ギョルゲ・ササルマン『方形の円』

架空の都市を描き出す36の掌編
コンセプト的にはカルヴィーノ『見えない都市』に近いが、もう少しSF寄りな感じ。また、『見えない都市』は、マルコ・ポーロがハーンに語っているという形式だが、こちらは統一された語り手は設定されておらず、淡々と都市について記述したものもあれば、その都市に訪れたある冒険家の視点で綴られたようなものもある。


作者はルーマニア人で、元々建築の仕事をしていて、本作は建築系雑誌に連載されていたらしい。
政権批判などを意図したものではなかったのだが、チャウシェスク政権の下検閲を受けてしまい、フルバージョンでの出版はフランス語訳版で初めてなされた。また、作者本人もドイツへ移住している。
英語版はル・グウィンが翻訳を手がけており、それを契機に日本語訳も出ることになったらしい。

方形の円 (偽説・都市生成論) (海外文学セレクション)

方形の円 (偽説・都市生成論) (海外文学セレクション)


各章の最初に、グラフィック・シンボルというものがタイトルとともに付されている
これは正方形の中に、幾何学模様を描いたもので、各都市ごとのイメージを表しているようだ


36編全て紹介するのはちょっと大変なので、いくつかだけ

  • プロトポリス――原型市

巨大な透明なドームに覆われた都市
その中は完全に管理されて、病気などはなく、閉鎖環境の中で生態系も完備されて自給自足できる
生きるのに何不自由しないそこの住民はだんだん、サルのような姿かたちになっていき、実はその様子が外部の世界でTV放映されていた、という話

  • ・・・・・

名前の知られていない都市
この都市について知られている4つの証言の引用
太平洋から大西洋にまで南アメリカ大陸に虹のようにかかった巨大な道のある都市だというものから、時速30~50メートルで移動している都市だというものまで

  • ヴァーティシティ――垂直市

巨大な塔のよう形で、成長を続ける都市
コンピュータで管理される都市に暮らし、孤独に悩むナット青年は、ある日、とあるアナウンスの声に恋をするのだが、その正体を調べていって、合成音声であったことを知る

  • ポセイドニア――海中市

「時とともに、当然、人類は水中生活になれるだろう』
人間の姿かたちが、次第に水中生活に適応して、イルカのように変化していく様を2ページ足らずに書き出している

  • ホモジェニア――等質市

全く同一の街路に全く同一の設計図で全く同一の家屋を並べた都市
住宅の区別がつかないので、自宅という概念を捨て、どの家に住んでもいいことにしているうちに、どんどん生活習慣が変わっていき、ついには住民全員の形態も思考も全く同一になってしまった、という都市

  • クリーグブルグ――戦争市

騎兵隊とともに都市を攻め落としたプリンス・ヘンリーとリチャード
略奪した戦利品に目を輝かせる2人だったが、ヘンリーは、遺体の多さにあることに気付く
この街は、宝物が多すぎて、次から次へと攻め込まれているということに

  • コスモヴィア――宇宙市

都市だと思っていたけど、世代間宇宙船だったことに気付いた住民たち
しかし問題は、自分たちが正当な宇宙船の持ち主の後継者が、宇宙船を襲撃した者の子孫なのか分からないことだった

  • サフ・ハラフ――貨幣石市

ロード・ノウシャーが旅路の果てにたどり着いた円環状の都市
入り込んだ回廊はどこまでもぐるぐると続いており……。
これ、もしかしたら一番面白い話だったかも

  • ステレオポリス――立体市

人口爆発した地球で、空間を有効利用するために作られた都市だが、そこでは方向感覚が狂ってしまい最後には死んでしまうステレオポリス症が

時間SFもの

  • クアンタ・カー――K量子市

宇宙からの謎の放射を、異星文明からのメッセージとして解読を試みた青年
そのメッセージは、青年に「体験」をもたらした

Michael Newall ”Abstraction”

Michael Newallの”What is a Picture? Depiction, Realism, Abstraction”の中の8章「Abstraction」のみを読んだ。
分析美学で抽象絵画について論じているもの、何かないかなーと色々ググっているうちに辿り着いた奴
本全体でどういう話しているのかはよく知らない。
カルヴィッキが書評書いてる
What is a Picture? Depiction, Realism, Abstraction // Reviews // Notre Dame Philosophical Reviews // University of Notre Dame


本全体の目次

1.Convention
2.Seeing and the Experience of Pictures
3.A Theory of Depiction
4.Resemblance
5.Transparency and Resemblance
6.Realism
7.Varieties of Realism
8.Abstraction

