生井英孝『空の帝国 アメリカの20世紀』

20世紀アメリカの航空史について書かれた本だが、空軍に関する政治史を中心に大衆文化論を混ぜたような一冊。
筆者は、もともと写真を中心とした視覚文化論が専門らしい。本書も、歴史書というよりは文化論の視点から書かれた読み物という雰囲気だが、その分、面白い。
もともと、航空という観点から書かれたアメリカ文化史の本っぽいということで、面白そうだなと思って読み始めたので、その点では期待に違わぬものだったけど、もっと航空寄りの話を期待するとそういう本ではないのでやや注意。
最後の方は、ヴェトナム戦争湾岸戦争911についての話
元々、興亡の世界史シリーズに興味を持った時に、一番惹かれた本で、以前講談社kindle本セールがあった際に購入した。

第1章 ある日、キティホーク
第2章 ダロウェイ夫人の飛行機雲
第3章 翼の福音
第4章 ドゥーエ将軍の遺産
第5章 銀翼つらねて
第6章 将軍たちの夜
第7章 アメリカン・ライフと世界の旅
第8章 冷戦の空の下
第9章 幻影の戦場
第10章 憂鬱な真実
補章 キティホークを遠く離れて

第1章 ある日、キティホーク

章の前半は、19世紀から20世紀の変わり目、飛行船イメージの話や「大衆」、フロンティアの終焉論についてなど
章のメインは、ライト兄弟について
当時、グライダーなど航空機の研究をしていたのは学者などだったのに対して、ライト兄弟はたたき上げの技術者であり個人経営者だった。彼らは最終的に飛行機の技術をアメリカ政府に売ることを目的としており、学者と比較すると、秘密主義的なところがあった。
筆者は、ライト兄弟には「古さ」と「新しさ」が同居していたという。つまり、個人主義的で誰にも借りを作らず生きようとする態度は古風なアメリカ人気質であり、一方、発明を公共のためではなく特許ビジネスによる利益のために行おうとしているあたりは、20世紀的な「新しい」ところであった、と。

第2章 ダロウェイ夫人の飛行機雲

第一次世界大戦について
この章、飛行機の話よりもその前振りとしての第一次世界大戦の話の方が長いw
20世紀後半以降のイメージとは異なり、もともとは常備軍の少ない国だったアメリ
軽武装というのが国としてのアイデンティティだったらしい
しかし、その後、マハンの「海上権力論」により海軍が増強されていく。
陸軍は弱小のままであったが、それでも改革が行われ、その中で航空部隊も設置されることになる。
とはいえ、第2章では、むしろ第一次世界大戦が一体どのような戦争だったか、総動員体制がどのように確立されていったかにページを多く割いている     
最後に、第一次世界における飛行機のイメージを二つ挙げてしめくくっている
1つは、憧れの対象としての飛行機。 
当時に飛行機のエースパイロットは「撃墜王」などと呼ばれ、実際に貴族などもいて、一種の「騎士」のイメージを帯びていた。
もう一つは、不安や災いと結びつく飛行機
ウルフの『ダロウェイ夫人』において、戦争のトラウマを抱えた元兵士の登場シーンと飛行機の関係について。

第3章 翼の福音

戦間期の大衆文化と航空文化
この章は、文化論のトピック盛り盛りで楽しい。
飛行機好きだった稲垣足穂の引用から始まり、大戦間期を象徴するものとして飛行機と映画を挙げる。
戦間期は、さらに1920年代と1930年代とに分けられる。つまり、前衛芸術やジャズなどが花開いた20年代と大不況にあえいだ30年代であるが、近年の文化史では、20年代と30年代の違いよりもむしろ連続性が注目されているらしい。そこでキー概念となるのが「マシン・エイジ」
マシン・エイジの美学として「流線型」があげられる。
それから航空産業の話になる。民間航空輸送が始まって、パン・アメリカン航空など今につらなる航空会社ができている。背景には、第一次大戦が終わり軍需がなくなったことで航空産業不況が訪れてしまわないように、民需への転換をはかった政策があったらしい。
で、女性客室乗務員の話になり、そこからさらにこの当時の女性パイロットの話や、映画女優パイロット風の衣装を着ている写真とかが出てくる話
そして、チャールズ・リンドバーグの話
リンドバーグは、アメリカの田舎の純朴な青年というような人柄で人気が出たらしい。
この当時のアメリカにおける飛行機熱を、とある文化史家は「翼の福音」と呼んでいる
第一次大戦パイロット、あるいは「撃墜王」に憧れた少年たちが、曲乗り飛行士となって巡業したりしていた時代
また、飛行士に憧れる子どもたちの間で、飛行機模型ブームが訪れる。
あと、「翼の福音」というのもあながちただの比喩というわけではなくて、実際、飛行機が地方に訪れた際のイベントごとが、ちょっと宗教祭祀っぽい雰囲気だったりもしたらしい。

