乾敏郎・阪口豊『脳の大統一理論』

サブタイトルは「自由エネルギー原理とはなにか」
フリストンの自由エネルギー原理についての入門書
同じ作者による乾敏郎『感情とはそもそも何なのか』 - logical cypher scape2でも、自由エネルギー原理について解説しており、内容としては一部重複するが、本書は感情以外のトピックも多く扱っており、また「自由エネルギー原理」が中心におかれて説明されている。


ところで、自由エネルギー原理について触れる度に書いている気がするが、ネーミングなんとかならかったのか
この本のタイトルを、自由エネルギー原理というものが最近の神経科学で話題になっていることを知らない、または筆者を知らない、または出版レーベルを知らない人がみたら、トンデモ本だと思ってしまうのではないか、といらん心配をしてしまうw
あと、今はまだそこまで有名ではないけれど、有名になったら、トンデモに利用されてしまいそう
まあ、杞憂に過ぎないかもしれないし、仮にそうなったところで、フリストンや神経科学者には何の非もない話ではあるんだけど


実際、自由エネルギー原理という名前ではあるけれど、エネルギーの話をしているわけではない。
脳はベイズ推論をしている、という話
これ自体はよく言われている話なのだけど、ベイズ推論は実装しようとすると計算が複雑になってしまい、脳が直接ベイズ推論しているとは考えにくい。で、近似値を使って計算しているだろうという話で、その計算式が、ヘルムホルツの自由エネルギーの式と一致するために、自由エネルギー原理という名前がある。
一致するって何だよって話だが、情報量とかエントロピーとかが出てくるので云々ということになるが、このあたりは本書の付録で説明がある。


精度制御というのがわりとキーワード
ベイズ推論というのは、事前確率と条件付き確率で計算するが、事前確率を与えるのがもともと脳が持っているモデルで、条件を与えるのが感覚信号であると考えると、モデルを更新するか、感覚信号を修正するかという二通りの方法がありうる。
信号に従ってモデルを更新していくのが、知覚
モデルに従って信号を変化させるのが、運動
ということになるが、それのどっちをやるのかという点に関わってくるのが、信号の精度となる。
精度制御がうまくいっていない病気として統合失調症を捉え直す、という話も出てくる。


下の目次にあるとおり、とにかく様々な脳機能等への統一的な説明を与える理論と目されている。
最後に「認知発達と進化、意識」とあり、自由エネルギー原理と人間以外の他の動物の関係、意識との関係についても触れられており、ここらへんはまだうまくいっているのかどうかよく分からないが、統一理論への道を進もうとしているが分かる。

まえがき
脳の構造

1 知 覚――脳は推論する
2 注 意――信号の精度を操る
3 運 動――制御理論の大転換
4 意思決定――二つの価値のバランス
5 感 情――内臓感覚の現れ
6 好奇心と洞察――仮説を巡らす脳
7 統合失調症自閉症――精度制御との関わり
8 認知発達と進化、意識――自由エネルギー原理の可能性

あとがき
参考文献
付録 自由エネルギー原理の数理を垣間見る

脳の構造

脳に関する本によくある、脳の断面図と側面図がどこそこが〇〇野ですって示してあるページなのだが、
島が側頭葉の奥に隠れている、というのが印象に残ったのでメモ

1 知 覚――脳は推論する

視知覚=視覚像がもつ性質に関する意識的な体験
視覚認識ないし視覚認知=見ているものが「何」であるかを知識に基づいて理解する機能
この区別が最初の方に説明されている。その後、特にこの説明が何かに効いてくるところはなかったように思うが、
乾敏郎『感情とはそもそも何なのか』 - logical cypher scape2の方では、知覚と認知の話をしていた。


脳は、最大事後確率推定によって、隠れ状態である外界を無意識的に推論している
ちょっと説明を色々とばすが、ベイズの定理の対数をとった式が
logp(u|s)=logp(s,u)-logp(s)
事後確率の対数=生成モデルの対数+シャノンサプライズ
となる。
uは隠れ状態、sは感覚信号で、p(u|s)は事後確率、p(s,u)は隠れ状態uと感覚信号sが同時に生じる確率で脳が持っている世界の生成モデルを示す。
で、-logp(s)は、感覚信号sが生じる確率p(s)が小さいほど大きな値をとる。つまり、予想外の信号がくると大きい値になるのでサプライズと呼ばれる。
ところで、実際には、事後確率を直接求めるのは計算が難しくなることが知られていて、脳は事後確率ではなく認識確立を計算しているとされる。
確率と確率との違いの量は「ダイバージェンス」と呼ばれる。

ヘルムホルツの自由エネルギー=認識確率と真の事後確率のダイバージェンス+シャノンサプライズ

自由エネルギー原理においては、
ダイバージェンスを小さくするのが知覚=無意識的推論
シャノンサプライズを小さくするのが運動=能動的推論
と言われる。

2 注 意――信号の精度を操る

信号にはノイズがあり分散が生じる
分散が大きいとき、その信号の信頼度は減り、精度が低い信号とされる
分散が小さいとき、その信号の信頼度は増え、精度が高い信号とされる
フリストンの理論では、分散の二乗の逆数を「精度」とする
感覚信号の精度が高いとき、予測誤差信号の精度も高く、予測信号や自分の推論内容を変更する
感覚信号の精度が低いとき、予測誤差信号の精度も低く、その場合は、自分の推論内容を維持する
フリストンは、「注意を向ける」ということを「信号の精度をあげる」=「予測誤差を大きく捉える」ことだとする。
そして、信号の精度を制御するにあたっては、ドーパミンがその役割を果たしているとしている。

3 運 動――制御理論の大転換

従来、運動野が出力するのは、運動指令だと考えられていたが、自由エネルギー原理によれば、筋感覚の予測信号
「逆モデル」を想定する必要なくなる


運動によって信念が書き換えられることはないのか?
以下の3つにより、運動によって信念が書き換えられることはない
(1)感覚減衰
自分の運動で引き起こされる感覚は抑制される(自分で自分をくすぐってもくすぐったくない理由)
(2)精度制御
再求心性感覚信号の精度を低下させ、予測誤差の精度が低下している
(3)運動野には4層がない
大脳皮質は6層構造をしており、フリストン によれば、5・6層が予測信号を出力、2・3層が予測誤差信号を出力しているとされる。
一方、大脳皮質外からの信号は第4層に入力されることが知られている
が、運動野はこの層がほとんどない
以上、3点により、運動によって引き起こされる感覚はフィードバックされないので、信念が書き換えられることもない


