伊藤邦武・山内志朗・中島隆博・納富信留編著『世界哲学史8』

今年1月から刊行の始まった「世界哲学史」シリーズ。いよいよ完結の第8巻(と思いきや、12月
に別巻が出るらしいが)
8巻は「現代 グローバル時代の知」

伊藤邦武・山内志朗・中島隆博・納富信留編著『世界哲学史1』 - logical cypher scape2
伊藤邦武・山内志朗・中島隆博・納富信留編著『世界哲学史2』 - logical cypher scape2
伊藤邦武・山内志朗・中島隆博・納富信留編著『世界哲学史3』 - logical cypher scape2
伊藤邦武・山内志朗・中島隆博・納富信留編著『世界哲学史4』 - logical cypher scape2
伊藤邦武・山内志朗・中島隆博・納富信留編著『世界哲学史5』 - logical cypher scape2
伊藤邦武・山内志朗・中島隆博・納富信留編著『世界哲学史6』 - logical cypher scape2
伊藤邦武・山内志朗・中島隆博・納富信留編著『世界哲学史7』 - logical cypher scape2

現代、主に20世紀の哲学を扱う。
前の巻では、10章中8章が欧米であったが、今度は半分以上が非欧米圏となる。8巻のタイトルは「グローバル時代の知」であり、より「世界」感(?)を出しているのかもしれない。
この巻のテーマとして他のフレーズを何かつけるなら「二元論・二項対立を超えて」とでもなるかもしれない。そういう感じの章が多かった印象。


第1章にわりと不満があり、5、6章が難解でちょっとよく分からなかったというのがあり、シリーズ全巻の中ではちょっと微妙なとこがあるかな、というのが正直なところだが、後半は結構面白かった。
面白い、というのは、現代中国とかアフリカとかの全然知らなかった哲学事情を知れたのが面白かったという意味ではあるが。

第1章 分析哲学の興亡 一ノ瀬正樹
第2章 ヨーロッパの自意識と不安 檜垣立哉
第3章 ポストモダン、あるいはポスト構造主義の論理と倫理 千葉雅也
第4章 フェミニズムの思想と「女」をめぐる政治 清水晶子
コラム1 世界宗教者会議 冲永宜司
第5章 哲学と批評 安藤礼二
第6章 現代イスラーム哲学 中田考
コラム2 現代資本主義 大黒弘慈
第7章 中国の現代哲学 王前
コラム3 AIのインパクト 久木田水生
第8章 日本哲学の連続性 上原麻有子
第9章 アジアの中の日本 朝倉友海
第10章 現代のアフリカ哲学 河野哲也
コラム4 ラテン・アメリカにおける哲学
終章 世界哲学史の展望 伊藤邦武

第1章 分析哲学の興亡 一ノ瀬正樹

事実と価値・規範の二分法が、分析哲学の歴史の中でどう変化していったのか、という観点から論じられている。
クワインの「経験主義の2つのドグマ」やオースティンの言語行為論によって、上述のような二分法は弱められていった・解体された(が、それでも残り続けている)というストーリーで、そのことにより、「もともとの分析哲学」は「終息・滅亡」したと論じている。


しかし、分析哲学って今やかなり曖昧な、はっきりとした定義の難しい概念だと思っていて、ある考え方が退潮したことで、終われるものでもない気がする。
例えば哲学の場合、「ヘーゲルで哲学は終わった」とか「ニーチェで哲学は終わった」とか、ある意味では言えるかもしれないけど、素朴な意味では、それ以降も哲学は続いているよね、と。
分析哲学もまあ同様で。論理実証主義的な考え方自体は衰えたかもしれないけど、そのことをもってして分析哲学の滅亡とは言えないのではないかと。
哲学、と一言で言ってもその中には無数の、時には相反する主義主張、方法が入り混じっていて、分析哲学も同様だと思う。
ポスト分析哲学あるいは新分析哲学としての「徳認識論」、という言い方も出てくるのだけど、徳認識論も、分析哲学の中にある様々な論の中の一つであって、別に分析哲学に取って代わるものでは決してないと思う。

twitter.com
なお、この章については、笠木さんが上のツイートに続く形で問題点を指摘する。長くなるので詳しくはリンク先を見てほしいが、ブラックバーンの見解として紹介されている部分が、実際はブラックバーンが批判してる側の見解であるなど、事実誤認もいくつかある模様。


個人的には、分析哲学の章としては、以下のようなものを読んでみたかった。
本書には、久木田水生によるAIについてのコラムがあるが、ならばいっそのこと(?)、今PLANETSで小山虎が連載しているような、初期の計算機科学と分析哲学の関係についてはどうか。
【新連載】小山虎 知られざるコンピューターの思想史──オーストリア哲学と分析哲学から 第1回 フォン・ノイマン、ゲーデル、タルスキと一枚の写真 | PLANETS/第二次惑星開発委員会
でもって、章の後半で、応用倫理学とAIについて触れるとか。
あるいは、世界哲学史シリーズの目論見として、西洋中心主義の相対化があるなら、実験哲学に触れるのもありだったのではないか。それだけだと哲学史にならないが、初期分析哲学史と絡めて、「概念分析」や「直観」などのメタ哲学的な概念史として構成するとか。
そんな章が可能だったかどうかはともかく……。

第2章 ヨーロッパの自意識と不安 檜垣立哉

ヨーロッパの危機の時代としての20世紀
大衆というテーマでオルテガベンヤミン
技術というテーマでフッサールハイデガー
それぞれ紹介している。

第3章 ポストモダン、あるいはポスト構造主義の論理と倫理 千葉雅也

ポスト構造主義の特徴をダブルバインド思考とした上で、デリダドゥルーズフーコーレヴィナスを、ダブルバインド思考という観点から整理する
(途中で、同一性ではなく差異に注目した先駆者として、ニーチェフロイトマルクスへの言及もある)
さらに、その後の展開として、メイヤスー、ラリュエル、マラブーが紹介されている。
最後に、東の動物論、ラリュエルの「普通の人」論が紹介され、それがダス=マンであることを頽落ではなく平時のあり方として肯定する、「世俗性」の肯定と捉える。
また、そのような世俗性の肯定は、体制を追認するだけであり、結集して抵抗すべしという反論に対して、これは、あらゆる結集に抗して個を徹底することで、逆説的に、異質さを認め合う共につながることを信じる思想なのだと締められている。


ところで、ポストモダン相対主義であるという批判に対して、ポストモダンが目指すのは、「落とし所」を探すことであり、「準安定的」な社会状態を再構成することなのだ、と論じられている。
この部分だけ読むと、ほとんどプラグマティクスの主張と見分けがつかないなあという感想を抱いた。プラグマティクスにおける科学や民主主義の捉え方に近い。
穏当な相対主義とでもいうべき立場で、分析哲学でもこういう立場は結構多いのではないかと思う。
で、穏当な相対主義って、近代の科学や民主主義の考え方の延長線上に普通にあるものでもある。
ポストモダンが批判されがちなのは、穏当な相対主義を越えて、過激な相対主義に陥っているように見えるからだと思う。
ここで、仮想敵を、(あえていうなら)絶対主義的なものとして論じていてるけれど、そしてそういう主張もまあ確かにしばしば見受けられるものだとは思うけど、実際のとこどうなのか。
言う通り、ポストモダンが穏当な相対主義だとして、そうだとすると、近代主義とそれほど変わりはなくなってくるのではないかという気もする。


ポストモダンポスト構造主義、いわば思弁として面白いなあとは思うのだけど、具体的にはそれってどうなるのか、というのがあんまり分からない、というのがやはり気になる。

第4章 フェミニズムの思想と「女」をめぐる政治 清水晶子

冒頭で、何故「ジェンダー」という概念は嫌われるのかという問いを置いた上で、フェミニズム史を論じる。
アンチ・ジェンダー言説は、日本では2000年代にいわゆる「バックラッシュ」言説としてあらわらたが、日本国外ではむしろ2010年代に広まりを見せているという。