第4章 ドゥーエ将軍の遺産

アメリカ空軍建軍の父の一人とされるミッチェルについて
飛行機が戦争に使われたのは第一次大戦からだが、当時、まだどの国にも空軍という独立した軍はなかった。しかし、これが西欧諸国では、第二次大戦までに独立した軍となっていく。一方、アメリカで空軍が独立したのは、実は戦後の1947年。それまでは陸軍の中の航空部隊だった(第二次大戦中に相当の独立性は確保したようだが)。
で、アメリカ空軍の創立にあたっては、ミッチェルとアーノルドという2人の軍人が立役者だったと言われているのだが、この章では、主にミッチェルが取り上げられている。
この人はいわば異端児みたいな人で、航空戦力の重要性をアピールするために、軍艦を爆撃して沈没させる公開実験とかをしている。
第一次大戦でヨーロッパへ赴いた際にイギリス空軍の人と交流して、航空戦力の重要性を学ぶ
で、ヨーロッパの空軍やミッチェルの理論的背景となったのが、イタリアのドゥーエ
彼は、航空戦の独自性を、戦略爆撃に見いだす。

第5章 銀翼つらねて

この章は、主に第二次世界大戦について
アメリカにとって、第二次世界大戦は、外の敵に勝つことと内の敵(人種差別)に勝つことの両面があって、黒人部隊の話など
それから、軍の女性部隊(WACなど)の話も。
戦略爆撃と無差別爆撃
なるべく昼間の精密爆撃にこだわった米軍が夜間無差別爆撃へと移行していく

第6章 将軍たちの夜

戦略爆撃と原爆投下について
日本人からすると、東京大空襲をはじめとする爆撃と広島・長崎への原爆投下は、延長線上の出来事であるが、アメリカ空軍側がらすると、別の論理で動いた話だったらしい。


アメリカ空軍とカーティス・ルメイ
アーノルドとルメイはともに、戦闘そのものにはあまり興味がなく、作戦を練るのが好きなタイプ。だが、政治や外交には疎い
空軍の子供っぽさ


戦争と平和プロパガンダ
プロパガンダと爆撃のスペクタクル
シカゴの地下鉄駅の天井に多数の模型飛行機を設置したディスプレイや、『ライフ』誌に掲載された真珠湾攻撃を報じるイラスト
爆撃をする飛行機の視点にたって、高揚させる
戦争プロパガンダに用いられるイメージが、ヒーローから兵器へと変わった第二次大戦


終戦間際から戦後にかけて、「1つの世界」論が広まる
飛行機によって、世界の距離が近くなったという、いわゆるグローバリズム
戦争と平和の両義性

第7章 アメリカン・ライフと世界の旅

海外旅行と冷戦オリエンタリズム


世界を体験してきた帰還兵。
マーシャル・プランに盛り込まれた観光旅行。アメリカ的な価値観を広めるための海外旅行の推奨
かつての戦地を巡る、しかしオリエンタリズムな視線盛り盛りの海外旅行

第8章 冷戦の空の下

ヴェトナム戦争について
大戦後、早くも時代遅れになりつつある爆撃機をしかし空軍のアピールに使うルメイ
戦争が終わり軍縮の雰囲気もある中で、陸海空軍の対立
これまでの戦争とは違う戦争としてのヴェトナム戦争
ヘリボーンなど

第9章 幻影の戦場

レーガン政権とミサイル防衛」「湾岸戦争」「ユーゴ空爆」について
ヴェトナム戦争への反省を経てのワインバーガー・ドクトリン、のちのパウエル・ドクトリン(ヴェトナム戦争時の若手将校は、軍の上層部の権力争などに不満を抱いていた。このドクトリンは、勝ち目のある時だけ戦争しろ、国内で反対される戦争はするな、戦争するときは戦力惜しまず一気に叩け的な内容)

第10章 憂鬱な真実

911について

補章 キティホークを遠く離れて

ドローンについて

加藤聖文『満鉄全史』

満鉄こと南満州鉄道株式会社の設立から終焉まで、まさに全史の本
政治史の中で捉え、いかに満州を巡る日本の政策(国策)が一貫しないものであり、満州支配が混乱したものであったかを論じていく。
その時々の総裁など、人物に注目した記述ですすんでいくので読みやすい


以前、筒井清忠編『昭和史講義――最新研究で見る戦争への道』 - logical cypher scape2あたりを読んだりしたときに、次は、そろそろ満州あたりについてちゃんと読むか―と思っていて
最近、講談社学術文庫kindleセール*1があった際に購入
元々、講談社学術文庫の興亡の世界史シリーズが気になっていて、その中に満州ものもあったので、最初それにしようかと思ったのだが、検索していると、講談社学術文庫満州関係の本が結構いっぱいでていて、その中から、一番通史っぽいものを選んでこれにした。
満州というと満州事変・満州国あたりのイメージが強かったけれど、この本は日露戦争から始まる。
ポーツマス条約でロシアから譲渡された鉄道から、満鉄は始まるのである。


満鉄は、営利企業であるが、そもそも最初に譲渡された鉄道は採算の取れる路線ではなく、むしろ軍事的な理由で獲得された路線で、そういう点で最初から「国策」に従い作られた会社であった
また、総裁などの人事も政権側によって決められていて、国家機関としての性格をもつ(それゆえの混乱が起きる)
(もっというと、満鉄はただの鉄道会社ではなく、行政も一部担っていた
で、満州に関する「国策」については、陸軍、外務省、満鉄それぞれで考えていることが違い、また目的が仮に一致したとしても、そのためのやり方が異なっているので、それゆえの混乱も起きる
また、戦前の日本は政権交代を繰り返していたので、それによる政策変更や人事の影響も受けていた。


