言っていることについて批判しているが、しかし、吉野としては、社会主義者はむしろ味方にしたいので、直接批判に答えることはなかった、と。
他方で、上杉は君主主義から批判している。
吉野は、こっちはこっちで国体論との衝突は避けていたらしいが、のちに浪人会との対立があり、黎明会・新人会結成へとつながっていく云々がある。(筒井清忠編『大正史講義』【文化篇】 - logical cypher scape2参照)


吉野は、帷幄上奏(軍機について内閣から独立して上奏すること)を二重政府として批判
また、民本主義社会主義が矛盾しないことを主張し、無産政党結成にも関わる。ただし、民本主義自体は、マルクス主義の浸透とともに影響力を失う

コラム2 生存権の思想……武藤秀太郎

経済学者の福田徳三*4は、社会主義に対抗するための「社会政策論」の根本思想として「生存権」を置いた
生存権は、朝鮮独立運動の根拠にも用いられた
一方、経済学者の森本厚吉は、生存権ではなく「生活権」の主張を行い、文部省の生活改善運動に関わった

第4講 教養主義……松井健人

大正教養主義がどのように成立したか
旧制高校でのドイツ語教育や東京帝大のケーベルが関わってきたとされているが、実態として、ドイツ語できるようになった学生はごく一部だし、ケーベルについてもドイツ語と英語のみで授業したので、交流できたのは少数の学生のみ
その少数の学生が、阿部次郎、安倍能成和辻哲郎など
阿部次郎の『三太郎の日記』が、非政治的・非社会的で読書によって人格形成を目指すという教養主義ステレオタイプイメージを形成。
阿部は後に満州各地で講演を行っているが、新カント派由来で魂の不滅を説き、また非政治的・非社会的であるが故に、素朴に植民地主義的言説を展開する


本講、前半では、当時のドイツ語教育が暗記一辺倒で話せるようにならないことや、当時の東京帝大生のケーベル先生の授業とったけど何言っているのか全然わからんみたいな回想が引用されてて、ちょっと面白かった。
後半の、満州講演のアレな感じとあわせて、教養主義の残念なところを指摘している


東大、一方でこういう非政治的な教養主義があり、他方で新人会があったんだなー、と。

コラム3 文化主義……渡辺恭彦

新カント派由来の文化主義について

第5講 大正マルクス主義……黒川伊織

1910年代、堺利彦河上肇により唯物論が紹介され、山川均がそれを日本史へと当てはまる
1919年、ロシア革命により社会主義運動が活発化し、社会主義関係の雑誌が増える。
河上は学問的関心から実践運動から距離を置いたのに対して、山川はボルシェヴィズムへ関心を向けるようになる
1920年コミンテルン大杉栄接触1921年には日本共産党(第一次)が結成され、山川が初代委員長に。創立直後はアナキストとも協力関係にあったが、1922年にはボルシェヴィキのみの組織へ
共産党は、大衆的示威行動を重視し議会や普通選挙を否認していたが、一方で、普選実施を見据えて合法無産政党を作る動きも
コミンテルンからの指示された方針や、党員の一斉検挙などもあり、山川は議会進出を容認する。1923年にはまずはブルジョア民主主義の実現を目指すことを方針とし、24年には共産党自体を解党
一方、福本和夫による「少数の前衛」論がエリート学生の支持を集めるようになり、また、河上は実践へと身を投じることになる。なお、ここで、新人会に出入りしていた1人として大宅壮一の名前が出てくる。
福本主義のもと、非合法組織としての日本共産党(第二次)がつくられ、コミンテルンの指導下にはいる。河上も非合法共産党へ入党し、後に逮捕される
一方の山川は、議会を通じた非共産党マルクス主義の立場を選択する


共産党マルクス主義の歴史は、独特の用語があり、固有名詞もばんばん飛び交うので、なかなか難しいのだが、大正時代を通じて、河上肇と山川均の立場がある意味で入れ替わっていったのかなあというなんとなくの理解
「山川は、後年の回想では、第一次共産党との関係を全否定している」とあるのに、地味にびびる。
まあ、元々は直接運動論を展開し、普通選挙や議会政治を否定していたのが、それを180度展開し、以後その立場に立ったということで、そこに何か(本人的にも、思想史的にも)ポイントがあるんだろうけど、Wikipediaにもコトバンクweblio辞書にも、共産党結党に関わったことが書いてあるレベルの周知の事実なのに、否定しているのか、と
参考文献で米原謙『山川均』という評伝が紹介されているけれど、これは「非合法共産党での役割については、深入りしない立場をとっている」と書かれている。


