『日経サイエンス2019年7月号』

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特集:ブラックホール撮影成功

地球サイズの電波望遠鏡で一般相対論を検証

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イベントホライズンテレスコープ(EHT)について
ブラックホールの実証としては、これまで重力波による観測があったが、
重力波観測は、動的な重力場であり、恒星質量ブラックホールが対象
EHTは、静的な重力場であり、銀河中心の巨大ブラックホールが対象


EHTで撮影された画像には、光のリングが映っているが、これは降着円盤ではなく、そこから発せられた光が時空の歪みによってブラックホールの周りをまわっている光
EHTで、降着円盤やジェットは映っていない。これは、技術的な限界でもあるし、予想以上に光のリングが強い電波を放っていたということでもある。
この光のリングというのは、実は、ブラックホールの周囲を球状に覆っている光=光子球
光子球の縁の光がぐるっと回って観測者の方に向かってくるが、中心の光は別の角度へ曲げられているので、観測者の方には向かってこない。だから、中心は暗くて、リング状に光って見える。
この光のリング、実は、『インターステラー』のブラックホールにも描かれている。
あの映画でのブラックホールの映像で、土星の環のようになっているのは降着円盤。丸い輪の中の内側の環が、この光子球によるリング、らしい。
ブラックホールは回転しているのもあって、『インターステラー』のようにきれいに丸くは見えない(あれは分かりやすくするために変えているらしい)
今回撮影された奴も、下の方が広がって見える。あれは、おそらくは回転による(ただし、本当に回転によるものなのか分かるほど、解像度がよくないみたい)


干渉計というのは、干渉実験で干渉縞ができるのと同じ、干渉縞から波を
各地からデータを集めているのだけど、その中には、南極もあって(ただし、ブラックホールの観測ではなく、較正用の天体を観測していた)、船でデータを運んでくるから時間がかかったらしい
従来法、日本の新手法、アメリカの新手法の3つの手法を用い、それらを合成し平均をとったのが、公開された画像
日本の新手法は、スパースモデリングという手法を使っている
スパースモデリングは、天文学だけでなく色々なところで使われている技術らしい

銀河中心の巨大ブラックホールを観測

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ブラックホールを観測して何が嬉しいかというと、活動銀河中心核の正体が、ブラックホールだということが確かめられたこと
ブラックホールはジェットを放出しているが、今回、そのジェットの根本が撮影され、メカニズムの解明につながることが期待されていた
ところが、予想に反して、ジェットは写らなかった
ジェットのエネルギー源は一体何なのか、という問題があって、降着円盤か、ブラックホールそのものかというふたつの仮説があり、ジェットの根本がどこから伸びているのか見えれば分かると考えられている。
もし、ブラックホールそのものだとすると、ブラックホールからエネルギーが汲みだせるかもしれないということで、えらいこと
ジェットが写らなかったのは、望遠鏡の配置がまばらだったからではないかと
今後、東アジアVLBIネットワークという、ブラックホールは撮影できないがジェットは撮影できるのが計画されている
また、EHT自体、グリーンランド、フランス、アメリカの望遠鏡を加えて、高解像度になる計画で、他に、動画を撮れるようにするというのもあるらしい。
動画撮影・高解像度化によって、今回画像が公表されたM87だけでなく、天の川銀河のいて座A*の撮影を目指す

特集:顔 その役割と進化

あとで読む

陰謀論が広がる理由

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心理学実験で、自分で状況を制御・コントロールできていないという感覚が強いグループほど、陰謀論を信じやすくなるという結果が出ている
また、同じく、疎外感が強くなったグループほど、陰謀論を信じやすくなるという実験も行われている
自分の状況が悪くなっている、社会が悪くなっているという感覚が、陰謀論を信じる心理的傾向につながる。しかし、陰謀論を信じたところで、事態はよくはならないので、ループにはまっていく。
ところで、陰謀論を信じている人に対して、それが間違っていることの証拠を突きつけても依怙地になって「逆効果」になると言われてきたが、実はそうではないと
陰謀論の信者に対して、その説の矛盾点などを説明すると、次第に信じなくなるようになるらしい
(「逆効果」になるのは、本人のアイデンティティに関わるようなところを刺激してしまった場合)
その論の証拠は何か、その証拠のソースは確かか、その証拠から結論を導く推論はどうなっているかが、陰謀論に騙されないようにするコツ

離散数学で若手輩出 次は基礎研究の強化:河原林健

ネコは自分の名前を聞き分ける

それぞれ、内容もそれなりに興味深いものだったのだが……
上の河原林さんについての記事、一番最後に、休日は言うことのきかない生き物であるネコと遊んですごしている、みたいな文でしめられていて
で、ページをめくると、ネコの記事が出てくる、という並びになっていたのが、面白かったw


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記事の半分くらいが、上のページで読める上に、誌面では見ることのできない動画も見れる
なお、上のページに載っていない後半は、ボストン・ダイナミクスのスポット・ミニについて

日経サイエンス2019年6月号

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特集:金星 地球の双子星

「あかつき」が見た金星の風

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あかつきは、2019年1月に、金星の影に2時間入るというピンチを切り抜けていたらしい。
ピンチなのは、ソーラー電池使えなくなるから。うまく運用して切り抜けた、と。まあそこは、話の枕で本題ではない。
本題は、金星の気候についてなのだけど、その前に、金星というのは、自転の向きが地球とは逆向きで、とてもゆっくり回っている、と。
(ゆっくり回っているから、ダイナモによる磁場が発生しなくて、磁場がないから、水素イオンがどんどん宇宙へ放出されちゃって、かつてあったとされる海がなくなってしまったと考えられているらしい)
金星には「スーパーローテーション」という、自転よりも速い風が吹いている。地球でいえばジェット気流(ただし、地球のジェット気流は自転より速くはない)のような気流だが、ジェット気流と違って、低緯度・中緯度でも吹いている。
この現象が何故起きているかは謎で、二つの仮説がある。
1つは、南北の大気循環が角運動量を輸送している説
もう一つは、熱潮汐波説で、東西へ角運動量が輸送されている説
あかつきは、中層の雲を観測し、そこが思っていたよりもダイナミックな動きをしていて、「赤道ジェット」と名付けられた現象を発見する
赤道ジェットや他のあかつきの観測は、熱潮汐波説の証拠となる
金星の気候については、JAMSTEC地球シミュレータを使ったシミュレーション研究もおこなわれているらしい
また、低層は静かだと思われていたが、あかつきの観測は、それも覆す。南北方向に弓状のパターンが現れるという現象が発見される。これは、地上にあるアフロディーテ高地が影響してできたパターンと考えられている、とか