以下、内容まとめよりも主に感想

プロローグ――「国策会社」満鉄とは何だったのか
第一章 国策会社満鉄の誕生
第二章 「国策」をめぐる相克
第三章 使命の終わりと新たな「国策」
終 章 国策会社満鉄と戦後日本
エピローグ――現代日本にとっての満鉄

関連年表
歴代満鉄首脳陣人事一覧
満洲鉄道株式会社組織一覧

第一章 国策会社満鉄の誕生

内容的には下記の感じ

満鉄のカラーを決めた後藤新平。とはいえ、後世になって伝説化されたところもあり、実際、就任期間はわりと短い
構想力とかはあって、その点、初期の総裁としては適していた面もあったけれど、一方で、じっくり粘り強く実行していく力はなかったとも。
元から、満鉄や満州を巡っては、政府内の複数の省庁が絡んで
で、ここで、後藤新平と対にされているのは原敬。もちろん、原は満鉄総裁になったりはしていないが、満州政策についての考え方が、後藤とは違う
長州閥にコネを作ることで政権内に入り込んだ後藤に対して、政党政治により政権をとった原という違いも。
で、張作霖というと、個人的には爆殺事件のイメージが強く、逆に言うと、日本史やってると、突然爆殺事件で名前が出てくる人というあやふやな理解だった。
満鉄が満州で鉄道を敷設していくにあたって、中国側が主体に動いているという見せかけのために使われたのが張作霖で、一方、張作霖としても日本から軍資金を獲得するために利用していた、と

第二章 「国策」をめぐる相克

満鉄にとって、実は重要人物なのが松岡洋右
松岡の対ソ戦略として、張作霖と提携して鉄道網の敷設が進む。松岡というと、日独伊にソ連も加えて同盟計画を考えていた人では、と思ったら、まさにそこにつながってくる話で、松岡は、革命直後でまだそれほど大国ではないソ連がいつかユーラシアの覇権を握ると考え、その時に日本がソ連と対等な同盟が結べるようにするために、まずは満州を抑える、という考えだったらしい。
中国での鉄道敷設権というのは、もともと外務省が交渉して獲得し、満鉄が敷設するという流れだったのだが、松岡は張作霖を利用して、敷設権交渉を進めていく。
田中義一内閣のときに、社長に任命されたのが山本
三井物産の「商人」で、満鉄の「実務化」を進め、製鉄・油田・肥料といった事業拡大をすすめ、満鉄を発展させる
さて、一方の張作霖。彼は単に日本側に利用されていたわけではなく、彼は彼で中国内の権力闘争をしていて、彼には彼の野心があった。だが、そのあたりを日本側は理解しておらず、日本側が考える張作霖と実際の張作霖との間に齟齬があって、それを短絡的に解決しようとしたのが爆殺事件

第三章 使命の終わりと新たな「国策」

山本の次の総裁が、浜口雄幸内閣による千石貢。山本が政友会の大物だったのに対し、千石も民政党の大物だったのだが、彼は2年で離れ、外務省出身の内田が新総裁となる。そして、内田時代に満州事変が起きる。
今まで、満州というのが、陸軍・外務省・満鉄が三つ巴で、それぞれがそれぞれの思惑で動いていたところがあるのだが、ここで陸軍の一部である関東軍が突出することになるのが満州事変
満鉄首脳部は、当初、関東軍に対して非協力的なのだが、理事の一人である十河が関東軍とつながりがあり、関東軍支持を表明する。
十河は、内田を関東軍幹部と引き合わせ、内田を関東軍支持派に鞍替えさせていく。
一方、社員レベルでは、それ以前から関東軍との結びつきが強かったらしい。松岡時代にソ連研究を始めていた調査課は、その関係で関東軍とのつながりがあった。また、この当時、満鉄では「社員意識」が芽生えていて、政治運動などを行う団体も出てきて、そこから関東軍と結びついていった。
そんなわけで、満州事変において、満鉄は関東軍の移動などのサポートを行い、かなり積極的に働いていたらしい。
そして、満州事変がなり、満州国ができると、満鉄は絶頂期にいたる
というのも、満鉄というのは、中国から鉄道敷設権を外交交渉で獲得し鉄道を敷き、という形で鉄道事業を拡大していたのだが、満州国が成立すると、交渉で敷設権を得るというところが必要なくなるので、一気に鉄道を敷けるようになった、と。
また、満州国内で一番人数の多い組織は満鉄であり、関東軍だけではとても満州国を動かす実務はできなかったので、満鉄社員が満州国に関わっていくことになる。
が、それが満鉄と関東軍との関係の終わりの始まりでもあって、満鉄依存を深めたくない関東軍は、満鉄を改組して、分割する計画を進めていくことになる。これに満鉄社員側は反発するのだが、結局、満鉄はどんどん縮小されていく(岸信介が関わったりしてくる)
この頃、松岡が満鉄に戻ってきて、満鉄の新しい事業として華北進出をやろうとするのだが、これもうまくはいかない。
なお、満鉄としては縮小期になっているこの時期が、実は、一般的にイメージされる満鉄の時代でもあるという。「あじあ号」がこの時期だし、また、満鉄の事業ではないが、満鉄が出資した満映もこの頃。
満州国は、満鉄が縮小するにつれ、次第に革新官僚たちが動かすようになっていく