まず、ウォルハイムとグリーンバーグそれぞれの抽象絵画の議論について確認したのち、Newall自身の抽象画(による描写)についての説明を行う。
抽象画は一体何を描写しているのか
次いで、キュビスムを例に挙げて説明する。キュビスムは、Newallの考える抽象絵画の2つの特徴のうち、片方を満たすが片方を満たさない過渡的なもの。
Newallは、Biederman*1によるVolumetric Formの認識についての議論・実験をもとに、抽象絵画がVolumetric Formの認識を挫折させるものとして説明し、それがどのように行われるのかを、キュビズムによって説明している。
さらに、オリツキーの作品から、抽象絵画における空間、透明性について説明している
最後に、抽象絵画の描写的内容ではなく、その象徴的な意味を考えるとして、3つの事例について論じている。すなわち、(1)カンディンスキー、(2)アクション・ペインティング、(3)Michel Majerusなどのポストモダンな「非純粋」抽象


8.Abstractionの目次

1. Depth in abstract painting
2. What abstract painting depict
3. Cubism and depiction
4. Recognizing Volumetric form
5. Frustrating volumetric form recognition
6. Jules Olitski and transparency
7. Meaning in abstract painting
8. Conclusion

1. Depth in abstract painting

抽象画は何も描写していないと思われがちだが、それは誤り
四角が重なりあっていたり、透けていたりするが、重なっているのも透けているのも、実際に絵には存在しないが、絵はそれらを見ている経験を生じさせる。抽象絵画は、こうしたことを描いている。
抽象絵画が描いているこうした空間を抽象空間と呼ぶことにする


ウォルハイムは、抽象画も何かを描写していて、描写対象が、具象概念か抽象概念かで区別されるとした。
グリーンバーグやフリードは、触覚にモディファイされた経験ではなく、純粋に光学的な経験を抽象画とした。
ウォルハイムは広すぎ、グリーンバーグやフリードは狭すぎ

2. What abstract painting depict

抽象画は何を描写しているのか
(1)種や性質を描写している
赤い四角を描いている抽象画は、四角という種や赤さという性質を描いている。
もちろん、種や性質は何かに例化されているものだが、赤さは絵画の表面に例化されている。が、赤さが例化された個物を描写しているわけではない。
実在のもしくは可能な物体を描いているものは、抽象画ではない。
(2)Volumetric formの認識を挫折させるもの
例えば「ウィトウィウス的人体図」は、ウィトウィウス的人体という種を描いているもので個物を描いているわけではないが、抽象画ではない。
ウィトウィウス的人体図で描かれている(ほとんどの)性質は、volumetric formに属する。
volumetric formを認識しない空間認識はありうるのか。Biedermanがそれについて論じている。

3. Cubism and depiction

分析的キュビスムは、volumetric formを認識させないような描き方をしている。
ピカソの「ギタープレイヤー」は、volumetric fromをほとんど示していない(平面的になっている)
が、まだギタープレイヤーを描いてはいる
キュビスムは、抽象絵画の2条件のうち1つは満たすが、もう1つは満たさない。


ゴンブリッチは、キュビスムの特徴として、矛盾した情報の存在を挙げている
だが、ゴンブリッチの説明では、キュビスムがどのようにしてvolumetric formの認識を挫くのかは分からない

4. Recognizing Volumetric form

Bierdermanによれば、視覚システムは、volumetric formを顕著な特徴をピックアップする
こうした特徴として挙げられているのが、3つの線が集まる頂点があるかどうか


Biedermanの挙げている例として、2つの図が出てくるのだけど、これが全然読み取れなくて困った。
本書の表紙にも使われている図なのだが。
同じような2つの図があって、片方は頂点を残して輪郭を消している。片方はvolumetricだけど、もう片方はそうじゃないよね、ということを示している図らしいのだが、両方とも自分にはvolumetricに見えない! どっちも平面的にしか見えない! 
まあ、なんとなくこの図の描き方と分析的キュビスムの描き方には通じるとこがあるよねっていう話は頷けたが。


3つの線があつまる頂点があると立体的に見えるよねっていう話は、なるほどねって思うし、面白いんだけど、これの有無だけで網羅的に判断できるのかっていうのがすごく謎
3つの線が集まる頂点があっても立体的に見えない例とかたくさんありそうだけど……