ここらへんのよく分からんなーと思うところは、我々は後世の人間なので、歴史研究によって誰が何をしたのかって分かっていることになっているけど、リアルタイム世代の人間にとって、ここらへんどれくらい知られていることだったんだろう、と
山川均自体は、共産党結党以前から言論人であるし、また、共産党も非合法組織とはいえ『改造』で宣伝していたらしいので、そのあたりで、関係しているんだろうなっていうのは察せられていたのかもしれないが、一方で、そうはいっても非合法組織であって、公然と知られたら逮捕だろうしなー、と。

コラム4 日ソ国交論……富田 武

後藤新平の対露政策について
親露的態度は、伊藤博文からの影響が大きいと指摘されている
1920年頃、シベリア撤兵がメーデーのスローガンであり、また、ロシアでの飢饉に対する救援運動もあり、対露国交要求が、リベラルだけでなく日本主義者にも支持されていた、という背景もあった、と


小川哲『地図と拳』 - logical cypher scape2は、満州事変・日中戦争の背景にロシア・ソ連警戒論があったことを描いていたが、そっちの思想の系譜についても気になる。

第6講 大正アナーキズム……梅森直之

松沢弘陽は日本の社会主義運動の変化を「明治社会主義、大正アナーキズム、昭和マルクス主義」と要約。大正は、アナーキズムの時代
徳富蘇峰は、大正時代の青年を日露戦争の勝利により国家の基礎が確立された世代とみる。国家の独立やナショナリズムではなく、個人がどう生きるかが思想的課題となった、と*5
筆者は、アナーキズムがこの課題への応答(の一つ)だったとみる


本講では、大杉栄について主に論じられる
大杉は、『近代思想』『平民新聞』を創刊、労働組合運動(アナルコサンジカリズム)で活躍し、中国やフランスにわたるなど国際連帯の活動も行い、また、アナーキズムの文献だけでなくファーブル昆虫記やロマン・ロランの民衆芸術論などの翻訳出版も手がけ、また、パートナーの伊東野枝は青鞜社に参加しており、大杉自身も女性解放運動に関わった。
大杉は、労働運動を、社会の革命と同時に個人の革命とし、労働者の自己獲得・自律を目指す。自主自治からの労働組合へ、とつながる。
アナーキズムは、支配・被支配の関係に反逆することだったが、近代以前の共同体や「未開社会」へそのイメージが求められることもあった
大杉は、芸術と運動を区別せず、芸術論も展開した
前述の通り、上海やフランスにも滞在していたことがあるが、フランスでもっとも関心をもったことは、ウクライナボリシェヴィキに抵抗したマフノの闘いであったという


アナーキズムはおろか、マルクス主義すら見る影もない世代なので、なかなかリアリティをもつのは難しいが、大杉栄の思想や活動は、現代から見ても魅力的な面もあるように思えた。もっとも、近代以前や「未開社会」に理想を見る視線などは、かなり要注意だけれども。
マフノの闘いの話は、ある意味ですごくタイムリーでもあるし。
っていうか、マフノの闘いって佐藤亜紀『ミノタウロス』 - logical cypher scape2の元ネタか

コラム5 労働運動論……立本紘之

相互扶助を目的とした「友愛会」→より戦闘的な「日本労働総同盟」へ→アナルコサンジカリズムの浸透→アナ=ボル論争→ボル系の「日本労働組合評議会」結成へ

第7講 アジア主義と国家改造論……萩原 稔

北一輝について
話の枕として、手塚治虫北一輝を主人公にしたマンガを描いていた(打ち切り)とあって、知らんかった(手塚作品に詳しいわけではないので知らないのも当然だが)。
手塚が北に興味をもっていたというの不思議と言えば不思議