終 章 国策会社満鉄と戦後日本

  • 戦後の引き揚げ

ソ連が参戦して、敗戦となった後の満鉄
ソ連、ついで中国がやってくる中で、鉄道事業の引継ぎと日本人の引き揚げをやっていったのも満鉄
最後の総裁をやっていた人は、満鉄総裁が基本的には「部外者」が政治的に就任するのに対して、満鉄叩き上げの人だったとか。
あと、GHQによる解散があり、その後引き続き清算が行われ、完全に満鉄は消える。とはいえ、完全に清算が終わるのは1957年。
戦後、満鉄社員の一部は国鉄に行くが、それ以外に行った人たちもいる。政治家になった人などもいる。
で、補償を訴える話もあったのだけど、国側は、あくまでも満鉄を民間企業扱いしていく。満鉄は国家機関ではなかったというのが戦後の「国策」であり、最初から最後まで「国策」に振り回され続けてきたのが満鉄だったと、筆者は綴っている。
あと、十河がその後国鉄総裁になって、新幹線を成功させる話。ここにも、満鉄の技術が新幹線を作ったという「神話」があったりするけど、技術的には全く別物と

エピローグ――現代日本にとっての満鉄

講談社学術文庫のためのあとがき

戦後、元社員やその家族の親睦団体・相互扶助組織として「満鉄会」というものができるが、これについて説明している
一時期は、財団法人となるほど大きくなったが、それもまた関係者が減るにつれて縮小、2016年に解散するまでの経緯が書かれている

*1:実際には、学術文庫だけでなく講談社全体のセールだったのだが

青田麻未『環境を批評する』

筆者の博士論文を元にした環境美学についての本
英米系環境美学をサーベイし、環境を批評するという観点から「鑑賞対象の選択」と「美的判断の規範性」という2つのテーマで整理している。
元々環境美学のいう環境は、自然環境を意味していたが、その後の発展とともに人工環境も含むようになり、本書でも環境の美的鑑賞・批評の実践例として検討されるのは、観光と居住である。
2章と3章がサーベイ
4章と5章が「鑑賞対象の選択」、6章が「美的判断の規範性」を扱っている

第1章 環境としての世界とその批評−英米系環境美学とはなにか
 第1節 美学からの環境へのアプローチ
 第2節 英米系環境美学のスタイル
第2章 知識による美的鑑賞の変容−カールソンの環境美学
 第1節 ネイチャーライティングと環境批評家
 第2節 知識によって支えられる環境批評
 第3節 影を潜める主体−カールソンの達成点と問題点
第3章 諸説の再配置−環境批評理論としての評価
 第1節 認知モデル/非認知モデル、そしてそのボーダーライン
 第2節 環境の批評はできない−ゴドロヴィッチ、キャロル、バッドとフィッシャー
 第3節 環境を批評する−サイトウ、バーリアント、ブレイディ
第4章 フレームをつくる−鑑賞対象の選択と参与の美学
 第1節 バーリアントの参与の美学とその展開可能性
 第2節 ミクロな変化のフレーミング−個別の活動と統括的活動
 第3節 美的鑑賞の始まりはどこか−美的快の源泉としてのフレーミング
第5章 観光と居住−統括的活動とフレーミング
 第1節 行って帰ってくる−観光と居住の円環構造
 第2節 観光という統括的活動−ずれては重なるフレーム
 第3節 居住という統括的活動−時間的厚みのあるフレーム
第6章 環境批評家とはだれか−美的判断の規範性
 第1節 ブレイディによる規範性の再定義
 第2節 コミュニケーションと規範の生成
 第3節 批評家たちの協働−環境の漸進的な把握のために

第1章 環境としての世界とその批評−英米系環境美学とはなにか

「環境」とは、「美学」とは、など本書がどういう話を対象としているのかの序論

第2章 知識による美的鑑賞の変容−カールソンの環境美学

英米系環境美学は、1970年代にカールソンによって始まる
第2章では、カールソンの美学(「認知モデル」と呼ばれる)がどのようなものかまとめている。
ここで指摘されるのは、カールソンが「ネイチャーライティング」と呼ばれるノンフィクション文学に注目している点である。
カールソンは、彼らネイチャーライターを「環境批評家」として位置付けるのだが、ネイチャーライティングへの注目は、カールソンに限った話ではなく、1970年代の北米において環境倫理学など環境に関する関心が高まる中で、再評価されていたという文脈がある、と。
カールソンの美学は、時に極端と考えられることもあるのだが、実際には、ネイチャーライティングの作家たちの活動を理論化しようとしたものと捉えることができる。
カールソンは、環境を美的に鑑賞する際の対象の選択と規範性が、科学的/常識的知識によって得られると考える。
芸術作品を鑑賞する際に、適切な知識を持った批評家による批評が規範性を持つように、環境の鑑賞においても、適切な知識を持った批評家による批評が規範性を持つ、と。
なお、カールソンはもともと自然環境について論じていたが、のちに、人工環境(田園風景や都市)についても論じているが、基本的な考え方は同じ