5. Frustrating volumetric form recognition

キュビスムも、Biedermanと同じ方法で、三叉の頂点を消すないし少なくすることで、volumetric formを認識させにくくしている、と
それから、三叉の頂点は残っているのだけど、他にもいろいろな方法をつかってvolumetricと感じさせないようにしている、ということを、「ギタープレイヤー」と「マンドリンを弾く少女」を例に挙げたなら説明している

6. Jules Olitski and transparency

カラーフィールドペインティングの画家、ジュール・オリツキー
スプレーガンを使って、一様な色のフィールドを作る
グリーンバーグやフリードは、オリツキーの色のフィールドに、深さの知覚を与えられると記述している
フラットな表面が、表面として、深さの知覚を達成することはおそらくできない
グリーンバーグやフリードは、視覚的に存在するものがなにもない空間を描いているというか、空虚な空間が描かれているという考えは奇妙
オリツキーの色の空間は、透けていて広がったものとして見える
透けているものの知覚は、透けている媒体や物体の後ろに表面を見ること
空虚な空間以上のものが描写されている

7. Meaning in abstract painting

抽象画の描写的内容は、抽象空間を描いているということでどれも同じだけど、その抽象空間が一体何を意味しているか、というのはそれぞれ異なる。
ここで「意味」というのは、象徴的意味(symbolic meaning)で、比喩的意味(metaphorical meaning)のこと
抽象絵画の空間は、日常で経験する空間とは異なっているので、象徴的な意味を担うのに適切
抽象絵画の空間が象徴しているのは、日常の物質世界の経験とは異なるあり方のモード

(1)カンディンスキー
カンディンスキーにとっては、抽象空間というのはスピリチュアルなものをあらわす空間。色とか。

(2)アクション・ペインティング
アクション・ペインティングにとっての抽象空間は、画家自身についてをあらわす空間。画家の身振りと、それによって示される表現的内容(画家の心理的状態や態度)
戦後の文化的・政治的状況を反映しているという指摘(ローゼンバーグ)もある(古い考えも政治理論も現代アートの基礎を提供してくれなかったので、意味を画家自身から引き出さないといけなかった)
画家の身振りは、単に絵の表面ではなく、描かれた空間の中


(3)Michel Majerusなどのポストモダンな「非純粋」抽象
「非純粋」抽象、というのは、Newallによる呼称
マジェラスの絵は、アクション・ペインティングな筆触とポップカルチャーのアイコンなど(例に挙げられている絵では、マッキントッシュのゴミ箱アイコン)が共存している
局所的にはvolumetric


ポストモダニティを意味している、と。
ここでいうポストモダニティは、ポストモダン理論のことではなく、現代的文化や生活の一般的状態(コモディティ化、インタラクション、モビリティとか)
ポストモダニティは情報通信技術によって促進
批評家のGilbert-Rolfeは、抽象空間は、目に見えず、ユビキタスな技術的存在のサインであると述べている。

*1:Irving Biederman、おそらく知覚心理学者(Wikipediaだと視覚の科学者となっている)。

神奈川県立生命の星・地球博物館

最近、特別展目当てで、千葉県立中央博物館茨城県自然博物館と、関東の県立博物館をいくつか行ったけど、ついに神奈川県立生命の星・地球博物館へ行ってきた
ただ、実は最初から行こうと思って行ったわけではなくて、元来の箱根旅行へ向かう途中でたまたま見かけて立ち寄ったというもの
箱根湯本の手前の駅が最寄で、駅から徒歩3分。駅からもその姿が見える。先にあげた上の二つの博物館が、電車からバスを乗り継ぎ、バス停からもそこそこ歩くのと比べると、がぜんアクセスのよい博物館だった
sakstyle.hatenadiary.jp
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エントランスには、チンタオサウルスが待ち受けている
上を見上げると、アンハングエラなど翼竜の姿も


常設展
最初は、惑星のクレーターやプレート・テクトニクスの話などから始まり、岩石・地層へ
岩石の作られ方ごとに並べられた、この巨大な模型が目を引く(写真は3階から撮ったもの)
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六角中の奴がすごい
それから、様々な結晶などの標本も並べられている


生物化石のゾーンに入ると、まずはアンモナイトの壁が目立つ
大小のアンモナイトだけでなく貝やベレムナイトも
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3階まで吹き抜けの展示室には、続いて、各古生物の全身骨格標本
恐竜はディプロドクス、ティラノサウルスエドモントサウルス
それから、ゴンフォテリウムやマンモスなど絶滅したゾウの仲間
哺乳類や鳥類の剥製標本が多数
上を見上げると、クジラの全身骨格やランフォリンクスの復元模型が吊られている
さらにその隣には、巨大な板根も展示されている
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3階には、パレオパラドキシア、デスモスチルス、ヤベノオオツノジカがいた
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渡辺零『Ordinay346』