アジア主義と国家改造論は、北以前から既にあったが、それを結びつけたのが北の特質


日露戦争後の『国体論』に、アジア主義と国家改造論結びつきの萌芽はあるが、まだ、アジアとの連帯は過渡的な位置づけ
中国革命に関わり、中国やインドとの連帯を説きつつ、領土拡張の野望も示される。
北にとっての仮想敵国はイギリスとロシアで、アメリカとは提携可能と考えていた
また、中国との連帯を説きつつも、満州は日本が確保すべきとも考えており、満州事変は支持していた(日中戦争アメリカと対立するので反対)
猶存社の満川・大川からの依頼に応えて『日本改造法案大綱』を書く


『改造法案』
まず、天皇大権の発動が書かれており、天皇主義者の共感を得たが、北の意図は、天皇の絶対化ではなく、天皇の権威を利用した軍事クーデター
(なお、二・二六事件の失敗の要因として、天皇の御心に委ねればうまくいくと考える「天皇主義者」と、あくまでも天皇はシンボルでそれをもとに国会改造が必要と考える「改造主義者」が混在し、なおかつ前者が多かったため、と)
国会改造の内容として、普通選挙の実施、私有財産制の否定や福祉の充実などがあるが、これらが青年将校を惹きつけることになる。戦後の日本国憲法との連続性については筒井清忠編『昭和史講義――最新研究で見る戦争への道』 - logical cypher scape2で指摘されていたけれど、もともと三島由紀夫が指摘していたとのこと
一方、日本国憲法との違いは、国の交戦権を認めていたことで、自衛以外にアジア主義に基づく戦争や領土分配を要求するために大国へ戦争する権利を認めていた、と
アジア主義と武力的な領土拡張主義とがなんで両立するのか、現代の目からは理解しがたいところもあるが、そもそも北のアジア主義において連帯の対象は、中国、トルコ、インドにとどまり、他の国は言及がないらしい
北は、社会進化論的な優勝劣敗の論理に基づき、独立を失った国家は救済に値しないと考えたらしく、例えば朝鮮の独立には否定的とのこと
この独善的なアジア主義が、北の死後に「大東亜共栄圏」として実現したと筆者は論じている


戦前の大日本帝国的なものを、十把一絡げにしがちだけど、ここらへん実は色々と差異があって面白いなあ、と
例えば、上述の「天皇主義」と「改造主義」の違い。「天皇主義」というのは、天皇機関説論争の上杉みたいな立場なんだろうなあ。
ロシア・ソ連への態度というのも、右派の中でわりと違いがあるのだな、と。
本書のコラムにある通り、シベリア撤兵の時期は右派からも親露的な意見があり、筒井清忠編『大正史講義』 - logical cypher scape2にあったが、北を呼び寄せた満川・大川も親露派。
しかし、北は反露派だし、石原完爾とかもそうだし、ロシア・ソ連への警戒が満州事変となっていく。
それにしても、じゃあ日中戦争って何だったんだって話で、それは筒井清忠編『昭和史講義――最新研究で見る戦争への道』 - logical cypher scape2でも小川哲『地図と拳』 - logical cypher scape2でも、中国なんて格下だろと舐めてかかっていたら、反日ナショナリズムによる強固な抵抗にあって、ずるずる長期化してしまったということが書かれている。
ここらへんは、日清・日露以降、国民側にも領土拡張主義的な気持ちが強くて、それに押されたところもあるのだろうなあ、と。で、これが実は第1講にあるとおり、大正デモクラシーにおいては、立憲主義とも結びついてた、とか考えるとほんと複雑。

コラム6 思想史のなかの「院外青年」……伊東久智

院外青年とは、日露戦争後から第一次大戦期にかけて、議会周辺(院外)で政治運動をしていた青年たちで、戦前昭和には代議士となっていく
思想的には相反する者同士が、同じ集団として結びついていたりして、このコラムでは、政治運動については、思想内容だけでなく、人間関係の次元からも理解することが重要だと述べられている。