第3章 諸説の再配置−環境批評理論としての評価

第3章では、カールソン以後の環境美学について
カールソン以後の環境美学は、カールソンに対して批判的な論が起こり、それらは非認知モデルと呼ばれ、認知モデルvs非認知モデルの論争として環境美学は進展した。
ただ、それぞれの論者を分類する際に、どのような観点から分類するかで違いがあり、一言に「非認知モデル」といっても、いろいろあるらしい。
ここでは、環境を批評するという観点から、論者を整理している

  • 環境の批評はできない

→ゴドロヴィッチの「神秘モデル」(非人間中心主義)
→キャロルの「喚起モデル」
→バッドとフィッシャー

  • 環境を批評する

→サイトウの準認知モデル
→バーリアントの「参与の美学」
→ブレイディの「想像力モデル」(ブレイディは、シブリーの知覚的証明論を用いて、美的判断の規範性を論じる)
サイトウは、日常美学でも知られる。カールソンの認知モデルと近しいが、科学的知識だけでなく神話や歴史なども環境の鑑賞に用いられるとするなど、カールソンとの違いもある
バーリアントは、本書では「鑑賞対象の選択」について
ブレイディは、「美的判断の規範性」について論じる上で、特に参考にされる。

第4章 フレームをつくる−鑑賞対象の選択と参与の美学

環境を鑑賞し批評する際には、フレームが作られる必要がある。フレームというのは、どこからどこまでを鑑賞対象とするかということ。
例えば、環境は時間的変化があるが、その全てを直接知覚することはできない。カールソンは、科学的知識があれば、ひとつの石を見て、その石が川の流れの中で形を変えてきたことを鑑賞することができると考えた。これは、科学的知識によってフレーミングが行われているということ
どのようにフレーミングが行われるかを、バーリアントの「参与」という概念から捉える
筆者は、環境の中での活動を「個別の活動」と「統括的活動」とに分類したうえで、環境のミクロな変化のフレーミングのメカニズムを説明する

第5章 観光と居住−統括的活動とフレーミング

第4章の具体例として「観光」と「居住」という二つの統括的活動におけるフレーミングを論じる

第6章 環境批評家とはだれか−美的判断の規範性

環境を批評することが、単に主観的ではなく客観的であることはどのように可能なのか
ブレイディの論を参考にしつつ、最終的に筆者は、ローカルな美的熟達者たちの協働によるコミュニケーションの中に、美的判断の規範性が生まれるモチベーションを見いだす。

『日経サイエンス2021年7月号』

実はどの記事もちゃんと読んでいない。
立ち読みでさらっと眺めただけ。でも、一応メモ

惑星の種 コンドリュール  J. オカラガン

https://www.nikkei-science.com/202107_032.html
コンドリュールというのは、微少な粒子で、コンドリュールで構成されている隕石をコンドライトと呼ぶらしい
どうやって形成されたか謎で、たくさん仮説があるけどまだ分かっていなくて、ある著名なコンドリュール研究者は絶望して研究やめてしまったらしい(こんな研究無意味だー俺はもうやめるーみたいな講演をして関係者に衝撃を与えたらしい)
はやぶさ2が回収してきたサンプルで研究がすすむといいね、みたいな話

特集:ヒトバイローム

あなたの中にいる380兆個のウイルス  D. プライド

最初、バイローム? バイオーム? とあんまりよく分かっていなかったのだが、バイオーム(ウイルス叢)とあって、ああ、そうか、Viromeなのか、と気付いた。
バイオームというか正確にはマイクロバイオームmicrobiomeは、細菌叢

ウイルスの“化石”ががんを抑える  古田 彩 協力:伊東潤平/佐藤 佳

レトロウイルスがエンハンサーになっている話

忘れられたパンデミック スペイン風邪集合的記憶  S. ハーシュバーガー

スペイン風邪ってCovid2019の流行で注目を集めたけど、それまで忘れ去られていた、とまでは言わないまでも、その被害の大きさに比して扱いが小さかったよね、という話
当時、第一次大戦も起きていて、第一次大戦は「こうなって、ああなった」という物語化ができたけど、スペイン風邪は、当時まだウイルスで感染するということも分かっていなかったので、物語化ができず、風化したのではないかとか。あと、写真などの記録が少ないのもネックだったのではとか。

タイタンの深い海

www.nikkei-science.com

『パワードスーツSF傑作選 この地獄の片隅に』(ジョン・ジョゼフ・アダムズ編、中原尚哉訳)