(この写真に写っている中で他と比べて)「明らかにおかしい」奴読みました
高橋慶太郎作品をオマージュしたアイマスシンデレラガールズ二次創作
元々、1巻~3巻まで出ているうち、以前1巻は買って読んでいたのだけど、2巻と3巻は買いそびれているうちに品切れ
と思っていたら、1~3巻の合本+書き下ろしの『Ordinry346(1+2+3)』が出たので、この前の夏コミで購入した。それに加えて、コピー本のVol.3.5


LiPPSの5人が全員殺し屋で復讐のため、他の殺し屋と殺し合うっていう話
顔のいい女が雑魚男どもをぶち殺す、という意味では高橋慶太郎の『デストロ246』をベースとしているが、ラブライカ編の和久井留美まわりは『ヨルムンガンド』のSR班編のオマージュともなっている。あと、ラブライカ編の雰囲気は、現在、渡辺さん原作いとうさん作画で連載されている『サバーキ』につながっているところがあるのかな、という感じ


元香港黒社会で「黒猫」の通り名で知られた兇手(殺し屋)の速水奏は、文香のボディーガードとして鷺沢家に引き取られ、家族のようにともに生活していた。
が、鷺沢夫婦と文香が、交通事故を装って暗殺される。
奏も殺されかけるが、そこに「統括者(プロデューサー)」を名乗る美城物産の今西という男が手を差し伸べる。
今西が集めてきた4人の殺し屋――京都の殺し名の家系に生まれた塩見周子、日仏傭兵夫妻の娘宮本フレデリカ、元麻薬カルテルの調合屋でFBIから追われる一ノ瀬志希、カリスマJK暗殺者城ヶ崎美嘉とともに、奏は復讐の狼煙をあげる。


外務省の荒事担当、防衛省の特殊部隊、警察庁の秘匿部隊、財前グループの私設部隊、CIA、そして伊弉冉機関といった様々な勢力が、東京を舞台にそれぞれの思惑をもって相争いあう。
最終的には、高垣楓がラスボスっぽい(この作品は、最終話から始まっていて、どういう結末を迎えるかが明かされたのち、第1話に戻って始まるという構成をとっている)のだが、まだ全然そこには到達しそうにない感じ
『(1+2+3)』は、ラブライカ編が中心で、フレちゃんvsアーニャの格闘戦がクライマックスという感じなんだけど、
逆に言うと、(奏はともかくとして)まだ主人公の5人組のうち、フレちゃんの過去が明かされただけで、『vol.3.5』を見る感じ、次が財前グループvs志希編で、周子と美嘉の話はまだ全然出てきていない


フレちゃん、めちゃくちゃよいです
しぶりんが、殺し屋殺し専門の殺し屋なのも、とても似合う
なお、この世界では、〈亡霊(スプーク)〉三船美優、〈鏡(ザ・ミラー)〉白坂小梅、〈白鳥(スワン)〉芹沢あさひ、〈鴉(クロウ)〉渋谷凛が、決して出会ってはいけない殺し屋、らしいです
三船美優さん、まだ本格的な戦闘シーンはないけど、とにかくヤバいヤバいというのは言われ続けている
ちなみに、vol.3.5では、黒埼ちとせと白雪千夜、砂塚あきらが登場、芹沢あさひも名前だけ言及あり


デレマスのアイドルが、『デストロ246』のノリで暴れまくる話ということでおおよそ間違いなく、銃、格闘技、特殊部隊などの用語が乱れ飛ぶ小説が好きなら、めちゃくちゃ楽しい

大森望・日下三蔵編『おうむの夢と操り人形 年刊日本SF傑作選』

2018年に発表されたSF短編の中から、大森・日下の両名が選出した18編+第10回創元SF短編賞受賞作を収録したアンソロジー
元々、2008年に刊行された『虚構機関』から始まった本シリーズだが、今回、12冊目にして最終巻となる


『零號琴』のスピンオフである「「方霊船」始末」と『BEATLESS』の前日譚「1カップの世界」がそれぞれ入っていて、これらは文句なく面白い
新人賞の「サンギータ」も面白かった。アマサワトキオ作品は「ラゴス生体都市」も前から気になっていてkindleには突っ込んでいた気がするのだが未読
あとは「大熊座」「アルモニカ」「レオノーラの卵」「検疫官」「グラーフ・ツェッペリン 夏の飛行」「四つのリング」あたりが面白かったり好きだったりする作品