19世紀の女性参政権運動から、ボーヴォワール、イリガライ、第二波フェミニズム、ブラック・フェミニズム、モハンティ、スピヴァク、ウィティッグ、そしてバトラーまで。
「女性とは誰のことか」を巡っての議論の過程ともいえる。
まず、女性は男性と違う役割がある、ということが生物学的な差異から正当化されてきた言説に対して、ボーヴォワールがセックスとジェンダーを区別することで、「女性とは○○だ」と一方的に規定されることを拒むのが、まずはフェミニズムの始まりだろう。
しかし、では女性とは一体何なのか。イリガライは、この社会では男性の鏡として(つまり男性との比較において)女性というのがカテゴライズされてきたと批判する。
男性との比較ではない形で、女性とは誰かを考えることが求められたが、これは、本質主義へと接近する流れでもあった。
このあたりは、ラディカル・フェミニズムにも通底するらしい。
女性として団結するためには、女性なら誰でももっている本質が必要になるのではないか、という考えは、しかし、第三世界性的少数者からの批判にあう。
女性の中にも差異がある。
こうした流れで、ウィティッグは「レズビアンは女性ではない」、バトラーは「セックスもまたジェンダーである」と述べるにいたる。


「女性とは○○だ」という規定は拒むが、女性というカテゴリーはなくさない。女性の中にある差異を認め、女性というカテゴリーに属する者を拡張しつつ、女性として団結する
ジェンダーというのは、規定することのできないカテゴリーなので、嫌われるのだろう、と。


改めて、コンパクトにフェミニズムの歴史がまとめられていて、勉強になった。ウィティッグ知らなかったので、そのあたり特に。

コラム1 世界宗教者会議 冲永宜司

前巻のインドの章で、名前は出てきたがあまり解説のなかった世界宗教者会議。
巻を跨いでの伏線回収(?)
1893年、シカゴで開催され、ヴィヴェカーナンダや、日本の釈宗演が演説。仏教の因果の話から科学的合理性と宗教的信念が矛盾しないことを解いた釈演説は、アメリカのプロテスタントに共感され、それがもとで、鈴木大拙の渡米に繋がったとか。
ところで、世界宗教者会議、次に開かれたのは1993年らしい。その後は数年に一回のペースで、一番近くでは2018年にも開かれている。

第5章 哲学と批評 安藤礼二

井筒俊彦


批評とは何か、について、ボードレールマラルメランボー詩学から始める。この詩学ベルクソンプルーストにも影響を与えているとした上で、小林秀雄ランボーの翻訳から始め、ベルクソン論を書いたのは偶然ではなく、最後に本居宣長論を書いたのは何故か、と繋げる
で、批評とは聖なるテクストの解釈学であるとした上で、『古事記』を解釈した本居宣長を批評家と位置付ける。
歴史の「始まり」に「憑依」を見る批評の系譜として、本居宣長平田篤胤折口信夫を置き、さらにそれを受け継ぐものとして井筒俊彦がいるという。


とここまでがおよそ章の3分の1ほど使って書かれた序論で、残りは井筒俊彦論なのだが、そちらはよく分からなかったので省略

第6章 現代イスラーム哲学 中田考

まず、「現代イスラーム哲学」なるものは、翻訳を経た日本文化なのであって、実際に現地で行われているイスラームの哲学を理解するのはできないのだ、という注意がなされている。
その上で、
ハディースの徒とワッハーブ派について
復古主義・伝統主義・近代主義について
西洋思想とイスラームの融合の試みについて
などが解説されている。

コラム2 現代資本主義 大黒弘慈

第7章 中国の現代哲学 王前

清末に西洋哲学の輸入が始まり、1930〜40年代の中華民国時代に中国の現代哲学は発展を見せる
が、1949年、人民共和国の成立以降、自由な哲学の発展は停滞、80年代に入り改革開放とともに再び西洋の哲学が入ってくるようになる。


清末
厳復が多くの啓蒙思想を翻訳。特にハクスリーの翻訳により「適者生存」が魯迅胡適に影響を与える


中華民国時代
日本に留学しベルクソン現象学を研究した張東蓀
デューイのもとで学んだ胡適
分析哲学(ラッセルやウィトゲンシュタイン)と道教から独自の認識論やオントロジーを展開した金学霖
儒学の開祖とされる熊十力など


1980年代
ハイデガーに師事した熊偉、シュリックに師事した洪謙など、中華民国時代に台頭した哲学者がまだかろうじて生きており、後進を輩出
カッシーラーサルトルカミュハイデガーニーチェフロイト、フロムなどが人気を集めたらしい。デリダフーコーなども入ってきたが、注目を集めたのは近代についての思想。
マルキシズムとカント研究の李沢厚が、この時期の代表的な哲学者で、面白いことに、主体性を擁護するために美学を推進しており、当時の中国で美学ブームが起きたらしい
また、9章で再度出てくるが、ラッセルの論理学を学び、カントと儒学について研究した牟宗三も(本土ではなく香港・台湾で活動)


1990年代以降
現象学の翻訳が進み、フッサールハイデガーの研究が盛んに
分析哲学も改めて広まる
リクール、ハーバーマスデリダ、ローティが訪中。特にハーバーマスデリダは旋風を巻き起こした
なお、100年前にラッセルもデューイが訪中しているらしい


近年は、政治哲学が盛ん
90年代には、欧米における政治哲学の各潮流はおよそ紹介されており、まずはリベラリズムが力を持ったそうだが、中国の経済発展とともに、カール・シュミットレオ・シュトラウスが注目されているらしい。

コラム3 AIのインパクト 久木田水生

第8章 日本哲学の連続性 上原麻有子

西周井上哲次郎西田幾多郎を日本型観念論の系譜と位置づけ、彼らの思想の連続性を論じる。
西周実証主義であって、観念論者ではないが、彼の「理外の理」という主張の中に観念論の萌芽を見いだす。
「自己否定を含む自己矛盾的に展開する連続性」を日本哲学の特徴として論じている。

第9章 アジアの中の日本 朝倉友海

日中比較哲学といった趣きの章
7章と8章を受けてのこの章という位置付け。章タイトルだけ見ると、中国・日本・日本という感じで、日本二連続? となるが、実際は、中国・日本とそれぞれ個別に見てからの日中比較という順になっている。


儒学と仏教について
キリスト教道徳に代わるものとして、儒学は注目されたけど、のちに封建的なものとされ、現在では生きた思想にはなってない
むしろ、仏教の方が肯定的に評価されているし、西洋哲学と共振するものとされている。
日本では、井上円了井上哲次郎のW井上が仏教哲学を積極的に展開し、のちに西田に受け継がれる。
中国では、熊十力が、新儒学という名前と裏腹に仏教と西洋哲学を結びつけた。
より具体的には、東アジアの代表的な哲学者とされる西田幾多郎と牟宗三が比較される。
仏教を背景としつつ仏教への批判的観点も持ち、また、論理学を重視したという点で両者は似ているという。
また、面白いなと思ったのは、東アジアにおいて、大陸系/分析系という分断はあまり有効ではないという点。
例えば、大森荘蔵が高く評価していたのが廣松渉だった件。
西田をはじめとする京都学派はハイデガーに影響を受けた大陸系、牟は元々ラッセルの研究からスタートしており新儒学には分析哲学との関係がある。が、既に見てきた通り、西田と牟は類似点が多い。筆者は、論理学を重視した西田がもし戦後も生きていたら、分析哲学に「転向」していた可能性もあるのではないかと述べ、また、牟はこの分断に対して冷ややかだったともいう。

第10章 現代のアフリカ哲学 河野哲也

アフリカには哲学があるのか
歴史的にいうと、古代においてはエジプトやチュニジアなど地中海文化圏にアウグスティヌスなどの哲学者がいたし、近世においても哲学者は輩出されており、19世紀以降は汎アフリカ主義の政治思想家が数多くいる。
その点、アフリカにも当然哲学はあるのである。