第8講 民族自決論……小野容照

アメリカ大統領のウィルソンの原則で有名な民族自決
しかし、これが多義的な概念らしく、この概念の受入れ方などが論じられる。
そもそも民族自決と訳される原語がSelf-determinationで、民族という言葉は含まれていない。英語の時点で既に解釈の揺れがあるらしいが、主権在民という意味で解釈することが可能な言葉で、ウィルソン自身そういう意味で言っていたとされるらしい。
ところで、では何故民族自決という訳語が使われているかというと、実は、self-determinationという言葉を使ったのはウィルソンが初めてではなくて、元々社会主義者たちが使っていたが、日本に伝わったのは、二月革命によるロシア臨時政府の声明により。しかしそのときも、また民族ではなく国民と解釈されていた
これを被支配民族と結びつけて解釈したのが吉野作造で、さらに、10月革命でボルシェヴィキ政権が成立すると、この解釈が広まる。


ウィルソンの声明は、それに先だって出されたボルシェヴィキの声明を意識しているため、先述したとおり、ウィルソン自身は国民主権を意図しつつも、被支配民族の独立の意味を含むことを否定しない。ただし、ウィルソンは連合国の植民地については言及を避けた。
日本では、民族自決とは、ボルシェヴィキとウィルソンの提唱した概念で、適用範囲が異なることだけが違うと、当初は認識されていた
これが朝鮮の独立運動に結びつくことについて、吉野は指摘していたらしいが、ほとんど考えられていなかった。
一方、朝鮮人も、ウィルソンやパリ講和会議には期待していなかったものの、民族自決をもとに独立を求める宣言を出し、手を打ち、これが三・一独立運動へつながる。
これに対して日本では、朝鮮は民族自決主義の適用範囲を誤解していると論じたり、民族自決主義はそもそも「民族の幸福のため」だと解釈を変更するなどの反応が引き起こされた。
日本の大勢は、朝鮮ナショナリズムを否定した格好だが、黎明会や新人会などではこれと連帯する動きも見られたという。


民族自決という言葉の解釈を巡る動きとか全く知らなかったので、勉強になったのと
吉野という人は、ほんと大正思想史におけるキーパーソンなんだなあという印象

コラム7 植民地政策論……平井健介

外地、つまり帝国日本の植民地の行政というのは、結構自立していたよ、という話
経済政策において、内地と外地とで利害が対立するパターンが挙げられている
(1)外地独自の経済政策が内地の利害と対立するパターン(台湾の「南進工業化」構想)
(2)内地の利害が達成されたことで内地と外地の利害が対立するパターン(米の輸入代替)
(3)外地相互で利害が対立するパターン(砂糖の輸入代替)

第9講 小日本主義自由主義……望月詩史

小日本主義というと石橋湛山だが、石橋以前から東洋経済新社の歴代主幹において論じられてきたもので、その流れを追う
増田弘によれば、小日本主義を経済面から提起したのが植松孝昭、政治・外交面で補足したのが三浦銕太郎、思想上の感性段階に導いたのが石橋ということになる。


小日本主義は、植民地経営は日本にとって経済的な損失となる、という主張から始まる。なおこれは、条件が揃えば、植民地を持つことが利益になることもある、という経済的合理主義を伴っている。
また、帝国主義を放棄することで、国際社会での信用を高めるという期待もあった。
石橋においてはこれに、自由主義的な主張が加わる。
ホブソンやホブハウスらの新自由主義社会進化論プラグマティズムなどの影響をうけて、自由放任主義ではなく、国家が責任をもつ新自由主義。多元性を普通選挙・議会政治を通じて国家が調和させるということを考えていた、と
最低賃金や労働時間制限を主張したり、労働者への経営権拡大の提案などもしていたらしい

コラム8 国際協調主義……酒井一臣

国際協調主義的な政策をとっていたはずの日本が、昭和前期の満州事変において変貌したのは何故か、という観点から書かれている
ここでは、世論が国際協調主義を支持していたかどうかが着目される
大正デモクラシーだった「にもかかわらず」ではなく、「だったからこそ」ポピュリズムによる急展開があった、と論じている。
このあたり、第1講とも通じる話だし、大衆というのが大正のキーワードなのだなあと思う(筒井清忠編『大正史講義』【文化篇】 - logical cypher scape2を見れば、大衆文化が花開く時代とも言えるし)。