宮部みゆき「わたしとワタシ」
斉藤直子「リヴァイアさん」
日高トモキチ「レオノーラの卵」
肋骨凹介「永世中立棋星」
柴田勝家「検疫官」
藤井太洋「おうむの夢と操り人形」
西崎憲「東京の鈴木」
水見稜アルモニカ
古橋秀之「四つのリング」
田中啓文三蔵法師殺人事件」
三方行成「スノーホワイトホワイトアウト
道満晴明「応為」
宮内悠介「クローム再襲撃」
坂永雄一「大熊座」
飛浩隆「「方霊船」始末」
円城塔「幻字」
長谷敏司「1カップの世界」
高野史緒グラーフ・ツェッペリン 夏の飛行」
アマサワトキオ「サンギータ」(第10回創元SF短編賞受賞作)

宮部みゆき「わたしとワタシ」

45歳の「わたし」の元に、30年前の「ワタシ」がタイムスリップしてくるという話

斉藤直子「リヴァイアさん」

アドバルーンスカイフィッシュの話
少し不思議な話というか

日高トモキチ「レオノーラの卵」

工場長の甥が「レオノーラの産む卵が男か女か賭けようじゃないか」と言ったところから話が始まり、時計屋、やまね、チェロ弾きらの話によって、レオノーラの母親であるエレンディラと工場長の話になる。その時もエレンディラの卵が男か女かという話が
男と女と家族の愛についての昔話
作者はもともと漫画家らしいのだけど、宮内悠介が「博奕」をテーマにしたアンソロジーを企画した際に、宮内が依頼したという経緯で書かれた作品らしい

肋骨凹介「永世中立棋星」

マンガ作品
ウェブコミック誌で連載されているシリーズものの中から1話
人工衛星に搭載された将棋AIの話

柴田勝家「検疫官」

物語が入ってくるのを防ぐ検疫官、という管理社会もの

藤井太洋「おうむの夢と操り人形」

Pepperのようなロボットを題材にしたロボットSF
最後の筆者のコメントに「「脳」がなくても知能を感じさせてくれる機械」についての話とあり、ここで出てくるのも、相手の会話をオウム返しするプログラムである(特に言及はないが、イライザのような奴だと思う)
それと、料理運搬ロボットを組み合わせた事業で成功した2人の話

西崎憲「東京の鈴木」

トウキョウ ノ スズキを名乗る謎のメールが警視庁に届く。
意味不明な文言なのだが、その後に起きた事件を予告したものだと世間で話題になっていく

水見稜アルモニカ

アルモニカとは、アメリカのベンジャミン・フランクリンがグラスハープをもとに発明した楽器
これを動物磁気のメスマーが、ウィーンにおいて、治療器具として使用していた
インチキの疑いをかけられて、パリでラヴォワジェを筆頭とした王立調査委員会が開かれるというところから始まって、フランス革命の時期で終わる
サリエリとかも出てくる

古橋秀之「四つのリング」

「百万光年よりちょっと先、今よりほんの三秒むかし」という書き出しから始まるSFショートショートシリーズの中の一篇
滅びた星系の生き残りである少年が、星間戦争などを解決するのに、リング(指輪にしてダイソン球)を使って人々を助けるけど、誰からも少年がそれをやったとは気づかれないという話

田中啓文三蔵法師殺人事件」

朗読イベント用に書き下ろされたものが初出という作品

三方行成「スノーホワイトホワイトアウト

『トランスヒューマンガンマ線バースト童話集』に収録された一篇。タイトル通り、白雪姫パロディ作品
VR空間で姫として過ごしてきた主人公だが、世界に雪=バグが混じるようになる
7人の小人が7つの大罪

道満晴明「応為」

マンガ作品
葛飾応為のもとに、未来からやってきた宇宙人がマンガを置いていって、応為がエロマンガ描き始めるという話

宮内悠介「クローム再襲撃」

「クローム襲撃」を「パン屋再襲撃」(というか村上春樹)の文体で書く、ダブルパスティーシュ作品
どっちの作品も多分読んでいるはずなんだけど、もう一度読み返したくなった。「クローム襲撃」は手元にあるけど「パン屋再襲撃」はないなあ