他感覚ニューロン:外受容感覚と自己受容感覚をセットとして受け取り予測する
知覚と運動が循環するアフォーダンス機能
赤ちゃんは予期しない動きを見ると驚くだけでなく、手を伸ばす→外受容感覚の予測誤差が大きいと予測にあうように運動して予測誤差を低下させていると考えられる


ミラーニューロンも他感覚ニューロン
自己が運動するときと他者の運動を見てるときで同じ反応をするのに、他者の運動を見ている時は自分の体が動かないのか
→自己が運動するときと他者の運動を見ているときでは、運動制御信号の精度が違うから


自由エネルギー原理は、「予測誤差の最小化」と「精度制御」の2つの原理で説明する

4 意思決定――二つの価値のバランス

期待自由エネルギー=-認識的価値-実利的価値

認識的価値とは、随伴性の不確実性を低下させること
随伴性とは、環境の状態と感覚信号との関係の関係
実利的価値とは、目標状態に到達すること
目標志向行動は、この2つの価値を最大化すること
認識的価値を高める探索行動と、実利的価値を高める利用行動からなる。
認識的価値は、隠れ状態に関する事前確率分布と事後確率分布のダイバージェンス
実利的価値は、シャノンサプライズの期待値


脳の階層構造


モチベーションの仕組み
目標を実現できそうな行為系列に対する信念の精度をあげる
精度をあげるのはドーパミン

5 感 情――内臓感覚の現れ

ホメオスタシス
アロスタシス:体内の状態に関する設定値を予測的に変更する機能
アロスタシスもまた、随意運動と同じく能動的推論
アロスタシスは脳内にある生成モデル(エネルギーを使うと血糖値が下がるとか、何か食べると血糖値が上がるとか、過去の経験から学習されたある種の知識)により機能する
条件反射もアロスタシスと同じように説明できる。随伴性を学習すると、それをもとにした予測と実際の体内状態に誤差が生じるのでわそれを小さくするために唾液が出る


感情
内臓状態に変化をもたらした原因に関する推論(高次の認知情報)と内受容感覚が統合されて感情が生じる

6 好奇心と洞察――仮説を巡らす脳

脳はどうやってアブダクションするか
自由エネルギー原理は、これを二段階にわけて説明
(1)現象を説明できる生成モデルの学習(好奇心)
(2)得られた生成モデルの単純化(洞察)


(1)好奇心

期待自由エネルギー=-認識的価値-実利的価値-新奇性

自由エネルギー原理によれば、人間は不確実性を最小化するように行動する
一つ目は隠れ状態に関する不確実性で、探索行動によって最小化する
二つ目は成果(感覚信号)に関する不確実性で、利用行動によって最小化する
最後が、隠れ状態と成果の随伴性すなわち生成モデルの不確実性で、好奇心による行動によって最小化する
新奇なものを見たらそれを観察することで、その状態と感覚信号との随伴性を学習し、生成モデルを更新する
この学習はシナプス結合の変化によって実現される。自由エネルギーの経路積分の最小化によって得られるが、この式はヘブ学習と一致


(2)洞察

自由エネルギー=生成モデルの複雑さ(ダイバージェンスに対応)-生成モデルの正確さ(シャノンサプライズに対応)

自由エネルギー最小化とは、生成モデルの複雑さを小さくし、正確さを大きくすることで達成される
このようなモデルの最適化は、ベイズモデル縮約として知られる 
フリストン は、縮約モデルが脳内で作られるプロセスとして、睡眠中のシナプスの刈り込みがあるのではないかとしている
また、起きている間も、脳は仮説を単純化するシミュレーションを行っている。これをここでは洞察と呼んでいる 
睡眠中のシナプス結合の刈り込みについては、トノーニが提唱しているらしい
フリストン は、仮説を学習することを調べるとある心理学実験をコンピュータ上でシミュレーションし、自由エネルギー原理に従うと正しく反応できるようになることを示した

7 統合失調症自閉症――精度制御との関わり

ある行為を自分で行ったと感じることを自己主体感と呼ぶ
3章に出てきた感覚減衰が自己主体感と関わっているとされ、感覚減衰が起こらないと、させられ体験が生じる


統合失調症では、感覚減衰が低下していることが知られている
このため、自己主体感が生じず、させられ体験が生じる。
能動的推論にも失敗し、統合失調症の症状の一つである無動が生じると考えられる
さらに、この失敗を補って運動するために、ドーパミンにより予測信号の精度を上げる。すると、予測誤差の重み付けが下がり信念の更新がされなくなる。これにより、事前の信念のみに従い、現実からは離れた知覚、つまり妄想が生じてしまう、というのが、自由エネルギー原理による統合失調症の説明


逆に、自閉症は、予測信号の精度が低いことに起因しているのかもしれない、と。
常にサプライズが生じていた、感覚信号を必要以上に過大に受け止めているのではないか、と。

8 認知発達と進化、意識――自由エネルギー原理の可能性

複数の時間スケールでの現象を、自由エネルギー原理から説明する。
自由エネルギー原理は、サプライズないし不確実性を小さくするという原理
知覚・行為→学習と注意→神経発達→進化
知覚や行為のスケールでは、生成モデルに基づき認識確率分布の最適化を行う
学習のスケールでは、シナプス結合の最適化を行う
一方、神経発達や進化のスケールにおいては、生成モデル自体の最適化を行っているのだ、と


意識について
時間的に幅のある生成モデルがあると未来のことを考えて行動することができる
フリストン は、これによって意識が生じるのでは、と考えているらしい
知覚でも生成モデルが必要だが、こちらは時間的な幅が狭いので「無意識」的推論なのだ、とも。
ところで、自由エネルギー原理では、精度制御が重要なポイントだが、これも意識と結びつけて考えられている
フリストン は、内受容感覚の精度が感情や意識と関わっていると考えている。精度が向上することで意識に上ってくる、と。
外環境についての意識は、単純に外受容性の知覚から生じるのではなく、同時に内受容感覚からの信号の精度が上がるときに生じるのではないか、と。

意識のところの感想

意識について、これが他の意識理論とどのような関係にあるかという点で、自分の理解がまだ進んでいない
未来についての生成モデル云々のあたりは、行動のシミュレーションとして意識が生じたのではないか的な話とつながりそうだが
心の哲学的には、意識の問題として重要なのは現象的意識で、知覚と精度の話は直接関わってきそう
精度が上がる=注意が向くで、注意と意識というのも関係のある概念だから
ただ、自由エネルギー原理でいうところの注意って必ずしも意識的な注意ではないだろうけど。
外界の知覚が直接意識になるのではなく、内受容感覚の精度が高い時、知覚が意識に上がる、というのも面白い。面白いけどまだあまりよく意味は分からない