パワードスーツをテーマにした書き下ろしSFアンソロジー
やはり宇宙や戦場を舞台にした作品が多いが、開拓時代のオーストラリアやスペイン内戦を舞台にした歴史改変系SFがあったり、ラブロマンスサスペンスものがあったりと、多様性があってちょっと驚く。
スーツ自体にAIが搭載されていて、それが人間から自律していることによって生じる物語を描いている作品が比較的多かった印象。
なお、原書は23編らしいが、日本語訳版は12編がセレクトされている。
また、日本語ではパワードスーツSFとなっているが、原書タイトルはArmoredであり、収録作品でもパワードスーツという呼び方をしてる作品はなく、作品によってアーマー、メカ、メカスーツ、エグゾ、ハードスーツなどと様々な呼び方がされている(アーマーが多い)
レナルズ「外傷ポッド」ヴォーン「ドン・キホーテレヴァイン「ケリー盗賊団の最期」キャンベル「この地獄の片隅に」マクデヴィット「猫のパジャマ」あたりが面白かった


ジャック・キャンベル「この地獄の片隅に」Hel’s Half-Acre

ニッヘルハイム星の前線で戦うアーマー小隊
そこに将軍が現地視察に訪れ指揮を下す
人間だと思っていた将軍が実は、という話

ジュヌヴィエーヴ・ヴァレンタイン「深海採集船コッペリア号」The Last Run of the Coppelia

異星の海で藻類の採集を生業としているコッペリア号クルー
それぞれ愛用のメカを着て海に潜っている。
ジャコバはある日、海の中でデータドライブを拾う。そこには、軍の刺青を入れた者たちが民間船を襲撃している映像が残されていた。

カリン・ロワチー「ノマドNomad

ギャングの話
ラジカルと言われるメカと人間が融合している。メカの方にも人格があり、メカの方が主人公
抗争で、自分のパートナーである人間が死んでしまったメカのマッドは、新しい融合を望まず、ノマド(人間と融合しないメカ)となり、ファミリーからも離れることを決める。
しかし、マッドとの融合を望む新入りが、マッドについてきて、マッドのパートナーであるトミーの死の真実を告げる

デヴィッド・バー・カートリー「アーマーの恋の物語」Power Armor: A Love Story

パワードアーマーを決して脱がない天才発明家が、パーティに訪れた女性に恋をする
実は、発明家も女性も未来人で、未来の専制社会から逃げてきた発明家と、それを追ってきた暗殺者

デイヴィッド・D・レヴァイン「ケリー盗賊団の最期」The Last Days of the Kelly Gang

開拓時代のオーストラリアを舞台にしたスチームパンク的な作品
隠遁している老発明家の元に、盗賊団がやってきて、甲冑を作るよう脅してくる。
発明家は、工学的関心から、蒸気機関で動かす甲冑を作り上げてしまう。

アレステア・レナルズ「外傷ポッド」Trauma Pod

戦場で負傷した兵士が目覚めると、医療用ポッドの中だった。遠隔の基地にいる女医からの通信が入り、ポッド内で遠隔手術が行われることになる。
最初、どこがパワードスーツなのかよく分からないのだけど、このポッドを運んできた医療ユニットが二足歩行ロボットで、戦場から離脱するため、再びポッドをロボットの腹部へと収める。で、兵士自身がこのユニットの操縦者となる。
人とスーツがすり替わってしまうような話で、その点で「この地獄の片隅に」に似ているが、一人称で展開されているこちらの作品の方がより面白い。
っていうか、なんかこうレナルズみある作品

ウェンディ・N・ワグナー&ジャック・ワグナー「密猟者」The Poacher

環境保護区となっている未来の地球
レンジャーとなった主人公は、月出身なので、アーマーを装着している

キャリー・ヴォーン「ドン・キホーテ」Don Quixote

スペイン内戦が終わった直後のスペイン
そろそろ国へ帰ろうとしていたジャーナリスト2人組が、いまだにフランコ軍と戦い続けている者に出会う
そこには、戦車を改良して作られた、一人で操縦可能な半人形戦闘兵器の姿が。
「ケリー盗賊団の最期」と同様、パワードスーツなど全くない時代に、パワードスーツ的な兵器を開発してしまう話。どちらも、他に並び立つもののない強さで圧倒する。もしこれが量産されたら今後の戦争は一変してしまう、というところまでは同じ。
その後の主人公のとる行動が違う。本作の方が、人間に対してより悲観的だが、個人的にはこちらの方が好き

サイモン・R・グリーン「天国と地獄の星」Find Heaven and Hell in the Smallest Things

植物が支配する惑星をテラフォーミングするために送り込まれた部隊。植物たちは恐るべき力で襲いかかってくる。
しかし、異星の凶悪植物より、主人公の属してる社会の方が怖い。主人公は事故で身体を欠損し、そのかわり、ハードスーツに入れられることで一命を得た。だが、その高額な治療費と引き換えに兵士とされてしまう。ほとんど強制兵役、しかも、ハードスーツ着用じゃないといけないような場所に連れて行かれる。
ただ、主人公の暗い一人称と裏腹、他の登場人物はなんというかわりと軽い感じがする
最終的に、タイトルから何となく予想がつくが、この惑星に取り込まれていく(?)という話で、どっちかという異星生命SFという趣の方が強いかも