坂永雄一「大熊座」

民話とか伝説とかを調べている研究者が、クマがなんぞしているという目撃談を追っているうちに、クマたちが火を使っているところを見てしまうという話
クマが火を使っているとは一体、となるが、その実、人間が火を使うことができないまま文明を発達させた世界の話だったということが最後に明らかになる、歴史改変SF

飛浩隆「「方霊船」始末」

『零號琴』のスピンオフ
ワンダ・フェアフーフェンが学生時代、假面と假劇と出会い、何をやったかという回想譚
「方霊船」は、ワンダが無理矢理やった假劇。ワンダは実はちゃんとやったのだが、作品そのものにトラップが仕掛けられていて、てんやわんやする

円城塔「幻字」

「予」をひっくり返した文字があって、『犬神家の一族』じゃんっていう話
文字を擬人化した話だけれど、擬人化というかなんというか
まあ、楽しい作品ではある

長谷敏司「1カップの世界」

BEATLESS』の前日譚
エリカ・バロウズが冷凍睡眠から目覚めたときのお話
自分が慣れ親しんでいた21世紀の振る舞いを、しかし、hIEは再現することができず、そのため「アナログハック」されることのなかったという点から、エリカ・バロウズと未来世界とのズレを説明していく。
これ読むと、やっぱり『BEATLESS』ってアニメ化するの難しい作品だったなと思う。映像では説明しようのない要素が肝になってて、アニメだけ見ても、このエリカ・バロウズが世界に対して抱いている感情はわかりにくいと思う。

高野史緒グラーフ・ツェッペリン 夏の飛行」

子どもの頃、土浦でツェッペリン号を見たことがあると夏紀がいうと、アメリカの大学で量子コンピュータの研究をしている従兄が、VRゴーグルとグローブを渡してきて、これを見ながらツェッペリン号を追え、という
現在の土浦市VRゴーグルに映し出される過去の情報についてのタグが混ざりあい、夏紀は在りし日の土浦を幻視する。時間や可能世界に関する考察を交えつつ、ノスタルジックなツェッペリン号の飛ぶ光景を描き出す


ところで、p.505の最後の行にある「ゴーグル」は「グローブ」の誤りでないかと思うのだけど、どうなんだろう

アマサワトキオ「サンギータ」(第10回創元SF短編賞受賞作)

ネパールのクマリ女神信仰を描いた作品
幼い少女が初潮を迎えるまでの間、クマリ女神として崇める風習があるが、そのクマリ女神に選ばれたサンギータという少女と、その護衛として雇われたアウトカーストの男の話。
サンギータは、クマリ女神が実質的な力を失ってしまったのは神としての証である身体的特徴がないからだと考える。それは、様々な動物の特徴を併せ持つ姿なのだが、若者の間で流行している、バイオテクノロジーを用いた身体改造を利用して、神格を復活させようとする。


過去の年刊日本SF傑作選

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拡張幻想 (年刊日本SF傑作選) (創元SF文庫)

拡張幻想 (年刊日本SF傑作選) (創元SF文庫)

  • 発売日: 2012/06/28
  • メディア: 文庫
『量子回廊』(2009年作品)、『結晶銀河』(2010年作品)、『拡張幻想』(2011年作品)は未読
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小川哲『嘘と正典』

『ユートロニカのこちら側』『ゲームの王国』といった長編を発表してきた筆者の初短編集
時間や歴史(世界史から家族の歴史までスケールは様々)を扱ったSF作品が主で、また「魔術師」や「嘘と正典」などはミステリ的な要素もある
紛うことなきSF作品揃いで、いずれもクオリティの高いものばかりだが、現実世界とほぼ変わらない世界が舞台で(宇宙や未来が舞台になっているわけではない)、SFっぽいガジェットが出てくるわけでもないので、表面的にはさほどえすえふしていないので、普段からSF読む人にもそうでない人にもおすすめできる
「魔術師」と「嘘と正典」が頭抜けて面白いと思う。どちらも時間もので、タイムパラドックス起きないようにどういう仕掛けがなされているか、というところがあるので、ロジカルに組み立てられている感じの小説が好きな人は好きだと思う。
「ムジカ・ムンダーナ」も好き。