付録 自由エネルギー原理の数理を垣間見る

何で、ベイズ推論の話なのに、自由エネルギーという熱力学の語彙が使われているのか、ということが数学的に説明されている章
本文と比べると数式も多いし確かに数学的な話をしてはいるが、タイトルに「垣間見る」とあるように、実際の数式の展開などはかなり省略されており、日本語で説明されているので、まあ数学分からなくても何となくはわかる、と思う


ヘルムホルツの自由エネルギー
=内部エネルギー-温度×エントロピー

シャノンの情報理論では、確率pの事象が起きたことを知らせる情報の情報量を-logpとしている。
起きる確率が少ないと情報量は大きくなる
自由エネルギー原理でいうシャノンサプライズというのはこれ。
次に、全ての事象について情報量を平均したものをエントロピーと呼ぶ
エントロピーが大きい=不確実性が大きい
で、物理学のエントロピー情報理論エントロピーが同じ量であることが示される。


2つの確率分布がどれくらいを似ているか評価するために用いられる物差しとして、カルバック-ライブラーのダイバージェンス(KL情報量とも)がある。


世界についての真の確率分布をそのまま使うのが難しい場合、近似した確率分布を用いる
この2つの分布は近い方がいい=ダイバージェンスを最小にしたい
ダイバージェンスを最小にする、(近似として用いる)確率分布は、変分自由エネルギーという量を最小化することが知られている。
この変分自由エネルギーが、フリストン の自由エネルギー原理
熱力学では、ある系がある状態をとる確率は内部エネルギーと関連づけられており、ヘルムホルツの自由エネルギーの式と結びつく
変分自由エネルギーの最小値とヘルムホルツの自由エネルギーは一致する
変分自由エネルギー=エネルギー-エントロピー(ここでは温度は無視)


近似した確率分布を用いてベイズ推論することを変分ベイズ推論と呼び、ダイバージェンスの式を使っていくと
ダイバージェンス=変分自由エネルギー-シャノンサプライズ
となり、つまり、
変分自由エネルギー=ダイバージェンス+シャノンサプライズ
となる。
同じ量をどのように解釈するかで色々応用できるのが自由エネルギー原理の面白いところであり、難解なところである、と述べられている。


インフォマックス原理


神経実装として勾配降下法
この方法なら神経回路で計算可能

石津智大『神経美学―美と芸術の脳科学』

タイトル通り、神経美学についての入門書
筆者は、ゼキのところで共同研究していたこともある研究者
もちろん、人文系の美学とは異なるところも色々あるが、しかし、人文系の美学とも接続可能な議論も色々なされていると思う。
後半で出てくる2つの美という提案は、人文系美学からはなかなか出てこないものだと思うけど、普通に美学理論の一つとしてありな気がする。

1 神経美学とは
2 視る美と聴く美
3 視えない美
4 うつろう美の価値
5 知識の監獄
6 変わらない価値はあるか?
7 快感と美観
8 ネガティブと美
9 醜さの力
10 創造性の源泉を脳にさがす
11 認知の枠組みと美
12 美の認知神経科学
引用文献
おわりに
神経美学の若きエース(コーディネーター 渡辺 茂)

1 神経美学とは

1.1 脳科学と美
1.2 主観と客観
1.3 主観性を脳からしらべる
1.4 神経美学の扱う範疇

2 視る美と聴く美

20世紀初頭の美術史家クライブ・ベルは、多様な種類の美しい作品の中で共通するものは何か問うた
神経美学的に言い直すと、共通して反応している脳の部位はどこか、ということになる。
肖像画、風景画、抽象画、写真、はたまた交響曲や現代音楽など、さまざまな芸術作品の経験時の脳の反応を調べていくと、内側眼窩前頭皮質が共通して活動していることが分かっている
また、美しさの体験の強さと、この部位の反応の強さも相関している
共通して活動している部位であって、この部位だけが美の経験を担っているわけではない、と注意書きもされている。

3 視えない美

数理的な美や道徳的な美など、知覚できないものに対する美的経験についても、やはり同じ部位が反応している


コラムには、背外側前頭前皮質を刺激すると、審美評価が強まったという脳刺激実験の話が

4 うつろう美の価値

4章・5章は、知識が美的判断にどれだけ影響するのか、という話
絵にどのようなキャプションがついているかによって、判断が変わることを示した実験とか
有名ヴァイオリニストに地下鉄駅で演奏させて、どれくらいの人がその演奏の価値に気付いたのかという実験とか
似たようなもので、クチコミが判断にどのような影響を与えるかという実験もある。人が肯定的に評価したものは自分もプラスに、否定的に評価したものは自分もマイナスに評価するようになるのだけど、言ってきた人が、自分の好きな人か嫌いな人かによっても変わる。嫌いな人が肯定的に評価した場合、マイナスに評価するようになるという現象も起きる。
まあ、さもありなんという話ではあるけれど、実験で示されると身もふたもないw

5 知識の監獄

同じく知識からの影響についての話だが、プロはどうなのかという話
プロは意識的に注意をコントロールしている

6 変わらない価値はあるか?

6.1 氷河期美術(アイスエイジアート)
6.2 単純なものから考える
6.3 運動の美と第5次視覚野
6.4 赤ちゃんは美を感じるか?
6.5 プリミティブアートと「頭足人

7 快感と美観

快には、生理的な報酬によるものと社会的・内的報酬によるものがある
前者は腹側線条体、後者は眼窩前頭皮質
美もこれらに対応するのではないか、と
前者は、顔や身体についての美や住居にかんする美で、文化の違いによらず判断が普遍的とされる
後者は、目に見えない美など

8 ネガティブと美

崇高や悲哀など、快ではない美(的カテゴリ)について
崇高さは、哲学者・美学者らにより快と不快の混合感情と言われてきたが、神経美学的にも、火山などの写真を見せた時。、快に反応する尾状核前部と負の感情に反応する被殻や海馬後部などが反応していることがわかっている
また、崇高さないし畏怖を感じる時、人は自分の社会的アイデンティティを意識するという心理学実験も紹介されている。この実験、畏怖を感じさせるための設定が、ティラノサウルス骨格標本の前に立つことだったのが、ちょっと面白い
悲哀に美を感じる時「距離」がキーになっている。
自分ではなく他人の痛みを認識するときの脳部位が反応している