第2の地球がたどった道

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金星は厚い大気があって地表が見えないが、電磁スペクトクルの窓があって、地表の鉱物を調べることができて、ビーナス・エクスプレスが実際にその観測をしたとか
あと、金星の地形から、今、プレートテクトニクスが始動しつつあるのではないか、とか

ジャンク化石の山から人類史の宝を探す

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ZooMS(質量分析計を用いた動物考古学)という手法による化石人類学研究
デニソワ洞窟は、化石はたくさんあるけれど、粉々になっていて何の動物の骨か分からない。が、ZooMSを使うと、何の動物か分かる(種までは特定できないが、まあ大型の類人猿だろうくらいなら分かる。そして、デニソワ洞窟で大型の類人猿はホミニンしかいない)
筆者の研究グループは、この手法を使って、小さな骨のかけらからホミニンの骨を探す。ペーボと共同研究しており、ペーボがDNA分析を行う
デニソワは、骨は粉々だけど、分子の保存状況はよいらしい
それで、デニソワ人とネアンデルタール人のハーフを発見した、と
同じく、ZooMSを使って、フランスのトナカイ洞窟を研究。ここでは道具や装飾品が見つかっているのだけど、ネアンデルタール人のものなのかどうかで議論があって、筆者らの研究は、やはりネアンデルタール人の道具や装飾品だっただろう、と

米国の進化論教育のいま

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アメリカで、進化論教育を禁止する法律を作れとか、創造論と進化論を同じ時間だけ教えるようにしろとか、そういう法廷闘争があったことは日本でも話題になった件だと思う。
裁判の結果は、基本的に進化論側の勝利で、創造論側は進化論教育を禁止することもID論の時間を増やすことにも失敗した。
しかし、学校の現場は、そう簡単ではないという記事
アメリカの大多数の生物学の教師は、進化論には触れないか、ほんの軽くしか触れない
センシティブな話題になってしまって、すごく扱いにくくなっているらしい


で、重要なのが、まず科学と宗教とは別で、両立させることができるんだということ、生徒に伝えるようにしないといけない、と
進化論を教える際に、宗教について触れるかどうかというのが結構重要な分かれ目になっているらしい
進化論を否定する環境に育ちながら、大学などで進化論を学び、それを受け入れるようになった人が、どのようにして教えられたかを調べたところ、宗教についても触れられていた、と。
宗教について全く触れずに進化論だけ教えようとすると、反発を受ける。
あるいは、進化論を学ぼうとしても、これまで持っていた信念体系との齟齬などから、色々な不安が生じてくる。
そういう不安をどうやって解消していけばいいのか、ということも併せて触れていきながら教育していく必要がある、と。

ロボット使う疑似体験 提唱から実用化へ:舘暲

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最近取り組んでいるのが、三原色みたく、触覚の基本的な要素となる「触原色原理」を作ろうとしている話
圧覚(硬い・柔らかい)、振動覚(ざらざら・すべすべ)、温度覚の組み合わせで触覚を表現できれば、データの効率化になる、と

NEWS SCAN

じつは単細胞 海ぶどうの謎

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多核単細胞生物らしい
細胞が分かれるかわりに、細胞核がたくさんあるらしい
ゲノム解析により、ホメオボックス遺伝子の重複によって単細胞ながら機能分化していることができているのが分かってきたみたい
細胞核が自分の位置をどうやって認識するかはいまだ謎

手のひらに乗る恐竜

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これは足跡化石だから、まだよくわからんけど

美術のなかのエントロピー

絵画の画素の、複雑さ(変動性)とエントロピーの値を調べ、それの変化が、美術史における様式の変化と対応しているのではないか、という研究があるらしい

人工の「8文字DNA」

ベンナーのチームの研究らしい
ベンナーについては『日経サイエンス』の合成生物学記事 - logical cypher scape2

ゲリマンダー幾何学で見破る

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気になったけど未読

「体験!発見!恐竜研究所」展

茨城県自然博物館で開催されていた恐竜展へ行ってきた

博物館行くまで

茨城県の博物館だが、所在地は県西の坂東市で、千葉の野田市と隣接しているため、最寄り駅は千葉だったりする
電車とバスを乗り継いで行ったのだが、そこそこ遠い。「自然博物館前」というバス停で降りたのだが、そこからも多少歩くので、最初は「本当にこの道であってんのか」と思ったくらい
まあ、この博物館に来る人の大半は車で来ているのだと思う
ミュージアムパーク茨城県自然博物館」という名前で、博物館に隣接して広い公園があり、子供連れで来たりすると楽しそうである

博物館入ったところ

いきなり、マンモスの全身骨格が置いてあるのだが、最近ちょうど大哺乳類展2 - logical cypher scape2アフリカゾウの骨格を見たばかりだったので、その巨大さに圧倒される
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そこを抜けると、その名も「恐竜ホール」という名の吹き抜けホールが広がっている。このホールを中心に各展示室が配置されているわけだが、2階部分から、竜脚類の全身骨格を見ることができる。上から見えるのすごい!
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「体験!発見!恐竜研究所」展