この章ではタイトルにある通り、現代のアフリカ哲学が概観されている。
まずは、エスノフィロソフィーが取り上げられ、次いで、フランス語圏、英語圏南アフリカのそれぞれの地域別に具体的な哲学者が紹介されている。


エスノフィロソフィーは、ベルギーの宣教師タンペルによって始められた。アフリカ文化における西洋とは異なる思考、哲学的概念を明らかにする試みである。
しかし、エスノフィロソフィーは哲学ではないという批判もある。エスノフィロソフィーは、文化人類学的研究で当事者たちがどう考えているかの記述であって、そうした思考に対する自己批判的な面を持たないからである。また、多様な文化をアフリカとして一般化しすぎる傾向などもあるという。
現代のアフリカ哲学は、このエスノフィロソフィーの他、政治哲学、賢人の哲学、講壇哲学の4つの潮流があるという。講壇哲学は総じてエスノフィロソフィーに批判的。


フランス語圏
1930年代、マルチニークのセゼールやセネガルのサンゴール、モザンビークのクラヴェイリーニャによるネグリチュード運動
しかし、後の世代、例えばファノンなどは、エスノフィロソフィーやネグリチュードを、植民地主義の内面化であると批判した。
ほかに、バシュラールやキュリーのもとで科学を学び、古代エジプトは黒人文明であるとしてアフロ・セントリズムを唱えたジョップなどがいる。


英語圏
英語圏はフランス語圏に比べて遅く、1960年代後半から活発化する。
分析哲学や科学哲学、倫理学現象学など多彩な哲学者がいる
ガーナのエイブラハムは、汎アフリカ主義を訴えガーナ独立運動を指揮。
同じくガーナのウィルドゥは、エスノフィロソフィーの批判者で、ライルとストローソンに学び、アフリカ現地語の概念を分析し、西洋の諸概念を相対化する。
倫理学では、共同体中心主義を批判するジェチェや、ヨルバの伝統哲学を研究するバデゲシン
ケニアのオルカは、人種的神話化や「見た目」の批判的分析を行い、また「賢人性の哲学」を展開
解釈学では、ナイジェリアのオケレ、コンゴ出身でガダマーの弟子のオコロなどがいる。
シリキバハンは、ウィルドゥなどが安易に西洋的な方法論をアフリカ哲学に持ち込んでいるという批判をしている。


南アフリカ
アパルトヘイト以前・アパルトヘイト下では、分離政策を正当化するために哲学が利用された。
アパルトヘイト後、アフリカ主義が標榜され、その動きの一つとしてウブントゥ倫理が展開されている(ウブントゥというとOSの名前という認識しかなかったが、wikipedia見て、ウブントゥの創始者南アフリカの人であることを知った)


twitter.com
個人的にアフリカ哲学の章はよかったと思っているが、twitter見てたらこういう指摘を見つけたので貼っておく
まあ、これは重版かかれば訂正されていく類のものだと思う。
他の巻で、誤変換がそのまま残ってる箇所があったりして、スケジュールとか大変なのかな、と思ったりはしている。

コラム4 ラテン・アメリカにおける哲学

コラムなのでページ数が短く具体的な哲学者名などは出てこないのだが、「あ、なるほど」という感じで面白かった。
東アジア、アフリカときて、ラテン・アメリカという本書後半の構成はなかなか良かった。


ラテン・アメリカは、19世紀に近代国民国家が成立し、西洋の哲学を受容し続けてきた、という点で、日本と状況が似ており、その展開がそっくりだという。
19世紀の実証主義と新カント派、20前半に現象学実存主義、そしてマルクス主義が広まり、20世紀後半に分析哲学が台頭し、大陸哲学から反発を受ける……という展開

終章 世界哲学史の展望 伊藤邦武

D.Lopes "The 'Air' of Pictures"

絵画の表現について
分析美学では、表現というのは、作品が何らかの感情を表現していることを指し、特に音楽における表現が論じられている。
絵画については触れられることが少ない
この論文は、ロペスの絵画(画像)論についての本の第2章である。


「この曲は、悲しげな旋律をしている」「この絵は憂いを帯びている」などと言われることがある。一方、悲しみや憂いなど感情は、人間が持つものであって、人工物が持つものではない(ピアノや絵の具は悲しんだり憂いたりしない)。*1
曲や絵画など芸術作品もやはり人工物の一種なので感情を持つことはない。
だとしたら、曲が悲しげだったり、絵が憂いを帯びていたりするというのは一体どういうことか。
これが、分析美学において扱われている表現の問題である。
本論もこれに応答すべく、色々な説が検討されていき、最後に、輪郭説という立場が擁護される。


なお、この記事は途中で力尽きました。

Sight and Sensibility: Evaluating Pictures

Sight and Sensibility: Evaluating Pictures

Conceptions and Cases

  • Expression theory
  • Modes of pictorial expression

The Missing Person Problem
If Zombies cannot Smile

  • Personalism: creator as expresser
  • Hypothetical personalism
  • Arousalism

If Dogs can Smile

  • Expression and ressemblance
  • Natural expression
  • Mechanism of expression

Pictorial Expression

  • Figure expression
  • Scene and design expression
  • Seeing expressions

Arousal and Evalution


まず、表現を3つに分類する
人物表現figure expression:描かれている人物に帰属する表現
情景表現scene expression:描かれている情景に帰属し、人には帰属しない表現
デザイン表現design expression:人や情景ではなくデザインに帰属する表現
例えば「この絵は、怒りを表現している人物を描くことで怒りを表現している」というなら人物表現、「穏やかな海を描くことで柔和さを表現している」というなら情景表現、抽象表現主義のような絵の場合、デザイン表現となる


例えば、人が顔をしかめるなどして怒りの表現をしている時、その怒りはその人に帰属するし、その怒りの表現は怒りという感情の一部。
では、絵で表現される怒りは?
人物表現の場合、描かれている人物に帰属すると考えればよいかもしれないが、情景表現やデザイン表現の場合、表現された感情は一体誰に属するのか、という問題がある。
これについて、まず大きく2つの路線が考えられる。
一つは、表現された感情は、描かれていない誰かに帰属するというもの。
もう一つは、表現された感情を誰かに帰属させなくても表現は成り立つというもの


描かれていない誰かに帰属させる路線はさらに3つに分かれる
(1)作者
(2)仮説的ペルソナ
(3)観者


ロペスは上3つの説についてそれぞれうまくいかない点を指摘
描かれた感情は、誰かの感情である必要ではないという路線へ

バーナード犬の顔は悲しく見える。この犬は悲しんでるわけではなくて、人が悲しんでいる時の顔に似てるので、悲しく見える。
このように、自然表現natural expressionとの類似に訴えるのがロバストな輪郭説

  • ミニマルな輪郭説

ある絵が悲しみの表現であるのは、それが悲しみのexpression-lookである時かつその時に限る、とする説
expression-lookであるとは、その感情を示す機能を持つということ。


(1)ただの物理的配置が感情を表現するためには何がいるのか
(2)表現のメカニズムは何か
という2つのタスクがある
ミニマルな輪郭説は、2つ目のタスクにうまく答えられないが、ロペスはこの路線でいくらしい。

*1:たまたまどちらもネガティブな感情を例に出したが、ポジティブな感情でも話は同じである

伴名練編『日本SFの臨界点[恋愛編]死んだ恋人からの手紙』

タイトル通り、恋愛SF(一部、恋愛ではなく家族愛ものだが)を集めたアンソロジー
何故か歴史改変ものが2作ある。
恋愛SFというと時間SFと相性がよいという勝手なイメージがあるが、その点直球の時間SFはなく、しかし、歴史改変ものも広義の時間SFと捉えればそれも含めて4作品くらいは時間ネタを用いた作品。
むしろ、共感覚SFが2本ある方が「何故か」感あるかも。


伴名練編『日本SFの臨界点[怪奇編]ちまみれ家族』 - logical cypher scape2より、おそらくかなり読みやすい。もちろん、どちらが好みかは人による。
タイトルにナンバリングがないので、どちらを先に読むべきかというのはないのだろうけど、編集後記に収録されているブックガイドは、恋愛編がPART1で、怪奇編がPART2になっているので、一応恋愛編を先に読む想定なのかなと。