9 醜さの力

ネガティブな美的カテゴリである醜
恐怖や嫌悪に反応する扁桃体が反応
また、島皮質も反応しているが、島皮質は(美に共通して反応する)眼窩前頭皮質と「シーソー」の関係になっている
恐怖に反応するとき、実際に身体は動かなかったとしても脳の運動野は反応する。
ところで、カントやメンデルスゾーンは、醜が吐き気など生理的な反応に繋がっていると論じる
崇高や悲哀には「距離」があったのに対して、醜は身体的な反応を引き起こし、距離を消し去ってしまうのではないか。それが醜の芸術がもつ力の源ではないかと論じている

10 創造性の源泉を脳にさがす

再現性がなかなかないので、創造性についての研究は難しくてあまりすすんでいない、としつつも、実際に行われた研究が紹介されている。
一口に創造性といっても、絵を描くこと、小説を書くこと、詩を書くこと、交響曲を作曲すること、即興演奏をすること、ダンスをすることなどそれぞれ異なっていると思われ、特に研究するにあたっては、小説を書くとか交響曲を作曲するとかの創造性は、対象にしにくい。
研究できそうなものとして、ジャズの即興演奏が挙げられている。
まあ、要するにfMRI使っても調べられそう、ということ(ある程度身体の動きが拘束されてもできる、比較的短時間できる)
この研究はTEDで紹介されていて、実際にミュージシャンがfMRIの中で即興演奏している映像を見ることができる。


11 認知の枠組みと美

フランシス・ベーコンの絵は人体は歪んでいるが、椅子などは歪んでいない
ところで、顔・身体の認知と物体の認知には違いがあって、前者は生得的ないし発達の非常に初期からあり上書きされない。後者は後天的で上書き可能
上書きというのは、変形された顔の画像と変形された椅子の画像を見せ続けた時に、脳が慣れたかどうか
ベーコンは、この2つの認知的コンセプトの違いをうまく利用しているともいえる


筆者は、この2つの認知的コンセプトを、第7章で論じた2つの快感情・2つの美と結びつけ、美を分類するための考え方を示している。

12 美の認知神経科学

12.1 真,善,そして美
12.2 生物的欲求と人間的品性

『認知科学第28巻第2号(2021)』解説特集「深層学習と認知科学」

TLで論文pdfのリンクが流れてきたので、特集の論文を3つとも読んでみた。

賀沢 秀人「深層学習は認知科学の対象となるか」

深層学習は認知科学の対象となるか
認知科学が対象にするのが、何らかの意味で知的に(ヒト的に)振る舞っているシステムだとした上で、深層学習で作られたシステムが、そのようなシステムかを考えた上で、なお、深層学習と認知科学の関係について提案する
まず、ヒト的というのを、観察可能な振る舞いがヒト的という意味で「外的にヒト」と、情報処理のレベルでヒト的という意味での「内的にヒト」とに区別した上で、深層学習で作られたシステムは、外的にヒトだとは言えるが、(部分的に類似しているとはいえ)現時点で内的にヒトとは言えない、とする。
(ところで、深層学習は、初期において人間の脳神経系の仕組みを参考にしていたが、現在はもはや人間の神経系を参考にしていない。この点について、鳥と飛行機の関係で喩えていて、なるほど、わかりやすいなと思った(定番の比喩なのかもしれないが)。つまり、飛行機は鳥のように飛ぶために作られたけど、実際の仕組みはもはや鳥とは関係ないし、今更、鳥の仕組みを取り込んだりしていないという意味)
で、その上で、認知科学構成主義的アプローチとして深層学習が使えるのではないかという点と、逆に、深層学習を理解可能な形にする(モジュール化するなど)のに認知科学が使えるのではないかという点を、認知科学と深層学習の今後の関係として提案している

丸山宏「人の心に似た機械を設計できるか」

人の心に似た機械を設計できるか
ちなみに、TLにリンクが流れてきたのはこれ
深層学習は、計算は計算でもアナログ計算
計算を、仕様の観点から分類する(古典計算、モデル化可能計算、部分再現可能計算)
人間の知能ってそもそも仕様が書けるの?
→現在のプログラム開発の現場においても、事前に仕様が書けないことが前提になってきて、アジャイル開発とかに移行している。人間の知能も、仕様が動的に変容するものとして枠組みを作らないといけないかもしれない
知能と言っても、色々な種類がある。また、人間の個体だけが知能をもっているわけではない(地球外文明から地球を見たら、個体ではなく人類全体として、こういう知能を持っていると考えるだろう的な話が)。人間の知能と機械の知能をあわせた超知能について考えてもいいのではないか、とか

松尾豊「深層学習と人工知能

深層学習と人工知能
深層学習は、それによって知能とは何かという科学的探求の側面と、それを技術として応用していくという工学的な側面とがあり、後者が重要だとされているが、筆者は、近年、前者が重要になってきたというシフトが起きてきていると考えている。
具体例として、トランスフォーマと自己教師あり学習を用いた大規模言語モデルの成功を挙げている。
一方で、大規模言語モデルの課題として(1)複数の行為の系列からなる処理が苦手(2)実世界の経験や行動に基づく知識の処理が苦手。課題2は、いわゆる記号接地問題
自己教師あり学習を用いて「世界モデル」を作ろうとする研究が最近盛んになっているという。
それにつながるものとして、画像と言語を結びつける研究がある。

自己教師あり学習の最終層のひとつ手前では,うまく学習するとdisentangleされた表現が得られている.(中略)例えば,顔画像であれば「目の大きさ」「ひげがあるか」「若いか年寄りか」「男性的か女性的か」などはdisentangleされたものであり,それぞれの要素を独立に変化させることができる.(中略)disentangleされた表現を得ることさえできれば,あとは言語で条件づけた深層生成モデルを用いて,さまざまなデータを生成できるということになる.これは,簡単にいえば「想像する」ということ

深層学習を用いた「想像」という、とても面白そうな話をしているが、一体、具体的にはどういうことかというと、こんなことが書かれている

OpenAIが2021年1月に公開したDALL-Eというモデルは,(中略)例えば,an armchair in the shape of anavocadoという文を入力すると,アボカドの形をした椅子が画像として生成される.