将来の恐竜研究者たる子供への解説が充実している印象
ディノニクスやイグアノドンの過去の復元と現在の復元との比較があった
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何気なく実物化石もぽつぽつあって、羽毛恐竜関連だと孔子鳥が実物だったのだけど、写真がぶれぶれでうまく撮れてなかった……
骨組織の研究やCTスキャンを使った研究など、新しめの研究についても触れられている
ステゴサウルスのスパイクのスライスとか初めて見た
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骨板は攻撃や防御に使える強度はなかったけど、スパイクは十分攻撃用に使える強度があった、というのは知ってたのだけど、子供の時はまだ不十分で、というのまでは知らなかった。
CTスキャン使って3Dデータとったあと、3Dプリンタでいろいろなサイズの標本を作れるよって展示も
本展の目玉展示の一つが、ティラノサウルスの成体・亜成体・幼体の3体の標本をばばんと並べたところ
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あとで、常設展見て回ってたら、上から見ることもできた
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亜成体、幼体は頭骨の形や脚の長さが、明らかに違っていて、別種(ナノティラヌス)であるという説もあるとかなんとか
プテラノドンのこの突き出た骨は、皮膜ひっかける奴なのかな~?
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骨格の腕の広げ方がかっこよかったんだけど写真だとよくわからない
最後は、日本の恐竜研究というコーナーで、ここがまたすごい。
本展のもう一つの目玉展示が、むかわ竜の実物化石である
ただ、むかわ竜がぽんと置いてあるだけでなく、北はニッポノサウルスから始まって、北海道、岩手、群馬、福井、兵庫、長崎と全国各地で発見されている恐竜化石等が紹介されているのである。
こうやってずらっと一堂に会する*1ところを見るのは初めてだったのを、ここもよかった
最後には、茨城県にも白亜紀の地層があるよというところでしめている。

常設展

写真は古生物関係しか撮っていないのだけど、宇宙から始まって地球、古生物、現生生物、茨城の自然とあって、なかなか面白かった。つくばや土浦周辺からナウマンゾウの歯の化石とか出てるのね
古生物関係は、結構実物化石あったなあ
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ペルム紀の爬虫類
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動く恐竜の模型、なかなか迫力あった
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哺乳類もいる細かさ
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ティラノ、子どもは全身に羽毛が、大人は首回りだけ羽毛があるという復元
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エウオプロケファルス
現生生物だと、地下の生物を100倍にスケールアップした模型というのが、なかなかやばかった。博物館としては珍しく、水槽があって生きている魚なども展示されている。

*1:大半はむろんレプリカではあるが

津原泰水『ブラバン』

一連の津原泰水騒動の中、新潮社が宣伝していたのをきっかけで知り、手に取った
自分が今まで読んだ津原作品は、主にSF・幻想系の短編と『バレエ・メカニック』のみで、完全にそういうジャンルの人だと思っていて、実は今回の騒動まで、他のジャンルでも書いている人だというのを知らなかった。
津原 の検索結果 - logical cypher scape2
ちなみに、本作は2006年に刊行され、当時ベストセラーとなり、文庫化された後「新潮文庫の100冊」にも何度も選ばれていたらしい。全然しらんかった……
この『ブラバン』は、あらすじも面白そうだったし、今まで読んだことのある津原作品のイメージともかけ離れていたので、気になった。


高校時代、吹奏楽部だった主人公が、25年の時を経て、ひょんなことから当時のメンバーを集めてブラバンを再結成することになったという話で、
高校時代の回想と現代とを行ったりきたりしながら話は進む。


今更、誰に向かってもの言ってるんだという話だが、べらぼうに小説がうまい
どうやってこんな風に書けるのか、という構成をしている
回想が大部を占める作品だが、この回想が時系列に沿っているわけではなくて、かなりあっちいったりこっちいったりして進むのだが、それでいて混乱することなく、話は進行していく
この構成の巧みさがすごい

ブラバン (新潮文庫)

ブラバン (新潮文庫)

「音楽は何も与えてくれない」

主人公の他片はそう述べる
高校3年間という時間をある熱量をもって音楽に注ぎこみながら、25年経ってなお、楽器を続けている者はほとんどいない。しかし一方で、みなどこかで音楽にとらわれ続けてもいる
この小説は、青春小説なのかと言われると、いわゆる青春小説ではないし、音楽についての小説かと言われると、それもまた少し違うんだけど、青春と音楽と人生についての小説なんだよ、としか言いようがない
「音楽は何も与えてくれない」という言葉は、音楽漬けの青春を送っていないと出てこない

1980年

主人公が高校に入学したのは1980年で、80年代のティーンエイジャーの雰囲気についても描かれている風俗小説としても読める
単純に、どういう音楽が流行っていたのか等の記述も面白いが、音楽に対する関わり方とかも面白い。
そもそも、主人公たちのいる典則高校が、いわゆる2番手の高校でそこそこ進学校ではあるけれど、勉強よりもリベラルさを売りにしているような高校、というのがミソかなという気もする。
80年代とは言ったけど、1980年の話なので、まだ80年代というよりは70年代寄りの話で、作中でも、主人公が80年代バブル期の音楽文化にはあまりのれなかった的なことを言っているところがあった気がする。
8~90年代の「サブカル」とは違うんだけど、たぶん、そこにつながるような文化系のカルチャーの空気感があって、それはもう、今には残っていないような感じのものだと思う。
例えば、洋楽への憧れがあって、それを必死にむさぼっている感じがあるんだけど、ジャンル的にはかなり混ざっていて、クラシックでもジャズでもロックでも何でも聞く、そういうある種の「教養」があり、しかし、そういった態度がまだ「サブカル」という形で名指されるまでは至っていない、というか
あと、もう1つ、思ったのは、吹奏楽部の男女比
響け!ユーフォニアム』を見てもそうだし、自分の経験的にもそうだが、吹奏楽部というと、女子比率が非常に高い部活というイメージがあるのだが、本作で描かれる吹奏楽部は、わりと男女比が1:1に近いような雰囲気で描かれている。
で、酒飲んだり合宿時に女風呂覗こうとしたりする男子グループがいて、そういうのも、あまり現在の吹奏楽部男子のイメージではないなーという感じはする
クラシックvsジャズの対立があって、ジャズをやらせない顧問とジャズをやりたい一部部員たちというのあって、それがある事件を引き起こすことになる。そういった教師と生徒との対立は青春ものにありがちだけど、ただ、それを吹奏楽部でやったりするんだーというのは、80年だからかなーというのがある
ヤンキー・不良的なものが、わりとカジュアルにある、というか。
そうか、サブカル少年的な文化教養をもちつつ、行動がやや不良的なのが、なんとなく独特なのか
(一方、見た目は完全にヤンキーなんだけど、中身はまじめな吹奏楽少年、というのもいたりするのだが)
あ、あと、先輩のことを「〇〇先輩」ではなく「〇〇さん」と呼んでいる。
確か、この「〇〇先輩」呼びってわりと最近になって生まれた奴なんだよね? 