怪奇編と変わらず、各作品ごとに書かれている解説文と編集後記とブックガイドがとても丁寧
あと、ところどころ、伴名練が自作を書くにあたって受けた影響を語っているところもある。

中井紀夫「死んだ恋人からの手紙」

初出1989年
冒頭の解説に「海外作家の某有名短編が連想されるだろうが」とあり、そういうの俺全然分からないんだよなあと思ったが、読んだら普通に分かった。チャンの「あなたの人生の物語」だ。
宇宙で戦争してて従軍してる兵士から、地球に待つ恋人への手紙、という形を取っているのだが、亜空間通信の技術的限界だかで、手紙が順番に届かない。
よい話でよいSF

藤田雅矢「奇跡の石」

初出1999年
共感覚SF
バブル期の企業すごいな感。企業メセナかなんかで、会社に超能力研究室があって、超能力者がたくさんいるという東欧の小国に行く話
主人公は、その国で幼い姉妹に出会い、舐めるとオルガンの音が聞こえる結晶をもらう。
妹は予知能力、姉は感覚を結晶に封じ込める(?)能力を持つ

和田毅「生まれくる者、死にゆく者」

初出1999年
編者の解説にもあるが、家族愛もの
また、筆者の和田毅は、草上仁の別名義(というか、『SFマガジン』で夢枕獏のページ減になった際、代理原稿として書かれたもので、同号に草上作品が既にあったので別名義となったもの)
子どもはじわじわと生まれてきて、老人はじわじわと死んでいく世界。
じわじわ死んでいくとはどういうことかというと、時々姿が見えなくなる、次第に見えなくなる時間が増えていく、数日に一回とか数ヶ月に一回とかしか姿を現さないようになる。そして、完全に見えなくなったら死んだことになるのだが、明確な線引きはなくて同居家族がもう死んだなと思うと法的にも死んだことになる。
生まれてくるのはその逆。完全に見えるようになるまでは数年かかる。
とある夫婦のもとに、子どもが生まれそうになっているのだが、一方で夫の父が亡くなりかけている。孫に一目会わせたいね、というそれだけ、と言ってしまえばそれだけの話

大樹連司「劇画・セカイ系

初出2011年
扉イラスト・はしもとしん
タイトルは「劇画・オバQ」から
ヒモ同然の暮らしをしている売れないラノベ作家
彼のデビュー作はいわゆるセカイ系だが、実はフィクションではなく実話。かつての彼女は、世界の危機を救うべく旅立っていった。残された主人公は、彼女のことをいつまでも待つと言っていたが、その体験を元に小説を書き、別の女性と同棲するようになっていた。
そこに、戦いを終えた少女がかつての姿のまま戻ってくる。

高野史緒「G線上のアリア」

初出1997年
歴史改変もの
電信電話技術がイスラムから伝来した技術だったら、という世界
舞台となるのは、18世紀のドイツだが、中盤、十字軍遠征からヨーロッパにいかに電話網が敷かれたかという歴史が語られる。その中には、免罪符ならぬ免罪電話サービスなるものも登場する(声が直接聞けたからここまで広がったのだという旨言われている)
主人公は、カストラート(去勢歌手)なのだが、自分の芸術や存在が時とともに消えてしまうことに不安を持っている。また、電話ハッカーでもある。
インターネットやパソコン通信がなかった時代に、電話回線にハッキングして無料通話したりとかそういうことしてた人たちがいたらしいが、おそらくそういう人種
この物語の世界では、交換機の自動化に電算機が使われているが、まだ現在のようなパソコンやインターネットはできてないが、主人公が、ネットにジャックインできるように未来を夢想する、という独特なサイバーパンク作品になっている。
高野作品は、年刊日本SF傑作選あたりに収録された短編は読んでいるのだけれど、主な作風(?)である歴史改変ものは読んでなかったので、ちょっと気になり始めた。

扇智史「アトラクタの奏でる音楽」

初出2013年
編集後記などで、編者はほとんどが人間同士の異性愛ものになってしまい保守的なラインナップになってしまったと語る中、唯一の異性愛ではない作品。
近年、急速に百合SFなるジャンルが注目を集めているが、本作はそれに先立ち書かれていた百合SFということになる。
扇作品は、一作だけ単発で読んだことがあるのだけど、他にどういう作品を出しているか知らなかったのだが、2005年以来、少女同士の絆をテーマとした作品を書き続けているらしい。
本作は京都を舞台に、路上ミュージシャンの少女と工学部の女子大生の出会いを描く。
ARタグの発展した近未来、路上ライブのログを周囲の歩行者のリズムと同期させてアテンションを集める実験を2人で行う話。

小田雅久仁「人生、信号待ち」

初出2014年
初出媒体がen-taxiなの珍しい気がする
横断歩道と横断歩道の間の飛び地みたいなところに閉じ込められてしまった男女
信号が青にならないままに時間の流れが変化して、人生をそこで過ごすことになる

円城塔「ムーンシャイン」

初出2009年
2008年の円城作品は傑作が多く、年刊SF傑作選に何を選ぶか悩んでいた大森望が円城本人に訊ねたところ、書き下ろし作品が返ってきたというわけわからん制作秘話のある話
数学共感覚をもつ少女
数が人間に、なんちゃらという群が立ち並ぶ塔に見える
彼女は共感覚で見える世界の中にいて、傍目に意識を失っているように見える
で、17という数がチューリング・マシンとなり、一つの人格を持って浮上してくる。
主人公と17の対話

新城カズマ「月を買った御婦人」

初出2005年
19世紀末のメキシコを舞台にした歴史改変もの。
とあるご令嬢が、5人の花婿候補に、月が欲しい旨告げた結果、宇宙開発競争(ただしロケットではなく大砲方式)が始まってしまう。
大砲方式なので宇宙進出はできないのだが、ほかの様々な技術が発展し、我々が知るのとは異なる20世紀が展開される。
大砲による戦争と物流。奴隷による演算機。
なお、この世界、どうもアメリカ合衆国がないようなのだが、そのあたりは説明がない。
誰も月にはたどり着かずに50年が経過する。
すっかり年を取ってしまった彼女の元に、詩人が現れる。

田口善弘『生命はデジタルでできている』

バイオインフォマティクスの観点から、ゲノム、RNA、タンパク、代謝について、今進められている研究、まだ何が分かっていないのかなどについて解説されている本
また、タイトルに「デジタル」とあるが、ゲノムを中心とした生命機構をデジタル処理装置と見なして説明している(このデジタル処理装置としてのゲノムをDIGIOMEと呼んでいるが、あくまでもこの本の中での造語で、なんかカッコよく呼んでみたという程度のもの)
ブルーバックスはカバー折り返しに、類書の紹介があるが、創薬系の本が多く紹介されている。最初は何故と思ったが、読んでみたらこの本では研究の具体例として結構創薬関係の話題が出てくる。


筆者は、物理学専攻出身で、今も物理学科の教授ということだが、researchmapを見た感じ機械学習を用いたゲノムなどの解析を研究していて、創薬研究にも関わっているという人らしい。ちなみに、researchmapでは、「情報通信/生命、健康、医療情報学」を研究分野として記載している。


生物学関係の本、特に進化論や生命の起源、アストロバイオロジー あたりの本をちょいちょい読んでいるが、最近、そろそろ生化学やタンパク質についても軽くでいいから勉強すべきなのでは、と思っていたところ、新刊として並んでいたこの本の目次を確認してみたら、タンパク質についても章を割いているようだったので読んでみることにした。
バイオインフォマティクスも気にならないこともなかったので。
実際読んでみたら、予想以上に面白く、特に意外だったのがRNAのあたり。
ノンコーディングDNAと見かけて、「なるほど、プロモーターやエンハンサーの話するんだな」と早合点していたら、全然違う話であった。