GANの話を知ったときもすげーなーと思ったけど、こっち(ちなみにこっちの画像生成はGANではない)も面白い。確かに「想像」と言えるかもしれない。
なお、ググったらすぐ出てきた上に、すでに100以上ブクマがついていた
openai.com

また、先に挙げた課題(1)については、筆者の仮説として、時間についての取り扱いを考え直す必要があるのではないかと論じている。

日経サイエンス2021年8月号

海外ウォッチ

  • 恐竜の骨のジグソーパズル

恐竜の骨がバラバラにいくつも発見された時、それが同一個体の骨なのかどうか、これまで確かめる術はなかった。が、骨の微細構造を調べることによって、これが分かったという研究の紹介

ロケット大量打ち上げ時代の大気汚染 M. N. ロス、L. デイビッド

ロケット大量打ち上げ時代の大気汚染 | 日経サイエンス
ロケットによる大気汚染について、これまで軽視されてきたが、ちゃんと考えないといけないという記事
ロケットの打ち上げによる燃料の総量と飛行機に使っている総量とでは、後者の方が圧倒的に多いので、これまでロケット打ち上げによる環境問題はあまり考えなくてもよいとされていたらしいが、筆者は、プロセスが違うので量的比較は意味がないという。
ロケットは、飛行機と異なり、大気の様々な層に排出を行う。成層圏を飛行する飛行機は稀だが、ロケットは確実に成層圏でも排出する。例えば、成層圏オゾンを破壊している
また、ロケット打ち上げの場合、いわゆる温室効果ガスよりも、他の排出物の環境への影響も考えなければならない。特に、宇宙デブリの大気圏再突入によっても「排出」は起きている、と。
コンステレーションとか、運用年数過ぎたあとに落下させるとして、それの環境への影響はどうなの、とか。
成層圏での排出」と「再突入時の排出」というのは、全然思いもよらない観点で勉強になった。ロケットならではの特徴でもあり、またあまり注目されてこなかったところでもあると思う。

空飛ぶドラゴンの解剖学 M. B. ハビブ T. ウィットラッチ

空飛ぶドラゴンの解剖学 | 日経サイエンス
生物学者イラストレーターでコンビを組んで、伝説上の空飛ぶ生き物について、実際に空を飛べるように無理のない形をしているとしたらどんな形になるか考えたという記事。
具体的には、ヒッポグリフ、天使、東洋の龍が挙げられている。
ヒッポグリフは、翼竜を参考にしている。鳥のように大胸筋で飛ぶようにすると馬のような大きさは飛ばせないけれど、背筋を使うと、それなりの重さでも飛べるのでは、と。
面白かったのは、東洋の龍。翼がないのに空を飛ぶわけだが、トビヘビという、やはり翼なしに空を飛ぶ実在のヘビを参考にしたという。
トビヘビは、東南アジアあたりに生息しているらしく、その点でも、東洋の龍と関連づけられる。
また、このヘビはトカゲなどを捕食しているらしく、西洋のドラゴンの天敵が東洋の龍だったのではないかという、架空生物生態系まで提案している。

SNSがしょうもない情報であふれるメカニズム F. メンツァー、T. ヒル

SNSがしょうもない情報であふれるメカニズム | 日経サイエンス
この記事、内容は読んでいないのだけど、図だけ少し見た。
「ボットによる情報汚染」という図があった。ボットがいると、フェイクニュースが広まりやすいらしい。

生井英孝『空の帝国 アメリカの20世紀』

20世紀アメリカの航空史について書かれた本だが、空軍に関する政治史を中心に大衆文化論を混ぜたような一冊。
筆者は、もともと写真を中心とした視覚文化論が専門らしい。本書も、歴史書というよりは文化論の視点から書かれた読み物という雰囲気だが、その分、面白い。
もともと、航空という観点から書かれたアメリカ文化史の本っぽいということで、面白そうだなと思って読み始めたので、その点では期待に違わぬものだったけど、もっと航空寄りの話を期待するとそういう本ではないのでやや注意。
最後の方は、ヴェトナム戦争湾岸戦争911についての話
元々、興亡の世界史シリーズに興味を持った時に、一番惹かれた本で、以前講談社kindle本セールがあった際に購入した。

第1章 ある日、キティホーク
第2章 ダロウェイ夫人の飛行機雲
第3章 翼の福音
第4章 ドゥーエ将軍の遺産
第5章 銀翼つらねて
第6章 将軍たちの夜
第7章 アメリカン・ライフと世界の旅
第8章 冷戦の空の下
第9章 幻影の戦場
第10章 憂鬱な真実
補章 キティホークを遠く離れて

第1章 ある日、キティホーク

章の前半は、19世紀から20世紀の変わり目、飛行船イメージの話や「大衆」、フロンティアの終焉論についてなど
章のメインは、ライト兄弟について
当時、グライダーなど航空機の研究をしていたのは学者などだったのに対して、ライト兄弟はたたき上げの技術者であり個人経営者だった。彼らは最終的に飛行機の技術をアメリカ政府に売ることを目的としており、学者と比較すると、秘密主義的なところがあった。
筆者は、ライト兄弟には「古さ」と「新しさ」が同居していたという。つまり、個人主義的で誰にも借りを作らず生きようとする態度は古風なアメリカ人気質であり、一方、発明を公共のためではなく特許ビジネスによる利益のために行おうとしているあたりは、20世紀的な「新しい」ところであった、と。

第2章 ダロウェイ夫人の飛行機雲

第一次世界大戦について
この章、飛行機の話よりもその前振りとしての第一次世界大戦の話の方が長いw
20世紀後半以降のイメージとは異なり、もともとは常備軍の少ない国だったアメリ
軽武装というのが国としてのアイデンティティだったらしい
しかし、その後、マハンの「海上権力論」により海軍が増強されていく。
陸軍は弱小のままであったが、それでも改革が行われ、その中で航空部隊も設置されることになる。
とはいえ、第2章では、むしろ第一次世界大戦が一体どのような戦争だったか、総動員体制がどのように確立されていったかにページを多く割いている     
最後に、第一次世界における飛行機のイメージを二つ挙げてしめくくっている
1つは、憧れの対象としての飛行機。 
当時に飛行機のエースパイロットは「撃墜王」などと呼ばれ、実際に貴族などもいて、一種の「騎士」のイメージを帯びていた。
もう一つは、不安や災いと結びつく飛行機
ウルフの『ダロウェイ夫人』において、戦争のトラウマを抱えた元兵士の登場シーンと飛行機の関係について。