魔術師
ひとすじの光
時の扉
ムジカ・ムンダーナ
最後の不良
嘘と正典

嘘と正典

嘘と正典

  • 作者:小川 哲
  • 発売日: 2019/09/19
  • メディア: 単行本

魔術師

先行して、無料版電子書籍が配信されており、事前にこれだけ読んでいた。
クリストファー・プリーストを思わせるようなマジシャンもので、SFともミステリとも読めるような作品。
語り手である主人公は、父親と姉がマジシャン
父親はかつて、タイムマシンマジックを披露し、そしてそのまま姿を消した。
そして、そのトリックを看破した姉もまた、同じタイムマシンマジックに挑戦しようとしていた。
ここで姉が看破したトリックというのが、自分の人生を丸々使う、正気の沙汰ではない代物で、これだけでも読者としては驚かされる。プリーストの場合『双生児』という長編をかけて描いたようなトリックを、短編におさめてしまっているのもまた舌を巻く。
ところで、この通り読むと、父親が作ったタイムマシンはトリックだったということになるのだが、実はこの話、タイムマシンが本物のタイムマシンであったとという読み方も可能で、やはりプリーストばりに複数の解釈が両立するような作品になっている

ひとすじの光

競馬ものなので、競馬に詳しくない自分には今ひとつ分からない部分もあるが
疎遠だった父親が亡くなり、父親が馬主だったことと、ある馬の家系について調べた原稿と資料があったことが分かる。
スランプに陥った作家である主人公は、その原稿を読み始める。

時の扉

語り部が王に「時の扉」についての物語をいくつか語る
それは、様々な後悔に接して「時の扉」を使って過去をなかったことにするというような話なのだが、それら複数の話から、ヒトラーユダヤ人の話が浮かびあがってくる

ムジカ・ムンダーナ

父親が作曲家で、自分も元バンドマンで今も音楽に関わる主人公
父親の遺品の中から「ダイガのために」と書かれたカセットテープを見つける。主人公の名前は「大河(ダイガ)」
この曲の謎を追ううちに、東南アジアの島に、音楽を財産・通貨として使っている村があることを知る。そこには、高い価値を持つがゆえに一度も演奏されたことがないという曲があるという。それが「ダイガ」

嘘と正典

モスクワで働くCIAのスパイの話
共産主義を巡る時間SF
全ミッションの停止命令を受けたCIAモスクワ支部のスパイのもとに、ソ連の電波技術の研究者からの接触がある。重要な機密文書を渡したい、と。
その研究者は、予算獲得を巡る政治的な動きにより、不毛な研究をさせられており、そのようなソ連の非合理性に嫌気がさしていたのだった。
ところが彼は、その不毛な研究から、過去へメッセージを送ることのできる技術を発明(発見)してしまう。
一方、スパイの方は、その研究者との接触を行うとともに、たまたま空港で出会った歴史研究をしている学生から興味深い話を聞く。
万有引力の法則はニュートンがいなくても、いずれ誰かが発見していただろう。一方、『オリバー・ツイスト』はもしディキンズがいなければ、書かれなかっただろう。だとしたら、共産主義は一体どちらなのか。
学生は後者だという。マルクスエンゲルスが出会わなければ、マルクス主義と言われるタイプの共産主義は生まれなかっただろう、と。エンゲルスマルクスと出会う前、ある事件の容疑者として逮捕されている。1人の目撃証言によってアリバイがあることがわかり、エンゲルスは無罪放免となるが、もし彼がその証言をしていなかったら、エンゲルスは有罪となりマルクスとも出会うことはなく、共産主義も生まれなかったのではないか、とその学生は言うのだった。
果たして、歴史は書き換えることができるのか。

『組曲虐殺』

天王洲アイルの銀河劇場にて
色々あって人からチケットをいただいたので、行ってきた
井上ひさしの遺作にあたる作品で、小林多喜二を主人公としたミュージカル
すごいタイトルではあるが、半分くらいがコメディパート
音楽がピアノのソロ演奏のみで、これがとてもかっこよかった
ステージが2階建てになっていて、2階部分にピアノがいる。作曲の人がピアノ演奏もしており、わりとジャズ系


そういえば、小林多喜二について、『蟹工船』、拷問、デスマスクというキーワードしか知らなくて、それ以外については全然知らなかったな、と気付いた。

小林多喜二(作家):井上芳雄
田口瀧子(多喜二の恋人):上白石萌音
伊藤ふじ子(多喜二の妻):神野三鈴
山本正(特高刑事):土屋佑壱
古橋鉄雄(特高刑事):山本龍二
佐藤チマ(多喜二の実姉):高畑淳子