クリスティ・ヤント「所有権の移転」Transfer of Ownership

エグゾ(外骨格)の一人称で、着用者を殺され、殺人者が所有権を奪おうとするがうまくいかない話
所有権はエグゾに移行する

ショーン・ウィリアムズ「N体問題」The N-Body Solution

超古代宇宙文明が残したループというワープネットワーク
その一方通行の終着点、ハーベスター星に辿り着いてしまった主人公は、そこでメカスーツを着たまま決して脱がない執行官と出会う
ハーベスター星には、地球人類以外の種族もたくさん来ていて、彼らも登場するが、主要な登場人物は地球人のみ
主人公もただの人間というわけではなく、クローンみたいな存在
執行官の謎とループの謎を巡って話が進んでいく作品で、スーツも重要なアイテムではあるが話の中心ではないような

ジャック・マクデヴィット「猫のパジャマ」The Cat’s Pajamas

宇宙SFかつ猫SF
唯一、戦闘等と無縁の作品かも。宇宙服の延長としてのスーツが出てくる。
クエーサーの観測ステーションへやってきた支援船は、しかし、ステーションが何かと衝突して破損してしまっている。唯一の生き残りは猫
猫をどうやって助けるかという話である種地味だが、比較的リアル感のある宇宙SF
この前NetflixでやってたSFショートアニメみたいな感じで映像化できそう

『SFマガジン』2021年6月号

異常論文特集
SF短編集とかに時々入ってる論文風とかレポート風の作品が好きなので、この特集は当然買いだった
そういう感じの作品としては、柞刈湯葉の裏アカシックと、柴田勝家の宗教性原虫がそれっぽさ(?)があって面白かったが、一方、最後に並ぶ3編が小説として特に面白く、また、倉数の樋口一葉の奴と、鈴木+山本の無断と土は、テーマが似ている点も面白かった

SFマガジン 2021年 06 月号 異常論文特集

SFマガジン 2021年 06 月号 異常論文特集

  • 発売日: 2021/04/24
  • メディア: 雑誌

「INTERNET2」木澤佐登志

歴史上の人物の経験と一体化してるような話

「裏アカシック・レコード」柞刈湯葉

全ての嘘が記述されている裏アカシック・レコード
検索装置に任意の文を入力すると、裏アカシック・レコードに入ってるかどうかを判定してくれるが、それなりに時間がかかる
また、裏アカシック・レコードに収録されている文はナンバリングされており、逆引き検索もできる

「インディアン・ロープ・トリックとヴァジュラナーガ」陸秋槎

おそらく一番短い作品ながら、密度は濃い、(と監修者コメントとほぼ同じコメントになってしまうが)
インディアン・ロープ・トリックという、縄が直立してそこを上るというマジックについて、古今の文献を参照しながら、ヴァジュラナーガという蛇がその縄の正体だったのではないか、と論ずる

「オルガンのこと」青山新

作者は、Rhetoricaの人らしい
微生物を介して都市と腸がつながら、「ぼく」はアセファルの「彼女」と会話する
論文形式ではなく、「ぼく」という一人称による語りの小説

「『多元宇宙的絶滅主義』と絶滅の遅延――静寂機械・遺伝子地雷・多元宇宙モビリティ」難波優輝

作品内容云々の前に、このメンツの中にナンバさんがしれっと混じってるという、その行動力(?)に驚く

「火星環境下における宗教性原虫の適応と分布」柴田勝家

宗教は宗教性原虫の寄生によるもの、という世界の論文
なお、ここでは無神論の宗教性原虫もいる
人類やら概念や言葉を宿主としている。
で、地球や月における宗教性原虫の話をしてから、タイトル通り火星の話もしているが、どうも火星では、人類ではなくロボットに寄生しているっぽい。

「SF作家の倒し方」小川哲

いや、倒し方(物理)なのかよ、と笑った

「ザムザの羽」大滝瓶太

ルフレッド・ザムザによる、小説世界へ拡張された不完全性定理についての論文が、ザムザ自身による自伝になっていく。
なお、ザムザの羽というのは、ナボコフが『変身』について、グレゴール・ザムザは甲虫であると断定し、しかし、ザムザ自身はそのことに気付かずその羽で飛んでいくことができなかったと論じたことに由来している

樋口一葉の多声的エクリチュール――その方法と起源」倉数茂

樋口一葉の多声的な文体、つまり一つの文章の中に、複数人物の言葉が入り込んでくる文章について
言文一致体になると、発せられる言葉は鉤括弧に括られるなど、そのような複数の語りはなくなってしまう。
樋口一葉の生い立ちから論じ、近代文学的な文体とも、近世文学的な文体とも異なる、生霊の飛び交うような空間を作っていると論じている。と、結構文学研究っぽい論文のように進み、とある、オカルト的人物との交流が影響を与えていたのではないかと論じる。。
で、この論文の冒頭と末尾は、この論文の著者(語り手)が友人Kについて語っている。近代と前近代の混淆みたいなことが、語り手とKの共通の関心だった。ある日、語り手はKの生霊に出会い、Kの家へと行くとKが亡くなっていた。樋口一葉と離魂術・生霊との話と呼応するようなエピソードで終わる

「無断と土」鈴木一平+山本浩貴(いぬのせなか座)