第3章 翼の福音

戦間期の大衆文化と航空文化
この章は、文化論のトピック盛り盛りで楽しい。
飛行機好きだった稲垣足穂の引用から始まり、大戦間期を象徴するものとして飛行機と映画を挙げる。
戦間期は、さらに1920年代と1930年代とに分けられる。つまり、前衛芸術やジャズなどが花開いた20年代と大不況にあえいだ30年代であるが、近年の文化史では、20年代と30年代の違いよりもむしろ連続性が注目されているらしい。そこでキー概念となるのが「マシン・エイジ」
マシン・エイジの美学として「流線型」があげられる。
それから航空産業の話になる。民間航空輸送が始まって、パン・アメリカン航空など今につらなる航空会社ができている。背景には、第一次大戦が終わり軍需がなくなったことで航空産業不況が訪れてしまわないように、民需への転換をはかった政策があったらしい。
で、女性客室乗務員の話になり、そこからさらにこの当時の女性パイロットの話や、映画女優パイロット風の衣装を着ている写真とかが出てくる話
そして、チャールズ・リンドバーグの話
リンドバーグは、アメリカの田舎の純朴な青年というような人柄で人気が出たらしい。
この当時のアメリカにおける飛行機熱を、とある文化史家は「翼の福音」と呼んでいる
第一次大戦パイロット、あるいは「撃墜王」に憧れた少年たちが、曲乗り飛行士となって巡業したりしていた時代
また、飛行士に憧れる子どもたちの間で、飛行機模型ブームが訪れる。
あと、「翼の福音」というのもあながちただの比喩というわけではなくて、実際、飛行機が地方に訪れた際のイベントごとが、ちょっと宗教祭祀っぽい雰囲気だったりもしたらしい。

第4章 ドゥーエ将軍の遺産

アメリカ空軍建軍の父の一人とされるミッチェルについて
飛行機が戦争に使われたのは第一次大戦からだが、当時、まだどの国にも空軍という独立した軍はなかった。しかし、これが西欧諸国では、第二次大戦までに独立した軍となっていく。一方、アメリカで空軍が独立したのは、実は戦後の1947年。それまでは陸軍の中の航空部隊だった(第二次大戦中に相当の独立性は確保したようだが)。
で、アメリカ空軍の創立にあたっては、ミッチェルとアーノルドという2人の軍人が立役者だったと言われているのだが、この章では、主にミッチェルが取り上げられている。
この人はいわば異端児みたいな人で、航空戦力の重要性をアピールするために、軍艦を爆撃して沈没させる公開実験とかをしている。
第一次大戦でヨーロッパへ赴いた際にイギリス空軍の人と交流して、航空戦力の重要性を学ぶ
で、ヨーロッパの空軍やミッチェルの理論的背景となったのが、イタリアのドゥーエ
彼は、航空戦の独自性を、戦略爆撃に見いだす。

第5章 銀翼つらねて

この章は、主に第二次世界大戦について
アメリカにとって、第二次世界大戦は、外の敵に勝つことと内の敵(人種差別)に勝つことの両面があって、黒人部隊の話など
それから、軍の女性部隊(WACなど)の話も。
戦略爆撃と無差別爆撃
なるべく昼間の精密爆撃にこだわった米軍が夜間無差別爆撃へと移行していく

第6章 将軍たちの夜

戦略爆撃と原爆投下について
日本人からすると、東京大空襲をはじめとする爆撃と広島・長崎への原爆投下は、延長線上の出来事であるが、アメリカ空軍側がらすると、別の論理で動いた話だったらしい。


アメリカ空軍とカーティス・ルメイ
アーノルドとルメイはともに、戦闘そのものにはあまり興味がなく、作戦を練るのが好きなタイプ。だが、政治や外交には疎い
空軍の子供っぽさ


戦争と平和プロパガンダ
プロパガンダと爆撃のスペクタクル
シカゴの地下鉄駅の天井に多数の模型飛行機を設置したディスプレイや、『ライフ』誌に掲載された真珠湾攻撃を報じるイラスト
爆撃をする飛行機の視点にたって、高揚させる
戦争プロパガンダに用いられるイメージが、ヒーローから兵器へと変わった第二次大戦


終戦間際から戦後にかけて、「1つの世界」論が広まる
飛行機によって、世界の距離が近くなったという、いわゆるグローバリズム
戦争と平和の両義性

第7章 アメリカン・ライフと世界の旅

海外旅行と冷戦オリエンタリズム


世界を体験してきた帰還兵。
マーシャル・プランに盛り込まれた観光旅行。アメリカ的な価値観を広めるための海外旅行の推奨
かつての戦地を巡る、しかしオリエンタリズムな視線盛り盛りの海外旅行

第8章 冷戦の空の下

ヴェトナム戦争について
大戦後、早くも時代遅れになりつつある爆撃機をしかし空軍のアピールに使うルメイ
戦争が終わり軍縮の雰囲気もある中で、陸海空軍の対立
これまでの戦争とは違う戦争としてのヴェトナム戦争
ヘリボーンなど

第9章 幻影の戦場

レーガン政権とミサイル防衛」「湾岸戦争」「ユーゴ空爆」について
ヴェトナム戦争への反省を経てのワインバーガー・ドクトリン、のちのパウエル・ドクトリン(ヴェトナム戦争時の若手将校は、軍の上層部の権力争などに不満を抱いていた。このドクトリンは、勝ち目のある時だけ戦争しろ、国内で反対される戦争はするな、戦争するときは戦力惜しまず一気に叩け的な内容)

第10章 憂鬱な真実

911について

補章 キティホークを遠く離れて

ドローンについて

加藤聖文『満鉄全史』

満鉄こと南満州鉄道株式会社の設立から終焉まで、まさに全史の本
政治史の中で捉え、いかに満州を巡る日本の政策(国策)が一貫しないものであり、満州支配が混乱したものであったかを論じていく。
その時々の総裁など、人物に注目した記述ですすんでいくので読みやすい


以前、筒井清忠編『昭和史講義――最新研究で見る戦争への道』 - logical cypher scape2あたりを読んだりしたときに、次は、そろそろ満州あたりについてちゃんと読むか―と思っていて
最近、講談社学術文庫kindleセール*1があった際に購入
元々、講談社学術文庫の興亡の世界史シリーズが気になっていて、その中に満州ものもあったので、最初それにしようかと思ったのだが、検索していると、講談社学術文庫満州関係の本が結構いっぱいでていて、その中から、一番通史っぽいものを選んでこれにした。
満州というと満州事変・満州国あたりのイメージが強かったけれど、この本は日露戦争から始まる。
ポーツマス条約でロシアから譲渡された鉄道から、満鉄は始まるのである。