音楽・演奏:小曽根 真


シーンとしては、小樽のパン屋から始まるが、物語としては、特高の2人が多喜二を取り調べているところから始まる。
そこで、多喜二の前半生などが説明される感じ
秋田で生まれて、その後、小樽でパン屋をして成功した伯父のもとで育つ。ケチな伯父にこき使われるようにパン屋で働かせられながらも、小樽高等商科(のちの小樽商業大学)まで通う。その後、銀行勤務。酌婦である瀧子を身請け。作家となり、人気を博し、『戦旗』など左翼雑誌に連載を持つ。
続いて、姉のチマが上京し、東京の美容学校で勉強しながら働いている瀧子とともに、多喜二のもとを訪れるシーン
多喜二は不在で、代わりに留守番を任されているというふじ子という女性がいる。彼女は、多喜二の大ファンというが、話の端々から拷問で傷を負った多喜二を世話していることがうかがえ、瀧子は気が気でない。そこに特高の2人が現れる。
ふじ子が用意していたバケツによる暗号で、多喜二はその場を逃れるが、その後掴まったようで、その次のシーンは、多喜二が独房にいるところ。
その後、釈放された多喜二は、一時、政治的な活動からは離れる。そんな多喜二を見張るために、多喜二の家の下宿人となる特高の2人。そこに再び、上京した姉、瀧子、ふじ子が訪れる。瀧子は美容学校をやめてカフェで働くようになっている。特高の山本は、下手くそな小説を隠れて書いて、多喜二に読んでもらおうとする。
さらにその後、多喜二は地下活動をはじめ、それをふじ子が支える。資金の供給を絶たれた多喜二を、姉が金銭的に支え、瀧子は(恋愛的な意味で)身を引く。
アジトを転々とする多喜二。姉に自分の原稿を渡すため、瀧子の働くカフェに、変装して集まる4人。そこに、やはり変装した特高の2人も待ち伏せしている。
6人がおしくらまんじゅうしながら歌う映写機の歌が不意に途切れる。
最後は、北海道へ帰る姉を瀧子が送っていくシーン。既に、多喜二の葬式などは終わっている。交番勤務に降格した山本が現れ、特高が彼に何をしたのかを涙ながらに語る。次に古橋が現れ、山本は警察官組合を作ろうとしているのだという。


特高の2人も含めて、ドタバタコメディみたくなっているシーンが多い
主に、多喜二の家に特高が下宿しているシーンと、変装してカフェにやってくるシーンがそれ
山本は、貧しかった頃に学費を貸してくれた老人に金を返すため、小説を書くのだが、それがへんてこな捕物帖だったりする
基調はドタバタコメディなのだけど、特高2人も含めて、登場人物がみなそれぞれに、貧しく苦しかった過去や現在などを抱えながら生きていることがわかっていく、という作り


独房シーンの、「独房からのラブレター」という歌が、井上芳雄のソロ歌唱とピアノなのだが、これがバチバチにかっこよかった
パンフレットによると、ブルースらしいが(実際ブルースだと思うが)、ピアノがジャズっぽい不協和音に近い音を鳴らしてボーカルとピッタリあわさっているのがかっこいい
歌詞は、貧しい人たちの生活の情景を描いたもので、井上芳雄の絞り出すような切々とした歌い方が、情景を浮かび上がらせる。
ただ、そんな人々に対して自分は何もできない役立たずだなあという歌でもあって、ちょっとばかり、インテリのロマンティシズムみたいなもんを感じないわけでもない。


舞台としてはとても面白い作品なのは間違いなく、
やっぱ、高畑淳子はすごいなーとか、井上芳雄の歌かっこいいなーとか思うわけなんだけど
小林多喜二のこと自体は、そこまで好きにならないなと思ったのは、瀧子のあたりのことで、瀧子は自分がパートナーになっても地下活動をする多喜二の足を引っ張るだけだということで身を引くのだけど、まあ明らかに多喜二は瀧子のことをふるとかはしていなくて、「これからの女性は自立して生きるべき」と言いつつも、なんか女性の犠牲のもと生きてんじゃねーか感が否めない
元々、瀧子は「多喜二の許嫁以上奥さん未満」として登場するが、多喜二のことを「多喜二兄さん」と呼んでより、兄妹のような関係にある。それで関係を先に進めたい瀧子は「多喜二さん」と呼び方を変える。が、その後、パートナーとなることを諦めたあとは「多喜二くん」と呼び方を変える。というのよかったと思う。
それはそれとして、この作品で描かれている様々な政治的状況は、アクチュアルなものとしても見ることを期待されている作品だと思うし、それはそれで別に悪くないとは思うんだけど、とはいえ、多喜二という人が現代においてもありか、と言われるとちょっとなというところはある


特高の山本刑事が、コメディ面でもシリアス面でも美味しい役どころ