研究分野としての歴史がまだ10年もない、という領域の話も結構あったり、上に述べたように、まだ分かっていないことについてもポロポロ出てきたり、新しい研究分野の話なんだなーというのが感じられて、楽しい。


話し言葉に近い平易な文体で、プログラミングや身近なデジタル機器を喩えに用いながら書かれており、スルスルと読める。
一方、そういう意味ではある種の「読み物」ではある。
(参考文献一覧などは特にない)


あとがきで、計測技術については書かなかった、とあるが、本書がいうデジタルとか情報とかいった視点を可能にしたのは、おそらく、この計測なのだろうな、というのを伺わせる記述がチラホラある。
ゲノム、トランスクリプトーム、プロテオーム、メタボロームと接尾辞-omeのついた概念が順に出てきているが、例えばプロテオームが「タンパクのすべて」と訳されている通り、これは、すべてとか全体とかいった意味で、とにかくまるっと全部調べてみることで、色んなことが分かってきて、新しい研究分野が立ち上がってきた、という話でもある。
代謝物の章で出てくるか、代謝物を全部測定することで意外な事実が分かったとあり、「〜のすべて」という概念と計測・測定とが深く関わっていることが示されている。
ゲノムについても、DNA配列をとりあえず全部読む、というヒトゲノムプロジェクトの重要性が指摘されている。本書では立ち入った記述はないが、それを可能にしたのもやはり、測定技術あってのことだろう。
とにかく全部測る、データ化する、解析する、というあたりが、研究手法における、デジタルで情報としての生命なのかなと思う。


第1章 ゲノムー38億年前に誕生した驚異のデジタル生命分子
1・1 セントラルドグマ
1・2 なぜ、セントラルドグマ、なのか?
1・3 デジタル処理系としてのセントラルドグマ
1・4 コンピュータで挑む


第2章 RNAのすべて(トランスクリプトーム)ータンパク質にならない核酸分子のミステリー
2・1 ジャンクじゃなかったジャンクDNA
2・2 SNP=バグ
2・3 AI=機械学習
2・4 RNAの機能
2・5 マイクロRNA
2・6 エンリッチメント解析という考え方
2・7 マイクロRNAを用いたiPS細胞作製
2・8 マイクロRNAスポンジという技術~デコイ戦略~
2・9 まだまだ発見、新種のRNA
2・10 環状RNA
2・11 RNA編集
2・12 技術の対象としてのDIGIOME


第3章 タンパクのすべて(プロテオーム)ー組成を変えずに性質を変える魔法のツール
3・1 デジタルとアナログを繋ぐ
3・2 進化とRNAワールド仮説
3・3 タンパクの構造
3・4 タンパクの立体構造
3・5 タンパクの機能と構造
3・5・1 受容体
3・5・2 酵素
3・5・3 抗体
3・6 薬とは何か?
3・6・1 オプジーボニボルマブ
3・6・2 アレグラ(フェキソフェナジン塩酸塩)
3・6・3 ペプチド創薬
3・6・4 核酸創薬
3・7 プロテオームの今後


第4章 代謝物のすべて(メタボローム)ー見過ごされていた重要因子
4・1 代謝物とは何か
4・2 がんと回虫の意外な関係
4・3 バイオマーカー
4・3・1 老化
4・3・2 飢餓
4・3・3 メタボロゲノミクス


第5章 マルチオミックス 立ちはだかるゲノムの暗黒大陸
5・1 エピジェネティクス
5・1・1 ゲノム刷り込み(インプリンティング
5・1・2 がんのメチル化――がんによるDIGIOMEへのクラッキング
5・1・3 神経変性疾患とDNAメチル化
5・1・4 神経変性疾患とヒストン修飾
5・2 エピトランスクリプトーム
5・3 マルチオミックス解析
5・4 AI=機械学習でも困難な因果関係の推定

第1章 ゲノムー38億年前に誕生した驚異のデジタル生命分子

主にセントラルドグマの説明
あと、ヒトゲノムプロジェクトについて、とりあえず全部読むことは、情報科学的には当たり前の方針、だけど当初は受けが良くなかった。が、やってみてよかった、というようなことが書いてある。

第2章 RNAのすべて(トランスクリプトーム)ータンパク質にならない核酸分子のミステリー

RNAというと、生命の起源話の中では結構重要だが、現生生物の中では、DNAとタンパク質の間の仲介してるだけの、地味な奴というイメージが何となくあったが、実はいまだよく分かってない様々な機能がありそうだということで、驚いた。


ゲノムの中には、タンパクをコードしているDNA配列の領域の他に、タンパク質をコードしていない領域がある。というか、そういう領域の方が圧倒的に多い。
その中に、RNAを合成するが、そのRNAがタンパク質に合成されない領域がある。
タンパク質にならないノンコーディングRNAがこの章の主役である。


まず取り上げられるのが、マイクロRNA
25塩基程度の短いRNAで、タンパク質をコードしているRNAにくっつくことで、合成を阻害する。
という、わりとシンプルな奴だが、実際にそれでどのような機能を実現しているのか、まだはっきりとは分かっていないらしい。
というのも、あるマイクロRNAがどのRNAをターゲットとしているのか、組み合わせが膨大でこれを調べるのがとても大変だから。
統計的に機能を推測するという手法も紹介されている。
また、マイクロRNAの仕組みを利用して、人為的に特定のタンパク質の合成を阻害する技術も開発されている。
ゲノムをいじらずにリプログラミングできる。


RNAスポンジというのもある。
これは、マイクロRNAとくっつく配列のRNAで、マイクロRNAをスポンジが水を吸い込むが如く取り込んで、その働きを阻害してしまう。
これは、研究用に作られた技術でもあるし、実際の細胞の中にもこの働きをするRNAが存在すている。
臓器特異的なプロモーター領域をターゲットにすれば、臓器ごとに操作できる。
長い塩基のノンコーディングRNAもあって、これを調べるのはマイクロRNA以上に大変、というか、計算量が爆発してしまう。純粋に計算科学的には解けなくて、生物学の知識により、現実に起こってるであろう制限を織り込んで調べることになるらしい。これを「面白い」と思うか「ズルい」と思うかで性格(?)が出るようだ。
そんなわけで、長いノンコーディングRNAの働きは全然よくわかっていないらしいが、RNAスポンジとしての働きを持っていることは分かってきたとか。


環状RNAというのもある
これは実は存在自体は古くから知られていたが、注目されていなかった。
というのは、スプライシングの際に捨てられるゴミだと思われていたから
しかし、これもどうも機能を持っていて、それもRNAスポンジらしいというのが分かってきていると。


とまあ、ノンコーディングRNAは、どうも機能を持っているのだが、具体的にどの遺伝子に対してどのような働きをするのかとかは、まだ分かっていないことがとても多くて、まだまだこれからの分野らしくて、面白い。


ところで、内容とはあんまり関係ないのだが、この章の文章的に気になったことで
2・2節のタイトルが「SNP=バグ」なのだが、あまり適切な節タイトルに思えない。
確かに、SNPはバグだ、という話は書かれているのだが、この話、本書全体の中での重要性はあまりない。
対して、この節では、フラジャイルとロバストという概念について説明している。
フラジャイルは、脆弱という意味だが、きっちりしている、という意味ももつという。
一方、ロバストは、頑強という意味だが、いい加減、という意味ももつという。
そして、人間の作るプログラムはフラジャイルだが、生命はロバストだということが、本書では繰り返し出てくる。
生命の仕組みを、機械やコンピュータプログラムに喩える一方で、違いとして、フラジャイルかロバストかという点で比較している。
なので、節タイトルもロバストかフラジャイルか、みたいな方が良かったのではないか、というのが読んでて気になってしまった。

第3章 タンパクのすべて(プロテオーム)ー組成を変えずに性質を変える魔法のツール

タンパクは、デジタルとアナログをつなぐインターフェースの役割をしている、と。


タンパクは、アミノ酸がたくさん並んで折り畳まれて立体的な構造をとる。
それぞれのアミノ酸電荷による相性で、どう折り畳まれるかが決まってくるが、電子がクーロン力でどのように引き合うか、というのは量子力学でまだ解けていない問題で、タンパクの構造がどのように決まるのか、もまだまだ未知