満鉄は、営利企業であるが、そもそも最初に譲渡された鉄道は採算の取れる路線ではなく、むしろ軍事的な理由で獲得された路線で、そういう点で最初から「国策」に従い作られた会社であった
また、総裁などの人事も政権側によって決められていて、国家機関としての性格をもつ(それゆえの混乱が起きる)
(もっというと、満鉄はただの鉄道会社ではなく、行政も一部担っていた
で、満州に関する「国策」については、陸軍、外務省、満鉄それぞれで考えていることが違い、また目的が仮に一致したとしても、そのためのやり方が異なっているので、それゆえの混乱も起きる
また、戦前の日本は政権交代を繰り返していたので、それによる政策変更や人事の影響も受けていた。


以下、内容まとめよりも主に感想

プロローグ――「国策会社」満鉄とは何だったのか
第一章 国策会社満鉄の誕生
第二章 「国策」をめぐる相克
第三章 使命の終わりと新たな「国策」
終 章 国策会社満鉄と戦後日本
エピローグ――現代日本にとっての満鉄

関連年表
歴代満鉄首脳陣人事一覧
満洲鉄道株式会社組織一覧

第一章 国策会社満鉄の誕生

内容的には下記の感じ

満鉄のカラーを決めた後藤新平。とはいえ、後世になって伝説化されたところもあり、実際、就任期間はわりと短い
構想力とかはあって、その点、初期の総裁としては適していた面もあったけれど、一方で、じっくり粘り強く実行していく力はなかったとも。
元から、満鉄や満州を巡っては、政府内の複数の省庁が絡んで
で、ここで、後藤新平と対にされているのは原敬。もちろん、原は満鉄総裁になったりはしていないが、満州政策についての考え方が、後藤とは違う
長州閥にコネを作ることで政権内に入り込んだ後藤に対して、政党政治により政権をとった原という違いも。
で、張作霖というと、個人的には爆殺事件のイメージが強く、逆に言うと、日本史やってると、突然爆殺事件で名前が出てくる人というあやふやな理解だった。
満鉄が満州で鉄道を敷設していくにあたって、中国側が主体に動いているという見せかけのために使われたのが張作霖で、一方、張作霖としても日本から軍資金を獲得するために利用していた、と

第二章 「国策」をめぐる相克

満鉄にとって、実は重要人物なのが松岡洋右
松岡の対ソ戦略として、張作霖と提携して鉄道網の敷設が進む。松岡というと、日独伊にソ連も加えて同盟計画を考えていた人では、と思ったら、まさにそこにつながってくる話で、松岡は、革命直後でまだそれほど大国ではないソ連がいつかユーラシアの覇権を握ると考え、その時に日本がソ連と対等な同盟が結べるようにするために、まずは満州を抑える、という考えだったらしい。
中国での鉄道敷設権というのは、もともと外務省が交渉して獲得し、満鉄が敷設するという流れだったのだが、松岡は張作霖を利用して、敷設権交渉を進めていく。
田中義一内閣のときに、社長に任命されたのが山本
三井物産の「商人」で、満鉄の「実務化」を進め、製鉄・油田・肥料といった事業拡大をすすめ、満鉄を発展させる
さて、一方の張作霖。彼は単に日本側に利用されていたわけではなく、彼は彼で中国内の権力闘争をしていて、彼には彼の野心があった。だが、そのあたりを日本側は理解しておらず、日本側が考える張作霖と実際の張作霖との間に齟齬があって、それを短絡的に解決しようとしたのが爆殺事件

第三章 使命の終わりと新たな「国策」

山本の次の総裁が、浜口雄幸内閣による千石貢。山本が政友会の大物だったのに対し、千石も民政党の大物だったのだが、彼は2年で離れ、外務省出身の内田が新総裁となる。そして、内田時代に満州事変が起きる。
今まで、満州というのが、陸軍・外務省・満鉄が三つ巴で、それぞれがそれぞれの思惑で動いていたところがあるのだが、ここで陸軍の一部である関東軍が突出することになるのが満州事変
満鉄首脳部は、当初、関東軍に対して非協力的なのだが、理事の一人である十河が関東軍とつながりがあり、関東軍支持を表明する。
十河は、内田を関東軍幹部と引き合わせ、内田を関東軍支持派に鞍替えさせていく。
一方、社員レベルでは、それ以前から関東軍との結びつきが強かったらしい。松岡時代にソ連研究を始めていた調査課は、その関係で関東軍とのつながりがあった。また、この当時、満鉄では「社員意識」が芽生えていて、政治運動などを行う団体も出てきて、そこから関東軍と結びついていった。
そんなわけで、満州事変において、満鉄は関東軍の移動などのサポートを行い、かなり積極的に働いていたらしい。
そして、満州事変がなり、満州国ができると、満鉄は絶頂期にいたる
というのも、満鉄というのは、中国から鉄道敷設権を外交交渉で獲得し鉄道を敷き、という形で鉄道事業を拡大していたのだが、満州国が成立すると、交渉で敷設権を得るというところが必要なくなるので、一気に鉄道を敷けるようになった、と。
また、満州国内で一番人数の多い組織は満鉄であり、関東軍だけではとても満州国を動かす実務はできなかったので、満鉄社員が満州国に関わっていくことになる。
が、それが満鉄と関東軍との関係の終わりの始まりでもあって、満鉄依存を深めたくない関東軍は、満鉄を改組して、分割する計画を進めていくことになる。これに満鉄社員側は反発するのだが、結局、満鉄はどんどん縮小されていく(岸信介が関わったりしてくる)
この頃、松岡が満鉄に戻ってきて、満鉄の新しい事業として華北進出をやろうとするのだが、これもうまくはいかない。
なお、満鉄としては縮小期になっているこの時期が、実は、一般的にイメージされる満鉄の時代でもあるという。「あじあ号」がこの時期だし、また、満鉄の事業ではないが、満鉄が出資した満映もこの頃。
満州国は、満鉄が縮小するにつれ、次第に革新官僚たちが動かすようになっていく

終 章 国策会社満鉄と戦後日本

  • 戦後の引き揚げ

ソ連が参戦して、敗戦となった後の満鉄
ソ連、ついで中国がやってくる中で、鉄道事業の引継ぎと日本人の引き揚げをやっていったのも満鉄
最後の総裁をやっていた人は、満鉄総裁が基本的には「部外者」が政治的に就任するのに対して、満鉄叩き上げの人だったとか。
あと、GHQによる解散があり、その後引き続き清算が行われ、完全に満鉄は消える。とはいえ、完全に清算が終わるのは1957年。
戦後、満鉄社員の一部は国鉄に行くが、それ以外に行った人たちもいる。政治家になった人などもいる。
で、補償を訴える話もあったのだけど、国側は、あくまでも満鉄を民間企業扱いしていく。満鉄は国家機関ではなかったというのが戦後の「国策」であり、最初から最後まで「国策」に振り回され続けてきたのが満鉄だったと、筆者は綴っている。
あと、十河がその後国鉄総裁になって、新幹線を成功させる話。ここにも、満鉄の技術が新幹線を作ったという「神話」があったりするけど、技術的には全く別物と