第10講 女性解放思想……小嶋 翔

大正時代の女性解放運動の中で行われたいくつかの論争が紹介される。
平塚らいてう与謝野晶子が対立しているパターンが多い


「産む性」をめぐって(1911~1914)
与謝野は、産む性であることに女性としての誇りを持つ一方で、自由な創作がままならなくなることを自虐している
平塚は、事実婚となるが、経済的自立ができない状態では、子どもを持たないという


「堕胎論争(1915)」
青鞜』に掲載された原田皐月の短編小説「獄中の女より男に」をきっかけとした論争
堕胎罪により捕まった女性が、妊娠直後であればまだ自分の身体の一部であって罪にはならないと主張する小説である
これに対して、青鞜同人間でも賛否両論がでる
堕胎や避妊に批判的な論調が出てくることが、現代から見ると不思議だが、当時は、性愛と生殖が未分離だったからだと筆者は指摘する。
平塚も、避妊に対して嫌悪を覚えたと書いていて、避妊が、自立した人格同士の関係である性愛という行為を汚すように感じられていたらしい
バース・コントロールとしての避妊が認知されるのは、この後のことで、1922年以降、性の自己決定というよりは、貧困対策・優生政策の観点から論じられるようになる。


「母性保護論争(1918)」
出産・育児などの母性を保護するために、国が社会保障政策をとるべきとする平塚と
結婚・出産するには女性も経済的自立をすべきだとする与謝野
個人主義的であり、徹底的に男女平等的な与謝野と、女性の権利を国家が保護すべきだと考える平塚の対立は、その後も繰り返されることになる


花柳病男子結婚制限問題(1920)
1919年に、平塚と市川房枝が新婦人協会を結成する(筒井清忠編『大正史講義』 - logical cypher scape2に詳しい)
ここでは、女性の結社の自由や集会の自由を制限していた治安警察法の改正とともに、花柳病男子結婚制限立法が要求されていた。
この後者は、平塚が熱心にすすめていたもので、当時、不貞により性病にかかった夫から妻が感染するという問題が起きていたため、健康診断書がないと結婚できないという法律を作ろうとしていた。
これに対して反対したのが、やはり与謝野であった、と。
恋愛や結婚はあくまでも個人の自由であって、法律で制限するべきではないという与謝野と、
そうはいっても、他人を害する自由はなく、国家・社会の利益のためにも、一定の制限は当然あるとする平塚
筆者は、理想主義的な与謝野と現実主義的な平塚、という整理もしている。


社会主義との関係
母性保護論争にせよ花柳病男子結婚制限立法にせよい、平塚は、男性中心の社会が女性を傷つけているからそれを保護すべきだ、という考えがあるわけだが、
しかし、これを不徹底だとこきおろしたのが、社会主義者である山川菊栄で、女性による社会主義結社・赤瀾会を結成する。
もともと『青鞜』に属していた伊藤野枝大杉栄のパートナー)もこれに加わる。

コラム9 パンデミック精神史の断片……藤原辰史

大正時代にはスペイン風邪が流行っているが、これが日本思想史に影響を与えた形跡は小さい
ここでは、新聞の投書欄にあった文章を紹介している。曰く、マルクス主義などの危険思想に対処するにあたって、思想ワクチンが必要ではないか、というもの

第11講 新教育……和崎光太郎

1900年代頃に、従来の教育を批判するものとして登場した「新教育運動」について
新中間層の台頭などもあり盛り上がるが、「新教育」という一つの考え方があったわけではなく、この当時、色々な人が色々なことを言っていて、それらをまとめて新教育と呼んでいるっぽい
が、いわゆる「アカ」への弾圧と新教育への「弾圧」が起こる。ここでは、新教育の内容自体が問題視されたというより、スケープゴートにされたということが論じられている。
新教育運動は衰退していくが、部分的には、戦時下の教育に吸収されていったことが指摘されて終わっている