タンパクの機能について、クーロン力を使って「特異的に弱くくっつく」ことが特徴であるとまとめ、具体的には受容体、酵素、抗体について、全て「特異的に弱くくっつく」ことをうまく使った仕組みであると説明している。
また、薬というのは、この「特異的に弱くくっつく」ことを阻害する化合物のことだとして、
一酸化炭素(猛毒であるが、毒も薬の一種であり、働き方としては薬)、オプジーボ(がん治療薬)、アレグラ(花粉症薬)について説明し、さらに、近い将来実現するだろうものとして、ペプチド創薬核酸創薬を挙げている。

第4章 代謝物のすべて(メタボローム)ー見過ごされていた重要因子

代謝物は、デジタルではないし、また古くから知られていたものでもある。
しかし、DNA、RNA、タンパクの研究が、計測技術と解析技術によって進展したように、代謝物研究も、計測技術と解析技術により新しくなった、という。
特に、代謝物の計測技術では、日本の研究が進んでいるらしい。
例えば、がん細胞の代謝物のすべてを計測したところ、フマル酸呼吸のコハク酸が見つかった、と。フマル酸呼吸というのは、TCA回路(クエン酸回路)の左側だけを逆回転させて、酸素を使わずにATPを合成する呼吸。回虫がこの呼吸をしていて、虫下しはこの呼吸を阻害するのだが、がんを死滅させたいう報告があるらしい。


バイオマーカー
例えば、血糖値は糖尿病のバイオマーカーだが、メタボローム計測・解析により、より精度の高いバイオマーカーを見つける研究が進んでいる、とか。
また、メタボロゲノミクスというのが出てくる。
腸内細菌叢のメタゲノミクスとメタボローム解析を合わせた研究のことで、これが最近進んでいる、と。
精神疾患とも関わっているかもしれないとか
腸内細菌叢はすごいらしいぞ、ってことしか書いてないんだけど、確かに噂に聞いたことはあるし、ちょっと気になってきた。

第5章 マルチオミックス 立ちはだかるゲノムの暗黒大陸

接尾辞として使われているオームの総称としてオミックスというらしい。
ゲノム、トランスクリプトーム、プロテオーム、メタボロームを総合的に捉えるのが、マルチオミックス
しかし、ここまで読んできて分かる通り、一つ一つだけでも解析がめちゃ大変であり、ましてやマルチオミックスをや、というところであり、この章でもマルチオミックスの具体的なことはあまり語られていない。
その代わり(?)、エピジェネティクスについて解説されている


エピジェネティクスで使われる「修飾」というのは大きな分子に小さな分子がつくこと
がんや神経変性疾患(パーキンソン病アルツハイマーなどの総称)でDNAのメチル化が発見され始めている、と。ここらへんもまだ研究が始まったばかりのようだが、これらの病気についてより詳しいことが分かってくるかもしれない
がんはすでに述べた通りメタボロームとの関わりもあり、マルチオミックスの出番かも、とか。
それから、ヒストン修飾について
エピジェネティクスについては、以前本を読んでいたが、もう結構時間が経って理解があやふやになってたところで、ヒストンの説明がわかりやすかった。
ゲノムというのは記録媒体だが、コンピュータではテープが記録媒体として使われていた。その際、絡まらないように保存するためにはリールに巻いておく必要があったが、順番に回していかないと目当ての場所が読み込めない。
ヒストンは、絡まらないように巻きつけつつ、どの場所にでもすぐにアクセスできる(ランダムアクセスできる)ための構造、と。


RNAにも修飾が起きている
エピゲノムにならって、エピトランスクリプトームと呼ばれている。
特に、m^6A修飾という、脳内RNAのアデニンのメチル化について、概日リズム、ドーパミン、学習、海馬などに関係していることが分かってきており、セントラルドグマのライン外に、何らかのメモリー空間を持っているのかもしれないとか。
研究分野としてまだ10年経っていないという。
10年後にまた本を書く際には、これについてもっと分かってるはずたがら、これについて書きたいとも。


この第5章、これだけでブルーバックスが一冊書けると言ってる箇所が3回くらいあったw

津久井五月『コルヌトピア』

植物と都市、そして庭園のSF
人と居場所を巡る物語、かもしれない
「コルヌトピア」と、文庫化に伴い、その後日譚(15年後を描いた)「蒼転移」が書き下ろしで収録されている。


ビルディングが植物で覆われた未来都市、というのは絵的にはありがちだが、新宿と銀座でビル正面の採光が違うとかディテールがあったり、また、作中世界では当たり前になっている技術について、詳しい説明は省略されていたりして、この世界が当たり前のものである感が出ている。
シンガポールで育ち、大学から東京にやってきた主人公は、東京に違和感を覚えている。
植物学者のヒロインは、個人的な研究動機が社会との繋がりを持てずに悩んでいる。
架空の技術によって作られた未来社会を描く作品でありつつも、その技術そのものよりも、その社会で生きる登場人物たちの葛藤に寄っている作品と言えるかもしれない。が、その向かう先がやはりこの技術がもたらす未来のあり方と関わってもいる。


どこがどうとは説明しがたいのだが、何となく瀬名秀作品的な雰囲気を少し感じた。なんかヴィジョナリーなところがかもしれない。

コルヌトピア (ハヤカワ文庫JA)

コルヌトピア (ハヤカワ文庫JA)

コルヌトピア

2084年の東京が舞台。
フロラと呼ばれる技術により、植物が計算資源として使われている。フロラがどのような技術なのかの説明はそれほど多くないが、ヒストン修飾を利用しているらしい。ヒストン修飾について、特に説明がなく、「SF読者はエピジェネティクス当然知ってる前提か」と慄いたw
21世紀半ばに震災が東京を襲っており、フロラを用いることで情報都市として復興した。23区をぐるりと巨大なグリーンベルトが囲んでいる。
主人公の砂山淵彦は、フロラ設計会社に勤務しており、フロラの「ランドスケープ」を「レンダリング」できる。
この、ランドスケープレンダリングの詳細はあまりよく分からないのだが、フロラとなった植物のネットワークが織りなす情報のパタンを、感覚することのようだ。「角(ウムヴェルト)」というアンテナをうなじにつけ、それを通して行う。特殊能力というわけではなく、多くの人がこれを出来るようだが、淵彦やその同僚は、レンダリングしたランドスケープを分析して、フロラの不調などを調べる仕事をしているようだ。


グリーンベルトで起きた事故の調査で、淵彦は植物学者の折口鶲と出会う。
彼女は、まだフロラ化することができていない植物=異端植物を研究している。異端植物の多くは園芸植物で、彼女の母親が庭園作りを趣味としていたことが影響している。


さらに、淵彦が大学1年の夏、認知療法を受けるために滞在している施設で出会った少年ツグミも加えた3人が主な登場人物


人間と植物、植物と昆虫や小動物、あるいは植物と都市の関係を考える上で、庭園をモデルとして考えているのが面白いなあと思った
この作中世界の東京では、でかいグリーンベルトと巨大緑地作ってそれをドーンと計算資源として利用するということをやっているので、全然庭園的ではないんだけども、淵彦との出会いを通して、鶲は、人間と植物の共生のあり方として庭園というモードをとる必要があるのでは、と考えるようになる。

蒼転移

コルヌトピアから15年後の2099年
大学3年生のアンナは、鳥類学のレポートに、異常大量発生の始まったムクドリを選ぶ*1
アンナは、先生から、4年のキョーコと一緒に調べるよう指示する。キョーコは恋人とともに、ムクドリランドスケープを調べ、卒研にしようとしていた。
都市のフロラがムクドリに影響を与えているのではないかという仮説を追う3人だが、アンナは、群れからはぐれるムクドリがいることが気になっていた。ハスキーボイスがコンプレックで友人のできない自分
淵彦と鶲も登場する(鶲は、キョーコの恋人の指導教官として名前だけ出てくる)。
この15年の間に異端植物によるフロラネットワークが構築されたことが分かる。