広島

舞台は広島であり、登場人物たちもみな(一人を除き)広島弁で話す(たびたび挿入される「はあ」というのが一体どういうものなのかが全然つかめなかったが)
さて、広島が舞台だからといって、そこに即座に原爆のテーマを見いだそうとするのは間違いだろうし、この作品も決して原爆小説ではないのだが、ちょっと原爆との関係を想起してしまいそうなところがある。
それが、主人公の他片が中学時代に好きだった、白血病の少女の存在である。
年齢的に、原爆とは直接関係ないのでは感はあるので、現実的にこの子が原爆の影響で白血病になって亡くなったのかどうかは不明なのであるが。
もう一つは、広島に来訪しているローマ法王のエピソードである
ローマ法王ヨハネ・パウロ二世が1981年に来日し、広島にも訪れている。他片は、クリスチャンでもある友人の来生と、授業をさぼってそれを見に行く。
後述するが、この白血病の少女とローマ法王のエピソードは、この作品を他片という人物の物語として読むときに、キーとなる出来事と思う。なので、原爆と絡めるかどうかは別として、この2つを特筆すべきポイントとして挙げるのは、ありだと思っている。

皆本、桜井、少女、安野先生

この物語のあらすじを要約するのはひどく難しい
登場人物が非常に多く、それぞれの物語がそれぞれに展開されていくからだ。
とりあえずここでは、他片とその周辺の女性4名との関係を取り上げてみたい。
まず、他片が吹奏楽部に入るきっかけとなった皆本である
彼女はバスクラリネットだが、当初、コントラバスであった。しかし、ケガのため、コントラバスが弾けなくなった際に、半ば無理矢理に他片を吹奏楽部へ入部させたのである。
大人になった彼女は、クラブのママとなり、そして事故によって亡くなってしまう。
この小説は、彼女の訃報から始まる。

バスクラリネットの死を知ったトロンボーンとアルトサクソフォンは、ちょっとしたパニックに陥った。互いがあまりに動揺しているものだから、二人は遂にバスクラリネットの秘密に気づいてしまった。四半世紀を経て。

なお、この秘密をめぐって物語がドライブしていくのかなと思いきや、全12章中第3章までにはこの秘密をめぐる部分はおおむね決着をみる
ただ、このトロンボーンの小日向先輩と、アルトサックスの君島先輩との関係や、かなり後半の方に出てくる沖縄出身の部員普天間とのエピソードなどから察するに、吹奏楽部内の人間関係を考える上で、なかなかのキーパーソンだった可能性はあって、その彼女の死というのは、結構効いているのだろうなと思わせる。
他片は、皆本に対して恋愛的な好意を抱いていたわけではないが、同類の匂いをどこかに感じ取っていたと言っている。
この小説を動かしはじめるのは皆本だが、物語のきっかけとなるのは、桜井である。
他片から見て1年先輩にあたるトランペットで、東京から転校してきたため、登場人物の中で唯一標準語を話す。
25年後のバンド再結成は、彼女が持ち込んだ話である。
彼女は、自分の結婚式披露宴のために、当時の吹奏楽部メンバーを集め再び演奏をしたいと企てるのである。
他片は、なんとなく一緒になって人集めをすることになる(文化祭でのとある事件でも、本来は誘われた側なのに、なんとなく首謀者扱いされたりと、そういうところがある)。
高校時代、他片が意識していた相手でもある(しかしこれも、別の先輩から、もしお前が付き合うなら桜井がいいのではないか、と言われたからであって、最初から主体的に意識していたわけではない)。
桜井は、広島弁を話さず、また3年の卒業をまたずしてまた転校していってしまった、ある意味では部外者的存在で、それゆえに、他片も意識したのだろうし、また再結成という非現実的な話に協力してしまうようにもなったのである。
(先の先輩が、他片に桜井をすすめた理由は、他片にもどこか部外者的なところがあったからだと後に述べている)
物語の最後、バンド再結成がほぼ確実になってきたところで、しかし、桜井の結婚話が桜井側の不手際により破談してしまう。
他片はそのことで桜井を責める。
他人からあまり感情的だとは思われていない他片が、「僕は本来感情的な人間ですよ」といって桜井を叱るシーンであある。また、他片は、自分の過去の恋愛が自己表現の失敗により失敗してきたと考えているのだが、ここでも、自分が自己表現に失敗した、と述べている。
しかし、このシーン、読者から見ると失敗のようには見えない。
むしろ、ずるずると青春をひきずってしまってきた部分との、何らかの決別のようにも見える(それは他片にとってもそうだが、おそらく桜井にとってもそうなのではないか)。
(また、他片が桜井を意識していたことを知っている友人が、桜井と一緒になれる可能性も1%はあるんじゃないかと焚きつけるシーンがあったりするのだが、これがそういう奇跡の(?)物語ではないのだ、ということを示してもいる)
さて、他片の周辺の女性として挙げる3人目が、先ほども言及した白血病の少女である。
彼女は、他片が中学時代に意識していた子なのだが、それほど関わりがあったわけではない。
さらにいうと、作中で2回しか登場しない。
1回目、何か思い出したかのように、この少女について触れ、しかし、今度2度とこの少女については言及しないのだと宣言する。
個人的には、ここのところ「すごいな」と思ったところで、明らかに他片という人物のパーソナリティにとって重要なエピソードについて、「ここでしか言わないからよく覚えとけよ」と作者から言われた気分だったw
だが、2度と言及しないという宣言は、物語の後半で破られる。
高校時代、同性愛者の先輩に迫られ逃げ出した他片は、安野先生のことを思い出し、同じ日に見たローマ法王のことを思い出し、そして、この少女のことを思い出すのである。彼女の生きていた世界・時間と、死んでしまった世界・時間とが、ずいぶんと離れてしまったということに、ふと思いをはせるのである。
最後に挙げる女性は、安野先生である。
彼女は、吹奏楽部の1980年度の顧問である。クラシック主義者で厳格な若い教師であった彼女は、他片のことを嫌うようになり、他片も彼女を避けるようになる。
そんな彼女は、ある時妊娠し、翌年には学校を去ることになる。
25年後、安野先生も再び他片の前に現れるのだが、しかし、それはひどい飲んだくれとしてであった。音楽関係の仕事で細々と食いつなぎ、夜は場末の店で泥酔するような生活をする彼女と偶然再会し、半同棲のようなことを始めるのである。
他の登場人物が、おおよそ、高校時代と現代との間に何があったのかが分かってくるのに対して、彼女の25年間は作中でほとんど明らかにされない。
他片が、本人から聞いてないからで、ある種の「信頼できない語り手」感がある*1
そもそも、何故他片が安野先生と寝るようになったのか、というのも、全然明示的ではない。
他片は、わりと饒舌な語り手なところがあるのだが、安野先生がらみの重要そうなところについては徹底的に回避しているきらいがある。
彼女の過去とつながる箇所はひとつだけあって、他片の友人であり、いまや一流ビジネスマンとなり、再結成に対しては不参加を決め込んでいる来生である。
来生は過去長いこと、安野先生と交流があり、手紙のやり取りをしていたようなのである。
なお、この手紙を発見した他片が、ふと想起するのが、またもローマ法王のことである。