コラム10 能率増進論と科学的管理法……新倉貴仁

「文化」と同様、大正期に頻繁に用いられた「能率」

第12講 皇道大本と「大正維新」……永岡 崇

出口王仁三郎のいわゆる大本教について
近代社会批判と天皇中心の国家神道的な思想とが融合した「大正維新」を説く
現体制への批判があったので、官憲からは弾圧の対象となったが、天皇主義・国家主義的な思想でもあり、デモクラシーや社会主義とは敵対的だった。
西欧物質文明を批判し、日本古来の大和魂心霊主義を表明しているが、出口自身は、新聞や映画などその時々のニューメディアを利用した進取の気性のある人物でもあったらしい
で、出口は、心霊主義的な思想を実現するにあたって、憑霊術のようなものを取り入れていく。
本章のポイントは、この鎮魂帰神という霊を憑依させる行法を巡るところだろう。
明治末から大正にかけて、心霊現象ブームというか非合理の復権という現象があって、大本も注目を浴びたらしい
明治近代国家が、神道の脱呪術化を図っていたことの反動でもある
一方、大本においては、これの先に国家主義的な目的もあって、霊魂レベルで臣民を作り上げるという方法でもあった。
しかし、コントロールしにくい方法だったらしく、出口はこの手法を停止していたのだが、当時信者だった浅野和三郎はこれにハマって大正期の流行をもたらしていた。
出口の考えと信者たちの考えにズレがあって、それが大本理解のポイントだ、ということらしい。

第13講 水平社の思想……佐々木政文

被差別部落についての人文・社会科学的研究が、いかに実際の運動へ影響をもたらしたか
被差別部落の起源は何だったのかということについて、歴史学者喜田貞吉、そして喜田から影響を受けた社会学者の佐野学の議論がある
佐野は、徳川幕府が政策的に被差別身分を作り出したという説*6を唱え、それを踏まえて、運動による部落解放論を唱えた
奈良県被差別部落で結成された組合団体が、佐野の論文を読んだことで、水平社創立準備を進めていったらしい。
水平社の宣言には、佐野・喜田説からの影響がありつつも、彼らの主張からは逸脱するところもある、ということは指摘されている(喜田はそもそも水平社運動に批判的)
また、参考文献紹介の中で、水平運動が天皇の下での平等を追求していたことを明らかにしたという研究が紹介されていた。

コラム11 社会政策・社会事業論……杉本弘幸

第14講 関東大震災と民衆……北原糸子

震災以前から、不況の折もあり、内務省では社会政策を担当する部局として社会局が設置され、地方行政でもこれにならって社会局が設置された。
東京市社会局は、関東大震災の際に、バラックの管理等の業務を行うことになった。それについて論じられている。
バラック管理というのは要するに、バラックからの退去とそのための住宅供給事業なのだけど、十分ではなく、4割弱の6900世帯が住居をえられなかったという
バラック撤退について、内務省社会局長が東京市長に宛てた文書の中で、国家は直接個人の資産を供与すべきでない(無償の居住を与える政策はない)ということを書いていて、この原則が阪神大震災まで貫かれたことを、筆者は指摘している


また、家賃高騰があったり、一定の富裕層は田園都市構想の影響で郊外に向かったりと、震災後の東京市内は人口が減少した、とも

第15講 政党政治論……奈良岡聰智

憲政擁護運動以来、大正から昭和初期にかけて政党政治が行われる。
ここでは、吉野作造を中心にどのような政党政治論がなされたか論じられており、第1講や第3講と関連が強く、本書が実はぐるっと回るような構成になっていたことが分かる(?)
さて、どのような政党政治論がなされたか、と述べたが、実はあまり正面切って論じられることはなかったという。
というのも、大日本帝国憲法には議院内閣制についての規定がなく、国務大臣の任命も天皇大権となるため、政党政治憲法の関係が微妙なため。

*1:ありがち

*2:朝鮮通信使の接遇をどうするかという議論の中で出てきていたりするらしい

*3:民本主義という言葉自体は、万朝報の記者が先に使用していたらしい

*4:黎明会の1人

*5:これは例えば、筒井清忠編『大正史講義』【文化篇】 - logical cypher scape2の第9講にも見られる

*6:1960年代以降に支持を集めたが、現在は一面的すぎるとして支持されなくなっているらしい

クレメント・グリーンバーグ「モダニズムの絵画」「ポスト・絵画的抽象」

グリーンバーグ批評選集』の中から「モダニズムの絵画」「ポスト・絵画的抽象」を読んだ。
グリーンバーグについてはいつか読まないととはずっと思っていたのだが、なかなか手つかずのまま、「カラーフィールド色の海を泳ぐ」展 - logical cypher scape2を機にようやく手に取った。
とりあえずこの2篇