関係ないけど、最初、作者の名前見て、山本貴光さんと勘違いしていた……。
とあるVRホラーゲームについての研究発表という体で書かれており、前半は、そのVRホラーゲームがどのような経緯で広まっていったかが書かれており、ネット文化論的な雰囲気なのだが、そのホラーゲームの題材となったのが、近代の詩人で、心霊・怪談研究や天皇制の話などと絡めながら論じられていく。
奇しくも、倉数作品とテーマが似ていてることもあり、連続で読むととても面白かった

「修正なし」サラ・ゲイリー/鳴庭真人訳

特集外の作品だが、特集にちなんで論文形式の作品
自動運転に関する研究論文だが、それに、編集者と論文の筆者のコメントがつけられいるという体裁。編集者がつけた修正を求めるコメントに筆者が「修正なし」と繰り返しリプライしている
読み進めるうちに、筆者が子どもを自動運転車の交通事故(筆者はこれを殺人と書く)で亡くしており、自動運転への批判的なトーンが展開されているのだが、編集者が主観的すぎるのでは、とコメントしている。
もちろん編集者が正しいのかどうかは分からない

「ラトナバール島の人肉食をおこなう女性たちに関する文献解題からの十の抜粋」ニベディタ・セン/大谷真弓訳

同じく特集外だが、論文形式の作品
百合と食人?


この2つの作品は、特集掲載作品の作家陣が、比較的若い日本人男性作家ばかりになっていることに対して、いくらかの多様性をもたらしてはいるのだが、なんかその点はちょっとモニョるところがある

「殲滅の代償」デイヴィッド・ドレイク/酒井昭伸

戦車ミリタリーSF
傭兵部隊が、とある惑星の内戦で雇われる。
信仰の対象ともなっている超古代星間文明の遺跡を破壊する話(雑なまとめだが)
訳者解説によると、ベトナム戦争従軍歴のある作者の実話が元になっているそう。

「さようなら、世界 〈外部〉への遁走論」第3回 木澤佐登志

ロシア宇宙主義と現代のトランスヒューマニズムの関係について
遺体を冷凍保存する会社、ほとんどはアメリカにあるが、アメリカ以外だとロシアに1社あるらしい
あと、ロシアのNeuroNetプロジェクトなど


ロシア宇宙主義、なんとなく面白そうだなーと思うのだが、どういう距離感でどう面白がればいいのかまだつかみあぐねている

「SFの射程距離 最終回 坂村健

読んだ

短編SF映画『オービタル・クリスマス』誌上公開

これに限らず、映画やアニメなどの紹介記事も今月号も色々あり、気になる作品
『オービタル・クリスマス』は吹替声優が、藤原啓治とかで、ちょっと驚いた。あと、ナナシスの川崎芽衣子さんとか。

冲方丁『マルドゥック・アノニマス6』

ウフコックがアノニマスからウフコック・ペンティーノへと帰る道を歩み出す
4巻から続いた、2つの時間に分かれて進む展開が、ここにきてようやく合流
再会と再出発としての別れを同時に描くために、ここまでこんな展開をしてきたのか、と思った

冲方丁『マルドゥック・アノニマス1』 - logical cypher scape2
冲方丁『マルドゥック・アノニマス2』 - logical cypher scape2
冲方丁『マルドゥック・アノニマス3』 - logical cypher scape2
冲方丁『マルドゥック・アノニマス4』 - logical cypher scape2
冲方丁『マルドゥック・アノニマス5』 - logical cypher scape2



バロットとハンターが再びあいまみえる
バロットはウフコックの居場所とウフコックの合法的拘禁を解くための証人を探るため、ハンターはバロットが何故ハンターをシザーズだと言ったのかを知るため、フラワー法律事務所を舞台に交渉の場を設ける。
ビルのロビーに、それぞれの陣営の主要メンバーが一堂に会し、一触即発になりながらも、またそれぞれの配置へと散っていくシーンはまるで何かのドラマのよう


バロットは、間違いなく金星をあげるが、ハンターもまた得たものがある。
それぞれ得た手がかりを元に動き出す。
バロットたちはウフコック解放のための準備を整え、楽園の協力も得ることになる。
また、その過程で、ライムのバックグラウンドが少しずつ明らかになってくる。
一方、ハンターは、シザーズである市長らが自分に介入してきたことを知り、シザーズから離脱する。そして、円卓のキングであるノーマに改めて会う。
ハンターは、シザーズを倒すべく眠りに落ち、バジルが代理の立場に立つ。
そうして、バロットたちのウフコック救出作戦が始まり、4巻に繋がっていく。
一方、4巻から始まっていた救出作戦も終わりを迎え、敵が撤退していくが、ウフコックは再び潜入するという。
狼狽するバロットだが、それがウフコックの「帰る道」ならば、と送り出す。
ウフコックは、アノニマスではなくウフコック・ペンティーノとして、再度潜入する。
第2部完


相変わらず、この人どういう人だったっけ、となるので、またシリーズ読み返さないとなーと思いつつもとりあえず6巻だけ読んだ
考えてみると、スクランブルもヴェロシティも全3巻なのに、アノニマスはまだ続くんだな。アノニマスの方が一冊あたりのページ数が少ない気はするが、それでも
まだこの物語を見ていたいので、まだ続いてくれて全然構わないんだけど。