皆本と桜井は、それぞれ他片とどこか似ている者同士であり、またそれぞれ、(高校時代は皆本に、現在においては桜井に)振り回されてもいる。
しかし、かといって、それ以上の関係はそこには生じない。
一方、白血病の少女は、他片の恋愛の原経験に位置し、安野先生は、現在における恋人的位置にある。そして、どちらにも何故かローマ法王戦争と平和に関する説教)が関連付けられている。
と、整理してみたが、正直、だから何なんだと言われると分からなくて
特に、安野先生の過去と来生の関係が、結局なんだったのか、自分にはさっぱり読み取れなかった(安野先生はリストカット癖があり、来生はそれを知っている。なお、来生は吹奏楽部の後輩と結婚している)。
ただ、こうやって整理すると、この話、音楽と青春が起点にはなっているけれど、単に音楽小説とも青春小説とも言い難い作品だということが分かると思う。

その他の登場人物

小日向さん、用賀さん、辻さんの先輩グループはやはり印象的
辻さんは、やはりかっこいいなあというのがあり、25年後の現在のパートにおいても、もうサックス吹けなくなってたわけだけど、感動的なエピソードになっている、というか
用賀さんは、悪いことやるとき大体いて、癖があって、なかなかよいw
現在の仲間集めにおいて、最後にふらっと入ってくるのが用賀さんというのも、またよい


他片に好意を寄せていたらしい、後輩の柏木
柏木回路と他片が読んでいるちょっと変わった思考回路の持ち主だが、なんか独特の実在感がある


他片と小学生からの友人4人組の中の1人、幾田
高校時代、4人組の中ではもっとも音楽にのめりこんでいて、MTRを買って多重録音をするなどしていた彼だが、大人になってから鬱か何か精神疾患になっている。
その彼が、しかし、バンドに参加するようになってくるところも、なかなかグッとくるところである。


高校教師になった永倉のエピソードも、なかなかよい話で、「こっちが永倉の背中をおっかけてたんじゃ」みたいなことを言うシーン、グッとくる。


一方で、そういう救いが全然ないエピソードなのが、普天間で、後半のほうで突如差し込まれてきて、「えー」ってなるんだけど、世の中そういうこともあるもんかもしれないなーとは思わせる。


登場回数は少ないが、高見沢さんという、のちにグラビアアイドルになったという先輩が出てくる。それほど芸能活動は長続きせず、25年後においては芸能界から引退していて、バンドに参加することになる、というのも何というかちょっと面白いなと思う。
ところで、この年齢でグラビアイドルっているのか? と思ったのだが(主人公の他片と同じ年齢のアイドルだと中森明菜松本伊代がいるっぽいのだが、グラビアアイドルではないし)、岡本夏生とかが年齢的には近いのかもしれない。


他片が入ったとき、唯一、コントラバスを担当していた川之江さん
登場人物紹介に「女性なのにジョン・レノンに似ている」と書かれており、正直、なんちゅう紹介文だとは思うのだけど、どういう感じなのか、想像できてしまうのがずるい。

その他

放送部と軽音部のあいだでの、文化祭でのステージ枠の話や機材レンタルの話(とそれをめぐって過去にトラブルが起きて仲が悪くなっているという説明)などが、めちゃくちゃよくありそうな話で、思わず笑ってしまったw


楽器についての蘊蓄説明がそこかしこに書かれていて、それもまたとても面白いのだけど、オーボエの扱いの難しさの説明を見て思わず「みぞれ……!」ってなってしまったw

追記

そういえば、『ブラバン!』は入試問題にも使われていたりするらしいんだけど、どうも、父親にフェンダーエレキベースを買ってもらうシーンとかが使われているらしい。
いやしかし、あのシーンって、かなり前の方で主人公が30代くらいの時に生活苦でそのベースを手放してしまったというフリがなされていて、それの伏線回収みたいなシーンなので、あのシーンだけ切り取って読ませるとどんな感じになるんだろうなー
つまり、父親の子に対する思いを知ることのできた感動的なエピソードであると同時に、「でもこのベース、20年くらい経ったら金に困って売っちまうんだなー、辛えなー」っていうエピソードでもあるので。

追記その2

NOV1975 本 吹奏楽ブラバンではない(お約束)
https://b.hatena.ne.jp/NOV1975/20190604#bookmark-4669602898650966946

このブコメを見て思い出したのだけど、作中では、安野先生初登場シーンが、まさに「吹奏楽ブラバンではない」という話で、生徒が「ウィンドアンサンブルはもっと小編成だし、シンフォニックバンドだと管弦楽団と区別つかないし、そもそも言葉は通じたらいいのでは」という旨の反論をするも、「間違いは間違い」と突き返し、安野先生がどのような先生なのかを示すエピソードとして使われている