エピローグ――現代日本にとっての満鉄

講談社学術文庫のためのあとがき

戦後、元社員やその家族の親睦団体・相互扶助組織として「満鉄会」というものができるが、これについて説明している
一時期は、財団法人となるほど大きくなったが、それもまた関係者が減るにつれて縮小、2016年に解散するまでの経緯が書かれている

*1:実際には、学術文庫だけでなく講談社全体のセールだったのだが

青田麻未『環境を批評する』

筆者の博士論文を元にした環境美学についての本
英米系環境美学をサーベイし、環境を批評するという観点から「鑑賞対象の選択」と「美的判断の規範性」という2つのテーマで整理している。
元々環境美学のいう環境は、自然環境を意味していたが、その後の発展とともに人工環境も含むようになり、本書でも環境の美的鑑賞・批評の実践例として検討されるのは、観光と居住である。
2章と3章がサーベイ
4章と5章が「鑑賞対象の選択」、6章が「美的判断の規範性」を扱っている

第1章 環境としての世界とその批評−英米系環境美学とはなにか
 第1節 美学からの環境へのアプローチ
 第2節 英米系環境美学のスタイル
第2章 知識による美的鑑賞の変容−カールソンの環境美学
 第1節 ネイチャーライティングと環境批評家
 第2節 知識によって支えられる環境批評
 第3節 影を潜める主体−カールソンの達成点と問題点
第3章 諸説の再配置−環境批評理論としての評価
 第1節 認知モデル/非認知モデル、そしてそのボーダーライン
 第2節 環境の批評はできない−ゴドロヴィッチ、キャロル、バッドとフィッシャー
 第3節 環境を批評する−サイトウ、バーリアント、ブレイディ
第4章 フレームをつくる−鑑賞対象の選択と参与の美学
 第1節 バーリアントの参与の美学とその展開可能性
 第2節 ミクロな変化のフレーミング−個別の活動と統括的活動
 第3節 美的鑑賞の始まりはどこか−美的快の源泉としてのフレーミング
第5章 観光と居住−統括的活動とフレーミング
 第1節 行って帰ってくる−観光と居住の円環構造
 第2節 観光という統括的活動−ずれては重なるフレーム
 第3節 居住という統括的活動−時間的厚みのあるフレーム
第6章 環境批評家とはだれか−美的判断の規範性
 第1節 ブレイディによる規範性の再定義
 第2節 コミュニケーションと規範の生成
 第3節 批評家たちの協働−環境の漸進的な把握のために

第1章 環境としての世界とその批評−英米系環境美学とはなにか

「環境」とは、「美学」とは、など本書がどういう話を対象としているのかの序論

第2章 知識による美的鑑賞の変容−カールソンの環境美学

英米系環境美学は、1970年代にカールソンによって始まる
第2章では、カールソンの美学(「認知モデル」と呼ばれる)がどのようなものかまとめている。
ここで指摘されるのは、カールソンが「ネイチャーライティング」と呼ばれるノンフィクション文学に注目している点である。
カールソンは、彼らネイチャーライターを「環境批評家」として位置付けるのだが、ネイチャーライティングへの注目は、カールソンに限った話ではなく、1970年代の北米において環境倫理学など環境に関する関心が高まる中で、再評価されていたという文脈がある、と。
カールソンの美学は、時に極端と考えられることもあるのだが、実際には、ネイチャーライティングの作家たちの活動を理論化しようとしたものと捉えることができる。
カールソンは、環境を美的に鑑賞する際の対象の選択と規範性が、科学的/常識的知識によって得られると考える。
芸術作品を鑑賞する際に、適切な知識を持った批評家による批評が規範性を持つように、環境の鑑賞においても、適切な知識を持った批評家による批評が規範性を持つ、と。
なお、カールソンはもともと自然環境について論じていたが、のちに、人工環境(田園風景や都市)についても論じているが、基本的な考え方は同じ

第3章 諸説の再配置−環境批評理論としての評価

第3章では、カールソン以後の環境美学について
カールソン以後の環境美学は、カールソンに対して批判的な論が起こり、それらは非認知モデルと呼ばれ、認知モデルvs非認知モデルの論争として環境美学は進展した。
ただ、それぞれの論者を分類する際に、どのような観点から分類するかで違いがあり、一言に「非認知モデル」といっても、いろいろあるらしい。
ここでは、環境を批評するという観点から、論者を整理している

  • 環境の批評はできない

→ゴドロヴィッチの「神秘モデル」(非人間中心主義)
→キャロルの「喚起モデル」
→バッドとフィッシャー

  • 環境を批評する

→サイトウの準認知モデル
→バーリアントの「参与の美学」
→ブレイディの「想像力モデル」(ブレイディは、シブリーの知覚的証明論を用いて、美的判断の規範性を論じる)
サイトウは、日常美学でも知られる。カールソンの認知モデルと近しいが、科学的知識だけでなく神話や歴史なども環境の鑑賞に用いられるとするなど、カールソンとの違いもある
バーリアントは、本書では「鑑賞対象の選択」について
ブレイディは、「美的判断の規範性」について論じる上で、特に参考にされる。

第4章 フレームをつくる−鑑賞対象の選択と参与の美学

環境を鑑賞し批評する際には、フレームが作られる必要がある。フレームというのは、どこからどこまでを鑑賞対象とするかということ。
例えば、環境は時間的変化があるが、その全てを直接知覚することはできない。カールソンは、科学的知識があれば、ひとつの石を見て、その石が川の流れの中で形を変えてきたことを鑑賞することができると考えた。これは、科学的知識によってフレーミングが行われているということ
どのようにフレーミングが行われるかを、バーリアントの「参与」という概念から捉える
筆者は、環境の中での活動を「個別の活動」と「統括的活動」とに分類したうえで、環境のミクロな変化のフレーミングのメカニズムを説明する

第5章 観光と居住−統括的活動とフレーミング

第4章の具体例として「観光」と「居住」という二つの統括的活動におけるフレーミングを論じる

第6章 環境批評家とはだれか−美的判断の規範性

環境を批評することが、単に主観的ではなく客観的であることはどのように可能なのか
ブレイディの論を参考にしつつ、最終的に筆者は、ローカルな美的熟達者たちの協働によるコミュニケーションの中に、美的判断の規範性が生まれるモチベーションを見いだす。