モダニズムの絵画

いわゆるグリーンバーグに帰せられる主張として紹介されるような内容が書かれており、「なるほどこれが」と確認していくような感じで読んだが、やはり原著を読むと「そういうことだったのか」という発見もある。


モダニズム=カントに始まる自己-批判的傾向の強化
芸術におけるそれは、別の芸術のミディアムから借用されているものを除去して「純粋さ」に自己-限定すること
モダニズム絵画は平面性へと向かったが、対象の再現自体は問題ではなく、放棄されたのは空間の再現。
モダニズム絵画は、彫刻的なものへの反抗
リアリズム的なイリュージョンは、彫刻に多くを負っているが、一方、16世紀のヴェネチア以降、色彩という形で、彫刻への反抗も行われていた
ただし、印象主義以降、ドローイングvs色彩ではなく、触覚(の連想を受ける視覚)vs(純粋な)視覚、となった


モダニズムは、絵画が物体になる手前ぎりぎりまで条件をおしやる
彫刻的なイリュージョンもトロンプ・ルイユも許容しないが、視覚的なイリュージョンは許容しなければならない
その中へ入っていく空間のイリュージョンではなく、眼によってのみ通過できるような空間のイリュージョン


モダニズムの絵画と近代科学は方向性は同じ
伝統と断絶しているわけではなく、連続している


面白かったのは、追記*1で、「ここに書かれていること全てが筆者の立場の表明だというのは誤解である」旨のことが書かれていたこと。
例えば「純粋」とカギ括弧付きで書いたのは、そういう含みを持たせているんだとか。
また、平面性を美的な質の基準と見なしているとか、自己-限定を推し進めるほどよい作品になる、という荒唐無稽な解釈があった、とか。

ポスト・絵画的抽象

ヴェルフリンの「線的」「絵画的」という区別を援用して、「カラーフィールド」絵画をポスト・絵画的抽象(ポスト・ペインタリー・アブストラクション)と呼んだというのは、「カラーフィールド展」関係の記事を読む中で知っていたが、そもそも「線的」「絵画的」って何よ? というのが分からなかった。
どうも、輪郭線をはっきり描くのを「線的」、輪郭線を曖昧に描くのを「絵画的」と呼び分けたらしい。確かにその意味で「カラーフィールド」の多くの作家は「絵画的」かもしれないが、しかしやはり、その意味でもノーランドやステラは除かれる気がする。
また、これらの画家についてグリーンバーグは「開放性」と「明瞭さ」という形容をしている。このあたりが、前の世代の抽象表現主義と区別される特徴を示すキーワードのようだ。
展覧会のために書かれたので、論考として読むと短い。
オリツキーは特に言及されていなかった。


抽象表現主義は、まぎれもなく絵画的である
→しかし、マンネリズムに陥った
→だが、抽象表現主義を継承しつつ新鮮さをもつ画家たちが現れた
グリーンバーグは、そうした新鮮さの要因として「開放性」と「明瞭さ」を挙げる。
具体的にどういう性質のことを指しているのかよく分からないが、フランケンサーラーのステイニング技法を指して絵を「開放して」いると述べている。また、アーサー・マッケイについて「デザインの線的な明瞭さ」と述べている。
なお、「開放性」と「明瞭さ」は、新鮮さをもたらしているけれど、これらがあるから美的な価値があるとかそういうわけではないよ、ということをくどくどしく注釈しているところがあるw
それ以外の共通点として、明るい色調を持つという点と、(「身振り」などに対して)比較的匿名的な手法を好むという点を挙げている。
グリーンバーグは、ポップ・アートに対してて、あれは流行っているけど新鮮ではないと批判している。

*1:この文章の初出は1960年だが、訳出にあたっては1989年のものが底本になっているらしいが、末尾に1978年の追記がある