*1:ここでいう「信頼できない」は、他片の人格や能力に不信があるという意味ではなく、読者が作品世界を知る上での情報ソースとして信頼できないという意味

冲方丁『マルドゥック・アノニマス4』

ルーン・バロットとウフコックのバディが再起動するシリーズ第4弾
冲方丁『マルドゥック・アノニマス1』 - logical cypher scape2
冲方丁『マルドゥック・アノニマス2』 - logical cypher scape2
冲方丁『マルドゥック・アノニマス3』 - logical cypher scape2


高校を卒業し、いよいよ大学の法学部へと入学したルーン・バロットが、再び悪徳渦巻く世界へと戻ってくる。
4巻では、2つの時間軸の物語が交互に進められていく。
1つは、3巻の直後、バロットととウフコックが再会したところから続く戦闘シーン
もう1つは、ウフコックとの再会に至るまで、バロットがウフコックを探しつづけた過程
前者は、ウフコックの閉じ込められていたガス室のある施設から、ウフコックを連れ出すために、クインテットのメンバー(特にそのナンバーツーであるバジル)と戦うところで、いわば、一つの戦闘シーンを一冊かけて描いているものだし
後者は、バロットとイースターズ・オフィスの2年間の歩みを、一冊に凝縮して描いているものとなっている、と言える。
この2つの時間の流れを、一冊で読むことができるのは非常に贅沢な感じだなあと思いながら、まあ、どちらもこの1冊で完結してなくて、次巻に続くけど


ウフコックは、再会したバロットが非常に頼もしい存在になっていること、さらにバロットだけではなく、ウフコックが望んだ「勢力」が彼の知らない形で再興していることに気付き、驚かされるわけだが、読者もその驚きを共感するだろう。
一方で、もう一つのパートを読むことによって、そこに至るまでどのような過程があったのかが分かっていくのであり、また他方で、そこで描かれている過程が、ウフコック救出という形で結実したのだということを同時に知ることができる
例えば、アビーがバロットのことを「姉さん」と呼んでいることに、ウフコックと読者は驚かされるわけだが、もう一つのパートを読むことで、何故アビーがバロットのことを「姉さん」と呼ぶに至ったのを知ることができるし、また、最初はこんな関係だけど2年後には「姉さん」と呼ぶような関係になれたのだなということも知ることができる。
アビーとの関係は、バロットの成長と立ち位置の変化を示すこの上ないエピソードになっている。


また、ここに至る3巻までの流れで、さんざんイースターズ・オフィスの面々を苦しませ続けてきたクインテットに対して、一矢報いる展開となっていて、カタルシスがある
特にそれは、単純に戦闘で勝ったぜーということではなくて、イースターズ・オフィスとバロットが共有したモットーを体現した反撃となっている。不殺の反撃。
そして、これまで完全に謎に包まれてきたハンターの正体へと迫る一歩が示され、さらに「シザース」との関係が見え隠れしはじめてきて、アノニマスだけでなく、スクランブルやヴェロシティでの展開も含めてこれまでの流れがいよいよまとめられ、結末へと向かっていくのか―ということを感じさせはじめている。


続きが楽しみ
しかし、その前に、そろそろスクランブルとヴェロシティを再読した方がいいんじゃないか、俺

Bence Nanay『知覚の哲学としての美学 Aesthetics as Philosophy of Perception』1・2章

知覚の哲学と美学の両方を専門とするナナイによる美学の本
知覚の哲学に出てくる概念(主に「注意」概念)を用いていくつか美学の問題に取り組むもの
ナナイについては、これまで描写に関する論文をいくつか読んで、わりと面白いなと思ったので、著作も読もうと思っていた
本書も第3章がPicturesとなっていて、主な目当てはそこ。あと、7章のThe History of Visionとか。

Bence Nanay ”Threefoldness" - logical cypher scape2
ベンス・ナナイ「画像知覚と二つの視覚サブシステム」 - logical cypher scape2
ベンス・ナナイ「トロンプ・ルイユと画像知覚の腹側/背側説明」 - logical cypher scape2


全部で8章構成になっており、とりあえず最初の2章まで読んだので、そこでいったんまとめてみる。
2章まででは、主に「分散された注意」という概念を用いて「美的経験」を説明するということをやっている。
ちなみに、ナンバさんが紹介ツイートをされていたので、全体がどんなのかはこちらを参照のこと


本全体の目次

1.Aesthetics
2.Distributed Attention
3.Pictures
4.Aesthetically Relevant Properties
5.Semi-Formalism
6.Uniqueness
7.The History of Vision
8.Non-Distributed Attention



今回の記事で取り上げる最初の2章の目次

1.Aesthetics
1.1.Aesthetics versus Philosophy of Art
1.2 Perception
1.3.Product Differentiation
2.Distributed Attention
2.1.Varieties of Aesthetic Experience
2.2.Disinterested Attention
2.3.Distributed versus Focused Attention
2.4.The Importance of Aesthetic Attention
2.5.Aesthetic Attention and Aesthetic Experience

1.Aesthetics美学

まず、美学と知覚の哲学の話で、美学を知覚の哲学の中に組み入れてしまおうとかそういう話ではなくて、美学の人にとって知覚の哲学が、知覚の哲学の人にとって美学が、分かるような本だよーというような紹介
それから、この本は美学の本であって、芸術の哲学の本ではないといって、美学と芸術の哲学を区別している。
美学というのは、経験についての哲学。そして、経験についての哲学といえば知覚の哲学だよね
知覚の哲学は、狭義の知覚だけじゃなくて、想像のような疑似知覚過程も扱ったりする
本書のメインテーマは「注意」
注意が、美学が扱っている経験を特徴づける上で大事な役割を果たしているというのが、ナナイの主張

2.Distributed Attention分散された注意

2.1Varieties of Aesthetic Experience 美的経験の種類

この章は「注意」という概念によって「美的経験」を説明する
注意によって美的経験を説明するのは新しい考えではなくて、例えば、カントも無関心的な注意(disinterested attention)*1によって美的経験を説明しようとした。
本書は、美的経験の範例的なケースを、分散された注意(distributed attention)で説明する。
美的経験において、注意は、知覚された一つの対象に集中されている(focused)が、一方で、その対象の数多くの性質に分散されている(distributed)