解説

ドミニク・チェンが解説を書いている。
発酵メディア研究者という肩書きになっているんだけど、そういう肩書きでしたっけ?
前半では、生命をコンピューティングに用いる研究の事例を色々と紹介して、植物をコンピューティングに使う本作のアイデアが突飛ではないことを示している*2
で、後半に出てきた話が面白くて、本作のレンダリングについて、似たようなことを農業従事者もやっているのではないかとして、ワイン農家についての民族誌的研究を挙げている。情感的にブドウとの関係を作る
また、チェン本人の研究である発酵メディアについて。ぬか床にセンサーを入れて、ぬかと会話ができるような技術を作っているらしい。
人間と自然の関係をどのように認識するか、様々なアプローチが紹介されていて、本作のサブテキストとして、とてもよい。

*1:ところで、コルヌトピアの淵彦の出身校やアンナが通っているのは、おそらく東大

*2:ただし、ヒストン修飾が云々というのに近い例はなかったと思う

伴名練『なめらかな世界と、その敵』

寡作ながら年刊SF傑作選常連の伴名練、初の短編集
読もう読もうと思いつつ、すでに発行から1年くらい経ってた。
伴名練は、作風が幅広い感じもするのだが、こうやってまとめて読むと、傾向が見えてくるというか。世界の変化を引き起こす者と変化に振り落とされる者、というモチーフが繰り返されているようにも見える(ぴったりそれに当てはまらないものもあるが)
「なめらかな世界と、その敵」がパラレルワールドもので、「ゼロ年代の臨界点」「ホーリーアイアンメイデン」「シンギュラリティ・ソビエト」は偽史というか歴史改変SF
女子高生の一人称からノンフィクション風、書簡体など、語り口が色々あって読んでいて飽きない


収録作品6作中3作は既読
過去に何読んだことあったかなと調べていて、本短編集に未収録の作品もちらほらあった
『NOVA10』 - logical cypher scape2収録の「かみ☆ふぁみ!」は、自分が初めて伴名練に注目した作品(それ以前にも読んだことはあったのだが、特に「これはかなり面白いのでは?!」と思い始めたのはこの作品からだったと思う)
逆に大森望・日下三蔵『折り紙衛星の伝説 年刊日本SF傑作選』 - logical cypher scape2の「一蓮托掌(R・×・ラ×ァ×ィ)」はあまりよくわからなかった奴かな。ラファティ自体あんまよくわからん
カモガワSFシリーズKコレクション『稀刊 奇想マガジン創刊号』の「聖戦譜」も面白かった

なめらかな世界と、その敵

なめらかな世界と、その敵

なめらかな世界と、その敵

パラレルワールドもののSFは数あれど、パラレルワールドを行き来できる能力を持っているのがデフォルトの世界を描いた作品、というのは珍しいのではないかと思う*1
主人公の通う高校に友人のマコトが転入してくる。ところが、そのマコトはある事件のせいで、乗覚障害という、他の世界を認識できない障害になっていた。
どうすれば、真の意味でマコトを助けることができるのか。
全ての人があんな風にパラレルワールドを行き来できてしまうと、かなり色々と大変なのではないかと思うが(主人公はパラレルワールドを乗り換えることで次々と都合の良い展開を引き寄せていく。ただし、世界をまたいで知識を持ち越すことに制限があったりもする)、パラレルワールドを次々と切り替えていく様を当たり前のこととして描写していくのは、読んでいて楽しい
大森望・日下三蔵編『年刊日本SF傑作選 アステロイド・ツリーの彼方へ』 - logical cypher scape2で読んだことあり

ゼロ年代の臨界点

ゼロ年代といっても舞台となるのは、1900年代(明治35年〜)
当時女学生であった、日本SFのパイオニアたる富江、フジ、おとらの3人をノンフィクション風*2に描いた日本SF偽史

美亜羽へ贈る拳銃

タイトルから分かる通り、伊藤計劃『ハーモニー』リスペクトの作品。
インプラント技術で世界的な地位を占める神冴脳寮は、神冴家の次男でありながら神冴から反乱した志恩率いる東亜脳外と対立していた。
神冴家の末息子で、兄弟の中で唯一医学の道に進まなかった実継は、志恩の養女で天才の名を恣にする北条美亜羽と出会う。
交通事故(に見せかけた謀略)で志恩夫婦は死に、美亜羽は重傷を負う。美亜羽と実継は政略結婚をすることになるが、美亜羽はインプラントにより自らの人格をズタズタにする。つまり、憎しみの対象であった神冴実継を愛し、代わりに自らの天才を封じてしまう。
インプラントによって制御された人格と愛憎
初出である『伊藤計劃トリビュート』で読んだことはあったのだけど、なにぶん9年も前なので、内容は全く忘れていた。

ホーリーアイアンメイデン

死んだ妹から姉に向けての手紙、という形式で語られる、太平洋戦争末期、日本が異なる形で降伏した歴史改変もの
語り手の姉である鞠奈は、抱きしめるだけでその人の攻撃性を失わせ、穏やかな人格に変えてしまうという特殊能力の持ち主。陸軍の宗像大尉がその能力に目をつける。
一方、大尉により姉の能力と、その能力が自分には及ばないことを知った妹は、姉を畏れるようになっていく。


能力が効かない主人公は、「美亜羽へ贈る拳銃」で主人公の実継がインプラントの効かない手術を受けてるのと似ている。
いずれも、世界がいくばくかの自由意志を捨てる代わりに幸せを得ていく時に、主人公だけはその世界には入り得ないという設定になっている。

大森望・日下三蔵編『プロジェクト:シャーロック 年刊日本SF傑作選』 - logical cypher scape2にて既読
 

シンギュラリティ・ソヴィエト

アメリカが宇宙開発に邁進した一方で、人工知能研究に全振したソ連は、1969年代、シンギュラリティに到達。月着陸の偉業はソ連に取って代わられる。
1976年のモスクワの夜、帰路を急ぐ博物館職員であるヴィーカの前に拘束されたアメリカ人男性が、赤ちゃんの行列によって連れてこられる。
ソ連のシンギュラリティAIヴォイジャノーイは、ヴィーカに、アメリカのAIリンカーンの配下であるその男への対応を命ずる。
ソ連人民は、脳の半分をヴォイジャノーイに提供 しており、階級に応じて、労働者現実や党員現実にアクセスできる。
一方アメリカでは、リンカーンによって、自由主義諸国が共産圏に勝利した仮想現実が作られた、希望する州の国民から順に仮想現実で暮らすようになっていた。
男は、ソ連の勝利が実は決定的ではなかったことを証明するためにモスクワへやってきた。それは、ヴィーカの勤める博物館の展示物である自動化された戦闘機、そしてヴィーカと彼女の義姉の過去に関わっていた。

ひかりより速く、ゆるやかに

インフルエンザで修学旅行に行けなかった主人公
しかし、修学旅行から帰る新幹線が、前代未聞の事故に巻き込まれる。新幹線とその内部の時間の進み方が、2600万分の1になってしまったのだ。名古屋駅に停車するのは西暦4700年頃……。
主人公のハヤキの一人称で語られる現在と、遠い未来、この新幹線が白い竜として語り継がれている文明の退化した時代とが交互に描かれる。が、この遠未来の方は実は仕掛けがある。
高校時代のハヤキが使っているのはLINEだが、その10年後には全く別のウェブサービス名が出てきていたりする。
この新幹線「低速化」災害によってもたらされた世界の変化についての描写が、コロナ禍の起きた2020年に読むと、なかなかリアルに感じられる。もちろん起きていることは全然違うのだけど、どんどん色々なことに波及して、生活のありようが変わっていく感じが。