ここで、「美的経験の範例的なケース」と述べているが、具体例として、プルーストの一節が引用されている。他にも、カミュオルダス・ハクスリーなど、文学や哲学から例を引用している。
ちょっと面白いのが、ウォルハイムとグリーンバーグの対比で、絵画についての美的判断を行う際に、グリーンバーグは短時間でやってたのだけど、グリーンバーグは何時間でも一つの絵の前にいたというエピソード
ここから、美的経験について、コントロールできなさという特徴を見いだしている
つまり、「美的経験がしたい・しよう」と思ったからといってできるわけではない、ということ。
それから、もう一つ、美的経験の特徴として、持続することを挙げている
持続とは、美術館や劇場から出てきた後、しばらく、世界が少し違ったように見える、といった特徴のこと。


いくつか注意事項として
この美的経験aesthetic experienceは必ずしも美beautyの経験ではないこと
また、美的経験と呼ばれる経験には、この範例的なケースには合致しないような経験もあること
つまり、典型的な美的経験は、この分散された注意で説明することができるけど、説明できないようなタイプの美的経験もあるということ
それから、過去、美学において、美的経験と芸術とが結びつけられて論じられたことがあったけど、ナナイはそうは考えていない。芸術作品の経験にとって、美的経験は必要でも十分でもない、と。
あと、知覚できない対象(コンセプチュアルアートにおけるideaとか、物語の構造とか)についての美的経験もある

2.2.Disinterested Attention無関心的な注意

カントの「無関心的な注意」について
日常的な心配とか実践的な観点から自由な経験を、カントは美的経験として、これを「無関心性」と呼ぶ
ナナイも、「無関心性」が美的経験にとって重要な特徴なのではと考えているが
この無関心性の議論には、ディッキーの批判がある。
無関心的注意で美的経験を特徴づけることができるならば、関心的と無関心的の違いを区別できないといけないが、注意に関心的な注意と無関心的な注意なんてものはない、というのがディッキーの批判
ディッキーは、注意には強弱はあっても種類の違いはないという前提をしていた
しかし、知覚心理学の面からいうと、この前提は誤り。

2.3.Distributed versus Focused Attention 分散された注意と集中された注意

注意にはいろいろな種類(overt/covert, endogenous/exogenous, focused/distributed)があるが、集中されたfocused注意と分散されたdistributed注意の違いは、1970年初頭には既に導入されていた
集中と分散は、視野のサイズとか注意が向いている対象の数とかで区別できる


ナナイは、一つの対象に集中した注意を向け、かつその対象の複数の性質に分散された注意をするのが「美的経験」だと

注意の在り方は、対象・性質、集中・分散で4種類に分けられる

(1)対象に関して分散されて、性質に関して集中した注意
(2)対象に関しても性質に関しても、分散された注意
(3)対象に関しても性質に関しても、集中した注意
(4)対象に関して集中して、性質に関して分散された注意

(1)は何かもの(例えば、青い靴下とか)を探している時
(2)は、例えば、病院の待合室で退屈していて、色々なものを見たりしている時
で、(4)が美的注意なわけだけど、ナナイは、(3)が「関心的」な注意で(4)が「無関心的」な注意だと考える
で、ここでいう無関心というのは、何も関心が向いていない、ということではなくて、実用的な観点での関心がないということ
実用的な観点からの注意というのは、実用的な特徴にのみ注意が向いているということかだら、つまり、対象のもついくつもの性質に注意が分散するのではなく、その対象の特定の性質に注意が集中する。
ディッキーは、こういう違いに気付いてなかった、と


美的注意の説明は、経験的な理由も持っている。
目の動きを調べる実験がある。目の動きによって、何に注意しているかが全て分かるわけではないけど、かなり多くの部分はそれで分かる。
美術教育を受けた芸術家と、素人とで、絵を見たときの目の動き方が異なる。
教育を受けたほうが、素人よりも、注意がより分散している(素人は、絵の中の人物が描かれている部分に注意が集中しがち)
もちろん、美術教育を受けていることと美的経験を経験しているかどうかに関連があるとかどうかは分からないので、これは決定的な証拠ではないけれど、この説明が正しい方向を向いていることを示しているのではないか、と。

  • コメント

1つの対象がもっているいくつもの性質に注意が分散している、というのがポイントなのだが、一方で、1つの対象に注意が集中しているということも、それなりに重要かなと思った
この節でも、「注意が向けられている対象」って一体何なんだ、みたいなことの説明が少ししてある。
例えば、もし景観について美的な注意を向けているとしたら、景観が一つの知覚された対象となっていて、その中の一本の木、また別の木といったものがそれぞれ対象になっているわけではない、ということが書かれている。
これ、木の一本一本が注意の対象になっていたら、上でいうところの(2)の注意になってしまうわけだけど、どうやって区別できるのだろう。

2.4.The Importance of Aesthetic Attention 美的注意の重要性

上であげたコメントに対応するようなことが多少書いてあったような


美的経験を説明する他の説に比べて、美的注意説の優位を解く
ライバル説として、美的経験は、対象の美的性質によって説明できるとする説と、それ自身目的としたものが美的経験であるとする説があげられる
いずれも、美的経験のもっている、コントロールできないという特徴と持続するという特徴を説明できず、美的注意説はそれらの特徴を説明できるという優位がある。

2.5.Aesthetic Attention and Aesthetic Experience 美的注意と美的経験

(省略)


ナナイ説を用いた批評

ナンバユウキさんが、ナナイの「分散された注意」概念を用いた批評を行っている。

追記(20190610)

ふと思ったことをメモ
ポルノをポルノとして見ているときの経験は、実用的な観点から見ているという意味で、関心的な注意を向けた経験であって、美的経験ではないのではないかと思うのだけど
場合によっては、分散された注意になっていることもあるのではないか、と思った。
まあ、大概においては、例えば女性を描いたポルノであれば、それを見ている人(使用している人)は、胸や尻、性器あるいはその人が性的興奮を感じる部分へ注意を集中させていると思う。そので意味では確かに、非美的な経験だと思う。
しかし、一方で、実用的な観点を持ちながら、注意が分散されている場合もあると思う。というのも、単純に裸体や性行為が描かれていれば性的に興奮するとは限らず、状況や場所、服装等々が関連していることがある。その場合、どういう部屋にいるのか、どのような服を着用しているのかなどへ注意が向くだろう。身体についても、上述したようないわゆる性的な部位に注意が集中するのではなく、顔の表情、指先、脚の向きなど様々な箇所に注意が分散するかもしれない。また、実写ではなく絵画・イラストの場合、それこそ通常の美術鑑賞と同様に、線の引き方や色の塗り方へ注意が向くこともあるだろう(それでいて通常の美術鑑賞と異なるのは、「この描き方は○○様式だな」とか「この筆致により、荒々しい感情が表出されている」とかに繋がるのではなく、「この塗り方エロい」となっている点である(もっとも、その「エロい」が、そのイラストについての記述であるならば、通常の美術鑑賞とさして変わるところはない。しかし、「使える」という意味であれば、やはり通常の美術鑑賞とは異なってくるだろう))。
しかし、そのように注意が分散されているからといって、無関心的なのかといえばそうではなく、むしろ実用的な観点から、注意が分散していっている。
まあ、これはこれで、美的経験の一種と言ってしまってもいいのではないか、という考えもあろう。
その場合、無関心性は、多くの美的経験に当てはまるが、必要条件というわけではない、というように修正していくことになる。
実際、無関心性は、美的なもののマーカーにはなりそうだが、必須かどうかはよく分からないところがある。
逆に、分散された注意だけでは、美的経験の特徴付けや定義には不足するところがあるのではないか、という方向もありうる。

追記(20231006)

他の人のレジュメを見つけたので参考に
Bence Nanay, Aesthetics as Philosophy of Perception (第二章: Distributed Attention)|matsui
読もうと思いつつ未読のままになっていた第7章についてもレジュメがあったので、ありがたく読んだ。
Bence Nanay, Aesthetics as Philosophy of Perception (第七章: The History of Vision)|matsui

*1:岩波の『判断力批判』だと、「注意」ではなく「適意」という訳語になっていると思う

大哺乳類展2


上野・国立科学博物館で開催されていた「大哺乳類展2」へ行ってきた
2というからには1があったわけだが、それは2010年と9年前にあったようだ。1にも行っていたような気になってて「この前行ったの9年も前だったか?」と驚いていたのだが、帰ってから調べてみたら、自分が以前行ったのは「大哺乳類」ではなく太古の哺乳類展 - logical cypher scape2であった……


入って早々、どーんとアフリカゾウの全身骨格があり、その真上にはシロナガスクジラの顎の骨が吊り下げられている。

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アフリカゾウ正面
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シロナガスクジラの顎とアフリカゾウは長さが同じくらいっていう展示
その周囲に、様々な動物たちの全身骨格が並べられている。
これだけで「うお、すげー」ってなる
哺乳類は、生きている姿を知っていることもあって、骨格からその姿を復元することの難しさが改めてわかる
前半というか半分以上が、様々なロコモーションの解説にあてられており、面白い
蹠行性、指行性、蹄行性の違い、ウォーク、トロット、ギャロップなどの歩容の違いなどから始まる。
4つ足動物の歩容、難しいなあ
ライオンのかぎ爪、すげーなーとかゾウアザラシめちゃくちゃでかいとかアリクイってナックルウォークしてたの?! とか
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ライオンの爪
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ライオンの頭
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ナックルウォークするアリクイ
さらに、走る、跳ぶ、樹上移動、滑空、掘る、泳ぐなど様々なタイプのロコモーションについての解説が続く。
ネコ科は背骨が弓なりになっているけれど、それ以外の動物はわりとまっすぐだなあとか(ネコ科はとにかく背骨をしならせて推力を出す)
ブラックバックの跳躍力がやばい。
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ウサギ。足が長い
ヒグマはやっぱりでけーなあとか
イノシシは牙が左右に出ているのがかっこいい
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イノシシ
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牙と角がなんかやばいイノシシの仲間
ムササビの皮膜をひっかける骨、これってイー・チーにあるっていう奴と同じような奴なんかな
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ムササビ
鯨偶蹄目はめっちゃ多いなあ(奇蹄目はとても少ない。ウマとサイとバクくらいだったか)
鯨偶蹄目がずらっと並んでいるところで、仮面ライダー龍騎のインパラライダーを思い出してしまったw
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鯨偶蹄目(写真に写ってない場所にもいる。上にはマッコウクジラやイルカが吊ってある)
そういえば、大哺乳類展2では、目が全て漢字表記になっていて分かりやすかった。系統図が2か所くらいに展示されていたのもよかった
真無盲腸目って何かと思ったらモグラの仲間か
ロコモーションの次は、「食べる」
鯨の顎の開閉を、骨にモーターつけて実際に動かして見せる展示があったのだけど、下あごが左右に開くとは
クジラのヒゲの展示もあって、実際こんななのかーとか
歯は、本当に色々なのがあったが、昆虫食は、歯がW形になっていて、上と下の歯がかみ合ってすりつぶすとかが面白かった
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コウモリの歯(Wの形をしている)
哺乳類の歯は、基本的に異形歯性だけど、イルカとかはほぼ同形歯性になっている。あと、アリクイとかは歯がなくなっている。
最後のゾーンは、生殖で、例えばオスの角とか子供の体色とかなのだが(イッカクの角が展示されていたのがよかった)、それ以外に陰茎、子宮、胎盤の展示があり、これもなかなかすごかった
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イッカク
陰茎に5種類くらいあって、骨がある奴(勃起しなくても性交できる)とか、ぐるぐると螺旋状をしている奴とか、形も大きさも様々だった。ブタとかかなりわけわからん形している。
胎盤もいくつか種類がって、中には、これはもはや「盤」ではなく「球」だなみたいなのもあった。
第2会場では、2018年に由比ガ浜に漂着したシロナガスクジラについて展示されており、胃の中にあったプラスチックの多さに改めて驚かされる。