*1:自分が知らないだけかもしれないので「珍しい」と書いたが、他に例を見ないのではという気もする

*2:脚注まで付けられている

伴名練編『日本SFの臨界点[怪奇編]ちまみれ家族』

1961年の作品から2016年の作品まで、ギャグ的な作品も含めて、広い意味でSFホラー作品を集めたアンソロジー
上に1961年からとは書いたものの、収録作の大半は90年代及び2000年代の作品である。この時期の作品が多い理由は、編集後記に書かれている。
上に「ギャグ的作品も含めて」と書いたが、このアンソロジー、振り幅が激しく、バカSFやギャグ作品が入っている一方で、シリアスかつバッドエンドに近い作品も多い、というかむしろそのどちらかしかないと言ってもよさそうなラインナップとなっている。
もっとも、それこそ怪奇編という名にふさわしいのかもしれない(実際、バッドエンドをどう捉えるかにもよるだろうが、大団円となるような作品はない)


津原泰水石黒達昌の名前に惹かれて手に取ったのだけど、それ以外にも色々な作家を知れて面白かった。
また、アンソロジーというのは大抵、各作品の解説がついてるものではあるが、このアンソロジーはとにかくそれが手厚い。作品というか、作者についての情報が細かく、特にどのような短編集や未収録作品があるのかなどが解説されており、読書ガイドとしてすぐに使える
巻末の編集後記も、編集後記とあるが、完全に読書ガイドである。


恋愛編もあるのでそちらも近いうちに読むつもり


中島らも「DECO-CHIN」

初出2004年
インディーズバンドやサブカルを扱う雑誌編集者の主人公
レコード会社が売り出そうとしているバンドの取材を編集長から言われていやいや行い、案の定つまらないライブに閉口していたら、その直後、事前に告知のなかったバンドのライブが始まる。
それは、小人症、巨人症、シャム双生児らで構成されたロックバンドで、そのあまりのテクニックと音楽的センスに主人公は一発でハマってしまう。
彼は、そのバンドのメンバーになるべく、ある決心をする。というわけで、タイトルへと繋がる

山本弘「怪奇フラクタル男」

初出1996年
本アンソロジーの中で、ある意味一番ホラーというか、絵的にゾッとするのはこれかもしれない。ただし、オチはギャグ。
いや、オチだけでなくそもそもからギャグみたいなネタなのだが、その様を想像すると結構気持ち悪い

田中哲弥「大阪ヌル計画」

1999年初出
こちらもバカSF
落語として高座にかかったこともあるらしいが、テンションの高い語り手の語りで進められていくので、(落語のことはよく知らないが)たしかに落語にもあいそうである。
過度な人口密集地になり、鮫肌水着から着想を得た摩擦がゼロになる素材の服を着ないといけなくなった大阪
なお、タイトルのヌルは、ヌル(0)と見せかけてヌルヌルのヌル

岡崎弘明「ぎゅうぎゅう」

1997年初出
何故そのネタもかぶるのか。こちらも人口密集ネタ
人口があまりにも増えすぎたため、みんな立って生活しており、動き回ることができない。食糧が頭上を手渡しで送られてくるほか、情報は全て口による伝言で送りあっている。
死ぬと遺体が、やはり頭上を手渡しで西へと送られていく。
主人公の幼馴染の少女が、さそりに刺されて急死してしまい、西へ送られてしまう。
ところが、何年も経って実は生きているという伝言が伝わってくる。主人公は、禁忌とされているリョコウをして彼女に会いに行くことを画策する。
一見、バカっぽい話なのだが、結構ブラックな感じで終わる。

中田永一「地球に磔にされた男」

2016年初出
誰かと思ったら乙一の別名義だった。今は、乙一含む3つの名義で作家活動しているらしい。さらにもう一つ別の名義含む4つの名義でそれぞれ書いた短編を集め、本名名義で解説を書いたアンソロジーがあるらしい。
パラレルワールドを次々と旅することになった主人公は、少しずつ異なる人生を送る自分に出会う。最初、成功した自分を見つけて入れ替わっってしまうことを画策したが。

光波耀子「黄金珊瑚」

初出1961年
SF作家第1世代、『宇宙塵』創刊メンバーの中にいた知る人ぞ知る女性作家(自分は知らなかった)
いくつもの短編を書き、商業誌掲載作品もあり、梶尾真治の「SFのお師匠」でもある彼女だが、家庭との関係の中で作家業は続けていけなくなってしまったとのこと。
人間たちの意志を操るケミカルガーデン。その調査に町へと赴いた主人公たち
なにぶん1961年の作品なので、良くも悪くも古さはあるが、アイデアも話も面白い

津原泰水「ちまみれ家族」

初出2002年
津原泰水が、田中啓文から自分はギャグを書いてるが津原のは所詮ユーモアと言われたのをきっかけで書いたというギャグ作品
簡単なことですぐに出血してしまい、家が血まみれになっている家族の話

中原涼「笑う宇宙」

初出1980年
アリスSOS!』の原作シリーズの作者。SF作家としては短編・ショートショートを多く手がけていたらしいが、93年に主要な掲載誌であった『SFアドベンチャー』の休載と〈アリス〉シリーズの人気により、それ以降は短編・ショートショートの発表は激減し、2013年に亡くなったとのこと(ちなみに1957年生まれとのことなので、若くして亡くなったといえる)
本作は、新人賞を受賞したデビュー作
主人公は〈妹〉〈父〉〈母〉と共に宇宙船で恒星間航行をしているが、この3人は主人公の本当の家族ではなく、彼らが勝手にそう称しているだけなのである。
主人公の一人称による語りで、〈妹〉や〈父〉は狂っていると述べられて進められていく。主人公と彼らとの会話は確かに全く噛み合わないが、読んでいるうちに、むしろ主人公こそが狂っているのでは、と思えてくるサスペンスな作品。

森岡浩之「A Boy Meets A Girl」

初出1999年
編者解説に藤崎慎吾「コスモノーティス」に先駆ける作品とあり、宇宙生命体を主人公とした作品
惑星系で家族ともに過ごし、成長するとともに翼に光を受けて、1人恒星間に旅立つ。
仲間と思い近づいた先は惑星で、そこにいた少女から自分たち種族の正体を知る

谷口裕貴「貂の女伯爵、万年城を攻略す」

初出2006年
日本SF新人賞でデビューするも、主な活動の場であった『SF JAPAN』誌の休刊とともに活動が激減し、2013年を最後に執筆が途絶えているとのこと
本作の初出は、上田早夕里「魚舟・獣船」も掲載されていた『異形コレクション』の進化論の巻だったらしい。
さまざまな獣人が跋扈する世界で、人間は奴隷の地位に甘んじている。貂の女伯爵率いる軍勢が、亀の立て籠もる万年城へと攻め入る。女伯爵軍の中にいる人間たちは、密かに亀たちと通じ、亀たちが残していて過去の史料から、やはりかつては人間のみが知性を持っていたと知る。 がしかし……。
長編の冒頭かと見紛うかのような作品となっている。

石黒達昌「雪女」

初出2000年
石黒達昌は、以前読んだ「冬至草」がとても面白かったのだが、結局その後他の作品を読まずにずるずるきてしまった
海燕出身者で、芥川賞候補に何度も上がっていたというのを恥ずかしながら知らなかった。2010年に『群像』に掲載された作品を最後に作品発表が止まっているらしいが、全作電子書籍化もされているということなので、今度読んでみたい。
本作は、1926年、芦別の診療所に現れた記憶喪失の女性とその治療を担当した医師の記録である。驚くべき低体温でいながらも、普通に(睡眠時間が長いなどはあるが)生きているその女性は、昔話の雪女のようでもあるが、医師は彼女が何者かを調べていく。

編集後記

まず、光波耀子を収録しつつも、他の女性作家を入れられなかったことに触れ、新井素子栗本薫登場までの、初期日本SFにおける女性SF作家の歴史がまとめられている。
その後、過去の日本SFを知るために、とアンソロジーブックガイドが掲載されている。
その上で、このアンソロジーに込めた編者の目的・思惑も解説されている。